小学校入学式
春だった。
風はまだ少し冷たいが、陽射しにはやわらかさがある。冬の名残が薄れ、景色の色が少しずつ明るくなっていく、そんな時期だった。
オビトは、小学校の入学式を迎えていた。
幼稚園を卒業し、新しい教育段階へ進む日。
本人としては、まあ次の段階に進むだけだ、くらいの認識でいる。幼稚園が終わったから次へ行く。そういう区切りだ。感慨がないわけではないが、そこまで大仰に捉えているわけでもない。
だが宗一郎は、朝から明らかに様子がおかしかった。
「今日は泣かない」
そう言いながら、すでに目元が怪しい。
綾乃が呆れたように笑う。
「あなた、今日は泣かないって言ってなかった?」
「泣いてない」
宗一郎は真顔で言い張った。
いや、もう泣いてるだろ。
オビトは内心でそう突っ込んだ。
どう見ても目が潤んでいる。しかも、今この瞬間に何か特別なことが起きたわけでもない。まだ家だ。式ですらない。何をどう先取りしたらそこまで感極まれるのか、本気で分からない。
そんな父を横目に、オビトは新しい装備を確認していた。
真新しいランドセル。
通学帽。
名札。
上履き袋。
筆箱。
連絡帳。
教科書。
細々したものが一気に増えた。
どれもこの世界の教育機関らしい道具だ。用途はだいたい理解できる。記録用、学習用、移動用、識別用。細かく役割が分かれていて、合理的と言えば合理的だった。
オビトはそれらを任務装備のように見ていた。
ランドセルは、忍具袋にしては大きい。
だが、収納力は悪くないと判断する。背負う形なので両手も空く。肩への負担分散も考えられているらしい。硬い作りのわりに、意外と実用的だ。
ただし、目立つ。
小学生の装備は全体的に目立つ。
帽子も、袋も、色も、名前も、全部が“ここにいます”と主張しているみたいだった。安全のためらしいが、やはりこの世界の発想はよく分からない。
校門前に到着する。
「入学式」と書かれた看板の前には、同じように新一年生と保護者たちが集まっていた。
真新しいランドセルを背負った子どもたち。
写真を撮る保護者たち。
少し浮き立った空気。
オビトは周囲を観察しながら、幼稚園とはまた違う集団生活の場だと理解する。幼稚園より少しだけ規模が大きくて、少しだけ秩序があって、少しだけ“教育機関”の色が濃い。
その横で。
宗一郎が、すでに泣いていた。
オビトは本気で引いた。
まだ校門前だ。
式どころか、校舎にも入っていない。
なのに宗一郎は、ランドセル姿のオビトを見て、今にも崩れそうな顔をしている。
「ランドセルが……大きい……!」
「俺が小さいからだろ」
オビトが冷静に返す。
すると宗一郎は、さらに目を潤ませて言った。
「それがいいんだろ……!」
理解できない。
綾乃は、もう慣れた様子で苦笑している。
周囲の保護者たちが、じわじわとざわつき始めた。
「あら、もう泣いてるのかしら」
「入学式よね?」
「感受性豊かなお父さんなのね」
やめろ。
目立つな。
頼むから目立つな。
オビトは本気でそう祈ったが、祈りは届かなかった。
綾乃が「すみません、夫が少し感極まってしまって」と微笑むと、今度は別方向で空気が揺れた。
「綺麗なお母さんね」
「お父さんも顔立ちがいいわね」
「お子さんもすごく整ってる」
オビトはさらに居心地が悪くなった。
やめてくれ。
そういうのは、まとめて聞こえると余計しんどい。
宗一郎は泣きながらカメラを構えた。
「オビトー! こっち向いてくれ!」
撮るのか、泣くのか、どっちかにしろ。
内心でそう突っ込む。
だが綾乃も嬉しそうなので、渋々写真に収まることにした。どうせここで抗っても大した意味はない。目立たないという選択肢は、最初から存在していなかった。
校舎へ入る。
廊下。
下駄箱。
教室。
机。
椅子。
黒板。
オビトは、そこにアカデミーに近いものを感じた。
もちろん同じではない。
もっと穏やかで、もっと生活の延長にある場所だ。ここは戦う場所じゃない。だが、集団をまとめ、知識を教え、段階的に何かを身につけさせるという意味では、教育機関としての骨格は少し似ている。
幼稚園よりも、少し規律がある。
少しだけ、教育機関らしい。
教室で、新しい担任と初対面する。
若い男性だった。
柔らかい笑顔をしている。
声は穏やかで、子どもたちが不安にならないように、少しだけゆっくり話す。立ち方や視線の配り方に、妙な押しつけがましさがない。ただそこにいるだけで、場の空気が少し落ち着くような人だった。
その瞬間、オビトは一瞬だけ波風ミナトを思い出した。
顔は違う。
声も違う。
髪の色も、立っている場所も、何もかも違う。
この世界の普通の小学校教師だと分かっている。
それでも、子どもを見る目が少しだけ似ていた。
胸の奥に、遠い記憶が触れる。
金色の髪。
穏やかな声。
困ったように笑う顔。
急かさず、見捨てず、こちらが前を向くまで待ってくれるような空気。
わずかに、胸が痛んだ。
嫌な痛みじゃない。
ただ、古い傷の跡を指でなぞられたみたいな、静かな痛みだった。
先生は、オビトが一瞬固まったことに気づいたらしい。
「緊張してるかな?」
優しく声をかけてくる。
オビトは小さく首を振った。
「……大丈夫です」
声は思ったより落ち着いていた。
胸の奥のざわつきは残っている。
けれど、それと今は切り分けられる。
この人はミナトではない。
新しい担任だ。
そう認識し直して、オビトは気持ちを切り替えた。
入学式が始まる。
体育館に、新一年生が並ぶ。
保護者席には宗一郎と綾乃が座っている。
オビトは周囲の子どもたちの緊張や、そわそわした空気を感じていた。落ち着かないのは自分だけじゃないらしい。姿勢を気にしているやつ、周囲をきょろきょろ見ているやつ、眠そうなやつ、色々だ。
名前を呼ばれる。
「裏葉オビトくん」
「はい」
普通に返事をする。
その瞬間。
保護者席から、また宗一郎の涙声が聞こえた。
オビトは内心で「何故!?」となった。
ただ返事をしただけだ。
まだ何も成し遂げていない。
それなのに泣く理由が、本当に分からない。
綾乃も少し目元を潤ませていた。
ただし、宗一郎ほどではない。
綾乃は静かに微笑みながら、オビトを見守っている。
その姿に、オビトは少しだけ落ち着いた。
泣きすぎだとは思う。
だが、それだけ喜んでいるのだろうということも、少し分かるようになってきている。
愛されていることに、以前より少し慣れてきていた。
式の後、教室へ戻る。
担任から教科書やプリントが配られる。
時間割。
連絡帳。
持ち物の説明。
オビトは、情報量の多さに少しだけ感心した。
この世界の教育は、戦うためではなく、生活するために整えられている。
それは忍界とは違うものだった。
日々を回すための知識。
社会の中で暮らすための基礎。
そういうものを、最初から順序立てて教える仕組みがあるらしい。
同級生たちとも、初めてきちんと顔を合わせる。
知らない顔ばかりだ。
何人かが、オビトをちらちら見ている。
幼稚園の時と同じように、顔立ちや落ち着きが目立っているらしい。
オビトは気にしないようにした。
ただ、また何か面倒なことになりそうな予感はする。
近所で何度か見かける虎杖悠仁の姿は、やはりない。
校区が違うと聞いていたので、当然と言えば当然だ。
オビトは少しだけ確認して、まあ近所では会うだろうと思う。学校で一緒ではないが、縁が切れるわけではない。それぞれの場所で、それぞれの日常が始まるだけだ。
帰り道。
宗一郎は何度も写真を見返している。
「大きくなったな……」
と、また泣きそうになっていた。
オビトは呆れる。
綾乃は笑いながら、オビトの頭を撫でた。
「小学生ね」
「まあな」
そう返す。
少しだけ照れくさい。
小学校という、新しい世界が始まった。
戦いではない。
けれど、きっと楽なだけでもない。
集団の中で動き、学び、関わり、少しずつ広がっていく場所なのだろう。
それでも――。
まあ、なんとかなるだろう。
風はまだ少し冷たいが、陽射しにはやわらかさがある。冬の名残が薄れ、景色の色が少しずつ明るくなっていく、そんな時期だった。
オビトは、小学校の入学式を迎えていた。
幼稚園を卒業し、新しい教育段階へ進む日。
本人としては、まあ次の段階に進むだけだ、くらいの認識でいる。幼稚園が終わったから次へ行く。そういう区切りだ。感慨がないわけではないが、そこまで大仰に捉えているわけでもない。
だが宗一郎は、朝から明らかに様子がおかしかった。
「今日は泣かない」
そう言いながら、すでに目元が怪しい。
綾乃が呆れたように笑う。
「あなた、今日は泣かないって言ってなかった?」
「泣いてない」
宗一郎は真顔で言い張った。
いや、もう泣いてるだろ。
オビトは内心でそう突っ込んだ。
どう見ても目が潤んでいる。しかも、今この瞬間に何か特別なことが起きたわけでもない。まだ家だ。式ですらない。何をどう先取りしたらそこまで感極まれるのか、本気で分からない。
そんな父を横目に、オビトは新しい装備を確認していた。
真新しいランドセル。
通学帽。
名札。
上履き袋。
筆箱。
連絡帳。
教科書。
細々したものが一気に増えた。
どれもこの世界の教育機関らしい道具だ。用途はだいたい理解できる。記録用、学習用、移動用、識別用。細かく役割が分かれていて、合理的と言えば合理的だった。
オビトはそれらを任務装備のように見ていた。
ランドセルは、忍具袋にしては大きい。
だが、収納力は悪くないと判断する。背負う形なので両手も空く。肩への負担分散も考えられているらしい。硬い作りのわりに、意外と実用的だ。
ただし、目立つ。
小学生の装備は全体的に目立つ。
帽子も、袋も、色も、名前も、全部が“ここにいます”と主張しているみたいだった。安全のためらしいが、やはりこの世界の発想はよく分からない。
校門前に到着する。
「入学式」と書かれた看板の前には、同じように新一年生と保護者たちが集まっていた。
真新しいランドセルを背負った子どもたち。
写真を撮る保護者たち。
少し浮き立った空気。
オビトは周囲を観察しながら、幼稚園とはまた違う集団生活の場だと理解する。幼稚園より少しだけ規模が大きくて、少しだけ秩序があって、少しだけ“教育機関”の色が濃い。
その横で。
宗一郎が、すでに泣いていた。
オビトは本気で引いた。
まだ校門前だ。
式どころか、校舎にも入っていない。
なのに宗一郎は、ランドセル姿のオビトを見て、今にも崩れそうな顔をしている。
「ランドセルが……大きい……!」
「俺が小さいからだろ」
オビトが冷静に返す。
すると宗一郎は、さらに目を潤ませて言った。
「それがいいんだろ……!」
理解できない。
綾乃は、もう慣れた様子で苦笑している。
周囲の保護者たちが、じわじわとざわつき始めた。
「あら、もう泣いてるのかしら」
「入学式よね?」
「感受性豊かなお父さんなのね」
やめろ。
目立つな。
頼むから目立つな。
オビトは本気でそう祈ったが、祈りは届かなかった。
綾乃が「すみません、夫が少し感極まってしまって」と微笑むと、今度は別方向で空気が揺れた。
「綺麗なお母さんね」
「お父さんも顔立ちがいいわね」
「お子さんもすごく整ってる」
オビトはさらに居心地が悪くなった。
やめてくれ。
そういうのは、まとめて聞こえると余計しんどい。
宗一郎は泣きながらカメラを構えた。
「オビトー! こっち向いてくれ!」
撮るのか、泣くのか、どっちかにしろ。
内心でそう突っ込む。
だが綾乃も嬉しそうなので、渋々写真に収まることにした。どうせここで抗っても大した意味はない。目立たないという選択肢は、最初から存在していなかった。
校舎へ入る。
廊下。
下駄箱。
教室。
机。
椅子。
黒板。
オビトは、そこにアカデミーに近いものを感じた。
もちろん同じではない。
もっと穏やかで、もっと生活の延長にある場所だ。ここは戦う場所じゃない。だが、集団をまとめ、知識を教え、段階的に何かを身につけさせるという意味では、教育機関としての骨格は少し似ている。
幼稚園よりも、少し規律がある。
少しだけ、教育機関らしい。
教室で、新しい担任と初対面する。
若い男性だった。
柔らかい笑顔をしている。
声は穏やかで、子どもたちが不安にならないように、少しだけゆっくり話す。立ち方や視線の配り方に、妙な押しつけがましさがない。ただそこにいるだけで、場の空気が少し落ち着くような人だった。
その瞬間、オビトは一瞬だけ波風ミナトを思い出した。
顔は違う。
声も違う。
髪の色も、立っている場所も、何もかも違う。
この世界の普通の小学校教師だと分かっている。
それでも、子どもを見る目が少しだけ似ていた。
胸の奥に、遠い記憶が触れる。
金色の髪。
穏やかな声。
困ったように笑う顔。
急かさず、見捨てず、こちらが前を向くまで待ってくれるような空気。
わずかに、胸が痛んだ。
嫌な痛みじゃない。
ただ、古い傷の跡を指でなぞられたみたいな、静かな痛みだった。
先生は、オビトが一瞬固まったことに気づいたらしい。
「緊張してるかな?」
優しく声をかけてくる。
オビトは小さく首を振った。
「……大丈夫です」
声は思ったより落ち着いていた。
胸の奥のざわつきは残っている。
けれど、それと今は切り分けられる。
この人はミナトではない。
新しい担任だ。
そう認識し直して、オビトは気持ちを切り替えた。
入学式が始まる。
体育館に、新一年生が並ぶ。
保護者席には宗一郎と綾乃が座っている。
オビトは周囲の子どもたちの緊張や、そわそわした空気を感じていた。落ち着かないのは自分だけじゃないらしい。姿勢を気にしているやつ、周囲をきょろきょろ見ているやつ、眠そうなやつ、色々だ。
名前を呼ばれる。
「裏葉オビトくん」
「はい」
普通に返事をする。
その瞬間。
保護者席から、また宗一郎の涙声が聞こえた。
オビトは内心で「何故!?」となった。
ただ返事をしただけだ。
まだ何も成し遂げていない。
それなのに泣く理由が、本当に分からない。
綾乃も少し目元を潤ませていた。
ただし、宗一郎ほどではない。
綾乃は静かに微笑みながら、オビトを見守っている。
その姿に、オビトは少しだけ落ち着いた。
泣きすぎだとは思う。
だが、それだけ喜んでいるのだろうということも、少し分かるようになってきている。
愛されていることに、以前より少し慣れてきていた。
式の後、教室へ戻る。
担任から教科書やプリントが配られる。
時間割。
連絡帳。
持ち物の説明。
オビトは、情報量の多さに少しだけ感心した。
この世界の教育は、戦うためではなく、生活するために整えられている。
それは忍界とは違うものだった。
日々を回すための知識。
社会の中で暮らすための基礎。
そういうものを、最初から順序立てて教える仕組みがあるらしい。
同級生たちとも、初めてきちんと顔を合わせる。
知らない顔ばかりだ。
何人かが、オビトをちらちら見ている。
幼稚園の時と同じように、顔立ちや落ち着きが目立っているらしい。
オビトは気にしないようにした。
ただ、また何か面倒なことになりそうな予感はする。
近所で何度か見かける虎杖悠仁の姿は、やはりない。
校区が違うと聞いていたので、当然と言えば当然だ。
オビトは少しだけ確認して、まあ近所では会うだろうと思う。学校で一緒ではないが、縁が切れるわけではない。それぞれの場所で、それぞれの日常が始まるだけだ。
帰り道。
宗一郎は何度も写真を見返している。
「大きくなったな……」
と、また泣きそうになっていた。
オビトは呆れる。
綾乃は笑いながら、オビトの頭を撫でた。
「小学生ね」
「まあな」
そう返す。
少しだけ照れくさい。
小学校という、新しい世界が始まった。
戦いではない。
けれど、きっと楽なだけでもない。
集団の中で動き、学び、関わり、少しずつ広がっていく場所なのだろう。
それでも――。
まあ、なんとかなるだろう。
【〆栞】