白い牙の息子

はたけカカシは、噂をそのまま信じる方ではなかった。

誰かが強いと言われていても、実際に動くところを見るまでは判断しない。弱い、鈍い、才能がないと笑われている相手についても同じだった。周囲の言葉は、見る者の都合や感情で簡単に形を変える。

それでも、うちはオビトについて聞いていた話と、目の前にいる本人との間には、少しどころではない隔たりがあった。

うちは集落の端に住む子。

両親を亡くし、祖母と暮らしている。

目立った才能もなく、一族の中では落ちこぼれと呼ばれている。

入学前にカカシが知っていたのは、その程度だった。

数日前、父との修行中に見かけた時も、特別強そうには見えなかった。額にゴーグルをつけ、買い物包みを抱えた、少し妙に落ち着いた子ども。それだけだった。

ただ、こちらを見る目が変だった。

初対面の相手を見る目ではない。

驚いたようで、懐かしそうで、少し痛そうな顔をしていた。すぐに隠したが、カカシは見逃さなかった。

そして忍者学校へ入って二日目。

座学は満点。

手裏剣はすべて中心付近。

組手では、相手を傷つけることなく体勢を崩した。

どれも、偶然では片づけられない。

特に組手が変だった。

相手の動きを見てから避けたのでは遅い。踏み込む前に重心の移り方を読み、進む先から身体を外していた。転びかけた相手を支えた時も、慌てて手を伸ばしたようには見えなかった。腕と背中へ手を添える位置が正確で、勢いまで殺していた。

二度目には、そのまま相手を投げた。

力任せではない。

相手の勢いを使った。

入学したばかりの子どもが、偶然できる動きではなかった。

それなのに、本人は失敗したような顔をしていた。

うまくできたことに驚いたのではない。

やりすぎたことに気づいた顔だった。

カカシは頬杖もつかず、前を向いたまま、斜め後ろの気配を拾っていた。

授業は簡単な文字と記号の確認へ移っている。教師が板へ書いた内容を、子どもたちが手元の紙へ写していた。

オビトも筆を動かしている。

速すぎない。

周囲に合わせているようにも見える。

隣のリンが一文字を書き間違え、紙を見て困った顔をした。オビトはすぐに気づいたが、答えを指で示すことはしなかった。

「そこ、一つ前の形と比べてみろよ」

小声で言う。

リンが見比べ、書き直す。

「あ、そっか。ありがとう、オビト」

「ん」

そのやり取りは自然だった。

教えることに慣れている。

そのことも引っかかる。

休み時間になれば、別の子どもが手裏剣の持ち方を聞きに来る。オビトは嫌がりもせず、自分の指を見せながら教えた。

「握りすぎると、投げる時に引っかかる。落とさないくらいでいい」

「こう?」

「もうちょい力抜いて。そう、それくらい」

言葉だけではなく、相手の手元を見て調整している。

落ちこぼれには見えない。

それどころか、ただできるだけでもない。

できない相手がどこで困っているかを見つけるのが早い。

「何見てるの」

不意に声が飛んできた。

カカシは視線を戻した。

いつの間にか、オビトがこちらを見ている。

黒い目。

額にはゴーグル。

「別に」

「さっきから見てるだろ」

「見てない」

「見てる」

「自意識過剰なんじゃないの」

短く返すと、オビトが少し顔をしかめた。

その反応も、妙に大人びていた。腹を立てるより先に、どう答えるか考えているように見える。

「……四歳児に自意識過剰って言われた」

小さく呟く。

「聞こえてる」

「聞こえるように言った」

「なら、独り言じゃないだろ」

「細かいなあ」

オビトが額を押さえた。

本当に頭が痛いような仕草だった。

カカシは目を細める。

「落ちこぼれなんでしょ」

「またそれかよ」

「違うなら違うって言えば」

「俺が言い始めたんじゃねぇって」

「でも否定してない」

オビトの口が止まった。

周囲では、ガイが別の子どもへ大きな声で話しかけている。少し離れたところでリンが紅と何か話していた。こちらへ気を向けている者はいない。

オビトは声を落とした。

「否定したら、今度は何で隠してたって言われるだろ」

「隠してたの」

「言葉の綾だよ」

返事が早い。

だが、その前にほんの短い間があった。

カカシは見逃さなかった。

「何を隠してるの」

「何も」

「嘘」

「即答すんな」

「答える前に考えた」

「普通考えるだろ」

「何もないなら考えない」

オビトは黙った。

その顔に、面倒くさい、と書いてある。

カカシは視線を外さなかった。

やはり何かある。

術を隠しているのか。

実力を隠しているのか。

誰かに教わっていたのか。

家で練習しただけなら、あの組手の動きは説明できない。手裏剣だけなら、うちはの家で教わった可能性もある。座学も祖母に習ったと言えば通る。だが、全部が揃うとおかしい。

何より、本人が自分の実力に驚いていない。

「カカシ」

リンの声がした。

二人そろって振り向く。

リンが紙を手に立っていた。

「ここの意味、分かる?」

カカシは紙へ目を落とした。簡単な方角と地図記号の問題だった。

答えようとした時、後ろで椅子が倒れる音がした。

一人の子どもが、机の脚へ足を引っかけたらしい。身体が横へ傾き、机の角へ頭をぶつけそうになる。

オビトが動いた。

カカシより先だった。

二歩。

椅子の背を片手で押さえ、反対の手で子どもの肩を支える。倒れかけた机も足で止めた。

音はした。

だが、誰も怪我をしなかった。

「大丈夫か?」

「あ……うん」

「足、痛くない?」

「平気」

「ならいいけど、次は椅子引いてから立てよ」

叱るというより、確かめる声だった。

子どもが恥ずかしそうに頷く。

教師が近づいてくるより早く、オビトは倒れた椅子を戻した。机の上から落ちた紙も拾い、持ち主へ渡す。

ごく自然に。

考えるより先に動いたように見えた。

それなのに、動きには無駄がなかった。

カカシはその一連を黙って見ていた。

「ほら」

戻ってきたオビトが、リンの紙を覗き込む。

「どこが分かんない?」

「ここ。印と方角が一緒になると、ちょっと迷って」

「ああ、それなら先に道の向きを決めればいい」

何事もなかったように説明を始める。

カカシは横から紙を見た。

「その印は、建物の入口を示してる。道の向きだけ見たら逆になる」

リンが二人の顔を交互に見る。

「……二人とも、分かるんだね」

「簡単だろ」

カカシが答える。

オビトも頷きかけ、それから少し遅れて首を傾げた。

「まあ、習ったばっかりにしては少しややこしいかもな」

カカシはその横顔を見た。

まただ。

自分が分かることより、リンがどこで迷ったかを先に考えている。

妙なやつ。

落ちこぼれという噂とは違う。

ただ優秀な子どもとも違う。

何かを隠している。

けれど、今の時点で何を隠しているのかまでは分からなかった。

放課後、カカシは一人で帰った。

昨日はリンとオビトに混ざったが、今日は父と修行する約束がある。寄り道をする理由もない。校門を出たところで後ろからガイの大きな声が聞こえたが、振り返らずに歩いた。

家へ着くと、父はすでに戻っていた。

白い髪を後ろでまとめ、台所に立っている。任務帰りらしいが、疲れた様子は表に出ていない。鍋から湯気が立ち、出汁の匂いが部屋に広がっていた。

「おかえり、カカシ」

「ただいま」

「学校はどうだった?」

靴を脱ぎながら、カカシは少し考えた。

「普通」

「そうか」

サクモは笑わなかった。

無理に聞き出そうともしない。ただ、用意していた皿を机へ置いた。

カカシは荷物を片づけ、手を洗って座る。食事が始まってしばらくしてから、口を開いた。

「父さん」

「うん?」

「この前会ったうちはの子、覚えてる?」

「オビトくんかい」

名前をすぐに出した。

カカシは箸を止める。

「知ってたの」

「彼のお父さんとは、何度か任務で一緒になったことがある」

それ以上、サクモはすぐに続けなかった。思い出を選ぶような短い間がある。

「マヒトは、静かな男だったよ。余計なことは言わないけれど、周りをよく見ていた。任せたことはきちんとやる人だった」

「オビトも?」

「カカシには、どう見えた?」

質問で返された。

カカシは少し眉を寄せた。

「変」

サクモの目がわずかに和らぐ。

「ずいぶん短いね」

「落ちこぼれって聞いてた。でも座学は全部できた。手裏剣も外さない。組手の動きもおかしい」

「おかしい?」

「入学したばかりの動きじゃない」

箸を置き、手元で動きを再現する。

「相手が踏み込む前に避けてた。転ぶ方向も分かってた。投げる時も、力を使ってない」

サクモは静かに聞いている。

「それに、誰かが困るとすぐ動く。考えてないみたいに見えるけど、失敗しない」

「よく見ていたんだね」

「見れば分かる」

「そうだね」

否定されなかったことが、少し気に入らない。

「何か隠してる」

「本人に聞いたのかい?」

「聞いた。何もないって言った」

「なら、今はそう受け取っておけばいい」

カカシは顔を上げた。

「嘘でも?」

サクモは少し考えてから答えた。

「人には、話せないこともある。話したくないこともある。それだけで悪い人間とは限らないよ」

「でも、任務なら困る」

「今は学校だ」

穏やかな声だったが、言葉ははっきりしていた。

「相手を知ろうとするのは悪くない。けれど、答えを急ぎすぎると、見えるものまで見えなくなることがある」

カカシは黙った。

納得したわけではない。

ただ、父の言葉を無視するほど軽くも考えていなかった。

「父さんは、オビトを知ってるの」

「まだ少ししか知らないよ」

サクモは湯気の向こうで、静かに目を細めた。

「けれど、マヒトの息子なら、噂だけで決めない方がいいと思っている」

マヒトの息子。

カカシはその言葉を頭の中で繰り返した。

落ちこぼれ。

うちは集落の外れの家。

ゴーグルをつけた、妙に落ち着いた子ども。

授業では満点を取り、困っている相手へ迷わず手を伸ばす。

どれも一つの形にまとまらない。

「明日も見る」

カカシが言うと、サクモは小さく笑った。

「ほどほどにね」

「何で」

「ずっと見られていると、オビトくんも落ち着かないだろう」

カカシは返事をしなかった。

落ち着かなくさせている自覚は、少しだけあった。

その日の放課後、忍者学校の職員室では、入学した子どもたちの初期評価がまとめられていた。

机の上には答案と記録用紙が積まれている。文字の理解、計算、忍具への適性、体力、反応、集団行動。教師たちは一人ずつ所見を書き込み、必要な補足を添えていく。

その中の一枚で、筆が止まった。

うちはオビト。

座学、全問正解。

手裏剣、極めて高い命中精度。

体術、同年代の水準を大きく上回る。

反応、判断ともに良好。

教師は記録を見直した。

「この子、事前の話とずいぶん違うな」

同僚が紙を覗き込む。

「うちはの外れ家の子か」

「ああ。目立った教育を受けているとは聞いていない」

「家で教わっていたんじゃないのか?」

「座学と手裏剣なら、それでも通る。だが組手が妙だった」

教師は筆先で体術欄を示した。

「勝ち方を知っているというより、相手を傷つけずに止めることへ慣れている。入学した子どもの動きには見えなかった」

「うちはなら、早いうちから身内に教わることもある」

「両親は亡くなっている。祖母と二人暮らしだ」

二人の間に短い沈黙が落ちた。

記録には、朝の登校前に影分身を使っていたという話も添えられている。目撃した年配者から学校へ伝わったものだった。初歩の術とはいえ、入学二日目の子どもが複数体を動かし、それぞれ別の相手を助けていたという。

教師は紙を重ね直した。

「火影様へ上げよう」

特定の子どもだけを特別扱いするためではない。入学時点で教える側の想定を大きく外れた者がいれば、報告することになっている。

夕刻、書類は火影塔へ運ばれた。

猿飛ヒルゼンは執務机で報告を受け取り、一枚ずつ目を通した。幼い子どもたちの名と、初日の所見。できること、苦手なこと、教室での様子。

やがて、ある名で指が止まる。

うちはオビト。

ヒルゼンは書面を読み、ゆっくり煙管を置いた。

座学。

忍具。

体術。

影分身。

そして、他の子どもへ自然に手を貸す様子。

「うちはマヒトの子か」

呟きは静かだった。

外れの家で祖母と暮らす、五歳の子ども。

目立った才の報告は、これまで上がっていない。

その子が、忍者学校へ入った途端、教える側の想定を越えた結果を並べている。

ヒルゼンはもう一度、体術の所見へ目を戻した。

相手を傷つけず制する。

状況判断が早い。

動作に迷いが少ない。

しばらく考えた後、書類を閉じることはせず、机の脇へ分けた。

「少し、見ておく必要があるのう」

誰に聞かせるでもなく、そう言った。

窓の外では、里の夕暮れが始まっていた。

忍者学校の二日目。

うちはの落ちこぼれと呼ばれていた子どもの名が、初めて火影の机の上に置かれた。


〆栞
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