08
マルコはベッドに横たわって天井を見つめている。自室に戻る前、サッチから聞いた伝言の意味を聞こうと船長室に立ち寄って白ひげに尋ねたことを思い返していた。
〜〜〜〜〜
「疑うんじゃねェ。あいつはこの船の者を傷つけるような真似は絶対にしねェ。それはおれが保証する。あいつのことを知りたいと思うのならまずはマルコがあいつと接して言葉を交わせるようにならねェとなァ。でなけりゃあ、おれからは何も話してやれることはねェよ」
〜〜〜〜〜
マルコが誰に対して警戒して疑念を抱いたのか、全てわかっているかのような口ぶりだった。白ひげの返答に納得し兼ねたまま部屋に戻ったが、胸中は靄が掛かったままで穏やかでは無かった。
「それができりゃあ苦労しねェんだよい。あいつは、アルドは……、おれと話をしたがらねェんだ」
腕で目元を覆いながら大きく溜息を吐いてそう独り言ちた。すると、先の戦いで人知れず殺されていた敵の船長の死体が脳裏を過った。
あの殺され方は本当に特殊なものだと思った。そう、まるで誰かに”暗殺”されたかのような手口に思えて仕方が無かった。
―― 暗殺……?
この時、マルコはハッとしてガバッと身体を起こした。
「まさか…、」
徐に口元を手で覆うと自然と眉間に皺を寄せて目を瞑った。徐々にドキドキと鼓動が早く脈打ち始める。
―― いや、まさか……アサシン?
これまでのことを鑑みれば辻褄が合うような気がした。
「クソッ! なんてバカだ。おれァ知ってる。知ってんだ。おれは直接この手で触れただろうがよい!」
自分を叱り飛ばすようにそう吐き出すとベッドにまたドサリと身体を預けて大きく息を吐いた。
「アルドの小手……。あれは――」
遠い過去に一度だけ会ったことがある、アサシンと――。
その者が持っていたあの特殊な小手具と、その者の状況や特異な雰囲気は、アルドと相違無く思えた。
あの小手具はどう考えても暗器だ。
暗殺する為の武器――。
同様のものをアルドが装備していることを今になって気付くなんて、今になって、今更になって、遠い昔の記憶が蘇ったことにマルコは腹を立てた。
アルドがアサシンであるなら他人と関わることを異様に嫌うのはわからないでもない。過去に会った”あの子”もまた警戒心が強く、表情が固い――少女だった……。
〜〜〜〜〜
「気を付けてな。またいつかどこかで会った時は……、あー、今より成長してんだろうから、おれは気付かねェかもしれねェなァ。そん時はお前ェから声を掛けてくれよい」
〜〜〜〜〜
別れ際にそんな言葉を投げかけた記憶が蘇る。ドクン……――と、心臓が大きく跳ねた気がした。
黒い髪と黒い瞳が印象的で、しかし、どこか目は虚ろで無表情で無感情――。
「いや、だとしてもアルドは男だ。おれが知ってるのは女だ」
彼女は自分の名を告げる時に無意識だろうが涙を流した。無表情ではあったが決して感情が無いわけでは無い。そう、泣いたのだ。彼女の名前は――。
「#イルマ#……」
マルコはポツリと名を呼んだ。
あの時、もし――と、胸の内の心の奥底に閉じ込めたはずの”後悔の念”がまた顔を出した。
「ッ……」
このままでは碌な考えしか思い浮かばない。
マルコは大きく息を吐くと寝返りを打って眠ることにした。
◇
アルドはコーヒーを二つ淹れると一つをラクヨウに差し出し、備え付けの椅子にゆっくりと腰を下ろした。戦闘時と打って変わって慎重でゆっくりとした動きに、ラクヨウはコーヒーカップを片手に小さく笑った。
―― 神経質になってんなァ。
もし、次に生まれ変わるとするなら断固として男を所望する。女にしかないこの特有の”月のもの”は見聞きする限りにおいて自分なら耐えられそうに無い――等と、ラクヨウは馬鹿な想像をしながら女というのは不便な生き物だなと改めて思う。
「なァアルド」
「はい」
「今日はやけに気合が入ってたじゃねェか。何かあったのか?」
「……いえ、別に」
「別にってこたあねェだろ。はっきり言ってらしくねェ行動しやがると思ったからなァ。ガハハハッ!」
ラクヨウは笑うとコーヒーに少しだけ口を付けた。
「熱ッ!」
舌先に触れた瞬間に声を漏らしてベロを出した。それに対してアルドはズズズッと静かにコーヒーを飲んだ。
「相変わらず猫舌ですね」
「うーるせー……、お前が熱し過ぎなんだよ」
「いつも冷酒ばかり飲んでいるからだと思いますが」
「おうおう、冷酒の美味さを知らねェガキが抜かしてんじゃねェ」
「酒は嗜む程度が丁度良い。そうそう大量に飲んでは、折角の良薬が意味を成さなくなる」
「おれにとっちゃァ酒は命の水だ。わかるか? おれにとって酒ってェのは、み・ず」
「えェ、心得ています。今度、中身を水に差し替えておきます」
「ヤメロ」
ラクヨウは素になって制止の言葉を口にした。完全に『怒』の表情でだ。
しかし、アルドは無表情のままズズズとまたコーヒーを飲むと、軽く肩を竦めるだけに止めて何も言わなかった。
―― こいつ……、いつも通りにしてるつもりだろうが視線を一切合わしやがらねェ。
ラクヨウはアルドの様子を伺いながらコーヒーにフーフーと息を吹きかけた。再び口をつける――が、やはり熱い。少しだけワタワタと微妙な動きを見せてカップを受け皿に置き、冷えるまで暫く放置することにした。
「何かあったことは確実だな。おれの目はごまかせねェよ」
「……」
ラクヨウの問いにアルドは微動だにせず、何かを言うでも無く、だんまりだ。
―― ほら見ろ。それが肯定してるようなもんだってェの。
ラクヨウは両腕を組みながら小さく溜息を吐いた。
「そうだなァ、んー、オヤジのこと……でもねェな。だとし、た、ら、…………あァ!」
暫く考えた末にポンッと脳裏に浮かんだ。ラクヨウはその事柄に納得すると軽く膝を叩いてニヤリと笑みを浮かべた。
「ラクヨウ隊長、おれは少し」
ラクヨウが碌な事を言い出しかねないと思ったアルドは話を区切ろうとした。だが「逃げんじゃねェアルド」と、ラクヨウはアルドの顔を覗くようにして身を乗り出した。
「変わることがそんなに怖ェのか? けど悪い事じゃねェ」
「別に……、そういうわけでは」
「決心が鈍るからか?」
「――ッ……」
ラクヨウの言葉にアルドはここに来て初めて眉をピクリと動かした。僅かばかりの変化は動揺を示したも同然だ。
ラクヨウはソファの背凭れに身体を預けると足を組んで両手を後頭部に回して天井を見上げた。組んだ足先をプラプラとさせながら暫し考える。
「そうだな……。アルドにとっちゃァあまり良い変化とは思えねェか」
アルドは黙り込んでコーヒーをズズズと飲み干してしまうと立ち上がって小さな流し台へと移動した。それを視界の端で捉えるラクヨウは目を細めた。
―― ひょっとして怒ったか? いつになくイラついてやがる。
アルドの背中を見つめながら小さく溜息を吐いた。組んだ足を元に戻して身体を起こすとコーヒーカップに手を伸ばして恐る恐る口に付ける。
「お、飲める」
ラクヨウは安堵感から頬を緩ませてズズズッとコーヒーを一気に飲み干した。それから立ち上がってコーヒーカップと受け皿を持って小さな流し台へと置いた。
振り向いたアルドと間近で視線がかち合う。いつになく鋭さが増した眼光をしているように感じた。
――やはり怒ってやがる。
ラクヨウは片眉を上げてニヤリと笑った。
「#イルマ#にとっては女としての純粋な”想い”なんだろうが、アルドにとっては邪魔な”思い”でしかねェってとこか」
「……何が言いたいんですか」
「複雑だな。だが、どっちにしろそれはお前にとって生きる糧になってんだ。今回の襲撃で何があったかなんてわかんねェし知ろうとも思わねェがな、少なくとも”あいつが絡んでる”ってェことが今日のらしくねェ行動の答えだってェことを自覚しやがれ」
「……」
「おれはオヤジに報告して来る。疲れたろ? 今日はもうゆっくり休め、#イルマ#」
ラクヨウはアルドの腕をポンポンッと軽く叩いてから部屋を出て行った。
一人残ったアルドはソファにドサリと腰を下ろすと身体を横に倒した。
〜〜〜〜〜
「――少なくとも”あいつが絡んでる”ってェことが今日のらしくねェ行動の答えだってェことを自覚しやがれ」
〜〜〜〜〜
自分でも驚いている――と言った方が正しい。あんな風に表立って戦場に姿を現すことはこれまで一度も無かった。
船長討伐をラクヨウに報告するにしても、これまで存在感を消して行動して来たというのに、今日は堂々と中央突破だ。
気持ちがやけに高揚していたのもあった。しかし、どうしてそんなに高揚していたのか、冷静になって考えてもよくわからずにいた。更に相手の攻撃を受けて脅すような忠告をするなんて――。
〜〜〜〜〜
「――の首を貰い受けるとしようか」
〜〜〜〜
これらの全ての発端となったのは、あのアサシンの言葉であることは間違いない。
「……生きる……糧……」
あの施設から脱走を試みるよりも前。
マスターの称号を受けることになる少し前。
一度だけ助けて貰った。
一度だけ優しさに触れた。
一度だけ温もりをくれた。
人の情を、心を、触れて、感じさせてくれた。
あの時からずっと、憧れと、恩を感じていた。
また、いつか、会えたなら――。
脆く儚い夢のような思いを心の奥底で抱いていた。
白ひげと浜辺で会った時、確かに優しさや温もりを受けて感じ入った。白ひげから”似たもの”を感じた。気遣う優しさとそこから感じられる温もりを――。
だから、白ひげと話をしていく内に思いが溢れて自然と口を衝いて出たのだ。
自分のことを洗い浚い全てを吐き出したのは――。
白ひげの優しさと温もりが、あの時の思いを起こさせたのだ。
もう遥か以前に触れて知っていた。
憧れて、欲したものを――。
だからこそ、白ひげの提案を簡単に受け入れることができたのだ。
〜〜〜〜〜
『――#イルマ#』
〜〜〜〜〜〜
「!」
途端に懐かしい声が聞こえた気がして身体をガバリと起こした。
〜〜〜〜〜
「僕、知ってるよ? お姉ちゃんの方が、本当は、僕よりも、ずっと、ずっと、優しい人だってこと。お姉ちゃんは気付いて無いんだ。本当はやりたくないって思ってたはずだよ? 本当はもっと自由に生きたいって思ってるってこと。だから僕は、逃げて欲しかった。逃げて、生きて、自由を手にして欲しかった」
〜〜〜〜〜
弟が死ぬ間際に口にした言葉が次々に浮かんだ。僅かに震える両手で頭を抱えると呼吸を乱した。
「アルド……。お前は、私が抱いた心に勘付いていたのか? だからお前はッ……」
思わずそう漏らした時、弟だったアルドの顔が目の前に現れたかと思うと笑みを浮かべてスッと消えた。
震える両手で口元を覆うと目をギュッと瞑って顔を伏せる。
「ッ……、違う。私は……、私は、ただ、あの時の恩を返したくて、それ以上は何も……」
憧れたものは、欲したものは、白ひげやラクヨウからもう十分に貰っている。既に事足りているはずなのだ。だからこれ以上は――。
「ッ……」
下腹部がズクリと痛む。
アルドはその痛みに耐えながら立ち上がるとベッドに移動して横になった。
もうすぐ夕食時ではあるが今日はもう眠ることにした。
〜〜〜〜〜
「疑うんじゃねェ。あいつはこの船の者を傷つけるような真似は絶対にしねェ。それはおれが保証する。あいつのことを知りたいと思うのならまずはマルコがあいつと接して言葉を交わせるようにならねェとなァ。でなけりゃあ、おれからは何も話してやれることはねェよ」
〜〜〜〜〜
マルコが誰に対して警戒して疑念を抱いたのか、全てわかっているかのような口ぶりだった。白ひげの返答に納得し兼ねたまま部屋に戻ったが、胸中は靄が掛かったままで穏やかでは無かった。
「それができりゃあ苦労しねェんだよい。あいつは、アルドは……、おれと話をしたがらねェんだ」
腕で目元を覆いながら大きく溜息を吐いてそう独り言ちた。すると、先の戦いで人知れず殺されていた敵の船長の死体が脳裏を過った。
あの殺され方は本当に特殊なものだと思った。そう、まるで誰かに”暗殺”されたかのような手口に思えて仕方が無かった。
―― 暗殺……?
この時、マルコはハッとしてガバッと身体を起こした。
「まさか…、」
徐に口元を手で覆うと自然と眉間に皺を寄せて目を瞑った。徐々にドキドキと鼓動が早く脈打ち始める。
―― いや、まさか……アサシン?
これまでのことを鑑みれば辻褄が合うような気がした。
「クソッ! なんてバカだ。おれァ知ってる。知ってんだ。おれは直接この手で触れただろうがよい!」
自分を叱り飛ばすようにそう吐き出すとベッドにまたドサリと身体を預けて大きく息を吐いた。
「アルドの小手……。あれは――」
遠い過去に一度だけ会ったことがある、アサシンと――。
その者が持っていたあの特殊な小手具と、その者の状況や特異な雰囲気は、アルドと相違無く思えた。
あの小手具はどう考えても暗器だ。
暗殺する為の武器――。
同様のものをアルドが装備していることを今になって気付くなんて、今になって、今更になって、遠い昔の記憶が蘇ったことにマルコは腹を立てた。
アルドがアサシンであるなら他人と関わることを異様に嫌うのはわからないでもない。過去に会った”あの子”もまた警戒心が強く、表情が固い――少女だった……。
〜〜〜〜〜
「気を付けてな。またいつかどこかで会った時は……、あー、今より成長してんだろうから、おれは気付かねェかもしれねェなァ。そん時はお前ェから声を掛けてくれよい」
〜〜〜〜〜
別れ際にそんな言葉を投げかけた記憶が蘇る。ドクン……――と、心臓が大きく跳ねた気がした。
黒い髪と黒い瞳が印象的で、しかし、どこか目は虚ろで無表情で無感情――。
「いや、だとしてもアルドは男だ。おれが知ってるのは女だ」
彼女は自分の名を告げる時に無意識だろうが涙を流した。無表情ではあったが決して感情が無いわけでは無い。そう、泣いたのだ。彼女の名前は――。
「#イルマ#……」
マルコはポツリと名を呼んだ。
あの時、もし――と、胸の内の心の奥底に閉じ込めたはずの”後悔の念”がまた顔を出した。
「ッ……」
このままでは碌な考えしか思い浮かばない。
マルコは大きく息を吐くと寝返りを打って眠ることにした。
◇
アルドはコーヒーを二つ淹れると一つをラクヨウに差し出し、備え付けの椅子にゆっくりと腰を下ろした。戦闘時と打って変わって慎重でゆっくりとした動きに、ラクヨウはコーヒーカップを片手に小さく笑った。
―― 神経質になってんなァ。
もし、次に生まれ変わるとするなら断固として男を所望する。女にしかないこの特有の”月のもの”は見聞きする限りにおいて自分なら耐えられそうに無い――等と、ラクヨウは馬鹿な想像をしながら女というのは不便な生き物だなと改めて思う。
「なァアルド」
「はい」
「今日はやけに気合が入ってたじゃねェか。何かあったのか?」
「……いえ、別に」
「別にってこたあねェだろ。はっきり言ってらしくねェ行動しやがると思ったからなァ。ガハハハッ!」
ラクヨウは笑うとコーヒーに少しだけ口を付けた。
「熱ッ!」
舌先に触れた瞬間に声を漏らしてベロを出した。それに対してアルドはズズズッと静かにコーヒーを飲んだ。
「相変わらず猫舌ですね」
「うーるせー……、お前が熱し過ぎなんだよ」
「いつも冷酒ばかり飲んでいるからだと思いますが」
「おうおう、冷酒の美味さを知らねェガキが抜かしてんじゃねェ」
「酒は嗜む程度が丁度良い。そうそう大量に飲んでは、折角の良薬が意味を成さなくなる」
「おれにとっちゃァ酒は命の水だ。わかるか? おれにとって酒ってェのは、み・ず」
「えェ、心得ています。今度、中身を水に差し替えておきます」
「ヤメロ」
ラクヨウは素になって制止の言葉を口にした。完全に『怒』の表情でだ。
しかし、アルドは無表情のままズズズとまたコーヒーを飲むと、軽く肩を竦めるだけに止めて何も言わなかった。
―― こいつ……、いつも通りにしてるつもりだろうが視線を一切合わしやがらねェ。
ラクヨウはアルドの様子を伺いながらコーヒーにフーフーと息を吹きかけた。再び口をつける――が、やはり熱い。少しだけワタワタと微妙な動きを見せてカップを受け皿に置き、冷えるまで暫く放置することにした。
「何かあったことは確実だな。おれの目はごまかせねェよ」
「……」
ラクヨウの問いにアルドは微動だにせず、何かを言うでも無く、だんまりだ。
―― ほら見ろ。それが肯定してるようなもんだってェの。
ラクヨウは両腕を組みながら小さく溜息を吐いた。
「そうだなァ、んー、オヤジのこと……でもねェな。だとし、た、ら、…………あァ!」
暫く考えた末にポンッと脳裏に浮かんだ。ラクヨウはその事柄に納得すると軽く膝を叩いてニヤリと笑みを浮かべた。
「ラクヨウ隊長、おれは少し」
ラクヨウが碌な事を言い出しかねないと思ったアルドは話を区切ろうとした。だが「逃げんじゃねェアルド」と、ラクヨウはアルドの顔を覗くようにして身を乗り出した。
「変わることがそんなに怖ェのか? けど悪い事じゃねェ」
「別に……、そういうわけでは」
「決心が鈍るからか?」
「――ッ……」
ラクヨウの言葉にアルドはここに来て初めて眉をピクリと動かした。僅かばかりの変化は動揺を示したも同然だ。
ラクヨウはソファの背凭れに身体を預けると足を組んで両手を後頭部に回して天井を見上げた。組んだ足先をプラプラとさせながら暫し考える。
「そうだな……。アルドにとっちゃァあまり良い変化とは思えねェか」
アルドは黙り込んでコーヒーをズズズと飲み干してしまうと立ち上がって小さな流し台へと移動した。それを視界の端で捉えるラクヨウは目を細めた。
―― ひょっとして怒ったか? いつになくイラついてやがる。
アルドの背中を見つめながら小さく溜息を吐いた。組んだ足を元に戻して身体を起こすとコーヒーカップに手を伸ばして恐る恐る口に付ける。
「お、飲める」
ラクヨウは安堵感から頬を緩ませてズズズッとコーヒーを一気に飲み干した。それから立ち上がってコーヒーカップと受け皿を持って小さな流し台へと置いた。
振り向いたアルドと間近で視線がかち合う。いつになく鋭さが増した眼光をしているように感じた。
――やはり怒ってやがる。
ラクヨウは片眉を上げてニヤリと笑った。
「#イルマ#にとっては女としての純粋な”想い”なんだろうが、アルドにとっては邪魔な”思い”でしかねェってとこか」
「……何が言いたいんですか」
「複雑だな。だが、どっちにしろそれはお前にとって生きる糧になってんだ。今回の襲撃で何があったかなんてわかんねェし知ろうとも思わねェがな、少なくとも”あいつが絡んでる”ってェことが今日のらしくねェ行動の答えだってェことを自覚しやがれ」
「……」
「おれはオヤジに報告して来る。疲れたろ? 今日はもうゆっくり休め、#イルマ#」
ラクヨウはアルドの腕をポンポンッと軽く叩いてから部屋を出て行った。
一人残ったアルドはソファにドサリと腰を下ろすと身体を横に倒した。
〜〜〜〜〜
「――少なくとも”あいつが絡んでる”ってェことが今日のらしくねェ行動の答えだってェことを自覚しやがれ」
〜〜〜〜〜
自分でも驚いている――と言った方が正しい。あんな風に表立って戦場に姿を現すことはこれまで一度も無かった。
船長討伐をラクヨウに報告するにしても、これまで存在感を消して行動して来たというのに、今日は堂々と中央突破だ。
気持ちがやけに高揚していたのもあった。しかし、どうしてそんなに高揚していたのか、冷静になって考えてもよくわからずにいた。更に相手の攻撃を受けて脅すような忠告をするなんて――。
〜〜〜〜〜
「――の首を貰い受けるとしようか」
〜〜〜〜
これらの全ての発端となったのは、あのアサシンの言葉であることは間違いない。
「……生きる……糧……」
あの施設から脱走を試みるよりも前。
マスターの称号を受けることになる少し前。
一度だけ助けて貰った。
一度だけ優しさに触れた。
一度だけ温もりをくれた。
人の情を、心を、触れて、感じさせてくれた。
あの時からずっと、憧れと、恩を感じていた。
また、いつか、会えたなら――。
脆く儚い夢のような思いを心の奥底で抱いていた。
白ひげと浜辺で会った時、確かに優しさや温もりを受けて感じ入った。白ひげから”似たもの”を感じた。気遣う優しさとそこから感じられる温もりを――。
だから、白ひげと話をしていく内に思いが溢れて自然と口を衝いて出たのだ。
自分のことを洗い浚い全てを吐き出したのは――。
白ひげの優しさと温もりが、あの時の思いを起こさせたのだ。
もう遥か以前に触れて知っていた。
憧れて、欲したものを――。
だからこそ、白ひげの提案を簡単に受け入れることができたのだ。
〜〜〜〜〜
『――#イルマ#』
〜〜〜〜〜〜
「!」
途端に懐かしい声が聞こえた気がして身体をガバリと起こした。
〜〜〜〜〜
「僕、知ってるよ? お姉ちゃんの方が、本当は、僕よりも、ずっと、ずっと、優しい人だってこと。お姉ちゃんは気付いて無いんだ。本当はやりたくないって思ってたはずだよ? 本当はもっと自由に生きたいって思ってるってこと。だから僕は、逃げて欲しかった。逃げて、生きて、自由を手にして欲しかった」
〜〜〜〜〜
弟が死ぬ間際に口にした言葉が次々に浮かんだ。僅かに震える両手で頭を抱えると呼吸を乱した。
「アルド……。お前は、私が抱いた心に勘付いていたのか? だからお前はッ……」
思わずそう漏らした時、弟だったアルドの顔が目の前に現れたかと思うと笑みを浮かべてスッと消えた。
震える両手で口元を覆うと目をギュッと瞑って顔を伏せる。
「ッ……、違う。私は……、私は、ただ、あの時の恩を返したくて、それ以上は何も……」
憧れたものは、欲したものは、白ひげやラクヨウからもう十分に貰っている。既に事足りているはずなのだ。だからこれ以上は――。
「ッ……」
下腹部がズクリと痛む。
アルドはその痛みに耐えながら立ち上がるとベッドに移動して横になった。
もうすぐ夕食時ではあるが今日はもう眠ることにした。
奥底に隠れる思い
【〆栞】