やらかし継続中
手裏剣術、一位。
忍術、一位。
体術、一位。
座学、一位。
並べられた評価を見た瞬間、うちはオビトは静かに目を閉じた。
待って。
違う。
そうじゃない。
自分が求めていたのは、これではない。
周囲に溶け込み、力を隠し、目立ちすぎない程度に授業を受ける。できないふりをして誰かの足を引っ張る気はないが、教師の想定を片端から飛び越えていくつもりもなかった。
それなのに、結果は見事な一位の列である。
手裏剣は外そうとすれば、かえって狭い範囲へ揃った。
忍術は出力を絞れば、制御の精密さで評価された。
組手は攻めずに守れば、相手へ一切怪我をさせない判断力を褒められた。
座学は間違いを混ぜようとしても、何を間違えるべきか考えているうちに正解を書いていた。
逃げ道がない。
「オビト、全部一番だね」
隣のリンが、素直に感心した声を上げた。
「……そうみたいだな」
返事に力が入らない。
リンは不思議そうに首を傾げた。
「嬉しくないの?」
「嬉しくないわけじゃないんだけど」
嬉しいか嬉しくないかで言えば、褒められるのは悪くない。努力や結果を認められること自体は、素直に受け取っていいものだと思う。
問題は、これが予定していた結果ではないことだった。
「何か困るの?」
「いろいろ」
「いろいろって?」
答えられない。
力を隠したい。
普通の五歳児へ溶け込みたい。
前々世と前世の経験を抱えたまま、何も知らない子どものふりをすることに失敗している。
どれもリンへ言える話ではなかった。
少し離れた席から、視線が刺さる。
カカシだ。
また見ている。
いや、もう隠す気すらないのではないか。頬杖こそついていないが、こちらの様子をまっすぐ観察している。白い髪の下にある目は、相変わらず鋭かった。
オビトが視線を返すと、カカシは短く言った。
「一位になって困るなんて変なの」
「お前にゃ分かんねぇ悩みがあるんだよ」
「一位になりたくないなら、最初から間違えればいい」
簡単に言う。
できるならやっている。
「間違えようとして変になったら、お前がまた見るだろ」
「やっぱり間違えようとしてるんだ」
しまった。
オビトは口を閉じた。
カカシの目がさらに細くなる。
誘導された。
四歳児に。
「今のなし」
「聞いた」
「忘れろ」
「嫌だ」
可愛げがない。
本当に可愛げがない。
リンが二人の顔を見比べ、困ったように笑った。
「でも、わざと間違えるのはよくないと思うよ」
正論が来た。
オビトは肩を落とした。
「はい……」
リンへは強く言い返せない。
カカシが小さく鼻を鳴らした。
「リンに言われたら聞くんだ」
「言い方の問題だよ」
「オレも同じこと言った」
「お前は人を追い詰める言い方すんだよ」
「隠す方が悪い」
また始まりそうになったところで、教師が教室へ入ってきた。
子どもたちが席へ戻る。
オビトも前を向いたが、嫌な予感がした。
教師の手には、普段より多くの紙がある。教卓へ置いた後、すぐには授業を始めず、教室をゆっくりと見渡した。
その視線が、オビトのところで一瞬止まる。
やめて。
何か試そうとしている顔だ。
前回、高学年向けらしい経路選択の問題を黒板へ出され、条件ごとの対応を全部書いてしまった。その後も教師は、時々授業内容より難しい問いを混ぜるようになっている。
それをことごとく正解している自分も悪い。
悪いのだが、教師側もそろそろ諦めてほしい。
今日は基礎的な任務判断を扱う座学だった。
里の外で依頼人を護衛している途中、予定していた道が崩れていた場合、どうするか。
子どもたちがそれぞれ意見を出す。
近くの別の道へ行く。
一度戻る。
高い場所から周囲を見る。
誰かを先に行かせる。
教師は一つずつ拾い、危険や利点を説明した。
ここまでは普通だった。
だが授業の終わりが近づいた頃、教師は黒板の端へ新しい図を描き始めた。
山道。
森。
川。
依頼人の現在地。
味方の人数。
想定される敵の位置。
さらに、天候と時間帯まで書き加えられる。
教室の何人かが、すでに理解を諦めた顔になった。
オビトも別の意味で黒板を見つめた。
待て。
明らかに難しくなっている。
入学したばかりの子どもたちへ出す問題ではない。前回より条件が増えている。正解が一つではなく、何を優先するかによって動きが変わる。
教師は白墨を置いた。
「この状況で、依頼人を守りながら目的地へ向かう方法を考えてもらう」
何人かが順に指名された。
ガイは敵がいるなら正面から突破すると答え、教師から依頼人の安全を先に考えるよう言われた。
アスマは川沿いの道を選び、地形について追加で問われると少し顔をしかめた。
紅は森を迂回する案を出した。
リンは一度安全な場所へ戻って状況を確認すると答えた。
カカシは地図を見つめ、短く答えた。
「依頼人を森の手前で待たせて、二人で先を確認する。敵がいるなら川沿いは使わない。雨で水量が増えてるし、逃げ道が減る」
教師が頷く。
「待たせる場所の安全はどう確保する?」
「一人残す」
「味方は三人だ。偵察へ二人出せば、依頼人を守る者は一人になる」
「近くに罠を張る。戦うんじゃなく、接近を知らせるだけでいい」
四歳児の回答ではない。
いや、カカシも十分おかしい。
こっちだけが目立っているような顔をしているが、お前も大概だからな。
オビトがそう思っていると、教師がこちらを見た。
来た。
「うちはオビト」
「……はい」
指名された。
またか。
「前へ出て、今の答えへ補足しなさい」
補足。
何をどこまで。
オビトは立ち上がった。
教室の前へ向かいながら、必死に考える。
カカシの答えは悪くない。むしろ、この条件で子どもが出すものとしては十分すぎる。そこへ最低限の補足だけを加えればいい。
白墨を受け取る。
黒板へ向く。
味方三人。
依頼人一人。
夕方から雨。
敵の位置は不明。
目的地までは山道を越える必要がある。
最低限。
絶対に書きすぎるな。
オビトはまず、カカシの示した待機地点へ印をつけた。
「この場所は森と崖に挟まれていて、近づける方向が少ない。罠を置くなら、この二か所」
そこまではよかった。
「でも、依頼人を一人と護衛一人で残すなら、逃げ道を先に作っておく。敵が複数だった場合、罠で気づいても、その場へ留まったら囲まれるから」
別の線を引く。
「偵察へ二人行く必要もない。一人は高い位置から道と森を見る。もう一人は依頼人の近くに残って、見張り役からの合図を受ける」
白墨が動く。
「目的地へ急ぐ必要があるなら、川の水量を確認して、渡れる場所を先に探す。ただし、依頼人が荷物を持っているなら川は避ける。足場を取られた時に守れない」
さらに書く。
「敵が追ってくるなら、戦って倒すことより、どの道を使わせないかを決めた方がいい。木を倒すか、崖側へ誘導するか、煙で視界を切る。依頼人の位置は最後まで見せない」
そこで、オビトは一度息をついた。
静かだった。
教室が。
教師も。
子どもたちも。
黒板には、カカシの答えへ補足するどころか、状況別の行動手順がきれいに整理されていた。
教師が教える時より、分かりやすく。
逃走経路。
監視位置。
敵への妨害。
依頼人の状態による変更。
味方が負傷した場合の分岐まで。
ハッとした時には、もう遅かった。
やった。
またやった。
教師より教師みたいな解答を書いてしまった。
五歳児が。
入学して間もない五歳児が。
「……うちは」
教師の声が、少し掠れている。
「はい」
「なぜ、敵を倒すことより道を制限する方を選んだ?」
答えるな。
短く。
子どもらしく。
オビトはそう思った。
「依頼人を守るのが目的だからです。敵を追って離れたら、護衛じゃなくなるし」
完璧に答えた。
馬鹿。
俺の馬鹿。
「味方が負傷した場合まで書いたのは」
「誰も怪我しないとは限らないから」
また答えた。
教師が黙った。
オビトも黙った。
ですよね。
その反応になりますよね。
白墨を置き、席へ戻る。
途中、ガイが尊敬の目で見ていた。リンも感心したように黒板を振り返っている。
カカシだけは、オビトから目を逸らさなかった。
席へ座ると、すぐ前から小さな声が飛んだ。
「どこで覚えたの」
「……いろいろ考えたら、そうなった」
「考えただけで、あそこまで書けるわけない」
「書けたんだから仕方ないだろ」
「仕方なくない」
今日のカカシは、いつもより声が硬かった。
オビトはその理由を測りかねた。
疑っているのは以前からだ。だが、今の目にはそれだけではないものが混ざっている。苛立ち。納得できなさ。負けたくないという意地。
カカシは前を向いた。
小さな背中が、いつもより張って見えた。
授業が終わった後、教室ではオビトの周りに子どもたちが集まった。
「さっきの、どうやって考えたんだ?」
「地図見たら分かるだろ」
「分かんないよ!」
「敵が来たら倒せばいいんじゃないのか?」
ガイが真剣に聞いてくる。
「倒せる相手ならな。でも守る相手がいる時は、そっちから離れすぎない方がいい」
「なるほど!」
素直だ。
あまりに素直なので、教えすぎそうになる。
別の子が黒板の内容を紙へ写しきれなかったらしく、オビトへ見せてきた。
「ここ、何て書いてた?」
「見張る場所。高いところに一人置くって書いた」
「何で高いところ?」
「遠くまで見えるから。あと、煙とか合図も見つけやすい」
答えてから気づく。
また教えている。
しかも自然に。
「オビト、先生みたいだね」
リンが笑った。
「やめてくれ」
本気で答えた。
教師にまでなったら、もう五歳児へ戻る道が完全に消える。
「分かりやすいって意味だよ」
「それでも複雑なんだよ、俺の心が」
「何で?」
「いろいろあるんだよ」
最近こればかりだ。
説明できないことを、全部いろいろで済ませている。
少し離れた場所で、カカシがこちらを見ていた。
質問へ答えるオビト。
分からない子へ紙を見せるオビト。
教師が黒板へ書いた内容より、整理された説明をするオビト。
その目は、もう単に秘密を探るものではなかった。
授業で一位を取るだけなら、気にしなかったかもしれない。
カカシ自身、できることを褒められるのは珍しくない。周囲より早く覚え、正確にこなし、教師から期待を向けられる。それが普通だった。
だが、オビトはその前へいる。
何をしても一位。
それを喜ばない。
むしろ困った顔をする。
出せる力を出して勝っているのではなく、隠しきれずに結果が出ているように見える。
それが、腹立たしかった。
自分は本気で答えた。
地図を見て考え、最善だと思ったものを言った。
オビトはその答えを受けた上で、当然のように先を書いた。
しかも、得意げな顔一つしなかった。
カカシは手元の紙を握った。
悔しい。
その言葉を認めるのは、さらに腹が立った。
家へ戻った後も、機嫌は直らなかった。
はたけ家の食卓で、サクモは向かいに座る息子を静かに見た。
カカシはいつも通り食事をしている。
姿勢も崩れていない。
箸の使い方も変わらない。
だが、口数がいつも以上に少なかった。
「学校で何かあったのかい」
「別に」
即答だった。
サクモは追及せず、汁物へ箸を伸ばした。
しばらく沈黙が続く。
やがてカカシが口を開いた。
「父さん」
「うん」
「五歳で、護衛中の動き方を全部考えられると思う?」
サクモの手が止まった。
「状況によるね」
「地図を見ただけで、待ち伏せと負傷者と逃げ道まで考えた」
誰の話かは聞くまでもなかった。
「オビトくんかい」
カカシの眉が動く。
「何で分かるの」
「最近、カカシが学校の話をする時は、彼のことが多いから」
「多くない」
「そうかな」
サクモは穏やかに言った。
カカシは不満そうに黙り込み、飯を一口食べる。
「今日も一位だった」
「そうか」
「全部」
手裏剣も。
忍術も。
体術も。
座学も。
一つずつ挙げる声は淡々としていたが、そのたびに硬くなる。
「カカシはどうだった?」
「……二位が多かった」
「悔しいのかい」
「別に」
二度目の即答。
今度は少し早すぎた。
サクモは笑わなかった。
「悔しいと思うことは、悪くないよ」
「悔しくない」
「そうか」
「ただ、納得できないだけ」
「何が?」
カカシは少し考えた。
「できるのに、できないふりをするところ」
その答えに、サクモは静かに目を細めた。
「オレが聞いても、何も隠してないって言う。なのに授業では、わざと遅く動いたり、外そうとしたりする。それでも一位になる」
「よく見ているね」
「見れば分かる」
いつもの言葉だった。
けれど今日は、そこに悔しさが混ざっている。
「次は負けない」
カカシが小さく言った。
サクモは一拍置いてから、頷いた。
「うん」
それ以上、諭すことはしなかった。
息子の中で、うちはオビトという名の位置が変わり始めている。噂と実物が噛み合わない、気になる子どもから、自分の前を歩く相手へ。
その変化を、サクモは静かに受け止めた。
同じ頃、忍者学校の職員室では、担当教師が評価表を前に固まっていた。
うちはオビト。
手裏剣術、第一位。
忍術、第一位。
体術、第一位。
座学、第一位。
筆先が紙の上で止まる。
以前の所見には、早熟、理解力が高い、基礎能力が優れていると書いた。
それでは足りない。
書き直す。
極めて優秀。
それでも足りない。
高い判断力を持つ。
五歳児へ使う表現として正しいのか分からない。
実戦的な思考。
なぜ実戦的なのか説明がつかない。
教師は頭を抱えた。
秀才。
天才。
どちらの言葉も近いようで、どこか違う。
教えたことを早く理解するだけではない。教えていないことまで、当然のように組み立てる。正解を出すだけでなく、他の子どもへ分かるように説明する。
そして、結果を出すたびに本人が青ざめる。
「もう、やだ……何なんだ、この子……」
思わず声が漏れた。
隣の教師が同情するように評価表を覗き込む。
「またうちはの子か」
「まただ」
「今回は何をした」
担当教師は、黒板から書き写した解答を差し出した。
同僚はしばらく読み、静かに紙を戻した。
「……火影様へ上げた方がいいな」
「分かっている」
分かっているが、報告書の書き方が分からない。
五歳児が教師の想定以上の解答をした。
それだけなら簡単だ。
問題は、それが何度も続いていることだった。
評価欄の書き直しは、放課後になっても終わらなかった。
一方、うちは集落では、学校から持ち帰られた話が少しずつ広がっていた。
「オビトがまた一番だったそうだ」
「何の話だ?」
「全部だよ。手裏剣も、術も、座学も」
「落ちこぼれではなかったのか」
「誰が言い始めたんだ、そんな話」
以前とは言葉の向きが違う。
集落の端に住む子。
両親を失い、祖母と暮らす子。
目立った教育も受けていない、外れの家の子。
そこへ学校での評価が加わった。
手裏剣を外さない。
術の制御が巧い。
組手では相手を傷つけない。
難しい問題にも答える。
周囲の子どもへ教えるのも上手い。
落ちこぼれという呼び名は、もう事実として語られていなかった。
ただの間違った噂だったのではないか。
幼すぎて、才が見えなかっただけではないか。
マヒトの子なら、不思議ではない。
そんな声が増えていく。
話はやがて、警務部隊にも届いた。
フガクは任務報告へ目を通している最中、部下の何気ない言葉で顔を上げた。
「うちはオビトが?」
「はい。忍者学校で、かなり高い評価を受けているそうです」
フガクは報告書へ視線を戻さなかった。
以前、お使いの途中で会った子どもを思い出す。
ゴーグルを額につけ、買い物包みを抱えていた。
妙に落ち着いていたが、言葉は年相応だった。少なくとも、そう見えた。
マヒトの息子。
その認識が、以前よりはっきりと胸へ浮かぶ。
マヒトは、己の力を誇示する男ではなかった。必要なことを、必要な時に行う。無駄に声を上げず、評価を求めず、任務では確実に働いた。
息子もまた、表へ出していなかっただけなのか。
「誰が教えている」
「特定の者がついているという話はありません。祖母と二人暮らしです」
フガクの目がわずかに細くなる。
「そうか」
短く答え、再び書類へ目を落とす。
それ以上は何も言わなかった。
だが、うちはオビトという名は、もう集落外れに住む遺児としてだけでは収まらなかった。
マヒトの子。
学校で頭角を現し始めた子ども。
そして、これまで何をしていたのか分からない子。
静かに気にかけるだけだったフガクの意識へ、その存在がもう一歩近づいていた。
当のオビトは、その噂の変化をまだ知らない。
翌日の授業で、評価表を返され、四項目すべてに一位の印がついているのを見ていた。
リンは笑っている。
ガイは負けないと燃えている。
カカシは不機嫌そうにこちらを見ている。
教師は疲れた顔をしている。
オビトは紙を両手で持ち、遠い目になった。
「……落ちこぼれって、どこ行ったんだろうな」
「オビトが壊したんでしょ」
カカシが即座に返した。
「壊したかったわけじゃねぇよ」
「なら次はオレが一位になる」
「え」
カカシの目は本気だった。
疑いだけではない。
明確にこちらを追う目だった。
オビトは評価表を見下ろした。
やらかしは、まだ終わらないらしい。
忍術、一位。
体術、一位。
座学、一位。
並べられた評価を見た瞬間、うちはオビトは静かに目を閉じた。
待って。
違う。
そうじゃない。
自分が求めていたのは、これではない。
周囲に溶け込み、力を隠し、目立ちすぎない程度に授業を受ける。できないふりをして誰かの足を引っ張る気はないが、教師の想定を片端から飛び越えていくつもりもなかった。
それなのに、結果は見事な一位の列である。
手裏剣は外そうとすれば、かえって狭い範囲へ揃った。
忍術は出力を絞れば、制御の精密さで評価された。
組手は攻めずに守れば、相手へ一切怪我をさせない判断力を褒められた。
座学は間違いを混ぜようとしても、何を間違えるべきか考えているうちに正解を書いていた。
逃げ道がない。
「オビト、全部一番だね」
隣のリンが、素直に感心した声を上げた。
「……そうみたいだな」
返事に力が入らない。
リンは不思議そうに首を傾げた。
「嬉しくないの?」
「嬉しくないわけじゃないんだけど」
嬉しいか嬉しくないかで言えば、褒められるのは悪くない。努力や結果を認められること自体は、素直に受け取っていいものだと思う。
問題は、これが予定していた結果ではないことだった。
「何か困るの?」
「いろいろ」
「いろいろって?」
答えられない。
力を隠したい。
普通の五歳児へ溶け込みたい。
前々世と前世の経験を抱えたまま、何も知らない子どものふりをすることに失敗している。
どれもリンへ言える話ではなかった。
少し離れた席から、視線が刺さる。
カカシだ。
また見ている。
いや、もう隠す気すらないのではないか。頬杖こそついていないが、こちらの様子をまっすぐ観察している。白い髪の下にある目は、相変わらず鋭かった。
オビトが視線を返すと、カカシは短く言った。
「一位になって困るなんて変なの」
「お前にゃ分かんねぇ悩みがあるんだよ」
「一位になりたくないなら、最初から間違えればいい」
簡単に言う。
できるならやっている。
「間違えようとして変になったら、お前がまた見るだろ」
「やっぱり間違えようとしてるんだ」
しまった。
オビトは口を閉じた。
カカシの目がさらに細くなる。
誘導された。
四歳児に。
「今のなし」
「聞いた」
「忘れろ」
「嫌だ」
可愛げがない。
本当に可愛げがない。
リンが二人の顔を見比べ、困ったように笑った。
「でも、わざと間違えるのはよくないと思うよ」
正論が来た。
オビトは肩を落とした。
「はい……」
リンへは強く言い返せない。
カカシが小さく鼻を鳴らした。
「リンに言われたら聞くんだ」
「言い方の問題だよ」
「オレも同じこと言った」
「お前は人を追い詰める言い方すんだよ」
「隠す方が悪い」
また始まりそうになったところで、教師が教室へ入ってきた。
子どもたちが席へ戻る。
オビトも前を向いたが、嫌な予感がした。
教師の手には、普段より多くの紙がある。教卓へ置いた後、すぐには授業を始めず、教室をゆっくりと見渡した。
その視線が、オビトのところで一瞬止まる。
やめて。
何か試そうとしている顔だ。
前回、高学年向けらしい経路選択の問題を黒板へ出され、条件ごとの対応を全部書いてしまった。その後も教師は、時々授業内容より難しい問いを混ぜるようになっている。
それをことごとく正解している自分も悪い。
悪いのだが、教師側もそろそろ諦めてほしい。
今日は基礎的な任務判断を扱う座学だった。
里の外で依頼人を護衛している途中、予定していた道が崩れていた場合、どうするか。
子どもたちがそれぞれ意見を出す。
近くの別の道へ行く。
一度戻る。
高い場所から周囲を見る。
誰かを先に行かせる。
教師は一つずつ拾い、危険や利点を説明した。
ここまでは普通だった。
だが授業の終わりが近づいた頃、教師は黒板の端へ新しい図を描き始めた。
山道。
森。
川。
依頼人の現在地。
味方の人数。
想定される敵の位置。
さらに、天候と時間帯まで書き加えられる。
教室の何人かが、すでに理解を諦めた顔になった。
オビトも別の意味で黒板を見つめた。
待て。
明らかに難しくなっている。
入学したばかりの子どもたちへ出す問題ではない。前回より条件が増えている。正解が一つではなく、何を優先するかによって動きが変わる。
教師は白墨を置いた。
「この状況で、依頼人を守りながら目的地へ向かう方法を考えてもらう」
何人かが順に指名された。
ガイは敵がいるなら正面から突破すると答え、教師から依頼人の安全を先に考えるよう言われた。
アスマは川沿いの道を選び、地形について追加で問われると少し顔をしかめた。
紅は森を迂回する案を出した。
リンは一度安全な場所へ戻って状況を確認すると答えた。
カカシは地図を見つめ、短く答えた。
「依頼人を森の手前で待たせて、二人で先を確認する。敵がいるなら川沿いは使わない。雨で水量が増えてるし、逃げ道が減る」
教師が頷く。
「待たせる場所の安全はどう確保する?」
「一人残す」
「味方は三人だ。偵察へ二人出せば、依頼人を守る者は一人になる」
「近くに罠を張る。戦うんじゃなく、接近を知らせるだけでいい」
四歳児の回答ではない。
いや、カカシも十分おかしい。
こっちだけが目立っているような顔をしているが、お前も大概だからな。
オビトがそう思っていると、教師がこちらを見た。
来た。
「うちはオビト」
「……はい」
指名された。
またか。
「前へ出て、今の答えへ補足しなさい」
補足。
何をどこまで。
オビトは立ち上がった。
教室の前へ向かいながら、必死に考える。
カカシの答えは悪くない。むしろ、この条件で子どもが出すものとしては十分すぎる。そこへ最低限の補足だけを加えればいい。
白墨を受け取る。
黒板へ向く。
味方三人。
依頼人一人。
夕方から雨。
敵の位置は不明。
目的地までは山道を越える必要がある。
最低限。
絶対に書きすぎるな。
オビトはまず、カカシの示した待機地点へ印をつけた。
「この場所は森と崖に挟まれていて、近づける方向が少ない。罠を置くなら、この二か所」
そこまではよかった。
「でも、依頼人を一人と護衛一人で残すなら、逃げ道を先に作っておく。敵が複数だった場合、罠で気づいても、その場へ留まったら囲まれるから」
別の線を引く。
「偵察へ二人行く必要もない。一人は高い位置から道と森を見る。もう一人は依頼人の近くに残って、見張り役からの合図を受ける」
白墨が動く。
「目的地へ急ぐ必要があるなら、川の水量を確認して、渡れる場所を先に探す。ただし、依頼人が荷物を持っているなら川は避ける。足場を取られた時に守れない」
さらに書く。
「敵が追ってくるなら、戦って倒すことより、どの道を使わせないかを決めた方がいい。木を倒すか、崖側へ誘導するか、煙で視界を切る。依頼人の位置は最後まで見せない」
そこで、オビトは一度息をついた。
静かだった。
教室が。
教師も。
子どもたちも。
黒板には、カカシの答えへ補足するどころか、状況別の行動手順がきれいに整理されていた。
教師が教える時より、分かりやすく。
逃走経路。
監視位置。
敵への妨害。
依頼人の状態による変更。
味方が負傷した場合の分岐まで。
ハッとした時には、もう遅かった。
やった。
またやった。
教師より教師みたいな解答を書いてしまった。
五歳児が。
入学して間もない五歳児が。
「……うちは」
教師の声が、少し掠れている。
「はい」
「なぜ、敵を倒すことより道を制限する方を選んだ?」
答えるな。
短く。
子どもらしく。
オビトはそう思った。
「依頼人を守るのが目的だからです。敵を追って離れたら、護衛じゃなくなるし」
完璧に答えた。
馬鹿。
俺の馬鹿。
「味方が負傷した場合まで書いたのは」
「誰も怪我しないとは限らないから」
また答えた。
教師が黙った。
オビトも黙った。
ですよね。
その反応になりますよね。
白墨を置き、席へ戻る。
途中、ガイが尊敬の目で見ていた。リンも感心したように黒板を振り返っている。
カカシだけは、オビトから目を逸らさなかった。
席へ座ると、すぐ前から小さな声が飛んだ。
「どこで覚えたの」
「……いろいろ考えたら、そうなった」
「考えただけで、あそこまで書けるわけない」
「書けたんだから仕方ないだろ」
「仕方なくない」
今日のカカシは、いつもより声が硬かった。
オビトはその理由を測りかねた。
疑っているのは以前からだ。だが、今の目にはそれだけではないものが混ざっている。苛立ち。納得できなさ。負けたくないという意地。
カカシは前を向いた。
小さな背中が、いつもより張って見えた。
授業が終わった後、教室ではオビトの周りに子どもたちが集まった。
「さっきの、どうやって考えたんだ?」
「地図見たら分かるだろ」
「分かんないよ!」
「敵が来たら倒せばいいんじゃないのか?」
ガイが真剣に聞いてくる。
「倒せる相手ならな。でも守る相手がいる時は、そっちから離れすぎない方がいい」
「なるほど!」
素直だ。
あまりに素直なので、教えすぎそうになる。
別の子が黒板の内容を紙へ写しきれなかったらしく、オビトへ見せてきた。
「ここ、何て書いてた?」
「見張る場所。高いところに一人置くって書いた」
「何で高いところ?」
「遠くまで見えるから。あと、煙とか合図も見つけやすい」
答えてから気づく。
また教えている。
しかも自然に。
「オビト、先生みたいだね」
リンが笑った。
「やめてくれ」
本気で答えた。
教師にまでなったら、もう五歳児へ戻る道が完全に消える。
「分かりやすいって意味だよ」
「それでも複雑なんだよ、俺の心が」
「何で?」
「いろいろあるんだよ」
最近こればかりだ。
説明できないことを、全部いろいろで済ませている。
少し離れた場所で、カカシがこちらを見ていた。
質問へ答えるオビト。
分からない子へ紙を見せるオビト。
教師が黒板へ書いた内容より、整理された説明をするオビト。
その目は、もう単に秘密を探るものではなかった。
授業で一位を取るだけなら、気にしなかったかもしれない。
カカシ自身、できることを褒められるのは珍しくない。周囲より早く覚え、正確にこなし、教師から期待を向けられる。それが普通だった。
だが、オビトはその前へいる。
何をしても一位。
それを喜ばない。
むしろ困った顔をする。
出せる力を出して勝っているのではなく、隠しきれずに結果が出ているように見える。
それが、腹立たしかった。
自分は本気で答えた。
地図を見て考え、最善だと思ったものを言った。
オビトはその答えを受けた上で、当然のように先を書いた。
しかも、得意げな顔一つしなかった。
カカシは手元の紙を握った。
悔しい。
その言葉を認めるのは、さらに腹が立った。
家へ戻った後も、機嫌は直らなかった。
はたけ家の食卓で、サクモは向かいに座る息子を静かに見た。
カカシはいつも通り食事をしている。
姿勢も崩れていない。
箸の使い方も変わらない。
だが、口数がいつも以上に少なかった。
「学校で何かあったのかい」
「別に」
即答だった。
サクモは追及せず、汁物へ箸を伸ばした。
しばらく沈黙が続く。
やがてカカシが口を開いた。
「父さん」
「うん」
「五歳で、護衛中の動き方を全部考えられると思う?」
サクモの手が止まった。
「状況によるね」
「地図を見ただけで、待ち伏せと負傷者と逃げ道まで考えた」
誰の話かは聞くまでもなかった。
「オビトくんかい」
カカシの眉が動く。
「何で分かるの」
「最近、カカシが学校の話をする時は、彼のことが多いから」
「多くない」
「そうかな」
サクモは穏やかに言った。
カカシは不満そうに黙り込み、飯を一口食べる。
「今日も一位だった」
「そうか」
「全部」
手裏剣も。
忍術も。
体術も。
座学も。
一つずつ挙げる声は淡々としていたが、そのたびに硬くなる。
「カカシはどうだった?」
「……二位が多かった」
「悔しいのかい」
「別に」
二度目の即答。
今度は少し早すぎた。
サクモは笑わなかった。
「悔しいと思うことは、悪くないよ」
「悔しくない」
「そうか」
「ただ、納得できないだけ」
「何が?」
カカシは少し考えた。
「できるのに、できないふりをするところ」
その答えに、サクモは静かに目を細めた。
「オレが聞いても、何も隠してないって言う。なのに授業では、わざと遅く動いたり、外そうとしたりする。それでも一位になる」
「よく見ているね」
「見れば分かる」
いつもの言葉だった。
けれど今日は、そこに悔しさが混ざっている。
「次は負けない」
カカシが小さく言った。
サクモは一拍置いてから、頷いた。
「うん」
それ以上、諭すことはしなかった。
息子の中で、うちはオビトという名の位置が変わり始めている。噂と実物が噛み合わない、気になる子どもから、自分の前を歩く相手へ。
その変化を、サクモは静かに受け止めた。
同じ頃、忍者学校の職員室では、担当教師が評価表を前に固まっていた。
うちはオビト。
手裏剣術、第一位。
忍術、第一位。
体術、第一位。
座学、第一位。
筆先が紙の上で止まる。
以前の所見には、早熟、理解力が高い、基礎能力が優れていると書いた。
それでは足りない。
書き直す。
極めて優秀。
それでも足りない。
高い判断力を持つ。
五歳児へ使う表現として正しいのか分からない。
実戦的な思考。
なぜ実戦的なのか説明がつかない。
教師は頭を抱えた。
秀才。
天才。
どちらの言葉も近いようで、どこか違う。
教えたことを早く理解するだけではない。教えていないことまで、当然のように組み立てる。正解を出すだけでなく、他の子どもへ分かるように説明する。
そして、結果を出すたびに本人が青ざめる。
「もう、やだ……何なんだ、この子……」
思わず声が漏れた。
隣の教師が同情するように評価表を覗き込む。
「またうちはの子か」
「まただ」
「今回は何をした」
担当教師は、黒板から書き写した解答を差し出した。
同僚はしばらく読み、静かに紙を戻した。
「……火影様へ上げた方がいいな」
「分かっている」
分かっているが、報告書の書き方が分からない。
五歳児が教師の想定以上の解答をした。
それだけなら簡単だ。
問題は、それが何度も続いていることだった。
評価欄の書き直しは、放課後になっても終わらなかった。
一方、うちは集落では、学校から持ち帰られた話が少しずつ広がっていた。
「オビトがまた一番だったそうだ」
「何の話だ?」
「全部だよ。手裏剣も、術も、座学も」
「落ちこぼれではなかったのか」
「誰が言い始めたんだ、そんな話」
以前とは言葉の向きが違う。
集落の端に住む子。
両親を失い、祖母と暮らす子。
目立った教育も受けていない、外れの家の子。
そこへ学校での評価が加わった。
手裏剣を外さない。
術の制御が巧い。
組手では相手を傷つけない。
難しい問題にも答える。
周囲の子どもへ教えるのも上手い。
落ちこぼれという呼び名は、もう事実として語られていなかった。
ただの間違った噂だったのではないか。
幼すぎて、才が見えなかっただけではないか。
マヒトの子なら、不思議ではない。
そんな声が増えていく。
話はやがて、警務部隊にも届いた。
フガクは任務報告へ目を通している最中、部下の何気ない言葉で顔を上げた。
「うちはオビトが?」
「はい。忍者学校で、かなり高い評価を受けているそうです」
フガクは報告書へ視線を戻さなかった。
以前、お使いの途中で会った子どもを思い出す。
ゴーグルを額につけ、買い物包みを抱えていた。
妙に落ち着いていたが、言葉は年相応だった。少なくとも、そう見えた。
マヒトの息子。
その認識が、以前よりはっきりと胸へ浮かぶ。
マヒトは、己の力を誇示する男ではなかった。必要なことを、必要な時に行う。無駄に声を上げず、評価を求めず、任務では確実に働いた。
息子もまた、表へ出していなかっただけなのか。
「誰が教えている」
「特定の者がついているという話はありません。祖母と二人暮らしです」
フガクの目がわずかに細くなる。
「そうか」
短く答え、再び書類へ目を落とす。
それ以上は何も言わなかった。
だが、うちはオビトという名は、もう集落外れに住む遺児としてだけでは収まらなかった。
マヒトの子。
学校で頭角を現し始めた子ども。
そして、これまで何をしていたのか分からない子。
静かに気にかけるだけだったフガクの意識へ、その存在がもう一歩近づいていた。
当のオビトは、その噂の変化をまだ知らない。
翌日の授業で、評価表を返され、四項目すべてに一位の印がついているのを見ていた。
リンは笑っている。
ガイは負けないと燃えている。
カカシは不機嫌そうにこちらを見ている。
教師は疲れた顔をしている。
オビトは紙を両手で持ち、遠い目になった。
「……落ちこぼれって、どこ行ったんだろうな」
「オビトが壊したんでしょ」
カカシが即座に返した。
「壊したかったわけじゃねぇよ」
「なら次はオレが一位になる」
「え」
カカシの目は本気だった。
疑いだけではない。
明確にこちらを追う目だった。
オビトは評価表を見下ろした。
やらかしは、まだ終わらないらしい。
【〆栞】