忍者学校初日

忍者学校初日の朝、うちはオビトは走っていた。

遅刻しそうだからではない。

いや、正確には、このままだと遅刻しそうだから走っている。だが寝坊したわけでも、支度に手間取ったわけでもなかった。祖母ちゃんは朝から念入りに荷物を確認し、髪を整え、ゴーグルの位置まで直してくれた。朝飯も食べた。忘れ物もない。家を出た時刻も悪くなかった。

なのに、今、走っている。

理由は簡単だった。

「腰がねえ、最近ちょっと痛くてねえ」

「荷物、重いだろ。こっち持つから」

一人目。

「おや、オビトくんじゃないかい。忍者学校かい?」

「うん。そこ段差あるから気をつけて」

二人目。

「すまないねえ、これを向こうの家まで届けたいんだけど」

「俺が持ってく」

三人目。

四人目。

五人目。

ヤバい。

ヤバいヤバいヤバい。

今世も、お年寄り遭遇率が異様に高い。

特級お年寄りキラーは健在でした。

いや待て。これに特級とかいう概念いるか? いらない。いらないけど、前世の自分を思うと、どうしてもその言葉が頭をよぎる。呪霊と戦い、宿儺と戦い、特級術師として働きまくった結果が、今世初登校前のお年寄り対応である。

悪いことではない。

悪いことではないが、時間がない。

オビトは道端で杖をついた老人を家の前まで送り届け、深く息を吸った。周囲を確認する。人目はない。建物の影、塀の向こう、屋根の上。気配も薄い。今ならいける。

「影分身の術」

小さな煙が弾け、オビトが数人に増えた。

全員、五歳児である。

五歳児の介護ヘルパー集団が出動した。

絵面がやばい。

自分でやっておいて何だが、かなりやばい。

「東の通り!」

「市場前!」

「神社の階段!」

「荷物持ち!」

「迷子対応!」

分身たちが短く役割を分け、散った。五歳児のくせに判断が速すぎる。だが今は細かいことを気にしている場合ではない。

絶対に遅刻しねェからな。

初日から遅刻。

駄目だ。

前々世の自分を思えば、遅刻そのものに妙な懐かしさがある。老人を助けて遅刻する、という流れも、ひどく覚えがある。だが、今世でまで初日からそれをやるのは避けたい。祖母ちゃんに何と言えばいい。忍者学校初日、道中のお年寄り対応で遅刻しました。普通にありそうで困る。

三十一歳。

二十一歳。

五歳。

合計五十七歳は必死だった。

分身の一人が老婆の荷物を持ち、別の分身が老人を手すりのある道へ誘導し、また別の分身が転びそうな子どもを支えた。周囲の年配者たちは、最初こそ驚いていたが、すぐに「あらまあ」「器用だねえ」「マヒトさんの子は本当に気が利くねえ」とにこにこし始めた。

やめて。

初日から妙に気が利く子として認識されている。

お年寄りキラー確定である。

しかも、かなり強い。

特級クラス。

泣きたい。

オビト本体は、その隙に学校へ向かった。道を曲がり、建物が見えてくる。忍者学校。前々世でも通った場所。懐かしいはずなのに、胸の奥が妙にざわつく。

前々世の記憶はある。

だが、今世は今世だ。

同じようで同じではない。自分はあの頃のオビトでありながら、あの頃のままではない。前々世と前世の記憶を持ち、五歳の身体でここにいる。そう考え始めると、だいたいろくなことにならないので、いったん思考を端に寄せた。

教室へ入る前に、軽く息を整える。

ゴーグルの位置を確認する。

写輪眼は出ていない。

大丈夫。

普通にする。

普通に。

普通って何だっけ、という問いは今は無視した。

戸を開けると、子どもたちの声が流れ込んできた。

一瞬、足が止まった。

懐かしい顔ぶれが、そこにいた。

マイト・ガイ。

猿飛アスマ。

夕日紅。

森乃イビキ。

エビス。

その他にも、前々世の記憶の中で見たことのある顔がいくつもある。大人になった姿、戦場での姿、里での姿。それらが頭の奥で重なり、目の前では全員が小さい。

ミニ化している。

いや、当たり前だ。同年代の子どもなのだから小さい。オビト自身も五歳だ。だが、中身の年齢を考えると、どうしても妙な視点になる。

可愛い。

ほんとに可愛い。

待て。

感情がやばい。

膝が少し落ちかけた。

駄目だ。ここで崩れるな。いきなり情緒不安定な変な奴扱いになる。初日から教室の入口で膝から崩れるうちはの子。怖い。普通に怖い。

崩れるな俺。

立て直せ俺。

オビトは何とか平静を装い、教室へ入った。空いている席を探す。子どもたちの視線がちらほら向く。ゴーグルをつけたうちはの子。外れの家の子。噂の中では、落ちこぼれ扱いの子。

まあ、落ちこぼれである。

少なくとも、表向きは。

前々世の自分も、よくそう言われていた。今世でもそのあたりはあまり変わらないらしい。変わったのは、中身が五十代になっていることくらいだ。

いや、違う。

その数字はやめろ。

三十一歳と二十一歳と五歳を足すな。孫がいてもおかしくない年齢になる。今世を足すな。泣けてくる。この年齢概念は廃棄だ。捨てろ。今すぐ捨てろ。

子どもになろう。

頑張ろう。

俺は、うちはの落ちこぼれだ。

自虐としても少し苦いが、今はそれくらいでちょうどいい。

窓際に空いた席を見つけ、オビトは腰を下ろした。荷物を置き、教室内をさりげなく見渡す。ガイはすでに元気が有り余っている。アスマは少しだるそうに座っている。紅は背筋を伸ばしていて、イビキは子どもながら妙に落ち着いている。エビスは身だしなみがきちんとしていた。

みんな、前々世の時と変わらない。

違うのは俺だけ。

そう思いかけて、やめた。

違うのは自分だけではない。今世の彼らは、今ここにいる子どもたちだ。前々世の記憶と重ねすぎるな。今の相手を、今の相手として見る。昨日、自分でそう決めたばかりだ。

教室の前の方に、白い髪が見えた。

カカシだ。

数日前に会っている。はたけサクモの隣で木刀を構えていた、小さな白い牙の息子。今日も背筋が伸び、席に座る姿勢に無駄がない。子どもらしいそわそわした感じが少ない。周囲が騒いでいても、あまり混ざらない。

前々世と同じように、生意気で無愛想な気配がする。

言ったら怒るだろうな。

いや、今は言わない。

カカシがふとこちらを見た。

目が合う。

その視線は淡いが、薄くはなかった。数日前に会ったうちはの子。お使いの帰りと言っていた子。今、同じ教室にいる。そんなふうに見ているのかもしれない。

オビトは軽く手を上げた。

カカシは、ほんの少しだけ目を細めた。

返事はない。

うん。

カカシだ。

それだけで妙に納得してしまい、オビトは少し笑いそうになった。だが、また変な奴扱いされるので堪えた。

その時、教室の戸が開いた。

入ってきた少女を見て、胸が止まりかけた。

のはらリン。

五歳のリン。

やっぱり天使。

いや、違う。違わないけど違う。天使と言うには、こちらの内心が複雑すぎる。前々世のリン。失った人。守れなかった人。ずっと胸の奥にいた人。そのリンが、今世では五歳の子どもとして、同じ教室に入ってきた。

小さい。

可愛い。

なんか、娘。

下手したら孫。

やめろ。

今世を足すな。

年齢概念を捨てろと言ったばかりだろうが。

オビトは内心で頭を抱えた。外には出さない。絶対に出さない。初対面で「孫みたい」と思っていることが顔に出たら終わりだ。いろいろ終わる。自分がつらい。

リンは教室を見回し、空いている席を探した。その目がオビトの隣で止まる。

近づいてくる。

近い。

いきなり近い。

いや、席が空いているから当然なのだが、心の準備が追いつかない。前々世の距離感、喪失、懐かしさ、全部まとめて胸の中で暴れ出す。落ち着け。相手は今世のリンだ。前々世のリンではない。今ここにいる五歳の女の子だ。

リンは隣の席に鞄を置き、にこりと笑った。

「ここ、座ってもいい?」

「うん」

声が普通に出た。

偉い。

今日の俺は偉い。

「ありがとう。私、のはらリン」

柔らかい声だった。

懐かしい声。

でも、今の声。

「うちはオビト」

「よろしくね、オビトくん」

オビトくん。

その呼び方が、胸の奥に直撃した。

懐かしすぎる。

くすぐったい。痛い。温かい。変なところに刺さる。前々世で何度も聞いた呼び方なのに、今世の初対面で聞くと距離感が妙に揺れる。リンに悪気はない。むしろ自然だ。幼い子ども同士で、くん付けは普通だ。

普通だが、こちらの中身が普通ではない。

これは駄目だ。

ずっと呼ばれたら、こっちの情緒が保たない。

「あー……」

リンが少し首を傾げる。

「オビトでいいよ」

言ってから、早かったかと思った。

だが、声は自然に出た。前々世の距離感を押しつけたいわけではない。ただ、あまりに懐かしい呼び方をそのまま受け続けるのが、少し難しかっただけだ。今世のリンと向き合うためにも、変に昔の響きへ沈まない方がいい。

リンは少し驚いた顔をした。

「いいの?」

「うん。同じ教室だし」

理由としては雑だが、子ども同士なら通る。たぶん通る。

リンは一拍置いて、それから嬉しそうに笑った。

「じゃあ、オビト」

うわ。

呼び捨ても呼び捨てで効く。

結局効く。

駄目だ。逃げ場がない。

オビトは何とか平静を保ち、頷いた。

「うん。リンでいい?」

「うん」

あまりにも自然に成立した。

それはそれで、少し危ない。周囲から見れば、初日から距離が近いように見えるかもしれない。実際、近く見えている可能性は高い。

そして、その視線の一つが、すでに刺さっていた。

カカシだ。

前の方の席から、こちらを見ている。

無表情に近い。だが、目が動いている。リンとオビトのやり取り、呼び方、距離感。そのあたりを淡々と拾っている顔だった。数日前に会った時、オビトはすでにカカシをカカシと呼んでいる。初対面にしては近い呼び方だった。今さらかもしれない。

いや、でも視線が刺さる。

何だその目。

落ちこぼれの噂と違うとか思ってるのか。いや、まだ何もしていない。まだ名前を呼んだだけだ。普通。普通のはず。

リンがカカシの視線に気づいた。

「はたけくん?」

カカシは一瞬、リンを見た。

それから、短く言った。

「オレもカカシでいい」

教室のざわめきの中で、その声は大きくはなかった。だが、近くにいる者には十分聞こえた。

リンが少し驚く。

「いいの?」

「別に」

短い。

やっぱり短い。

カカシは視線を一度オビトへ向け、それからすぐ前を見た。

「同じ教室だし」

それ、さっき俺が言ったやつ。

オビトは内心で突っ込んだ。声には出さない。出したらややこしい。カカシは何食わぬ顔をしているが、何か引っかかったのだろう。リンだけがオビトを呼び捨てにする形が気になったのか、同年代の距離感を揃えただけなのか、あるいは単に観察対象としてこちらとの距離を測ったのか。

全部ありそうで困る。

「じゃあ、カカシ」

リンが素直に呼ぶ。

カカシは小さく頷いただけだった。

「よろしくね。オビト、カカシ」

リンがそう言った瞬間、胸の奥に何かが滲んだ。

懐かしい。

けれど、同じではない。

今ここにいる三人は、前々世のあの日々をなぞるだけの存在ではない。リンはリンだ。カカシはカカシだ。自分も、うちはオビトだ。記憶はある。後悔もある。だが、今世の関係は今ここから作るしかない。

それでいい。

そう思ったところで、教室の戸が開き、教師が入ってきた。

ざわめきが少しずつ収まる。ガイがやたら背筋を伸ばし、アスマが欠伸を噛み殺し、紅が前を向く。イビキはすでに静かだった。エビスは眼鏡を直している。

忍者学校初日。

懐かしくて、騒がしくて、少し眩しい。

オビトは背筋を伸ばした。

普通にする。

目立ちすぎない。

力は抑える。

祖母ちゃんを心配させない。

そう心の中で繰り返す。

その横で、リンが柔らかく笑い、前方でカカシがちらりとこちらを見た。

視線がまた刺さる。

ああ、これはたぶん、すでに少し目立っている。

そんな気がしたが、オビトは気づかなかったことにした。

初日から全部うまくいくほど、人生は甘くない。

けれど、遅刻はしなかった。

そこだけは、今日の勝利だった。


〆栞
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