うちはの落ちこぼれ
第12話「うちはの落ちこぼれ」
うちは集落の中心から離れた、端の方。
そこにある古い家で、祖母と二人で暮らしている子ども。
うちはオビト。
そして、うちはの落ちこぼれ。
自分で自虐的に言う分にはいい。
前々世でも散々言われたし、自分でも認めていた。写輪眼を開くのは遅い。術の習得にも時間がかかる。カカシにはいつも先を行かれ、張り合っては負けて、悔しくて騒いでいた。あの頃の自分を思えば、落ちこぼれという呼び名にも一応の根拠はあった。
だが。
今世でもそう言われているのは、ちょっと解せない。
誰よりも赤ん坊からの脱却は早かった。
寝返りも、立つのも、歩くのも、言葉を覚えるのも早かった。オムツからの卒業だって、それはもう必死だった。第四次忍界大戦首謀者が尊厳をかけて挑んだ一大決戦である。
しかも二歳で三つ巴。
三歳で万華鏡。
呪力、術式、反転術式、忍術もどきまで使える。
表に出していないだけだ。
落ちこぼれてはいない。
隠している。
ここは大きな違いである。
「つーか、誰が言ったんだよ……」
入学二日目の教室で、オビトは机に頬杖をつきたい気持ちを堪えながら、ひそかに息を吐いた。
昨日から、何度か耳に入っている。
集落外れの家の子。
両親を亡くし、祖母に育てられている子。
うちはのくせに、目立った才の噂がない子。
それらが適当に混ざり合い、いつの間にか「うちはの落ちこぼれ」という分かりやすい札になっていたらしい。
迷惑な話だった。
いや、隠すためには都合がいい。
都合はいいのだが、子どもたちの中へ自然に溶け込もうとしている時に、最初から妙な肩書きをつけられるのは困る。
やめろよ。
子どもに溶け込むハードルが高くなるだろ。
前世では特級。
前々世では世界を相手に戦争を起こした。
今世では、うちはの落ちこぼれ。
落差がひどい。
そんなことを考えている間に、教室の前へ教師が立った。
「今日は、今どのくらいできるかを見ていく」
子どもたちの空気が変わった。
昨日は顔合わせと説明が中心だった。今日からは、入学したばかりの子どもたちが何を知り、何ができ、どこから教えるべきかを確かめるらしい。
座学。
手裏剣。
簡単な体術。
それぞれの今の力を見るための確認だった。
試験というほど重いものではない。できないからといって叱られるわけでもなく、今後の教え方を決めるためのものだと説明された。
オビトは静かに頷いた。
なるほど。
現状確認。
つまり、目立たない程度にやればいい。
普通の五歳児。
入学したばかり。
うちはの落ちこぼれ。
そのあたりに合わせる。
六道仙人にも言われた。自分の普通は普通ではない。昨日も、五条先生を模した相手との組手で嫌というほど思い知らされた。
今日は慎重に。
きちんと抑える。
そう決めていた。
最初は座学だった。
紙が配られ、教師が一問ずつ読み上げる。里の基本的な決まり。忍具を扱う際の注意。簡単な文字の読み書き。数の計算。地図の見方。任務中の合図として使われる、初歩的な記号。
簡単だった。
簡単すぎた。
文字を書く手を遅くする。
一度考えるふりをする。
少し迷う。
答えを消して書き直す。
そこまでした。
したのだが。
「うちはオビト」
答案を見た教師が、少し長く黙った。
「はい」
「……全部、合っている」
やっべ。
やっちまった。
教室の何人かが振り返った。リンが素直に目を丸くし、ガイが「すごいな!」という顔をする。アスマは少し眠そうだった目を上げ、紅もこちらを見た。
カカシだけは、驚いた様子を見せなかった。
ただ、視線が刺さる。
昨日より鋭い。
やめろ。
見るな。
満点だった。
少しくらい間違えるつもりだった。だが、どれを間違えるか考えているうちに、手が勝手に正解を書いていた。長年の癖というものは恐ろしい。
教師は答案をもう一度見た。
「家で勉強していたのか?」
「……少し」
嘘ではない。
祖母ちゃんに文字を習った。家に残された書物も読んだ。前々世と前世でも散々文字を読み、報告書を書き、資料をまとめた。
少し。
便利な言葉だ。
次は手裏剣だった。
校庭に並べられた的へ、一人ずつ投げる。距離は近い。入学直後の子ども向けだ。持ち方、立ち方、投げ方を見るだけで、中心へ当てることまでは求められていない。
オビトは手裏剣を受け取った。
重さを確かめる。
昔から使い慣れた感触だった。
力を抜く。
狙いすぎない。
手首を使いすぎない。
中心より、少しだけ外す。
そう決めて投げた。
手裏剣は回転しながら飛び、的の中心へ深く刺さった。
沈黙。
オビトも黙った。
違う。
今のは違う。
少し外すつもりだった。
身体が勝手に補正した。
二枚目。
今度こそ外す。
的の端を狙う。
投げる。
一枚目のすぐ隣へ刺さった。
三枚目。
もう考えるな。
適当に投げろ。
中心へ刺さった。
「……」
教師がこちらを見ている。
ほらー。
引いてるじゃねぇか。
オビトは手裏剣を持ったまま、遠い目になりかけた。どこかで六道仙人が見ているのなら、きっと片手で顔を覆っている。
言わんこっちゃない。
そんな声が聞こえる気がした。
うちはの落ちこぼれは、どこへ行った。
こちらが聞きたい。
カカシが順番を待つ列の中から、じっとオビトの手元を見ていた。
視線が、的から足元へ移る。立ち方、肩、手首。何かを確かめるような目だった。
オビトは気づかないふりをした。
カカシの番になる。
三枚の手裏剣が飛び、いずれも中心近くへ刺さった。
さすがだった。
四歳でこの精度は、普通ではない。周囲から感嘆の声が漏れる。カカシは気にした様子もなく列へ戻ったが、オビトの横を通る時だけ、足をわずかに緩めた。
「落ちこぼれなんじゃなかったの」
小さな声だった。
刺々しい。
「俺もそう聞いてた」
「自分のことだろ」
「勝手に言われてんだよ」
カカシは返事をしなかった。
ただ、少しだけ目を細めて去った。
信用されていない。
実にカカシらしい。
最後は、二人一組で行う簡単な組手だった。
相手へ怪我をさせないこと。顔を強く狙わないこと。押す、避ける、体勢を崩す程度に留めること。教師の合図で必ず止まること。
難しい。
とてつもなく難しい。
強い相手に勝つ方が、よほど簡単だ。
入学したばかりの五歳児として、自然な動きをする。経験を出しすぎない。相手を傷つけない。周囲に違和感を与えない。
第四次忍界大戦首謀者と特級呪術師に課せられた、超難関任務だった。
相手は同じくらいの背丈の少年だった。
緊張している。
肩に力が入り、こちらの動きより自分の足元へ意識が向いている。右手を前に出しているが、踏み込む時は左足から動く癖があるらしい。
見えてしまう。
考えなくても分かる。
困る。
「始め!」
少年が飛び込んできた。
オビトは半歩避けた。
それだけのつもりだった。
相手の腕が横を抜ける。勢いが余る。転びそうになる。反射的に手を伸ばし、背中と腕を支えた。
少年は地面へ倒れず、オビトの腕の中で止まった。
「あぶな」
口から出た。
教師も、見ていた子どもたちも、一瞬黙った。
違う。
今のは勝つ動きではない。
助けただけだ。
相手が怪我をしそうだったから、普通に支えただけである。
少年が驚いた顔でオビトを見た。
「だ、大丈夫?」
オビトが聞くと、少年は数度瞬きをしてから頷いた。
「うん」
組手はやり直しになった。
今度は相手が慎重に来る。オビトも、それらしく腕を上げる。相手の手が肩へ伸びた。少し押される。押された分だけ下がる。子ども同士の力比べに見えるように、足を滑らせる。
ここまではいい。
相手が次に踏み込んだ瞬間、また体勢を崩した。
オビトは腰へ手を添え、力の向きを変えた。
少年がくるりと回り、尻から地面へ座った。
きれいに投げてしまった。
「そこまで!」
教師の声が飛んだ。
やっべ。
またやった。
少年には怪我がない。痛みもほとんどないはずだ。そこは問題ない。問題は、五歳児が相手の勢いを利用して、あまりに自然に投げたことだった。
教師は少し考えるようにオビトを見た。
「どこで今の動きを覚えた?」
「……転ばないようにしたら」
そうなりました。
教師の眉が動く。
信じていない顔だった。
カカシの視線は、もっと露骨だった。
落ちこぼれ。
動きが変。
判断が早い。
座学も手裏剣もできる。
なのに本人は、困ったような顔をするだけで何でもないように立っている。
その目に並んでいる言葉が、見えるようだった。
勘弁してくれ。
普通にしているつもりなんだ。
査定が終わる頃には、オビトの結果は満点に近いものばかりになっていた。
座学は全問正解。
手裏剣は全て中心付近。
組手は無傷で相手を制した。
うちはの落ちこぼれ。
完全に看板が剥がれている。
経験は身を助く。
よく言う。
だが、助けすぎる経験もある。
身体が覚えている。目が拾ってしまう。頭が先に答えを出す。長く生き、戦い、失敗し、学んだものが、五歳児として振る舞おうとするたびに勝手に顔を出す。
五歳児になるって、宿儺に勝つより難しい。
少なくとも、今のオビトにはそう思えた。
休み時間になると、子どもたちが少しずつこちらへ集まってきた。
「オビト、手裏剣すごかったな!」
真っ先に来たのはガイだった。
目が輝いている。
「どうやって投げたんだ!?」
「普通に」
「普通ではなかったぞ!」
六道仙人と同じことを言われた。
つらい。
「家で練習したの?」
紅が少し離れたところから聞いた。
「ちょっとだけ」
「全部真ん中だったじゃん」
別の女子が口を挟む。
「格好よかったね」
「うん」
「組手も、相手を怪我させなかったし」
子どもたちの声が重なる。
好意的だった。
落ちこぼれという噂を笑うのではなく、実際に見たものへ素直に反応している。オビトが思っていたより、子どもたちは柔軟だった。噂より、目の前の出来事の方が強い。
ただ。
女子の視線が、少し妙だった。
昨日までは、ゴーグルをつけたうちはの子を見る好奇心が多かった。今日はそこへ、手裏剣と組手への感心が加わっている。何人かが妙に近い。話しかける声も少し弾んでいる。
オビトには、その理由がよく分からなかった。
単に実技が珍しかったのだろうと思った。
「これ、どうやるの?」
一人の子が、座学で分からなかった箇所を見せてきた。
「ああ、ここは先にこっちを数えるんだよ」
オビトは自然に紙を覗き込んだ。指で順番を示し、答えそのものではなく、考え方だけを教える。
別の子が手裏剣の持ち方を聞く。
「指に力入れすぎ。落とさないくらいでいい」
「こう?」
「もう少しだけ抜いて」
次から次へと来る。
目立たない。
放っておけない。
この二つを同時に守るのは、かなり難しい。
目立ちたくないなら、人の輪から少し離れていればいい。聞かれても適当に濁せばいい。困っているのを見ても、教師へ任せればいい。
だが、それができない。
分からないと言われれば教える。
転びそうなら支える。
困っているなら手を貸す。
そうすると、人が集まる。
「これ、無理じゃね?」
オビトは小さく呟いた。
「何が?」
隣からリンが顔を覗き込んだ。
近い。
「いや、何でもない」
「そう?」
リンは不思議そうにしたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、さっきオビトが教えていた紙を見る。
「教えるの、上手だね」
「そうか?」
「うん。答えだけ言わないし」
「答えだけ聞いても、次に同じのが出たら困るだろ」
言ってから、少し大人っぽすぎたかと思った。
リンはただ素直に頷いた。
「そっか」
一方、少し離れた席にいたカカシは、こちらを見ていた。
今日一日で何度目だろう。
視線が刺さる。
子どもたちに囲まれるオビト。
質問へ答えるオビト。
手裏剣の持ち方を直すオビト。
落ちこぼれという噂とは、何一つ噛み合わない。
カカシは自分から近づいてこない。ただ、見ている。時々、こちらが気づくと目を逸らす。いや、正確には逸らすというより、見る必要がなくなったように前へ戻す。
可愛げがない。
四歳児とは思えない。
まあ、こちらも五歳児とは思われていないかもしれないが。
放課後。
教師の話が終わり、子どもたちが帰り支度を始める。オビトも荷物をまとめた。今朝のように老人へ捕まっても、今日は時間に余裕がある。影分身は使わずに帰りたい。いや、普通は使わない。
祖母ちゃんには、今日の査定についてどう説明しよう。
全部できました。
教師が引いていました。
カカシに疑われています。
どれも言いたくない。
「オビト」
呼ばれて振り向く。
リンが鞄を持って立っていた。
「一緒に帰ろ」
一瞬、時間が止まった。
え。
一緒に。
帰る。
リンと。
いや、普通だ。同じ方向なら一緒に帰るくらいある。教室で隣の席に座り、昨日名前を呼び合うようになった。誘われても何も不自然ではない。
不自然ではないが。
内心では絶叫していた。
リンから一緒に帰ろうと言われた。
五歳のリンに。
今世のリンに。
落ち着け。
顔に出すな。
絶対に変な顔をするな。
オビトは何とか平静を保ち、荷物を持ち上げた。
「うん、帰ろう」
声は普通だった。
たぶん。
偉い。
今日二度目の快挙である。
「オレも」
短い声が飛んだ。
カカシだった。
いつの間にか近くまで来ている。鞄を持ち、いつもの無愛想な顔で立っていた。
オビトは瞬きをした。
リンも少し驚いた顔をする。
「カカシも一緒に帰る?」
「道、途中まで同じだから」
淡々としている。
それだけ。
別に仲良くなりたいわけではない。
ただ道が同じだから。
顔にはそう書いてある。
だが、カカシが自分から「オレも」と言ったこと自体が意外だった。
昨日、リンだけがオビトを呼び捨てにする形へ割り込んできた。
今日は、一緒に帰る話へ入ってきた。
対抗心なのか。
観察の続きなのか。
単に帰り道が同じなのか。
たぶん全部だ。
「じゃあ、三人で帰ろ」
リンが笑った。
天使。
生意気。
落ちこぼれ。
その三人で帰る。
何だこれ。
前々世の記憶を持つオビトの中で、感情が一気に溢れた。懐かしい。眩しい。くすぐったい。何でもない放課後のはずなのに、胸が妙に詰まる。
そんなつもりはなかった。
初日から呼び捨てになって、二日目に一緒に帰ることになるとは思っていなかった。
いや、考えるな。
先の流れを勝手に組み立てるな。
今はただ、学校から家まで一緒に帰るだけだ。
それだけ。
それだけなのに、内心では頭を抱えて地面を転がり回りたかった。
落ち着け俺。
五十代。
違う。
その年齢概念は廃棄した。
俺は五歳。
うちはの落ちこぼれ。
今朝までは。
「オビト?」
リンに呼ばれ、オビトは我に返った。
「何でもない。行こう」
教室を出る。
リンが隣を歩き、カカシが反対側を少し離れて歩く。三人の足音が廊下に響く。まだ距離は揃っていない。会話も多くない。リンが話し、オビトが返し、カカシが時々短く口を挟む。
それで十分だった。
校門を出たところで、朝助けた老婆がオビトを見つけた。
「あら、オビトくん。今日はありがとうねえ」
まずい。
「いえ、別に」
「分身まで出して、みんなを助けてくれてねえ」
リンが振り向いた。
カカシも振り向いた。
オビトは固まった。
老婆はにこにこしている。
「本当に気が利く、いい子だねえ」
やめて。
今それを言わないで。
リンの目が輝いた。
「分身を使ったの?」
カカシの目が細くなった。
「落ちこぼれなんじゃなかったの」
二回目。
「俺に聞くなよ!」
思わず声が出た。
老婆が楽しそうに笑う。リンも少し笑った。カカシだけは笑わず、じっとこちらを見ていた。
うちはの落ちこぼれ。
その肩書きは、入学二日目にして、かなり危うくなっていた。
うちは集落の中心から離れた、端の方。
そこにある古い家で、祖母と二人で暮らしている子ども。
うちはオビト。
そして、うちはの落ちこぼれ。
自分で自虐的に言う分にはいい。
前々世でも散々言われたし、自分でも認めていた。写輪眼を開くのは遅い。術の習得にも時間がかかる。カカシにはいつも先を行かれ、張り合っては負けて、悔しくて騒いでいた。あの頃の自分を思えば、落ちこぼれという呼び名にも一応の根拠はあった。
だが。
今世でもそう言われているのは、ちょっと解せない。
誰よりも赤ん坊からの脱却は早かった。
寝返りも、立つのも、歩くのも、言葉を覚えるのも早かった。オムツからの卒業だって、それはもう必死だった。第四次忍界大戦首謀者が尊厳をかけて挑んだ一大決戦である。
しかも二歳で三つ巴。
三歳で万華鏡。
呪力、術式、反転術式、忍術もどきまで使える。
表に出していないだけだ。
落ちこぼれてはいない。
隠している。
ここは大きな違いである。
「つーか、誰が言ったんだよ……」
入学二日目の教室で、オビトは机に頬杖をつきたい気持ちを堪えながら、ひそかに息を吐いた。
昨日から、何度か耳に入っている。
集落外れの家の子。
両親を亡くし、祖母に育てられている子。
うちはのくせに、目立った才の噂がない子。
それらが適当に混ざり合い、いつの間にか「うちはの落ちこぼれ」という分かりやすい札になっていたらしい。
迷惑な話だった。
いや、隠すためには都合がいい。
都合はいいのだが、子どもたちの中へ自然に溶け込もうとしている時に、最初から妙な肩書きをつけられるのは困る。
やめろよ。
子どもに溶け込むハードルが高くなるだろ。
前世では特級。
前々世では世界を相手に戦争を起こした。
今世では、うちはの落ちこぼれ。
落差がひどい。
そんなことを考えている間に、教室の前へ教師が立った。
「今日は、今どのくらいできるかを見ていく」
子どもたちの空気が変わった。
昨日は顔合わせと説明が中心だった。今日からは、入学したばかりの子どもたちが何を知り、何ができ、どこから教えるべきかを確かめるらしい。
座学。
手裏剣。
簡単な体術。
それぞれの今の力を見るための確認だった。
試験というほど重いものではない。できないからといって叱られるわけでもなく、今後の教え方を決めるためのものだと説明された。
オビトは静かに頷いた。
なるほど。
現状確認。
つまり、目立たない程度にやればいい。
普通の五歳児。
入学したばかり。
うちはの落ちこぼれ。
そのあたりに合わせる。
六道仙人にも言われた。自分の普通は普通ではない。昨日も、五条先生を模した相手との組手で嫌というほど思い知らされた。
今日は慎重に。
きちんと抑える。
そう決めていた。
最初は座学だった。
紙が配られ、教師が一問ずつ読み上げる。里の基本的な決まり。忍具を扱う際の注意。簡単な文字の読み書き。数の計算。地図の見方。任務中の合図として使われる、初歩的な記号。
簡単だった。
簡単すぎた。
文字を書く手を遅くする。
一度考えるふりをする。
少し迷う。
答えを消して書き直す。
そこまでした。
したのだが。
「うちはオビト」
答案を見た教師が、少し長く黙った。
「はい」
「……全部、合っている」
やっべ。
やっちまった。
教室の何人かが振り返った。リンが素直に目を丸くし、ガイが「すごいな!」という顔をする。アスマは少し眠そうだった目を上げ、紅もこちらを見た。
カカシだけは、驚いた様子を見せなかった。
ただ、視線が刺さる。
昨日より鋭い。
やめろ。
見るな。
満点だった。
少しくらい間違えるつもりだった。だが、どれを間違えるか考えているうちに、手が勝手に正解を書いていた。長年の癖というものは恐ろしい。
教師は答案をもう一度見た。
「家で勉強していたのか?」
「……少し」
嘘ではない。
祖母ちゃんに文字を習った。家に残された書物も読んだ。前々世と前世でも散々文字を読み、報告書を書き、資料をまとめた。
少し。
便利な言葉だ。
次は手裏剣だった。
校庭に並べられた的へ、一人ずつ投げる。距離は近い。入学直後の子ども向けだ。持ち方、立ち方、投げ方を見るだけで、中心へ当てることまでは求められていない。
オビトは手裏剣を受け取った。
重さを確かめる。
昔から使い慣れた感触だった。
力を抜く。
狙いすぎない。
手首を使いすぎない。
中心より、少しだけ外す。
そう決めて投げた。
手裏剣は回転しながら飛び、的の中心へ深く刺さった。
沈黙。
オビトも黙った。
違う。
今のは違う。
少し外すつもりだった。
身体が勝手に補正した。
二枚目。
今度こそ外す。
的の端を狙う。
投げる。
一枚目のすぐ隣へ刺さった。
三枚目。
もう考えるな。
適当に投げろ。
中心へ刺さった。
「……」
教師がこちらを見ている。
ほらー。
引いてるじゃねぇか。
オビトは手裏剣を持ったまま、遠い目になりかけた。どこかで六道仙人が見ているのなら、きっと片手で顔を覆っている。
言わんこっちゃない。
そんな声が聞こえる気がした。
うちはの落ちこぼれは、どこへ行った。
こちらが聞きたい。
カカシが順番を待つ列の中から、じっとオビトの手元を見ていた。
視線が、的から足元へ移る。立ち方、肩、手首。何かを確かめるような目だった。
オビトは気づかないふりをした。
カカシの番になる。
三枚の手裏剣が飛び、いずれも中心近くへ刺さった。
さすがだった。
四歳でこの精度は、普通ではない。周囲から感嘆の声が漏れる。カカシは気にした様子もなく列へ戻ったが、オビトの横を通る時だけ、足をわずかに緩めた。
「落ちこぼれなんじゃなかったの」
小さな声だった。
刺々しい。
「俺もそう聞いてた」
「自分のことだろ」
「勝手に言われてんだよ」
カカシは返事をしなかった。
ただ、少しだけ目を細めて去った。
信用されていない。
実にカカシらしい。
最後は、二人一組で行う簡単な組手だった。
相手へ怪我をさせないこと。顔を強く狙わないこと。押す、避ける、体勢を崩す程度に留めること。教師の合図で必ず止まること。
難しい。
とてつもなく難しい。
強い相手に勝つ方が、よほど簡単だ。
入学したばかりの五歳児として、自然な動きをする。経験を出しすぎない。相手を傷つけない。周囲に違和感を与えない。
第四次忍界大戦首謀者と特級呪術師に課せられた、超難関任務だった。
相手は同じくらいの背丈の少年だった。
緊張している。
肩に力が入り、こちらの動きより自分の足元へ意識が向いている。右手を前に出しているが、踏み込む時は左足から動く癖があるらしい。
見えてしまう。
考えなくても分かる。
困る。
「始め!」
少年が飛び込んできた。
オビトは半歩避けた。
それだけのつもりだった。
相手の腕が横を抜ける。勢いが余る。転びそうになる。反射的に手を伸ばし、背中と腕を支えた。
少年は地面へ倒れず、オビトの腕の中で止まった。
「あぶな」
口から出た。
教師も、見ていた子どもたちも、一瞬黙った。
違う。
今のは勝つ動きではない。
助けただけだ。
相手が怪我をしそうだったから、普通に支えただけである。
少年が驚いた顔でオビトを見た。
「だ、大丈夫?」
オビトが聞くと、少年は数度瞬きをしてから頷いた。
「うん」
組手はやり直しになった。
今度は相手が慎重に来る。オビトも、それらしく腕を上げる。相手の手が肩へ伸びた。少し押される。押された分だけ下がる。子ども同士の力比べに見えるように、足を滑らせる。
ここまではいい。
相手が次に踏み込んだ瞬間、また体勢を崩した。
オビトは腰へ手を添え、力の向きを変えた。
少年がくるりと回り、尻から地面へ座った。
きれいに投げてしまった。
「そこまで!」
教師の声が飛んだ。
やっべ。
またやった。
少年には怪我がない。痛みもほとんどないはずだ。そこは問題ない。問題は、五歳児が相手の勢いを利用して、あまりに自然に投げたことだった。
教師は少し考えるようにオビトを見た。
「どこで今の動きを覚えた?」
「……転ばないようにしたら」
そうなりました。
教師の眉が動く。
信じていない顔だった。
カカシの視線は、もっと露骨だった。
落ちこぼれ。
動きが変。
判断が早い。
座学も手裏剣もできる。
なのに本人は、困ったような顔をするだけで何でもないように立っている。
その目に並んでいる言葉が、見えるようだった。
勘弁してくれ。
普通にしているつもりなんだ。
査定が終わる頃には、オビトの結果は満点に近いものばかりになっていた。
座学は全問正解。
手裏剣は全て中心付近。
組手は無傷で相手を制した。
うちはの落ちこぼれ。
完全に看板が剥がれている。
経験は身を助く。
よく言う。
だが、助けすぎる経験もある。
身体が覚えている。目が拾ってしまう。頭が先に答えを出す。長く生き、戦い、失敗し、学んだものが、五歳児として振る舞おうとするたびに勝手に顔を出す。
五歳児になるって、宿儺に勝つより難しい。
少なくとも、今のオビトにはそう思えた。
休み時間になると、子どもたちが少しずつこちらへ集まってきた。
「オビト、手裏剣すごかったな!」
真っ先に来たのはガイだった。
目が輝いている。
「どうやって投げたんだ!?」
「普通に」
「普通ではなかったぞ!」
六道仙人と同じことを言われた。
つらい。
「家で練習したの?」
紅が少し離れたところから聞いた。
「ちょっとだけ」
「全部真ん中だったじゃん」
別の女子が口を挟む。
「格好よかったね」
「うん」
「組手も、相手を怪我させなかったし」
子どもたちの声が重なる。
好意的だった。
落ちこぼれという噂を笑うのではなく、実際に見たものへ素直に反応している。オビトが思っていたより、子どもたちは柔軟だった。噂より、目の前の出来事の方が強い。
ただ。
女子の視線が、少し妙だった。
昨日までは、ゴーグルをつけたうちはの子を見る好奇心が多かった。今日はそこへ、手裏剣と組手への感心が加わっている。何人かが妙に近い。話しかける声も少し弾んでいる。
オビトには、その理由がよく分からなかった。
単に実技が珍しかったのだろうと思った。
「これ、どうやるの?」
一人の子が、座学で分からなかった箇所を見せてきた。
「ああ、ここは先にこっちを数えるんだよ」
オビトは自然に紙を覗き込んだ。指で順番を示し、答えそのものではなく、考え方だけを教える。
別の子が手裏剣の持ち方を聞く。
「指に力入れすぎ。落とさないくらいでいい」
「こう?」
「もう少しだけ抜いて」
次から次へと来る。
目立たない。
放っておけない。
この二つを同時に守るのは、かなり難しい。
目立ちたくないなら、人の輪から少し離れていればいい。聞かれても適当に濁せばいい。困っているのを見ても、教師へ任せればいい。
だが、それができない。
分からないと言われれば教える。
転びそうなら支える。
困っているなら手を貸す。
そうすると、人が集まる。
「これ、無理じゃね?」
オビトは小さく呟いた。
「何が?」
隣からリンが顔を覗き込んだ。
近い。
「いや、何でもない」
「そう?」
リンは不思議そうにしたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、さっきオビトが教えていた紙を見る。
「教えるの、上手だね」
「そうか?」
「うん。答えだけ言わないし」
「答えだけ聞いても、次に同じのが出たら困るだろ」
言ってから、少し大人っぽすぎたかと思った。
リンはただ素直に頷いた。
「そっか」
一方、少し離れた席にいたカカシは、こちらを見ていた。
今日一日で何度目だろう。
視線が刺さる。
子どもたちに囲まれるオビト。
質問へ答えるオビト。
手裏剣の持ち方を直すオビト。
落ちこぼれという噂とは、何一つ噛み合わない。
カカシは自分から近づいてこない。ただ、見ている。時々、こちらが気づくと目を逸らす。いや、正確には逸らすというより、見る必要がなくなったように前へ戻す。
可愛げがない。
四歳児とは思えない。
まあ、こちらも五歳児とは思われていないかもしれないが。
放課後。
教師の話が終わり、子どもたちが帰り支度を始める。オビトも荷物をまとめた。今朝のように老人へ捕まっても、今日は時間に余裕がある。影分身は使わずに帰りたい。いや、普通は使わない。
祖母ちゃんには、今日の査定についてどう説明しよう。
全部できました。
教師が引いていました。
カカシに疑われています。
どれも言いたくない。
「オビト」
呼ばれて振り向く。
リンが鞄を持って立っていた。
「一緒に帰ろ」
一瞬、時間が止まった。
え。
一緒に。
帰る。
リンと。
いや、普通だ。同じ方向なら一緒に帰るくらいある。教室で隣の席に座り、昨日名前を呼び合うようになった。誘われても何も不自然ではない。
不自然ではないが。
内心では絶叫していた。
リンから一緒に帰ろうと言われた。
五歳のリンに。
今世のリンに。
落ち着け。
顔に出すな。
絶対に変な顔をするな。
オビトは何とか平静を保ち、荷物を持ち上げた。
「うん、帰ろう」
声は普通だった。
たぶん。
偉い。
今日二度目の快挙である。
「オレも」
短い声が飛んだ。
カカシだった。
いつの間にか近くまで来ている。鞄を持ち、いつもの無愛想な顔で立っていた。
オビトは瞬きをした。
リンも少し驚いた顔をする。
「カカシも一緒に帰る?」
「道、途中まで同じだから」
淡々としている。
それだけ。
別に仲良くなりたいわけではない。
ただ道が同じだから。
顔にはそう書いてある。
だが、カカシが自分から「オレも」と言ったこと自体が意外だった。
昨日、リンだけがオビトを呼び捨てにする形へ割り込んできた。
今日は、一緒に帰る話へ入ってきた。
対抗心なのか。
観察の続きなのか。
単に帰り道が同じなのか。
たぶん全部だ。
「じゃあ、三人で帰ろ」
リンが笑った。
天使。
生意気。
落ちこぼれ。
その三人で帰る。
何だこれ。
前々世の記憶を持つオビトの中で、感情が一気に溢れた。懐かしい。眩しい。くすぐったい。何でもない放課後のはずなのに、胸が妙に詰まる。
そんなつもりはなかった。
初日から呼び捨てになって、二日目に一緒に帰ることになるとは思っていなかった。
いや、考えるな。
先の流れを勝手に組み立てるな。
今はただ、学校から家まで一緒に帰るだけだ。
それだけ。
それだけなのに、内心では頭を抱えて地面を転がり回りたかった。
落ち着け俺。
五十代。
違う。
その年齢概念は廃棄した。
俺は五歳。
うちはの落ちこぼれ。
今朝までは。
「オビト?」
リンに呼ばれ、オビトは我に返った。
「何でもない。行こう」
教室を出る。
リンが隣を歩き、カカシが反対側を少し離れて歩く。三人の足音が廊下に響く。まだ距離は揃っていない。会話も多くない。リンが話し、オビトが返し、カカシが時々短く口を挟む。
それで十分だった。
校門を出たところで、朝助けた老婆がオビトを見つけた。
「あら、オビトくん。今日はありがとうねえ」
まずい。
「いえ、別に」
「分身まで出して、みんなを助けてくれてねえ」
リンが振り向いた。
カカシも振り向いた。
オビトは固まった。
老婆はにこにこしている。
「本当に気が利く、いい子だねえ」
やめて。
今それを言わないで。
リンの目が輝いた。
「分身を使ったの?」
カカシの目が細くなった。
「落ちこぼれなんじゃなかったの」
二回目。
「俺に聞くなよ!」
思わず声が出た。
老婆が楽しそうに笑う。リンも少し笑った。カカシだけは笑わず、じっとこちらを見ていた。
うちはの落ちこぼれ。
その肩書きは、入学二日目にして、かなり危うくなっていた。
【〆栞】