48
アスランの長やラクアナ島の人々が揃って「ありがとうございました!」と、大きな声を上げて手を振りながら見送る光景に、白ひげ海賊団の隊員達は苦笑を浮かべていた。
「さながら正義のヒーロー?」
「はっ! 海軍じゃあるめェし、正義なんて言葉は海賊に似会わねェっての」
「だな!」
そう言ってゲラゲラと笑う隊員達は、いつも通りにそれぞれの仕事場へと向かった。
一方、いつもと違ったのは船内の船長室で、隊長達が集合を掛けられているというのに、ラクヨウがいつまで経っても来なかった。そして、マルコがひょっとしたらと向かった先は、はたまたいつもと違った船医室で、案の定、ラクヨウがそこにいた。
マルコが船医室に入るなりエミリアが冷酷な目でギロリと睨み付け、マルコはビクリと大きく反応した。
早く連れ出せ
―― 勘弁してくれ……。
マルコは焦ってラクヨウの腕を捕まえようとした。しかし、ラクヨウはそれを払い除けてアルドに拳骨をお見舞いした。
「うっ…! い、痛い……」
「あったりめェだバカ野郎! 痛ェのは生きてる証拠だ畜生めェ!」
ラクヨウの怒りの鉄拳を受けた頭を摩るアルドに、ラクヨウは鬼の形相を浮かべている。その傍で、エミリア婦長が額に青筋を張って更に狂暴な鬼へと変貌し掛けている。
「ラクヨウ落ち着け! 船長室に集合だって知ってんだろい!?」
「アルド! 覚悟して説教を聞きやがれ!」
マルコは狂暴な鬼へと変わり掛けているエミリアをチラチラと気にしながらラクヨウを羽交い絞めにした。
―― 説教の前に、お前ェがエミリアに殺されるだろうよい!
マルコがラクヨウを船医室から無理矢理に連れ出そうと試みるが、それでもラクヨウは抵抗してアルドにガミガミと怒鳴り続けた。
「ラクヨウ隊長。まずは手当てを先に済まさないと……彼、死にますよ?」
「「……」」
エミリアは花が咲く程の満面な笑顔でそう言った。とてもキラキラと輝いている笑顔だが、声音は妙に刺々しく凍てつく程に冷たいものだった。見ればエミリアの額には禍々しい程の角が……。
ラクヨウとマルコはゴクリと固唾を飲んで青褪めた。そして、パタンと閉まる船医室の扉の音が妙に鉄門の様に重いものに感じた。
「こいつは地獄の門か……?」
「……」
ラクヨウの問いにマルコは「おれもそう思った」とは言えなかった。その科白がエミリアの耳に届いてんじゃないかと思ったから――。
ラクヨウは溜息を吐いてマルコと共に船長室に向かうべく歩き出した。
「あの傷は残っちまうかもしれねェな。あれでも一応……っと、」
アルドの腹部の傷を思い出しながらポツリと零したラクヨウは、ハッとしたように言葉を途中で止めた。
「それはおれも同感だよい」
マルコはラクヨウの言葉尻を気にするでも無く頷いた。
これまでのマルコなら「一応……、その後はなんだよい」と、問い詰めてきそうなのに、マルコの薄い反応にラクヨウは少し不思議に思った。だが、まァ良いかとラクヨウは更に言葉を続けた。
「もうちょっと自分を大事にしろって言ってんだが聞いちゃいねェ。もうちょっと自覚しやがれって、常々言ってるってェのに」
「アルドが女で、本当の名は#イルマ#で、それをいつから知っていたのか、教えろよい」
「あァ、それはだな、あいつが船に乗ることになった……って、待て」
ラクヨウはピタリと足を止めた。そして、隣に視線をゆっくり向けるとマルコが少々不機嫌な表情を浮かべてラクヨウを睨んでいた。
「マルコ、いつ気付いた?」
「昔と重なった状況で#イルマ#だと自分で気付いた」
両腕を組んで溜息混じりにそう答えたマルコに対してラクヨウはポカンとした間抜け面を浮かべていた。だが直ぐにニヤリと悪い笑みへと変えた。
「良い女になっただろ?」
「は!? 急になに言っ」
「言ったはずだ。#イルマ#はお前の言うことなら何だって聞くってな」
「――ッ、た、ただ#イルマ#を幼い頃に助けたってだけで、あいつはそこまで思ってねェだろうよい」
マルコが戸惑い気味にそう答えるとラクヨウはガクリと頭を落した。
「あのな、マルコ。お前にはっきり教えておいてやる。アルドッ、じゃねェ、#イルマ#は、元アサシンっつっても女だ。お・ん・な。てめェは、その意味をちゃんとわかってんのか!?」
「だからそれがなんだっ」
「あいつは、お前の為なら命すら簡単に捨てる気でいるってことだ!」
「――て……なに?」
「#イルマ#はな、ガキの頃から一日たりともお前のことを忘れたなんてことはねェ」
「!」
「それに、あいつの心が死ぬ度に奥底から揺り動かして生かしたのは、全て#イルマ#がお前に寄せる『想い』が支えになってたって言ってもおかしくねェ。それぐらいお前の存在は#イルマ#の中で大半を占めてんだ! それを自覚しやがれ!」
ラクヨウはマルコに指を差しつつ唾を飛ばしながらそう言った。それにマルコはキョトンとした。
―― おい、なんだその『キョトン』とした表情は……。
予想していた反応と違った表情を浮かべるマルコに、ラクヨウは眉をよりグッと顰めて不審に思った。
「……ラクヨウ」
「お、おう、なんだ?」
マルコが徐に手で口元を覆うとラクヨウからスッと視線を外した。何やらバツの悪い表情を浮かべている。
「おい、どうした?」
「あれか、」
「あン?」
「あー……、おれはひょっとしてお前に色々と許可を取らないといけねェ立場ってェことか?」
「は?」
ラクヨウは気の抜けた声を漏らした。
―― な、何を言ってやがんだ?
ラクヨウが困惑する一方でマルコは頭を悩ましていた。
―― まさかラクヨウが#イルマ#のことをここまで思ってるなんてよい。これじゃあまるで父親じゃねェか。
マルコにとっては意外だった。ラクヨウがここまで#イルマ#を心配する過保護なオヤジっぷりを発揮するとは思ってもみなかった。そして、船に帰還するまでのあれこれが脳裏に浮かぶ。
言い訳では無い。流れのまま ”仕方が無く” 衣服を脱がして裸で抱き合った。あれは冷えきった身体を温める為にした行為だ。確かにその前の集落で生き地獄を味わったが、それに事欠いてしたわけでは無い。
はっきり言って言い訳では無い。
ただ――
裏路地でキスをしたのは、正直に言うと自分自身でも本心から驚いた行為だ。あまりに自然過ぎた行動に、重なる唇の感触に、気持ちが勝手に高揚して心臓がバクバクと激しく脈を打った。アサシン程では無いが、ポーカーフェイスが割と得意で良かった――と、そう思う程に実は酷く動揺していた。
マルコは最大の懸念を抱いた。
まさかとは思うが、いつか、ひょっとしたらひょっとして、自分はラクヨウに「娘をください」的な台詞を口にして頭を下げなければいけないのだろうか――と。
しかし、胸の内で頭を抱えていたマルコが「いや、違うだろ」と大きく首を振った。
―― #イルマ#はオヤジの娘だ。そん時が来たらオヤジにだろうが。ラクヨウはただの……、ただの……なんだ?
「ラクヨウ」
「お、おう」
「おれはお前の立ち位置がわからねェよい」
「んン?」
マルコの本音が零れるとラクヨウは眉間に皺を寄せたまま首を傾げた。
―― マルコ、てめェこそ何が言いてェんだ? 全くわからねェ……。
二人の会話は途切れた。そして、沈黙したまま船長室へと入って行った。
◇
アルドは船医室の天井をじっと見つめて考え事をしていた。
人が側にいて無条件に意識を手放したのはこれで二回目だった。そのどちらともマルコの腕に抱かれた状態でのことだ。船に戻って甲板に降り立つと同時に意識が浮上した。人の気配を感じたからだ。
マルコ以外の者がいれば意識を戻して失うことを良しとしないのに、マルコと二人だけの時はあっさりと意識を手放せるのか――それが不思議で仕方が無かった。
「まァ暫くは安静じゃな。傷跡が残ってしまうかもしれんが、最大限努力したから酷くは残らんだろう」
船医のナキムが首を左右に曲げてコキコキと音を鳴らした。
「疲れたな。エミリア、後は任せて大丈夫か?」
「えェ、お疲れ様です」
「食堂で休憩してくるからな」
ナキムはアルドの顔を覗き込んでそう言うと船医室を後にした。そして、船医室にはアルドとエミリアの二人きりだ。他のナース達は休憩時間で船医室にいなかったことが幸いだ。
「船が動いてますね。出港した……ということですか?」
「えェ、あなた達が戻って来て直ぐにね」
「ロスカ国はどうなったのか……」
「ふふ、第三王子が後を継ぐそうよ? 誰もが望んでいた結果になって国民も他の町に住む人達も喜んでいたわよ」
「海軍は……?」
「少しだけ衝突したけど、大将の黄猿が気乗りしないとかで撤退したのよ。彼の部下が戦闘兵器をもってして戦おうとしたけど、オヤジ様達が隙を見て撤退したから大きな戦闘にはならなかったの」
「そう…ですか……」
アルドは小さく頷いて溜息を吐いた。
「ねェアルド。……いえ、#イルマ#ちゃん」
「ッ! そ、その呼び方は止め――ッ!?」
アルドは思わず目を見張った。エミリアは満面の笑顔であったが、気のせいか額から角らしきものが見えて、ついでに牙も生えているように見えた。
―― な、なな…!?
アルドはゴクリと固唾を飲んだ。
「#イルマ#ちゃんは女の子なんだから自覚しなさいって言ったわよね?」
「あ、いや、そ、それは……」
「ラクヨウ隊長に私が何度も口を酸っぱくして言ってるの知ってるでしょ?」
「ま、まァ……」
「なんだかんだと船内のことは”何でも知ってる”はずだから、彼があなたにそれを言うようになった理由はわかってたわよね?」
「は、はい」
「あまりに自分を大事にしないようなら、マルコ隊長に言いましょうか? あなたの正体」
エミリアがキッと睨んでそう告げた。アルドは目を丸くすると途端に全身から力を抜いてガクリと頭を落とした。それにエミリアは「あら?」と不思議そうに見つめた。
「もう、知っていますよ。正体がバレましたから……」
「え!? やだ嘘!? ほんとに!?」
エミリアは両手を口元に当てて驚きの声を上げた。
「あの……、どうしてそんな……」
エミリアが頬を赤くして異様に嬉しそうな笑みを浮かべている。それにアルドは眉を顰めた。
―― どういう気持ちでそんな表情を……。
まるで自分事のように喜々とするエミリアの『感情』の意味が、アルドにはわからなかった。
「ふふ、良かったわね」
エミリアはそう言ってアルドの肩をポンと叩いた。アルドは無表情のままどう答えて良いのかわからずに沈黙した。
「どう反応したら良いのかわからないって顔ね」
「すみません……、おれは、」
「もう良いんじゃないかしら?」
「――もう良い……?」
「アルドじゃなくて、#イルマ#として生きても良い頃じゃない?」
「ッ……!」
「きっと弟さんもそう願うはずよ? だってあなたの弟は……、アルドくんは、心根の優しい子だったんでしょう?」
アルドはエミリアから視線を外すと少し顔を俯かせて目を瞑った。
「あーっと、余計なこと言ったわね……」
エミリアはバツの悪い表情を浮かべた。その言葉にアルドは目を開けて再びエミリアを見上げた。エミリアはニコッと笑みへと変えて続けた。
「マルコ隊長と話をちゃんとしなさい。あなたがずっと抱えていた気持ちや想いをマルコ隊長にぶつけなさい。良いわね?」
「話…ですか…? 例えばどういった話を……?」
「あなた、普段は聡い子なのに、どうしてそこで天然になるわけ?」
「え……?」
アルドが軽く首を傾げる一方でエミリアはガクリと頭を落して溜息を吐いた。
―― あァもうじれったい! こうなればマルコ隊長の方に圧力をかけるしかないわ! そうね! こういう場合は男からいくものよ!
エミリアは心内でグッと拳を握り締めながら目に炎を灯して固く決意した。一方その頃、船長室で会議に出ていたマルコは、アサシンについて話をしている際にくしゃみを三度繰り返した。
「わ、悪い」
―― 何故だか悪寒がする。……気のせいか?
マルコはコホンと咳払いをして改めて話した。
今後はアサシンが白ひげ海賊団に牙を剥く可能性があることを示唆した。それに隊長達は意気揚々として「望むところだ!」と声を上げた。白ひげも「グララララッ! 当然だァ!」と笑って言った。
「んじゃあ、これからはアサシン対策を兼ねて訓練しなきゃなんねェわけだな?」
「まァ、そういうことだ」
エースがそう言うとマルコが頷いた。
「これからの訓練は、対アサシンに慣れた7番隊を中心に」
「と言うことは、いきなりリーザちゃんが活躍だってわけだ」
「――……サッチ、今、なんて言った?」
サッチの言葉にマルコは目を丸くした。それに隊長達がキョトンとしてマルコを見やった。
―― な、なんだ……?
マルコは彼らの視線に思わず困惑した。
「サッチ、リーザって誰だ?」
助け舟とばかりにエースが手を上げてサッチに言った。それにより漸く彼らはマルコもその場にいなかったことを思い出して「あァそうか」と頷いた。
「い、いや、待てよい。リーザって……?」
マルコは眉を顰めて白ひげに視線を向けると白ひげがニヤリと笑みを浮かべた。
「新たに『娘』が一人加わった。そういや言ってなかったなァ〜グララララッ!」
「「は?」」
白ひげの言葉にマルコとエースの声が見事に重なった。そして、二人して眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「ガッハッハッ! そういやお前ェらは知らねェんだったなァ!」
ラクヨウの声にマルコとエースは視線を向けた。
「リーザってェ名の女のアサシンだ! 7番隊で預かることになったんでな、後で紹介してやるぜ」
「マジか!?」
ゲラゲラと笑うラクヨウにエースは驚きの声を上げた。その一方でマルコは困惑気味に怪訝な表情を浮かべて白ひげへと顔を向けると白ひげはクツリと笑った。
「オヤジ、本当に……?」
「あァ、本当だ」
ラクアナ島における『アサシン騒動』の報告が終わると今後の展望と対策として7番隊を中心に『対アサシン』の訓練を行うことが決定して会議は終わった。
隊長達が船長室から去った後、マルコは残って白ひげを睨むようにして立っていた。白ひげは相変わらず楽し気だ。
「マルコ、機嫌が悪いな。どうした?」
「知ってたんだろい?」
「何をだ?」
「アルドのことだよい」
「あァ、漸く気付いたということか」
白ひげがそう言うとマルコはコクリと頷いた。じっと見据える青い眼に白ひげはクツリと笑った。
―― あァ、となりゃあ#イルマ#はやっと変われるな。#イルマ#はこれで安心というわけだ。
「グララララッ!」
「オヤジ、おれは」
「#イルマ#のことはお前に任せる。もう二度と後悔しねェように手ェ離すんじゃねェぞバカ息子!!」
「――ッ!」
白ひげは途端に笑みを消してマルコの言葉を遮った。笑みを消した真顔で金色の目は鋭く、本気の言葉であることに、マルコは目を丸くして言葉を噤んだ。
「教えてくれ……」
少し間を置いてマルコが静かに言った。
「おれが#イルマ#と会った時のことだな?」
「あァ。何もかも全て……知りてェ」
マルコの言葉に白ひげは少し息を吐いた。
「お前がアルドの正体が#イルマ#だと気付いたことは、#イルマ#は知っているのか?」
「知ってる。だからこうして改めて教えて欲しいって頼んでんだよい」
マルコはふわりと笑みを零した。それに白ひげは目を丸くした。
それは、白ひげでさえも見たことが無い、心底から滲み出る喜びと優しさの混じった柔らかいものだった。すっきりとした清々しさがそこにあった。ずっと抱えていた憂いは疾うに消え、『本気の覚悟』を持った男の目がそこにあった。
―― お前ェもそういう顔ができるようになったんだなァ……。
白ひげは心底から安堵して喜んだ。そして、白ひげは#イルマ#と初めて会った日から今日に至るまでの十年間の空白を埋めてやるとでも言うかのように話した。
「もっと知りたければラクヨウから話を聞けば良い」
「いや、もう十分だよい。それにあいつはそれどころじゃねェだろい?」
「あァ、第二の#イルマ#を相手に奮闘中だからなァ」
「オヤジ、その、#イルマ#の性別のことなんだがよい」
「それはお前ら二人で話をして決めろ。アルドのままの方が都合が良いならそれで構わねェ。#イルマ#としていくなら報告しろ。おれから説明する」
「わかった。じゃあ、おれは#イルマ#の様子を見に行くからこれで失礼するよい」
「あァ」
マルコはクツリと笑うと船長室を後にした。パタンと閉まった扉を見つめていた白ひげは背凭れに身体を預けて大きく溜息を吐いた。
「十年……。長かったなァ#イルマ#。もう変わる頃合いだってェことだ」
白ひげは微笑すると目を瞑った。
アルドとは実際に会ったことはないが、#イルマ#から聞いたアルドの話やアルドとして生きた#イルマ#の姿を思い浮かべる。
「アルド、お前の本当の願いは#イルマ#がアサシンとして生きてお前の仇を取ることじゃねェ。自由を手に入れて感情のまま素直に生きて幸せになってもらいてェ、そう願ったんだよなァ?」
白ひげはアルドに向けてポツリと語った。見知らぬ少年の気持ちはきっとそうであったと思えたからだ。そして、その表情は父性たる愛情に満ちたものだった。
「さながら正義のヒーロー?」
「はっ! 海軍じゃあるめェし、正義なんて言葉は海賊に似会わねェっての」
「だな!」
そう言ってゲラゲラと笑う隊員達は、いつも通りにそれぞれの仕事場へと向かった。
一方、いつもと違ったのは船内の船長室で、隊長達が集合を掛けられているというのに、ラクヨウがいつまで経っても来なかった。そして、マルコがひょっとしたらと向かった先は、はたまたいつもと違った船医室で、案の定、ラクヨウがそこにいた。
マルコが船医室に入るなりエミリアが冷酷な目でギロリと睨み付け、マルコはビクリと大きく反応した。
早く連れ出せ
―― 勘弁してくれ……。
マルコは焦ってラクヨウの腕を捕まえようとした。しかし、ラクヨウはそれを払い除けてアルドに拳骨をお見舞いした。
「うっ…! い、痛い……」
「あったりめェだバカ野郎! 痛ェのは生きてる証拠だ畜生めェ!」
ラクヨウの怒りの鉄拳を受けた頭を摩るアルドに、ラクヨウは鬼の形相を浮かべている。その傍で、エミリア婦長が額に青筋を張って更に狂暴な鬼へと変貌し掛けている。
「ラクヨウ落ち着け! 船長室に集合だって知ってんだろい!?」
「アルド! 覚悟して説教を聞きやがれ!」
マルコは狂暴な鬼へと変わり掛けているエミリアをチラチラと気にしながらラクヨウを羽交い絞めにした。
―― 説教の前に、お前ェがエミリアに殺されるだろうよい!
マルコがラクヨウを船医室から無理矢理に連れ出そうと試みるが、それでもラクヨウは抵抗してアルドにガミガミと怒鳴り続けた。
「ラクヨウ隊長。まずは手当てを先に済まさないと……彼、死にますよ?」
「「……」」
エミリアは花が咲く程の満面な笑顔でそう言った。とてもキラキラと輝いている笑顔だが、声音は妙に刺々しく凍てつく程に冷たいものだった。見ればエミリアの額には禍々しい程の角が……。
ラクヨウとマルコはゴクリと固唾を飲んで青褪めた。そして、パタンと閉まる船医室の扉の音が妙に鉄門の様に重いものに感じた。
「こいつは地獄の門か……?」
「……」
ラクヨウの問いにマルコは「おれもそう思った」とは言えなかった。その科白がエミリアの耳に届いてんじゃないかと思ったから――。
ラクヨウは溜息を吐いてマルコと共に船長室に向かうべく歩き出した。
「あの傷は残っちまうかもしれねェな。あれでも一応……っと、」
アルドの腹部の傷を思い出しながらポツリと零したラクヨウは、ハッとしたように言葉を途中で止めた。
「それはおれも同感だよい」
マルコはラクヨウの言葉尻を気にするでも無く頷いた。
これまでのマルコなら「一応……、その後はなんだよい」と、問い詰めてきそうなのに、マルコの薄い反応にラクヨウは少し不思議に思った。だが、まァ良いかとラクヨウは更に言葉を続けた。
「もうちょっと自分を大事にしろって言ってんだが聞いちゃいねェ。もうちょっと自覚しやがれって、常々言ってるってェのに」
「アルドが女で、本当の名は#イルマ#で、それをいつから知っていたのか、教えろよい」
「あァ、それはだな、あいつが船に乗ることになった……って、待て」
ラクヨウはピタリと足を止めた。そして、隣に視線をゆっくり向けるとマルコが少々不機嫌な表情を浮かべてラクヨウを睨んでいた。
「マルコ、いつ気付いた?」
「昔と重なった状況で#イルマ#だと自分で気付いた」
両腕を組んで溜息混じりにそう答えたマルコに対してラクヨウはポカンとした間抜け面を浮かべていた。だが直ぐにニヤリと悪い笑みへと変えた。
「良い女になっただろ?」
「は!? 急になに言っ」
「言ったはずだ。#イルマ#はお前の言うことなら何だって聞くってな」
「――ッ、た、ただ#イルマ#を幼い頃に助けたってだけで、あいつはそこまで思ってねェだろうよい」
マルコが戸惑い気味にそう答えるとラクヨウはガクリと頭を落した。
「あのな、マルコ。お前にはっきり教えておいてやる。アルドッ、じゃねェ、#イルマ#は、元アサシンっつっても女だ。お・ん・な。てめェは、その意味をちゃんとわかってんのか!?」
「だからそれがなんだっ」
「あいつは、お前の為なら命すら簡単に捨てる気でいるってことだ!」
「――て……なに?」
「#イルマ#はな、ガキの頃から一日たりともお前のことを忘れたなんてことはねェ」
「!」
「それに、あいつの心が死ぬ度に奥底から揺り動かして生かしたのは、全て#イルマ#がお前に寄せる『想い』が支えになってたって言ってもおかしくねェ。それぐらいお前の存在は#イルマ#の中で大半を占めてんだ! それを自覚しやがれ!」
ラクヨウはマルコに指を差しつつ唾を飛ばしながらそう言った。それにマルコはキョトンとした。
―― おい、なんだその『キョトン』とした表情は……。
予想していた反応と違った表情を浮かべるマルコに、ラクヨウは眉をよりグッと顰めて不審に思った。
「……ラクヨウ」
「お、おう、なんだ?」
マルコが徐に手で口元を覆うとラクヨウからスッと視線を外した。何やらバツの悪い表情を浮かべている。
「おい、どうした?」
「あれか、」
「あン?」
「あー……、おれはひょっとしてお前に色々と許可を取らないといけねェ立場ってェことか?」
「は?」
ラクヨウは気の抜けた声を漏らした。
―― な、何を言ってやがんだ?
ラクヨウが困惑する一方でマルコは頭を悩ましていた。
―― まさかラクヨウが#イルマ#のことをここまで思ってるなんてよい。これじゃあまるで父親じゃねェか。
マルコにとっては意外だった。ラクヨウがここまで#イルマ#を心配する過保護なオヤジっぷりを発揮するとは思ってもみなかった。そして、船に帰還するまでのあれこれが脳裏に浮かぶ。
言い訳では無い。流れのまま ”仕方が無く” 衣服を脱がして裸で抱き合った。あれは冷えきった身体を温める為にした行為だ。確かにその前の集落で生き地獄を味わったが、それに事欠いてしたわけでは無い。
はっきり言って言い訳では無い。
ただ――
裏路地でキスをしたのは、正直に言うと自分自身でも本心から驚いた行為だ。あまりに自然過ぎた行動に、重なる唇の感触に、気持ちが勝手に高揚して心臓がバクバクと激しく脈を打った。アサシン程では無いが、ポーカーフェイスが割と得意で良かった――と、そう思う程に実は酷く動揺していた。
マルコは最大の懸念を抱いた。
まさかとは思うが、いつか、ひょっとしたらひょっとして、自分はラクヨウに「娘をください」的な台詞を口にして頭を下げなければいけないのだろうか――と。
しかし、胸の内で頭を抱えていたマルコが「いや、違うだろ」と大きく首を振った。
―― #イルマ#はオヤジの娘だ。そん時が来たらオヤジにだろうが。ラクヨウはただの……、ただの……なんだ?
「ラクヨウ」
「お、おう」
「おれはお前の立ち位置がわからねェよい」
「んン?」
マルコの本音が零れるとラクヨウは眉間に皺を寄せたまま首を傾げた。
―― マルコ、てめェこそ何が言いてェんだ? 全くわからねェ……。
二人の会話は途切れた。そして、沈黙したまま船長室へと入って行った。
◇
アルドは船医室の天井をじっと見つめて考え事をしていた。
人が側にいて無条件に意識を手放したのはこれで二回目だった。そのどちらともマルコの腕に抱かれた状態でのことだ。船に戻って甲板に降り立つと同時に意識が浮上した。人の気配を感じたからだ。
マルコ以外の者がいれば意識を戻して失うことを良しとしないのに、マルコと二人だけの時はあっさりと意識を手放せるのか――それが不思議で仕方が無かった。
「まァ暫くは安静じゃな。傷跡が残ってしまうかもしれんが、最大限努力したから酷くは残らんだろう」
船医のナキムが首を左右に曲げてコキコキと音を鳴らした。
「疲れたな。エミリア、後は任せて大丈夫か?」
「えェ、お疲れ様です」
「食堂で休憩してくるからな」
ナキムはアルドの顔を覗き込んでそう言うと船医室を後にした。そして、船医室にはアルドとエミリアの二人きりだ。他のナース達は休憩時間で船医室にいなかったことが幸いだ。
「船が動いてますね。出港した……ということですか?」
「えェ、あなた達が戻って来て直ぐにね」
「ロスカ国はどうなったのか……」
「ふふ、第三王子が後を継ぐそうよ? 誰もが望んでいた結果になって国民も他の町に住む人達も喜んでいたわよ」
「海軍は……?」
「少しだけ衝突したけど、大将の黄猿が気乗りしないとかで撤退したのよ。彼の部下が戦闘兵器をもってして戦おうとしたけど、オヤジ様達が隙を見て撤退したから大きな戦闘にはならなかったの」
「そう…ですか……」
アルドは小さく頷いて溜息を吐いた。
「ねェアルド。……いえ、#イルマ#ちゃん」
「ッ! そ、その呼び方は止め――ッ!?」
アルドは思わず目を見張った。エミリアは満面の笑顔であったが、気のせいか額から角らしきものが見えて、ついでに牙も生えているように見えた。
―― な、なな…!?
アルドはゴクリと固唾を飲んだ。
「#イルマ#ちゃんは女の子なんだから自覚しなさいって言ったわよね?」
「あ、いや、そ、それは……」
「ラクヨウ隊長に私が何度も口を酸っぱくして言ってるの知ってるでしょ?」
「ま、まァ……」
「なんだかんだと船内のことは”何でも知ってる”はずだから、彼があなたにそれを言うようになった理由はわかってたわよね?」
「は、はい」
「あまりに自分を大事にしないようなら、マルコ隊長に言いましょうか? あなたの正体」
エミリアがキッと睨んでそう告げた。アルドは目を丸くすると途端に全身から力を抜いてガクリと頭を落とした。それにエミリアは「あら?」と不思議そうに見つめた。
「もう、知っていますよ。正体がバレましたから……」
「え!? やだ嘘!? ほんとに!?」
エミリアは両手を口元に当てて驚きの声を上げた。
「あの……、どうしてそんな……」
エミリアが頬を赤くして異様に嬉しそうな笑みを浮かべている。それにアルドは眉を顰めた。
―― どういう気持ちでそんな表情を……。
まるで自分事のように喜々とするエミリアの『感情』の意味が、アルドにはわからなかった。
「ふふ、良かったわね」
エミリアはそう言ってアルドの肩をポンと叩いた。アルドは無表情のままどう答えて良いのかわからずに沈黙した。
「どう反応したら良いのかわからないって顔ね」
「すみません……、おれは、」
「もう良いんじゃないかしら?」
「――もう良い……?」
「アルドじゃなくて、#イルマ#として生きても良い頃じゃない?」
「ッ……!」
「きっと弟さんもそう願うはずよ? だってあなたの弟は……、アルドくんは、心根の優しい子だったんでしょう?」
アルドはエミリアから視線を外すと少し顔を俯かせて目を瞑った。
「あーっと、余計なこと言ったわね……」
エミリアはバツの悪い表情を浮かべた。その言葉にアルドは目を開けて再びエミリアを見上げた。エミリアはニコッと笑みへと変えて続けた。
「マルコ隊長と話をちゃんとしなさい。あなたがずっと抱えていた気持ちや想いをマルコ隊長にぶつけなさい。良いわね?」
「話…ですか…? 例えばどういった話を……?」
「あなた、普段は聡い子なのに、どうしてそこで天然になるわけ?」
「え……?」
アルドが軽く首を傾げる一方でエミリアはガクリと頭を落して溜息を吐いた。
―― あァもうじれったい! こうなればマルコ隊長の方に圧力をかけるしかないわ! そうね! こういう場合は男からいくものよ!
エミリアは心内でグッと拳を握り締めながら目に炎を灯して固く決意した。一方その頃、船長室で会議に出ていたマルコは、アサシンについて話をしている際にくしゃみを三度繰り返した。
「わ、悪い」
―― 何故だか悪寒がする。……気のせいか?
マルコはコホンと咳払いをして改めて話した。
今後はアサシンが白ひげ海賊団に牙を剥く可能性があることを示唆した。それに隊長達は意気揚々として「望むところだ!」と声を上げた。白ひげも「グララララッ! 当然だァ!」と笑って言った。
「んじゃあ、これからはアサシン対策を兼ねて訓練しなきゃなんねェわけだな?」
「まァ、そういうことだ」
エースがそう言うとマルコが頷いた。
「これからの訓練は、対アサシンに慣れた7番隊を中心に」
「と言うことは、いきなりリーザちゃんが活躍だってわけだ」
「――……サッチ、今、なんて言った?」
サッチの言葉にマルコは目を丸くした。それに隊長達がキョトンとしてマルコを見やった。
―― な、なんだ……?
マルコは彼らの視線に思わず困惑した。
「サッチ、リーザって誰だ?」
助け舟とばかりにエースが手を上げてサッチに言った。それにより漸く彼らはマルコもその場にいなかったことを思い出して「あァそうか」と頷いた。
「い、いや、待てよい。リーザって……?」
マルコは眉を顰めて白ひげに視線を向けると白ひげがニヤリと笑みを浮かべた。
「新たに『娘』が一人加わった。そういや言ってなかったなァ〜グララララッ!」
「「は?」」
白ひげの言葉にマルコとエースの声が見事に重なった。そして、二人して眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「ガッハッハッ! そういやお前ェらは知らねェんだったなァ!」
ラクヨウの声にマルコとエースは視線を向けた。
「リーザってェ名の女のアサシンだ! 7番隊で預かることになったんでな、後で紹介してやるぜ」
「マジか!?」
ゲラゲラと笑うラクヨウにエースは驚きの声を上げた。その一方でマルコは困惑気味に怪訝な表情を浮かべて白ひげへと顔を向けると白ひげはクツリと笑った。
「オヤジ、本当に……?」
「あァ、本当だ」
ラクアナ島における『アサシン騒動』の報告が終わると今後の展望と対策として7番隊を中心に『対アサシン』の訓練を行うことが決定して会議は終わった。
隊長達が船長室から去った後、マルコは残って白ひげを睨むようにして立っていた。白ひげは相変わらず楽し気だ。
「マルコ、機嫌が悪いな。どうした?」
「知ってたんだろい?」
「何をだ?」
「アルドのことだよい」
「あァ、漸く気付いたということか」
白ひげがそう言うとマルコはコクリと頷いた。じっと見据える青い眼に白ひげはクツリと笑った。
―― あァ、となりゃあ#イルマ#はやっと変われるな。#イルマ#はこれで安心というわけだ。
「グララララッ!」
「オヤジ、おれは」
「#イルマ#のことはお前に任せる。もう二度と後悔しねェように手ェ離すんじゃねェぞバカ息子!!」
「――ッ!」
白ひげは途端に笑みを消してマルコの言葉を遮った。笑みを消した真顔で金色の目は鋭く、本気の言葉であることに、マルコは目を丸くして言葉を噤んだ。
「教えてくれ……」
少し間を置いてマルコが静かに言った。
「おれが#イルマ#と会った時のことだな?」
「あァ。何もかも全て……知りてェ」
マルコの言葉に白ひげは少し息を吐いた。
「お前がアルドの正体が#イルマ#だと気付いたことは、#イルマ#は知っているのか?」
「知ってる。だからこうして改めて教えて欲しいって頼んでんだよい」
マルコはふわりと笑みを零した。それに白ひげは目を丸くした。
それは、白ひげでさえも見たことが無い、心底から滲み出る喜びと優しさの混じった柔らかいものだった。すっきりとした清々しさがそこにあった。ずっと抱えていた憂いは疾うに消え、『本気の覚悟』を持った男の目がそこにあった。
―― お前ェもそういう顔ができるようになったんだなァ……。
白ひげは心底から安堵して喜んだ。そして、白ひげは#イルマ#と初めて会った日から今日に至るまでの十年間の空白を埋めてやるとでも言うかのように話した。
「もっと知りたければラクヨウから話を聞けば良い」
「いや、もう十分だよい。それにあいつはそれどころじゃねェだろい?」
「あァ、第二の#イルマ#を相手に奮闘中だからなァ」
「オヤジ、その、#イルマ#の性別のことなんだがよい」
「それはお前ら二人で話をして決めろ。アルドのままの方が都合が良いならそれで構わねェ。#イルマ#としていくなら報告しろ。おれから説明する」
「わかった。じゃあ、おれは#イルマ#の様子を見に行くからこれで失礼するよい」
「あァ」
マルコはクツリと笑うと船長室を後にした。パタンと閉まった扉を見つめていた白ひげは背凭れに身体を預けて大きく溜息を吐いた。
「十年……。長かったなァ#イルマ#。もう変わる頃合いだってェことだ」
白ひげは微笑すると目を瞑った。
アルドとは実際に会ったことはないが、#イルマ#から聞いたアルドの話やアルドとして生きた#イルマ#の姿を思い浮かべる。
「アルド、お前の本当の願いは#イルマ#がアサシンとして生きてお前の仇を取ることじゃねェ。自由を手に入れて感情のまま素直に生きて幸せになってもらいてェ、そう願ったんだよなァ?」
白ひげはアルドに向けてポツリと語った。見知らぬ少年の気持ちはきっとそうであったと思えたからだ。そして、その表情は父性たる愛情に満ちたものだった。
父 性
【〆栞】