懐かしい光景

二月十日。

うちはオビトは、五歳になった。

五歳という響きは、なかなか重い。普通なら、ようやく幼子から少し抜け出し始める頃だ。走るのも、話すのも、手伝いも上手くなり、周囲から「大きくなったねえ」と言われる年齢。だがオビトにとっては、前々世の記憶がどうしても横をかすめる。

五歳。

忍者学校を卒業し、下忍になる年。

嫌だねえ、戦時下ってのは。

心の中でぼやきながら、オビトは額のゴーグルを指で押さえた。祖母が買ってくれたそれは、もうすっかり日常の一部になっている。懐かしい形で、実用性も高い。何より、赤い瞳を隠すための最後の一枚として、気持ちの上でも少し頼りになった。

もちろん、普段は黒目でいる。

写輪眼の開眼は、まだ誰にも知られていない。三つ巴も、万華鏡も、知られてはいけない。神無毘橋の戦いまでは隠す。そう決めている。決めているのだが、人生というのは決めた通りに動かないことも、嫌というほど知っている。

だからせめて、できる範囲で隠す。

普通の子どもとして。

……普通の子ども、相変わらず難しいけどな。

五歳になったオビトは、本人の自覚以上に少しずつ目立つようになっていた。

うちはらしい黒髪と黒目。幼さはまだ頬に残っているが、顔立ちは少しずつ整い始めている。笑うと人懐っこく、目元が柔らかくなる。困っている相手を見つければ、考えるより先に足が止まる。荷物を持っている老人がいれば手を貸し、道端で泣いている子どもがいれば声をかけ、転んだ相手がいれば手を差し出す。

大人から見れば、微笑ましい。

祖母から見れば、危なっかしい。

「道を外れるんじゃないよ」

出かける前、祖母の言いつけは今日も細かかった。

「知らない者について行かない。危ない場所へ近づかない。日が傾く前に戻る。いいね」

「分かってるって、祖母ちゃん」

オビトは小さく息を吐いた。言っていることは全部正しい。正しいので返す言葉がない。ないのだが、細かい。やたらと細かい。

祖母は玄関先に立ったまま、じっとオビトを見下ろした。

「分かっとる子ほど、分かっとらん顔で人を助けに行くんよ」

刺さった。

かなり刺さった。

オビトは黙った。五歳児相手にその精度で刺してくるのはどうなんだ、と思わなくもない。だが中身を考えれば、刺さって当然でもある。前々世も前世も、困っている相手を見れば足を止めた。助けに行くなと言われても、たぶん行く。行ってから考える。

祖母ちゃん、強い。

「……気をつける」

「本当にかい」

「本当に」

祖母はまだ疑わしそうな顔をしていたが、やがて手を伸ばし、オビトの額のゴーグルを直した。指先が髪を整え、額の位置にきちんと収める。そのまま、祖母は改めてオビトの顔をじっと見た。

嫌な間だった。

何か追加で来る。

そう思った瞬間、祖母は真顔で言った。

「知らん大人に可愛いと言われても、ほいほいついて行かんこと」

「え、何それ……」

オビトは本気で困惑した。

「俺、そんなことしないけど」

「分かっとらんね」

祖母の目が、さらに真剣になる。

「あんたは顔がええんよ」

「え」

固まった。

前々世でも前世でも、顔のことでここまで真剣に注意された記憶はない。いや、前世で釘崎に何か言われた気はする。ある気はするが、だいたい命令か罵倒か荷物持ち宣告だったので、あれを褒め言葉に分類していいのか分からない。五条先生は茶化すし、虎杖は素直すぎるし、伏黒はそもそもそういう話をあまりしない。

だから、祖母に真正面から「あんたは顔がええ」と言われると、どうしていいか分からなかった。

「え、じゃない」

祖母は即答した。

「顔がいいと、道を外れるな案件なのか?」

オビトが真面目に聞くと、祖母も真面目に頷いた。

「なる」

「なるのか……」

納得しかけたところで、祖母がもう一度言った。

「なる」

二回言われた。

これはもう、頷くしかない。

「……分かった」

分かったような、分かっていないような、かなり微妙な返事になった。祖母はそれを見て、明らかに「分かっていない」と判断した顔をした。

実際、分かっていなかった。

祖母の心配は、孫が可愛いからだけではない。顔がいい。人がいい。困っている相手を放っておけない。危機感が少しズレている。知らない相手にも自然に親切にしてしまう。全部まとめて危ない、と祖母は判断している。

オビトはそこまで理解していない。

まあ、よく分からないけど。

それだけ心配してくれてるってことだ。

そう受け取ることにした。祖母の言葉を雑には扱えない。両親を失ってからずっと、この家を守ってくれた人だ。少し口うるさくても、それが愛情から来ていることくらい分かる。

オビトはゴーグルの位置を自分でも直し、玄関の外へ出た。

「日が傾く前に戻るよ」

「戻るだけじゃなく、無事に戻るんだよ」

「はいはい」

「はいは一回」

「はい」

祖母はまだ何か言いたそうだったが、最後には小さく息を吐き、手を振った。オビトはそれに手を振り返し、道へ出る。

見送る祖母の目は、しばらくその背を追っていた。

あれは本当のところを全く理解していない。

そう思っている顔だったが、オビトは気づかなかった。気づいたところで、たぶん本当の意味では分からなかっただろう。

集落を歩くと、何人かに声をかけられた。

「オビトくん、お使いかい」

「うん」

「大きくなったねえ」

「五歳になったから」

「まあ、しっかりしてること」

年配の女性が笑いながら、手に持っていた荷物を抱え直した。その動きが少し重そうで、オビトは足を止めた。

「持つ?」

「いいよいいよ、重いから」

「家、近い?」

「すぐそこだけどねえ」

「じゃあ、途中まで」

気づけば手が伸びていた。

女性は困ったように笑い、結局、小さめの包みだけを渡してくれた。全部渡さない辺り、祖母と同じくこちらを子ども扱いしている。いや、実際子どもだ。五歳児だ。中身は考えない。考えるとややこしい。

包みを持って家の前まで送ると、女性は嬉しそうに礼を言った。

「ありがとうねえ。本当にいい子だねえ」

「これくらい普通だって」

「まあまあ。顔もいいし、気も利くし。将来が楽しみだねえ」

また顔。

オビトは少し首を傾げた。祖母の言葉が頭をよぎる。顔がいいと道を外れるな案件になる。なる。二回言われた。つまり、ここは不用意について行かない方がいい場面なのだろうか。

いや、もう家の前まで荷物を持ってきている。

これ、遅くないか?

オビトは内心で少し悩みながらも、礼だけ受け取って道へ戻った。祖母に話したら、たぶん「ほら見なさい」と言われる。言われる気がする。やめておこう。いや、隠すほどのことではないが、説明すると長い。

そんなことを考えながら、集落の端から少し離れた道へ出た時だった。

木々の間の開けた場所に、二つの気配があった。

一つは大人。

もう一つは子ども。

忍の動きだった。軽く、鋭く、無駄が少ない。けれど空気は張り詰めきっていない。訓練というより、親子の間にある距離で交わされる動きに近い。

足が止まる。

視線を向けた先に、白い髪の男がいた。

はたけサクモ。

木ノ葉の白い牙。

隣にいる小さな子どもも、すぐに分かった。

はたけカカシ。

懐かしい、と思った。

その言葉が、胸の奥にゆっくり落ちる。前々世で知っていたカカシは、もっと大きかった。神無毘橋の時の、尖っていて、不器用で、白い髪を揺らしてこちらを睨んでいた少年。やがて六代目火影になったのかもしれない、あの背中。

そのカカシが、今は小さい。

本当に小さい。

年は自分より一つ下のはずだ。だが纏う空気は、すでにただの幼子ではない。背筋が伸び、視線が鋭く、木刀を構える手には迷いが少ない。あまりにも早く大人びようとしている子ども。

それでも、小さい。

なんか、可愛い。

五十七歳の視点で見ると、かなり可愛い。

いや、待て。本人に言ったら絶対嫌な顔をする。前々世のカカシでも嫌がる。幼少期のカカシならなおさらだ。絶対に言うな。

オビトは木陰に立ったまま、二人を見た。

サクモは穏やかな顔で、カカシの動きを受けていた。木刀の打ち込みを軽く流し、時折短く助言をする。声は遠くてはっきり聞こえないが、表情には厳しさと柔らかさが同居していた。父として甘やかしているだけではない。忍として、息子の才をちゃんと見ている。

カカシは真剣だった。

小さな身体で、父の動きを追う。打ち込み、避けられ、体勢を崩し、すぐに立て直す。悔しそうに目を細めるが、感情を大きく出すことはない。無駄を嫌う子ども。効率を重んじる天才。白い牙の息子。

修行なのだろう。

だが、オビトには少しだけ、戯れているようにも見えた。

父と子が、同じ時間を過ごしている。

ただそれだけの光景だった。

それだけなのに、胸の奥が痛くなる。

前々世の記憶が、静かに開いた。

はたけカカシ。

五歳で忍者学校を卒業し、下忍となり、六歳で中忍へ昇進した天才。戦時下の木ノ葉が生んだ、早すぎる刃。父の名を背負い、期待と重圧を浴び、子どもらしい時間を置き去りにして進んだ少年。

嫌だねえ、戦時下ってのは。

先ほどと同じぼやきが、今度は少し重く響いた。

そして。

はたけサクモ。

白い牙。

木ノ葉の英雄。

任務で仲間を救う選択をし、その結果として里から責められ、救った仲間からも冷たい目を向けられ、心を追い詰められた人。やがて、自ら命を絶った人。

カカシの父。

ああ。

オビトは息を止めた。

最も近い悲劇の運命。

それが、目の前の穏やかな光景の先にある。父と子が並び、木刀を交え、日差しの下で言葉を交わしている。そんな当たり前のような時間が、そう遠くない未来に壊れる。

サクモが死ぬ。

カカシは父を失う。

その喪失が、幼いカカシの中に深く刺さる。任務を優先し、仲間を切り捨てるほどの冷たさを身につけてしまう。父を否定するように、自分を硬く閉ざしていく。

前々世のカカシを思い出す。

冷たい言葉。規則を優先する姿勢。神無毘橋での衝突。リンを守れと託した左目。崩れていく岩の下で見た、あの子どもの顔。

助けられるか。

一瞬だけ、問いが浮かんだ。

日付も、任務の詳細も、すべてを正確に覚えているわけではない。自分はまだ五歳だ。常時見張ることもできない。里の評価を事前に変える力も立場もない。知っているからといって、すべてを思い通りに操作できるわけではない。

それでも。

いや、助ける。

問いを打ち消すように、答えだけが残った。

助ける。

カカシのためにも。

目の前の小さなカカシが、父へ向けて木刀を振る。サクモがそれを受け、少しだけ笑う。木漏れ日が白い髪に落ちて、眩しいほど穏やかに見えた。

こんな光景を、壊させていいわけがない。

オビトは木陰で、そっと拳を握った。

具体的にどうするかは、まだ分からない。今すぐ何かを動かせるわけでもない。幼い身体と立場では、できることには限りがある。だが、何もしない理由にはならない。

手の届く範囲でいい。

救える奴は救え。

その言葉が、胸の奥で静かに灯る。

サクモがふと、こちらへ視線を向けた。

しまった。

見すぎた。

オビトは反射的に背筋を伸ばした。逃げるのは不自然だ。かといって、じっと覗いていましたという顔もまずい。五歳児らしく、たまたま通りかかった顔を作る。たぶん作れている。いや、どうだろう。普通の子ども作戦は成功率が安定しない。

サクモの目は穏やかだった。

だが、よく見ている目だった。家柄や噂だけで相手を見る人ではない。幼い子どもにも、きちんと一人分の目を向ける。強い人だ。そして、優しいだけではない人だ。

カカシもこちらを見た。

小さな顔に、警戒と観察が浮かぶ。落ちこぼれの噂があるうちはの子。集落外れの家の子。ゴーグルを額につけた子ども。向こうがどう認識しているかは分からないが、その目はすでに何かを測っている。

うわ。

小さいのにカカシだ。

オビトは妙な感慨を飲み込んだ。

「こんにちは」

先に声を出したのはサクモだった。

穏やかで、柔らかい声。けれどその背にあるものは軽くない。

「散歩かな」

「お使いの帰りです」

オビトは持っていた包みを少し持ち上げた。

「邪魔してすみません」

「邪魔ではないよ」

サクモはゆっくり首を横に振った。

「君は、うちはの子だね」

「うちはオビトです」

名乗ると、サクモの目が少し細くなった。マヒトの名を知っているかどうかは分からない。ただ、うちはの集落外れに住む子どもとして、何かしら耳にしている可能性はある。

「はたけサクモだ。こっちは息子のカカシ」

紹介され、カカシが小さく会釈した。

「……はたけカカシ」

声も小さい。

だが、芯がある。

オビトは胸の奥が少しだけ変な感じになるのを抑えた。懐かしい。小さい。可愛い。危ない。守りたい。いろんな感情が混ざる。だが、ここで妙な顔をするわけにはいかない。

「よろしく、カカシ」

自然に言ったつもりだった。

カカシの眉が、ほんの少し動いた。

しまった。

距離が近かったかもしれない。初対面の子ども同士なら変ではない、はずだ。だが相手はカカシである。年齢の割に距離感が硬い。いきなり名前で呼ばれると引っかかるかもしれない。

「……うん」

カカシは短く返しただけだった。

けれど、目はこちらから離れなかった。

サクモはそのやり取りを見て、少しだけ笑った。からかうような笑みではない。何か気になる子を見つけた大人の、静かな興味だった。

「お使いなら、早く帰った方がいい。日が傾くと、お婆さんが心配するだろう」

「はい」

正論だった。

祖母の言いつけが脳裏に蘇る。日が傾く前に戻る。危ない場所へ近づかない。知らない者について行かない。可愛いと言われてもほいほいついて行かない。今のは可愛いとは言われていないから大丈夫。いや、そういう判定でいいのか。

オビトは軽く頭を下げた。

「失礼します」

歩き出す前に、もう一度だけ親子を見た。

サクモは木刀を手に、カカシの傍らに立っている。カカシは無表情に近い顔でこちらを見ていた。幼いのに大人びた目。けれど、その隣にはまだ父がいる。

この光景を覚えておこうと思った。

懐かしいだけではない。

守るために。

オビトは道へ戻った。背中に視線を感じる。サクモのものと、カカシのもの。振り返らずに歩く。足取りは五歳児らしく、速すぎず、遅すぎず。

手の中の包みが少し重い。

だが、それより胸の奥が重かった。

助ける。

具体的な道は、まだ見えない。

だが、決めた。

家へ戻る頃には、日が少し傾き始めていた。祖母は玄関先で待っていて、オビトを見るなり眉を上げた。

「遅かったね」

「ごめん。途中で人に会って」

「知らない人について行ってないだろうね」

「行ってない」

「可愛いと言われてないだろうね」

「言われてない」

「本当かい」

「本当」

たぶん。

サクモには言われていない。年配女性には言われたような気がするが、ついて行ってはいない。セーフ。たぶんセーフ。

祖母はしばらくこちらを見ていたが、やがて手を伸ばしてゴーグルを直した。

「顔に考えごとが出てるよ」

鋭い。

オビトは少しだけ目を伏せた。

「……ちょっと、懐かしいものを見た」

「五歳が言うことかねえ」

祖母は呆れたように言ったが、それ以上は聞かなかった。ただ、買ってきたものを受け取り、家の中へ招く。

台所から湯の匂いがする。

畳の上には夕日の色が落ちている。

オビトは靴を脱ぎ、家へ上がった。胸の奥に、はたけ親子の光景が残っている。白い髪の父と、白い髪の幼い子。木刀を交える穏やかな時間。その先にある悲劇。

まだ、動けない。

けれど、見過ごさない。

カカシのためにも。

サクモのためにも。

そして、かつて何も知らずに失わせた自分自身のためにも。

今度は、手を伸ばす。

オビトは祖母の背を見ながら、静かにそう決めた。


〆栞
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