幼稚園

気づけば四年が経っていた。

早いのか、遅いのか。

それは正直よく分からない。けれど、確かなことがひとつある。裏葉オビトは、この世界にだいぶ慣れていた。

まあ、なんとかなるもんだな、現代生活。

最初は意味不明の連続だった。

勝手に動く扉。喋る箱。やたら速い鉄の塊。妙に便利な道具の数々。見るもの全部が知らないもので、何から理解していいのか分からなかった。

今は、ある程度は分かる。

車は相変わらず怖いが、危険範囲を把握すれば問題ない。近づきすぎなければいいし、飛び出さなければ死なない。そういう意味では、ちゃんとルールのある危険物だ。

電車も、もう乗り物として受け入れた。

長くて速くて人を詰め込みすぎだとは今でも思うが、一定のリズムで揺れる感じは嫌いじゃない。むしろ少し落ち着く。

スマートフォンは……未だに意味が分からない。

ただ、便利なものらしい、という認識だけはある。宗一郎も綾乃も、何かあるたびあれを触る。人と話し、文字を見て、写真を撮って、地図を見て、時間を確認して、たまに笑う。要するに、この世界の人間はあの薄い板に人生の一部を預けているらしい。

やっぱりちょっと怖い。

そして今日は――。

「オビトー、準備できた?」

綾乃の声が飛んできた。

「……」

初登園日である。

幼稚園。

聞いた時は少しだけ身構えた。

集団行動。

教育機関。

忍界で言うならアカデミーに近いのかと思ったが、どうも雰囲気が違う。戦うわけじゃない。何かを競うわけでもない。少なくとも、命のやり取りに直結する場所ではないらしい。

なら、そこまで気負う必要もない。

鏡の前で自分の姿を見る。

制服。

動きやすい服だ。

派手さはないが機能的で、変にひらひらしていないのは好感が持てた。走るのにも、転ぶのにも、這うのにも向いていそうだ。幼子向けの服としては理にかなっている。

だが、その上にあるものが問題だった。

黄色い帽子。

(……被らないとダメなのか)

やたらと目立つ。

安全のためらしいが、目立ちすぎだろう。どこにいてもすぐ見つかる色だ。隠密には最悪だが、そもそも幼稚園児に隠密性を求める方が間違っているのかもしれない。

そしてもうひとつ。

ポシェット。

肩から下げる小さな袋だ。中にはハンカチやら何やら、最低限の装備が入っているらしい。

(忍具袋みてぇなもんか)

そう考えれば、まあ納得できる。

実際、必要なものをひとまとめにして持ち歩くという意味では、役割は近い。サイズが可愛らしすぎるのと、中身が平和すぎるだけだ。

「よし、似合ってるわよ」

綾乃が満足げに頷いた。

「ほんとに」

宗一郎も腕を組んで、うんうんと深く頷く。

「かっこいいな、オビト」

(……分からん)

正直、ほんとによく分からない。

だが、二人が嬉しそうなので否定はしない。

最近分かってきたことがある。綾乃と宗一郎は、こういう“イベント”に妙に弱い。新しい服でも、初めての場所でも、何かの区切りでも、とにかく可愛いだの似合ってるだのと盛り上がる。親というのはそういうものなのかもしれない。

外に出ると、朝の空気は少し冷たかった。

だが心地いい。

眠気の残る頭にも、すっと入ってくる温度だ。空は高く、雲は薄い。風が頬を撫で、帽子の縁がわずかに揺れた。

幼稚園へ向かう道。

同じような格好の子どもたちが、ちらほら見える。

黄色い帽子。

似たような鞄。

親に手を引かれたり、楽しそうに歩いたり、半分眠っていたり、反応は様々だが、目指す方向はみな同じらしい。

(……多い)

同年代で、同じ装備で、同じ目的地。

まさに集団だ。

(……まあ、なんとかなるだろ)

そう思っていると、

「裏葉くん?」

と、声をかけられた。

振り向くと、優しい顔立ちの女性が立っていた。

「今日からね、よろしくね」

先生らしい。

(ああ、こいつが指導役か)

自然とそう判断する。

柔らかな物腰だが、子どもたちを見る目に慣れがある。人をまとめる側の空気だった。

「わんこ組だからね」

(わんこ?)

組の名前が?

思わず内心で聞き返す。

忍界とは違う、ゆるい響きだった。もっとこう、番号とか学年とか、何かあるだろうと思っていたのに、まさか“わんこ”とは。

「元気いっぱいの子が多いから、きっと楽しいよ」

先生はにこにこと言う。

雰囲気は悪くない。

少なくとも無理に圧をかけてくる感じはなかった。

中に入ると、子どもたちが走り回っていた。

叫ぶ。

笑う。

転ぶ。

また走る。

(うるさっ)

率直な感想だった。

嫌ではない。

騒がしいが、危険ではない。

それが分かるだけで十分だ。悲鳴ではなく、笑い声だ。怒号ではなく、はしゃぎ声だ。耳に痛いくらい元気だが、命に関わる音ではない。

それだけで、だいぶ違う。

「ねー、あの子」

「かっこよくない?」

小さな声と視線が向けられている。

(なんだ?)

理由は分からないが、見られている。

子どもたちだけじゃない。

先生たちも少しだけざわついていた。

「背も高いし、顔立ちも整ってるわね」

「将来すごくなりそう」

(……またかよ)

最近、よく言われる。

イケメン。

整ってる。

そういう評価。

正直、実感はない。

顔なんて見慣れているし、前世と大差ないなら、ただのオビトの顔だ。整っているかどうかなんて、自分で判断することでもない。

だが、否定する理由もないし、わざわざ気にするほどでもない。

(まあ、どうでもいいしな)

重要なのはそこじゃない。

ここで何をするか。

どう過ごすか。

それだけだ。

ふと、頭に浮かぶ。

(……そういや)

虎杖悠仁。

あいつは、ここにはいない。

見たことがない。

通っていないらしい。

(まあ、家庭の事情か)

深く考えることでもない。

それぞれの事情がある。

忍界でも同じだった。家の都合、親の都合、里の事情、そういうもので同年代の過ごし方が違うことは珍しくない。

視線を戻す。

周囲。

子どもたち。

先生。

空気。

(……)

結論。

騒がしいが平和。

それだけで十分だった。

なんとかやれそうだ。

……たぶん。

「はい、みんなー!」

先生の声が響く。

「わんこ組、集まってー!」

子どもたちがばらばらと集まる。

その中に、オビトも自然と混ざった。

同じ帽子。

同じくらいの背丈の子どもたち。

知らない名前。

知らない顔。

知らないルール。

新しい環境、新しい日常。

その中でまた少しずつ、世界は広がっていく。

オビトは黄色い帽子のつばを少しだけ気にしながら、小さく息を吐いた。

まあ、悪くない。

少なくとも、そう思えた。


〆栞
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