祓除

忍者学校へ通い始めて、一週間が過ぎた。

結論から言えば、五歳児は難しい。

授業の内容そのものではない。文字も計算も、忍具の基礎も、身体の使い方も、困るほどではなかった。むしろ、できすぎることの方が問題だった。分かる問題を適度に迷い、避けられる攻撃を少し遅れて避け、投げれば当たる手裏剣を不自然にならない場所へ散らす。

それらを同時に考えながら、周囲の子どもに合わせて振る舞う。

宿儺と殴り合うより神経を使う。

少なくとも、今のオビトにはそう思えた。

そのうえ、カカシがいる。

「今の、わざと外したでしょ」

放課後の帰り道、隣を歩く白い頭が、また妙に鋭いことを言った。

「何の話だよ」

「手裏剣」

「外れただけだって」

「昨日は三枚とも同じ場所に当てた」

「昨日が調子良かったんじゃね?」

「今日は投げる前に的の端を見てた」

可愛げがねぇ。

オビトは心の中で吐き捨てた。

四歳児だぞ。

もう少し子どもらしく、失敗を見て笑うとか、素直に信じるとか、そういう可愛らしい反応があってもいいのではないか。どうして投げる前の視線まで確認している。忍者学校へ入って一週間の子どもがする観察ではない。

いや、こちらが言えることではなかった。

中身を考えれば、圧倒的に自分の方が反則である。

「カカシ、そんなにオビトのこと見てたの?」

二人の間を歩いていたリンが、柔らかく首を傾げた。

カカシの足が、ほんの少しだけ鈍る。

「見てない」

「見てるだろ」

オビトが即座に返すと、カカシの目が細くなった。

「オビトが変なことするから目につくだけ」

「俺は普通に授業受けてんの」

「普通?」

「そこで疑問形にすんな」

「二人とも、また喧嘩?」

リンが困ったように笑う。

「喧嘩じゃない」

「こいつが勝手に絡んでくるだけ」

返事が重なった。

リンは一度瞬きをし、それから小さく笑った。

「息ぴったりだね」

「どこが」

今度も二人の声が揃った。

リンの笑みが少し深くなる。

天使だ。

オビトの胸中に、反射的な言葉が浮かんだ。

待て。

踏み止まれ、五十七歳。

いや、その年齢概念は廃棄したはずだ。三十一と二十一と五を足すな。足したところで何の意味もない。今ここにいる自分は五歳で、リンも五歳。娘だの孫だのと考え始めるから情緒がおかしくなる。

オビトは心の中に十トンほどありそうな巨大な槌を用意し、精神年齢という札ごと叩き割った。

砕けろ。

粉々になれ。

今だけは子どもになれ、俺。

「オビト?」

リンが顔を覗き込んでいた。

「何でもない」

「急に遠い目してたけど」

「ちょっと自分の中の余計な概念を壊してた」

「何それ」

リンは不思議そうに笑った。

カカシは笑わなかった。

「やっぱり変」

「お前にだけは言われたくねぇよ」

「オレのどこが変なの」

「四歳のくせに人の手裏剣投げる前の視線まで見てるところ」

「見るでしょ、普通」

「見ねぇよ」

「見れば分かる」

「だから可愛げがねぇんだよ」

口に出た。

カカシが足を止めた。

「……可愛げ?」

しまった。

オビトも止まる。

リンが二人を交互に見た。

カカシの顔は無表情に近かったが、目だけが明らかに不機嫌になっている。四歳児の男児に可愛げを求める五歳児。言葉だけ拾うと、かなり妙だった。

「言葉の綾」

「便利だね、それ」

「覚えなくていいからな」

「使ってる本人が言う?」

また刺された。

本当に可愛げがない。

けれど、その生意気な返しも、短い言葉も、前々世で知っていたカカシによく似ていた。まだ父を失っていない。まだ、すべてを規則で切り分けるほど硬くはなっていない。それでも元から持っている鋭さと不器用さは、もう十分に表へ出ている。

オビトは一瞬だけ、白い横顔を見た。

カカシがすぐにこちらを振り向く。

「何」

「別に」

「今見てた」

「自意識過剰なんじゃないの」

前に言われた言葉をそのまま返すと、カカシの眉間に皺が寄った。

少しだけ勝った気がした。

「ほら、二人とも。置いていくよ」

先へ進んだリンが振り返り、手を振る。

オビトとカカシは顔を見合わせた。

「お前のせいで遅れた」

「オビトが止まったんでしょ」

「先に止まったのはカカシだろ」

言い合いながら、二人でリンを追う。

学校へ通い始めてから、一緒に帰るのはこれで何度目かになる。毎日ではない。カカシが父との修行で先に帰る日もあれば、リンが家の用事で別の道を選ぶ日もある。それでも、三人の帰り道は少しずつ増えていた。

リンが話す。

オビトが答える。

カカシが横から刺す。

オビトが言い返す。

リンが笑う。

まだ友人と呼ぶには、カカシとの間に棘が多い。カカシはオビトを疑っているし、オビトもそれを分かっている。けれど、同じ道を歩くこと自体は、いつの間にか不自然ではなくなっていた。

分かれ道で、リンが足を止めた。

「じゃあ、また明日ね」

「また明日」

オビトが手を上げる。

カカシは小さく頷いた。

「また明日、カカシ」

リンに名を呼ばれ、カカシは一拍置いてから答えた。

「うん」

短いが、最初の頃よりわずかに硬さが薄い。

リンが道の向こうへ消えるまで見送ったあと、オビトは自分の家へ続く方角へ足を向けた。カカシも途中までは同じ道だ。

「なあ」

「何」

「毎回俺のこと見張るのやめろよ」

「見張ってない」

「じゃあ観察」

「オビトが隠すのをやめたら、見る必要もなくなる」

「何も隠してねぇって」

「嘘」

「即答すんなって何回言わせんだ」

カカシは返事をせず、前を向いた。

しばらく歩いたところで道が分かれる。

「じゃあな」

オビトが言うと、カカシは足を止めないまま片手をわずかに上げた。

「明日」

可愛げがない。

だが、それでいい。

オビトは小さく笑い、自宅へ戻った。

家では祖母ちゃんが夕飯の支度を始めていた。台所には切った野菜が並び、鍋から湯気が立っている。

「おかえり、オビト」

「ただいま」

「悪いけど、味噌を買ってきてくれるかい。少し足りなくてね」

「いいよ」

鞄を置くと、祖母ちゃんが小さな財布を差し出した。

「日が落ちる前に戻るんだよ」

「分かってる」

「寄り道しない」

「しない」

「困ってる人を見つけても、周りを見てから」

「……分かってるって」

最後だけ返事が少し遅れた。

祖母ちゃんの目が細くなる。

「その間が心配なんよ」

「ちゃんと帰ってくるから」

「当たり前だよ」

以前にも交わした言葉だった。

オビトはゴーグルの位置を直し、財布を握って家を出た。

夕方の里は、昼とは違う顔をしている。

任務帰りの忍が通り、店先では夕餉の品を求める者たちが行き交う。家々から煮炊きの匂いが漂い、子どもを呼ぶ声が道の向こうから聞こえる。日が傾き、長く伸びた影が塀や屋根へ重なっていた。

その影の中に、異形がいる。

学校へ通い始めてから、日中は意識して見ないようにしていた。見えても、すぐに反応しない。人前で何もない場所を目で追えば、不審に思われる。低級のものなら、通り過ぎるまで放っておくこともある。

だが、数を改めて見ると多い。

塀に張りつく、痩せた手のようなもの。

軒下に丸まる、黒い肉塊。

人混みの隙間を這い、誰かの肩へ指を伸ばす細長い影。

戦の最中だ。

人が死ぬ。

残された者が嘆く。

任務へ向かう者は恐れ、帰りを待つ者は不安を抱える。憎しみも、後悔も、怒りも、悲しみも、行き場を失ったまま里の中へ積もっている。

第三次忍界大戦絡みだろうな。

すべてが戦だけから生まれたわけではないにせよ、これだけ感情が乱れれば増えるのも当然だった。

人がいるだけ、呪いは生まれる。

当たり前か。

オビトは歩調を変えず、周囲を見渡した。

すべて祓えばいいというものでもない。

形を得たばかりで、誰にも触れず、ただ薄暗い場所へ留まっているもの。力も弱く、害意すら定まっていないものまで追い回せば、時間がいくらあっても足りない。

人へ明確に手を伸ばすもの。

身体や心へ取りつこうとするもの。

放置すれば育ち、害を及ぼす可能性が高いもの。

まずはそこを基準にする。

味噌を買いに出ただけだ。

祖母ちゃんを待たせるわけにはいかない。

オビトは人の流れへ紛れながら、細く意識を広げた。

店の軒先。

老婆の背後へ、歪んだ口を開いた呪霊が近づいている。

視線は向けない。

指先も動かさない。

ただ、呪力で対象を捉える。

「解」

声にはしなかった。

細い切断が走る。

呪霊の身体が音もなく分かれ、黒い塵となって消えた。老婆は何も知らず、買った野菜を籠へ入れている。

少し先では、犬ほどの大きさの呪霊が、泣いている幼子の影へ潜ろうとしていた。

形と強度を測る。

先ほどより硬い。

「捌」

相手に合わせて切断が走る。

黒い身体が細かく裂け、地面へ届く前に崩れた。

便利だ。

便利すぎる。

宿儺の術式、有能すぎて草なんだが。

奪っておいて良かった。

ありがとう、呪いの王。

どこかで宿儺が聞いていれば、軽くどころではなく怒る気がする。自分の術式を、五歳児が夕飯の買い物ついでに低級呪霊の処理へ使っているのだ。しかも感謝までされている。

不敬にもほどがある。

だが、使えるものは使う。

写輪眼に焼きついた術の構造は、すでに自分の中へ落ちている。元の持ち主がどう思うかは知らない。もう殴り合うこともないのだから、文句があるなら夢にでも出てくればいい。

いや、出てくるな。

睡眠の質が落ちる。

味噌を買い、包みを受け取る。

帰り道へ入る頃には、日はさらに傾いていた。人通りの少ない路地を選び、オビトは一度立ち止まる。

屋根の上に一体。

井戸の陰に二体。

道の先に、複数の小さな気配。

人目はない。

オビトは近くの桶へ視線を向けた。底に少しだけ残った水が震える。細い糸となって持ち上がり、空中で幾つにも分かれた。

血を操る時と同じ。

圧縮。

加速。

軌道を変える。

水の針が音もなく飛ぶ。

屋根の上の呪霊を貫き、そのまま軌道を折って井戸の陰へ回る。一体の喉を裂き、もう一体の胴へ巻きつく。逃げようとした黒い塊を水の糸が締め上げた。

赤血操術の運用練習にもなるな。

血では目立つ。

水なら、多少の痕跡が残っても不自然ではない。周囲の水分を拾い、形を与え、速度と圧力を制御する。術式そのものを知らない者が見れば、特殊な水遁にしか見えないだろう。

水の糸をほどく。

残った呪霊が壁を這い、屋根へ逃れようとした。

オビトは指を軽く上げた。

水滴が一点へ集まる。

圧縮された水が、細い線となって放たれた。

呪霊の頭部を貫き、その背後の壁へ小さな傷を残す。

「……ちょっと強いな」

威力を落とす必要がある。

呪霊だけを抜き、建物には届かせない。前世なら周囲を気にせず祓う場面もあったが、ここは木ノ葉の里だ。家も、道も、人の暮らしもある。術の出力より、止める位置の方が大事になる。

また調整しよう。

水を桶へ戻し、壁の傷へ手を触れる。浅い。目立つほどではない。念のため、土と水で表面を馴染ませておく。

そこまでしてから、オビトは味噌の包みを抱え直した。

自分は今、何をしているのだろう。

忍者学校の帰りに、祖母ちゃんから夕飯の買い物を頼まれ、道すがら呪霊を選別して祓い、宿儺の術式を使い、水で赤血操術の練習をしている。

五歳児の夕方ではない。

だが、不思議と嫌ではなかった。

呪いを見つける。

害を測る。

必要なら祓う。

誰にも知られず、誰かが傷つく前に終わらせる。

その判断は、もう身体の深いところへ根づいている。

前々世の自分なら、想像もしなかっただろう。

忍として生まれ、うちはの名を背負い、火影を夢見て、やがて世界を敵に回した自分が、別の世界で呪術師になった。呪いを見て、祓い、反転術式で人を治し、仲間と並んで戦った。

その時間は、今も自分の中にある。

「根っこは、もう呪術師なんだな」

小さく呟き、オビトは苦笑した。

忍であることを捨てたわけではない。

うちはであることも、木ノ葉の子であることも変わらない。

ただ、その根に別のものが絡んでいる。血とチャクラだけではない。呪力と術式、前世で得た戦い方、人を救うために選び続けた判断。

どちらか一つではなく、全部が自分なのだろう。

路地の出口へ近づいた時、背後で小さな気配が動いた。

振り返る。

塀の上に、子どもの顔ほどの呪霊が一体いた。こちらを見ている。人へ近づく様子はなく、ただ身体を丸めて震えていた。

オビトは少しだけ観察した。

害意は薄い。

力も弱い。

今すぐ祓う必要はない。

「そっちから出てくんなよ」

通じるとは思わず、低く言う。

呪霊は首らしき部分を引っ込めた。

オビトはそれ以上構わず、歩き出した。

全部を祓う必要はない。

全部へ手を伸ばせるわけでもない。

だが、害を成すものは見過ごさない。

今は、それでいい。

家へ戻ると、空にはまだわずかに明るさが残っていた。

「ただいま」

「おかえり。遅くならなかったね」

祖母ちゃんが台所から顔を出す。

「味噌」

「ありがとう」

包みを渡すと、祖母ちゃんはオビトの服へ目を向けた。土もついていない。水も跳ねていない。呪霊を祓ってきたことなど、当然分かるはずもない。

「寄り道しなかったかい」

「してない」

祓除は道中である。

たぶん寄り道には入らない。

祖母ちゃんは少し疑わしそうに見たが、やがて味噌の包みを開いた。

「手を洗っておいで」

「はーい」

オビトは素直に返事をし、手洗い場へ向かった。

水に触れた指先へ、先ほど操った感覚がわずかに残っている。水の針。糸。圧縮。切断。まだ調整できる。もっと小さく、もっと正確に、周囲へ何も残さず祓える。

考え始めてから、ふと止まった。

夕飯前だ。

今は術のことより、手を洗う。

当たり前の生活を守るために祓っているのに、術のことばかり考えて日常を置き去りにしたら本末転倒だ。

台所から祖母ちゃんの声が飛んだ。

「オビト、ぼんやりしてないで早くおし」

「分かってるって」

返事をして、手を洗う。

湯気の立つ鍋。

味噌の匂い。

祖母ちゃんの背中。

外では、見えない呪いがまだ蠢いている。

それでも家の中には、夕飯を待つ時間があった。

オビトは布で手を拭き、台所へ戻った。


〆栞
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