幼稚園生活
幼稚園という場所は、想像以上に過酷だった。
戦いがない?
命の危険がない?
――甘い。
別の意味で、精神が削られる。
「はい、みんなー! おゆうぎの時間ですよー!」
先生の明るい声が響いた瞬間、オビトの内心は静かに硬直した。
(来た……!)
子どもたちが、わーっと前に出る。
楽しそうだ。
元気だ。
迷いがない。
そして音楽が流れる。
(やるのか、これ……)
お遊戯。
踊り。
手を振る。
体を揺らす。
笑顔で。
(いや……、無理だろ)
中身、三十一歳だぞ。
いや、四歳の体にはだいぶ慣れてきた。幼稚園という集団生活にも、何だかんだ順応し始めている。だが、これは別だ。
精神的な抵抗が凄い。
「はい、オビトくんもー!」
「ッ……」
先生ににこやかに促され、オビトの内心で何かが観念した。
(……くそ!)
逃げられない。
仕方ない。
やる……、やるしかない!
ぎこちなく、手を上げる。
動かす。
リズムに合わせる。
足も少しだけ踏み出す。
(なんだこれ……)
地獄か。
あまりにも平和で、あまりにも逃げ場がない。戦場なら隙を突いて抜けることもできるが、ここでは無理だ。相手は善意と笑顔で包囲してくる。どうしろというのか。
なのに、周囲の反応はまるで違った。
「オビトくん上手ー!」
「すごーい!」
(は?)
なぜか褒められた。
「ほんとね、ちゃんとリズム取れてる」
先生まで頷いている。
(いやいやいや、これでか?)
正直、自分では納得していない。
手の位置も微妙だし、体の揺らし方もぎこちない。何ならずっと“早く終われ”としか思っていない。
なのに評価は高い。
理由は全く分からない。
(まあ、いいか)
褒められて悪い気はしない。
それは本音だった。
そんな日々の中で、もうひとつの“試練”がある。
「オビトくん、こっち来てー」
(あー……、またか)
女の子たちとの、おままごと。
そして、その中心に、なぜか毎回呼ばれる。
「今日はパパ役ね!」
(やっぱりか)
定位置は旦那役。
もうほぼ固定だった。
(なんでだよ)
疑問はある。
だが拒否権はない。
気づけば座らされている。
「あなたー、お仕事お疲れ様」
(……)
(……リアルだな)
毎回思うけど、本当にそう思う。
言い回しや雰囲気が妙に具体的なのだ。
「今日はね、ハンバーグ作ったの!」
「わーい!」
周囲の子どもたちが反応する。
(……いや、これ)
絶対、家で見てるだろ。
両親のやり取りを。
会話。
生活。
全部出てる。
「もう、お靴ちゃんと揃えてって言ったでしょ?」
「ごめんなさーい」
(夫婦の内情が丸見えだな……)
妙なところで現実感がある。
家庭の匂いが濃い。
おままごとというより、家庭観察の再現劇みたいになっている時がある。
(いいのかこれ……)
「ちゃんとありがとう言って?」
(……)
(……はいはい)
「ありがとう」
ごく自然に言う。
すると。
「えらーい!」
ぱちぱちと拍手が起きる。
(なんだこれ)
よく分からないが、評価される。
そしてなぜか毎回、呼ばれる。
(……人気あるってことか?)
実感はない。
だが、事実として囲まれる。
頼られる。
中心に置かれる。
嫌ではない。
むしろ、少しだけ楽しい……かもしれない。
そんな日常の中で、
「いただきまーす!」
給食だ。
これもまた、衝撃だった。
(すげぇな)
栄養バランス。
味。
量。
すべて計算されている。
しかも、毎日違う。
前世の感覚からすると、だいぶ意味が分からない。こんなにきちんと整えられた食事が、毎日、一定の質で、子どもたち全員へ出るという事実がまずおかしい。
(忍界がバカみたいだな……)
正直な感想だった。
戦場では、食えるだけでありがたい。
腹に入って、動ければそれでいい。味や見た目、栄養の細かい配分なんて、贅沢の向こう側にある話だった。
だが、ここは違う。
選ばれている。
整えられている。
子どもが育つための食事として、最初から組まれている。
「オビトくん、ちゃんと食べてる?」
先生が覗き込んでくる。
「……」
無言で頷く。
問題ない。
むしろ好物だ。
好き嫌いは今のところあまりない。出されたものは食う。食ってみて、うまいかどうかを判断する。それだけだ。そして大抵、給食はうまい。
そして――。
「はい、お片付けしたら、お歌の時間ですよー!」
(また来た……!)
次の試練である。
お歌。
みんなで歌う。
大声で。
元気よく。
「ッ……」
(……やるしかねぇのか!)
もう観念も早い。
ここまで来ると、毎回抵抗しても結局やる羽目になるのが分かっている。なら最初から覚悟を決めた方がまだ被害は少ない。
音楽が流れる。
子どもたちが歌い出す。
それに合わせる。
(……)
声が出る。
自然に。
リズムも合う。
音程も悪くない。
(意外といけるもんだな)
やってみれば、どうにかなる。
そんなことを思っていると、
「オビトくん、歌うまーい!」
「ほんとだ!」
(なんでだ!?)
なぜかまた評価が高い。
理由は全く分からない。
だが、周囲は笑っている。
実に楽しそうだ。
(……まあ)
悪くないか。
お遊戯は地獄だが。
おままごとは妙にリアルだが。
それでも、ここは平和だった。
戦いはない。
命のやり取りもない。
ただ笑って、食べて、歌って、遊ぶ。
それだけだ。
そんな時間を、何の疑いもなく過ごしている子どもたちを見ていると、たまに不思議な気分になる。
自分はこういう時間を、ちゃんと通ってきただろうか。
いや、通ってはいたのかもしれない。
けれど、こんなふうに“何も起きないこと”そのものを楽しむ余裕が、昔からあったかと言われれば、少し怪しい。
(こういうのも……まあ悪くない)
ふと、そんなことを思う。
気づけば、この場所にも少しずつ馴染んでいた。
先生の声。
子どもたちの笑い声。
給食の匂い。
おもちゃの散らかる音。
お昼寝前の、妙にゆるんだ空気。
どれも最初は騒がしくて落ち着かなかったのに、今ではそれが“いつもの音”になりつつある。
平和の音だ。
危険のない騒がしさ。
それが案外、嫌いじゃなかった。
オビトは歌の最後の手拍子を、周りよりほんの少しだけ遅れて打った。
それでもまた、「上手ー!」と褒められた。
やっぱり基準はよく分からない。
だが、まあ。
それでも、いいかと思えた。
戦いがない?
命の危険がない?
――甘い。
別の意味で、精神が削られる。
「はい、みんなー! おゆうぎの時間ですよー!」
先生の明るい声が響いた瞬間、オビトの内心は静かに硬直した。
(来た……!)
子どもたちが、わーっと前に出る。
楽しそうだ。
元気だ。
迷いがない。
そして音楽が流れる。
(やるのか、これ……)
お遊戯。
踊り。
手を振る。
体を揺らす。
笑顔で。
(いや……、無理だろ)
中身、三十一歳だぞ。
いや、四歳の体にはだいぶ慣れてきた。幼稚園という集団生活にも、何だかんだ順応し始めている。だが、これは別だ。
精神的な抵抗が凄い。
「はい、オビトくんもー!」
「ッ……」
先生ににこやかに促され、オビトの内心で何かが観念した。
(……くそ!)
逃げられない。
仕方ない。
やる……、やるしかない!
ぎこちなく、手を上げる。
動かす。
リズムに合わせる。
足も少しだけ踏み出す。
(なんだこれ……)
地獄か。
あまりにも平和で、あまりにも逃げ場がない。戦場なら隙を突いて抜けることもできるが、ここでは無理だ。相手は善意と笑顔で包囲してくる。どうしろというのか。
なのに、周囲の反応はまるで違った。
「オビトくん上手ー!」
「すごーい!」
(は?)
なぜか褒められた。
「ほんとね、ちゃんとリズム取れてる」
先生まで頷いている。
(いやいやいや、これでか?)
正直、自分では納得していない。
手の位置も微妙だし、体の揺らし方もぎこちない。何ならずっと“早く終われ”としか思っていない。
なのに評価は高い。
理由は全く分からない。
(まあ、いいか)
褒められて悪い気はしない。
それは本音だった。
そんな日々の中で、もうひとつの“試練”がある。
「オビトくん、こっち来てー」
(あー……、またか)
女の子たちとの、おままごと。
そして、その中心に、なぜか毎回呼ばれる。
「今日はパパ役ね!」
(やっぱりか)
定位置は旦那役。
もうほぼ固定だった。
(なんでだよ)
疑問はある。
だが拒否権はない。
気づけば座らされている。
「あなたー、お仕事お疲れ様」
(……)
(……リアルだな)
毎回思うけど、本当にそう思う。
言い回しや雰囲気が妙に具体的なのだ。
「今日はね、ハンバーグ作ったの!」
「わーい!」
周囲の子どもたちが反応する。
(……いや、これ)
絶対、家で見てるだろ。
両親のやり取りを。
会話。
生活。
全部出てる。
「もう、お靴ちゃんと揃えてって言ったでしょ?」
「ごめんなさーい」
(夫婦の内情が丸見えだな……)
妙なところで現実感がある。
家庭の匂いが濃い。
おままごとというより、家庭観察の再現劇みたいになっている時がある。
(いいのかこれ……)
「ちゃんとありがとう言って?」
(……)
(……はいはい)
「ありがとう」
ごく自然に言う。
すると。
「えらーい!」
ぱちぱちと拍手が起きる。
(なんだこれ)
よく分からないが、評価される。
そしてなぜか毎回、呼ばれる。
(……人気あるってことか?)
実感はない。
だが、事実として囲まれる。
頼られる。
中心に置かれる。
嫌ではない。
むしろ、少しだけ楽しい……かもしれない。
そんな日常の中で、
「いただきまーす!」
給食だ。
これもまた、衝撃だった。
(すげぇな)
栄養バランス。
味。
量。
すべて計算されている。
しかも、毎日違う。
前世の感覚からすると、だいぶ意味が分からない。こんなにきちんと整えられた食事が、毎日、一定の質で、子どもたち全員へ出るという事実がまずおかしい。
(忍界がバカみたいだな……)
正直な感想だった。
戦場では、食えるだけでありがたい。
腹に入って、動ければそれでいい。味や見た目、栄養の細かい配分なんて、贅沢の向こう側にある話だった。
だが、ここは違う。
選ばれている。
整えられている。
子どもが育つための食事として、最初から組まれている。
「オビトくん、ちゃんと食べてる?」
先生が覗き込んでくる。
「……」
無言で頷く。
問題ない。
むしろ好物だ。
好き嫌いは今のところあまりない。出されたものは食う。食ってみて、うまいかどうかを判断する。それだけだ。そして大抵、給食はうまい。
そして――。
「はい、お片付けしたら、お歌の時間ですよー!」
(また来た……!)
次の試練である。
お歌。
みんなで歌う。
大声で。
元気よく。
「ッ……」
(……やるしかねぇのか!)
もう観念も早い。
ここまで来ると、毎回抵抗しても結局やる羽目になるのが分かっている。なら最初から覚悟を決めた方がまだ被害は少ない。
音楽が流れる。
子どもたちが歌い出す。
それに合わせる。
(……)
声が出る。
自然に。
リズムも合う。
音程も悪くない。
(意外といけるもんだな)
やってみれば、どうにかなる。
そんなことを思っていると、
「オビトくん、歌うまーい!」
「ほんとだ!」
(なんでだ!?)
なぜかまた評価が高い。
理由は全く分からない。
だが、周囲は笑っている。
実に楽しそうだ。
(……まあ)
悪くないか。
お遊戯は地獄だが。
おままごとは妙にリアルだが。
それでも、ここは平和だった。
戦いはない。
命のやり取りもない。
ただ笑って、食べて、歌って、遊ぶ。
それだけだ。
そんな時間を、何の疑いもなく過ごしている子どもたちを見ていると、たまに不思議な気分になる。
自分はこういう時間を、ちゃんと通ってきただろうか。
いや、通ってはいたのかもしれない。
けれど、こんなふうに“何も起きないこと”そのものを楽しむ余裕が、昔からあったかと言われれば、少し怪しい。
(こういうのも……まあ悪くない)
ふと、そんなことを思う。
気づけば、この場所にも少しずつ馴染んでいた。
先生の声。
子どもたちの笑い声。
給食の匂い。
おもちゃの散らかる音。
お昼寝前の、妙にゆるんだ空気。
どれも最初は騒がしくて落ち着かなかったのに、今ではそれが“いつもの音”になりつつある。
平和の音だ。
危険のない騒がしさ。
それが案外、嫌いじゃなかった。
オビトは歌の最後の手拍子を、周りよりほんの少しだけ遅れて打った。
それでもまた、「上手ー!」と褒められた。
やっぱり基準はよく分からない。
だが、まあ。
それでも、いいかと思えた。
【〆栞】