六道仙人

六道仙人から呼ばれたのは、四歳の秋だった。

呼ばれた、というのも少し変な話だ。相手は生きた人間ではない。家の戸を叩いたわけでもなければ、使いを寄越したわけでもない。ただ、夕暮れの庭先で煎餅の欠片を口に入れた瞬間、視界の端にいつもの気配が立っていた。

古く、深く、世界の底に根を張るようなチャクラ。

オビトは噛みかけの煎餅を飲み込み、祖母に気づかれないように縁側から降りた。

「ちょっと庭」

「転ぶんじゃないよ」

「転ばないって」

言いながら、昨日転んだことを思い出して少し目を逸らした。祖母の目は鋭い。けれど今日は、深く追及されなかった。台所の片づけに戻る祖母の背を確認してから、オビトは庭の奥へ向かう。

柿の木の下に、六道仙人がいた。

もう見慣れた、などと言うには相手が相手だが、初めて見た時のような衝撃は薄れていた。赤ん坊の頃は互いに固まった。一歳では「何者か」と問われ、二歳では写輪眼に驚かれ、三歳では万華鏡に「怖っ」と言われた。今では、現れたらとりあえず何か言われるのだろう、くらいには慣れている。

慣れていいのかは分からない。

六道仙人は、いつもより静かな顔をしていた。

「うちはオビト」

名を呼ばれる。

「お主は、この世界で何を為す」

問いは、真っ直ぐだった。

オビトはすぐに答えなかった。庭の土を踏む足の裏に、夕暮れの冷えが伝わる。四歳の身体はまだ小さい。手も足も短く、声も高い。だが、その小さな器の中にあるものを、六道仙人は見ようとしている。

「お主の心にあるものを教えよ」

心にあるもの。

何が知りたいんだ、と最初に思った。

力のことなら、これまで嫌というほど見られている。写輪眼も、万華鏡も、水で擬装した赤血操術も、風に落とした斬撃も、反転術式も、六道仙人は全部ではないにせよ観察してきた。忍術です、と言い張るたびに、明らかに納得していない顔もしていた。

だが、今日の問いは力ではない。

心。

そこへ触れられると、さすがに少し黙るしかなかった。

オビトの奥底には、今も沈んでいるものがある。罪の意識。後悔。懺悔。リンを失った夜、九尾襲撃の夜、仮面の男として重ねた罪、暁、第四次忍界大戦、無限月読。世界を壊そうとした自分。多くの命を踏みにじった事実。

それらは消えない。

消えるはずがない。

けれど、それだけではない。

沈んだものの上に、掬い上げられた心がある。呪いの世界で出会った仲間たちの声がある。笑って、怒って、殴って、背中を預けて、時にはこちらの襟首を掴んででも現実へ引き戻してくれた人たちがいる。

虎杖悠仁。

あいつはいつも、後悔したくない方へ進んだ。自分の死に様までは分からなくても、生き方だけは間違えたくないと、血まみれで立ち上がった。折れても、折られても、なお進んだ。自分を大きな何かの歯車のように扱う危うさもあったが、それでも目の前の呪いを祓うために足を止めなかった。

伏黒恵。

あいつは、誰も彼も平等に救うとは言わなかった。自分が助けたい人間を、不平等に助ける。そういう不器用な潔さを持っていた。綺麗事だけでは生きられない現場で、それでも見捨てたくないものを選んだ。

釘崎野薔薇。

あいつは強かった。不幸を免罪符にするなと、真正面から怒れる女だった。自分の人生を自分で選び、他人に踏み荒らされることを許さない。オビトが沈みかければ、容赦なく現実へ引っ張り戻す。恋人になってからも、そこは変わらなかった。

五条悟。

あの人は軽く笑いながら、重いものを背負っていた。若い者の時間を奪うことを許さず、自分が最強だからと前に立った。傲慢に見えて、その実、誰よりも先へ進み、誰よりも多くを見ていた。大丈夫だと言う声は、ただの自信ではなく、誰かの恐怖を少し軽くするためのものだった。

そして、その奥に虎杖倭助の言葉がある。

強いなら人を助けろ。

手の届く範囲でいい。

救える奴は救え。

迷っても、感謝されなくても、とにかく助けてやれ。

その言葉は、虎杖悠仁を作った。けれど、オビトの根にも深く刺さった。前々世で救えなかった一人を起点にすべてを見失った自分にとって、その言葉はあまりにも現実的だった。全部を救えなくてもいい。世界を背負えなくてもいい。まず、手の届くところにいる誰かを見捨てるな。

オビトは、六道仙人を見上げた。

「俺は」

四歳の声は、まだ幼い。けれど、不思議と震えなかった。

「生き様に後悔したくねぇんだ」

六道仙人は黙って聞いていた。

「昔の俺は、救えなかったものばっかり見て、今そこにあるものを見なくなった。手を伸ばせなかったことも、伸ばした手で壊したこともある。だから、もう同じことはしたくない」

風が庭の草を揺らす。

「俺は助ける。手の届く範囲で、救える奴は救う。全部なんて言わない。全部救えるって思ったら、たぶんまた間違える。でも、目の前で倒れそうなやつを見て、見なかったふりはしない」

それは贖罪だけではない。

許されたいからでもない。

誰かに褒められたいからでもない。

ちゃんと生きるためだ。

「迷うと思う。間違えるかもしれない。感謝されないこともある。責められることもある。でも、助けられたかもしれない相手を見捨てて後悔するくらいなら、手を伸ばしてから悩む」

六道仙人の目が、わずかに細くなった。

「それが、お主の根か」

「俺だけのものじゃない」

オビトは少し笑った。

「貰ったんだ。いろんな奴から。真っ直ぐな奴からも、不器用な奴からも、強い女からも、最強からも」

その言い方に、六道仙人はほんの少し困惑した顔をした。最強、という言葉の意味までは分からないのだろう。誰を指すのかも、どんな世界の誰なのかも、六道仙人には掴めない。ただ、そこに大きな影響があったことだけは感じ取っているはずだった。

「前に立つ時は立つ。大人が背負うべきものなら背負う。若いやつから、これから先の時間を奪わせない。そういうのも、教わった」

四歳児が大人を語るのはおかしい。

自分でも分かっている。だが、魂の中には三十一年と二十一年と、さらに今の四年がある。年齢の計算をまともにすると、また変な気分になるのでやめた。こういうところで数字を考え始めると、だいたいろくなことにならない。

六道仙人は問うた。

「ならば、お主の夢は何じゃ」

夢。

その言葉は、胸の奥で小さく光った。

前々世の自分が、何度も叫んだ言葉。火影になる。里のみんなに認められる。仲間を守れる忍になる。子どもじみていて、まっすぐで、眩しくて、そして一度は粉々にした夢。

今の自分に、その資格があるのか。

その問いは、今でも消えない。だが、それを毎回抱えて立ち止まることは、もうしない。

オビトは息を吸った。

「火影になること」

口にした瞬間、庭の空気が少しだけ変わった気がした。

「昔は、認められたかった。みんなに見てほしかった。俺はここにいるって、ちゃんと知ってほしかった。今も、その気持ちが消えたわけじゃない」

幼い手を握る。

「でも、それだけじゃない。火影って、憧れの名前だけじゃないんだろ。前に立つ責任の形だ。里を家として守って、壊れたものを繋いで、次へ渡すための場所だ」

裏葉。

その言葉が、胸の奥に浮かんだ。

前世で得た家の名。表から外れた葉でも、同じ木から生まれた葉であることに変わりはない。落ちた葉でも、そこに家は作れる。表にあるものだけが木の葉ではない。

「俺のうちはは、裏葉に満ちたうちはだ」

六道仙人は、意味を測るように黙った。

オビトは続けた。

「中心にいる奴だけじゃない。外れた家も、見落とされた人も、落ちた葉も、裏返った葉も、それでも木の葉だって言える里にしたい。俺は、そういう火影になりたい」

口にしてから、少しだけ恥ずかしくなった。

四歳児が庭で何を語っているのか。冷静に考えるとかなり変だ。祖母に聞かれたら、賢い子を通り越して心配される。だが、六道仙人の前では、もう今さらだった。

六道仙人は長く黙っていた。

その沈黙は重いが、不快ではない。問いを投げた者として、答えを受け止めている沈黙だった。やがて老人は、ゆっくりと目を伏せた。

「お主の中には、確かに深い罪と後悔がある」

否定はしなかった。

「されど、それだけではない。お主を地に縛るものと、前へ押すものが共にある。憎しみだけで瞳を燃やした者とは違う。救えなかったものに囚われながら、なお救う方へ手を伸ばそうとしておる」

六道仙人の声は静かだった。

「危うい在り方じゃ。手の届く範囲と言いながら、その手を広げすぎれば、また己を削ることにもなる。前に立つ者は、時に背負いすぎる。強き者ほど、己が倒れれば何が失われるかを忘れてはならぬ」

五条悟の背中が、一瞬浮かんだ。

軽く笑って、大丈夫だと言って、前に立ち続けた人。最強であることを、呪いのようにも、誇りのようにも背負っていた人。

オビトは小さく頷いた。

「分かってる。たぶん、何回も忘れそうになるけど」

「忘れる前提か」

「俺、放っておけないから」

六道仙人が、少しだけ呆れたような顔をした。

「自覚があるなら、なお悪い」

「それな」

言ってから、しまったと思った。

六道仙人が「それな」とは何じゃ、という顔をしている。説明する気力はない。前世の呼吸がうっかり出た。こういうところが、たまにまずい。

だが、老人は追及しなかった。

「うちはオビト」

改めて名を呼ばれる。

「忍者学校へ入る頃には、わしは一度退こう」

オビトは瞬きをした。

「退く?」

六道仙人は、いつものように静かな顔で頷いた。

「これから先は、お主自身で進む時じゃ。幼き身に過ぎた力を持つお主を、わしは観察してきた。異物として、火種として、そして一人の子として」

風が止む。

「だが、常に外から見られておれば、人は己の足で歩くことを忘れる。お主はもう、己が何を為したいかを言葉にした。ならば、その先はお主自身が選べ」

寂しい、とは思わなかった。

相手は六道仙人だ。家族でもなければ、師でもない。だが、赤ん坊の頃から何度も現れ、困惑し、突っ込み、時に忠告してきた存在だった。神格めいているくせに、オビトの中では少し妙な位置にいる。

いなくなると言われると、変な感じがした。

「もう来ないのか」

問いは思ったより子どもっぽくなった。

六道仙人は、わずかに目を細めた。

「その歩み、見届けることはやめぬがな」

ああ。

やっぱり来るんじゃん。

そう思ったら、少しだけ肩の力が抜けた。完全に消えるわけではないらしい。表へ出る頻度を減らすだけなのだろう。こちらが困った時、あるいは向こうが必要だと判断した時には、また現れるに違いない。

「じゃあ、忍術かどうかの確認は?」

「忍術ではないものを忍術と言い張るのは、ほどほどにせよ」

「忍術です」

「まだ言うか」

「言う」

六道仙人は深く息を吐いた。

その顔が、どこか以前より柔らかく見えたのは、夕暮れの光のせいだけではない気がした。

「頑固な子よ」

「うちはだからな」

「うちはは皆、頑固では済まぬ」

「知ってる」

二人の間に、静かな間が落ちた。

庭の向こうから、祖母の声がした。

「オビト、煎餅を食べるならお茶も飲みなさい」

「はーい」

返事をしてから、オビトは六道仙人を見た。

「じゃ、行く。婆ちゃん待ってるし」

「行くがよい」

六道仙人はそう言って、少しだけ身を引いた。姿が薄くなる。完全に消える直前、その声がもう一度だけ届いた。

「お主の火が、再び世を焼くものではなく、誰かを照らすものとなるか。見ておるぞ」

重い。

最後に重い。

オビトは一瞬だけ顔をしかめ、それから小さく笑った。

「見てろよ」

子どもの声で、けれど本気で言う。

「今度は、ちゃんと繋ぐから」

六道仙人の姿が消えた。

庭には夕暮れの風だけが残る。オビトはゴーグルの縁に触れ、縁側へ戻った。祖母が湯呑みを用意している。煎餅の香ばしい匂いがして、畳の上には夕日が長く伸びていた。

大きな答えを口にしたあとで、することは祖母と茶を飲むことだった。

それでいい。

そういう日常を守るために、夢をもう一度持つのだから。

オビトは縁側に腰を下ろし、祖母から湯呑みを受け取った。

「庭で何をしてたんだい」

「考えごと」

「四歳がする考えごとかねえ」

「うん。けっこう大事なやつ」

祖母は呆れたように笑い、オビトの頭を軽く撫でた。

「なら、煎餅を食べながら考えなさい。腹が空いてちゃ、いい考えも浮かばないよ」

それは真理だった。

オビトは煎餅をかじった。

火影になる。

手の届くものを救う。

裏返った葉も、落ちた葉も、木の葉として繋ぐ。

その夢は、昔より少しだけ重く、けれど昔より確かに自分の足元にあった。


〆栞
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