火影の手元へ

火影塔の執務室には、忍者学校から上げられた書類が積まれていた。

新たに入学した子どもたちだけではない。各学年の初期評価、前期からの成績推移、実技で見られた変化、教師が気づいた性格上の傾向。忍者学校は、読み書きと術を教えるだけの場ではない。子どもたちが何を得意とし、何を苦手とし、どのような状況で力を発揮するのかを見極める場所でもある。

猿飛ヒルゼンは、煙管から立ち上る細い煙の向こうで、書類を一枚ずつ確認していた。

戦の続く時代である。

子どもの才は、早く見つければよいというものではない。才ある者へ適切な教育を与えることは必要だが、周囲が期待をかけすぎれば、その才そのものが重石になる。できるからといって、何でも背負わせてよいわけではない。

逆に、不得手と見なされた子どもが、教え方や環境を変えた途端に伸びることもある。

書面だけでは見えないものが多い。

だからこそ、教師たちが日々残す所見には意味があった。

ヒルゼンの指が、一枚の評価表で止まる。

はたけカカシ。

四歳。

入学したばかりとは思えない理解力と身体操作。手裏剣術、体術、座学のいずれでも極めて高い成績を示している。教えられた内容を覚えるだけでなく、要点を捉えるのが早い。周囲へ合わせるより、自分の判断を優先する傾向がある。

白い牙の息子。

名を抜きにしても、際立った子どもだった。

ヒルゼンは記録へ目を通し、わずかに目を細めた。

サクモの子であることを周囲は簡単に忘れない。父の名が大きいほど、息子へ向けられる目も増える。幼いカカシが、それをどこまで意識しているのかは分からない。だが、すでに同年代から一歩も二歩も抜けたところにいる。

それ自体は、報告の内容と一致していた。

問題は、その次だった。

うちはオビト。

五歳。

座学、第一位。

手裏剣術、第一位。

体術、第一位。

忍術、第一位。

一度だけではない。

複数回にわたる評価で、同じ結果が続いている。

ヒルゼンは机の脇へ分けていた過去の報告書を引き寄せた。

入学直後の査定。

全問正解。

手裏剣は極めて高い命中精度。

組手では、相手を傷つけずに制している。

影分身を複数出し、それぞれ別の相手へ対応したとの目撃情報。

その後の授業でも、教えられていない内容まで理解し、実際の任務を想定したような判断を見せている。

しかも、教師の所見には同じ言葉が繰り返されていた。

結果を誇る様子がない。

褒められると喜ぶより困る。

力を抑えようとしているように見える。

ヒルゼンは煙管を置いた。

うちはの落ちこぼれ。

集落の中では、そう呼ばれていたこともあるらしい。

両親を早くに亡くし、祖母と二人で暮らしている。うちはの中心から少し外れた家の子。幼少の頃から目立った指導を受けているという報告もなく、一族の中で特に才を期待されていたわけでもない。

だが、忍者学校で上がってきた評価を見る限り、その噂は実態を捉えていない。

少なくとも、今のうちはオビトを落ちこぼれと呼ぶ根拠はなかった。

むしろ、逆である。

「うちはの才だけで説明がつくかのう」

ヒルゼンの呟きに、執務室の端へ控えていた忍が顔を上げた。

「家で特別な教育を受けていた形跡は、今のところ確認されておりません」

「祖母御は?」

「一般的な読み書きや生活上の教えはしているようですが、忍として高度な指導ができる立場ではないかと」

「一族の者が秘密裏に教えた可能性は」

「断定はできません。ただ、うちは側からそのような申し出や報告は上がっていません」

ヒルゼンは答えず、もう一度書類へ目を落とした。

教えた者がいる。

そう考えれば分かりやすい。

だが、それだけでは足りない。

手裏剣術や座学なら、早くから教え込まれたことで説明できる。印を覚え、チャクラを練ることも同様だ。体術も、家の者が手ほどきをした可能性はある。

しかし、教師が繰り返し書いているのは技量だけではなかった。

相手の攻撃を恐れず、懐へ入る。

相手が怪我をする前に力の方向を変える。

見せかけの動きではなく、身体の癖や重心から次を読む。

護衛を想定した問題では、敵を倒すことより守る対象を離さないことを優先した。

それは知識だけで身につくものではない。

実際に危険を知る者の判断に近い。

だが、オビトは五歳だった。

戦へ出た記録はない。

里外で任務に関わった形跡もない。

「書類では分からぬな」

ヒルゼンは静かに言った。

目の前で見なければならない。

歩き方。

構え。

相手との距離。

予想外の動きへどう反応するか。

攻撃を受けた時に恐怖が出るか。

勝てない相手を前に、どのような判断をするか。

それらは答案にも評価表にも残りにくい。

「忍者学校へ視察を?」

控えていた忍が問う。

ヒルゼンはすぐには答えず、他の学年の書類へ目を移した。

際立った子どもは、オビトとカカシだけではない。

手裏剣の精度が高い者。

忍術への理解が早い者。

体力に優れる者。

集団をまとめるのが得意な者。

座学では振るわなくとも、実技になると判断が冴える者。

教師の前では緊張して力を出せない者もいる。

書類に記された評価だけで子どもを決めつけるべきではなかった。

「特定の子だけを見る形にはせぬ」

ヒルゼンは書類を揃えた。

「各学年へ、特別授業を設けよう」

「特別授業、ですか」

「一対一の組手じゃ」

控えていた忍の目が、わずかに動いた。

「火影様が直々に?」

「わしが相手をする」

言葉は穏やかだった。

だが、それが単なる余興でないことは明らかだった。

「子ども一人ひとりの今の力を見る。勝敗を競わせるのではない。向かってくる時の姿勢、判断、癖、恐れ、周囲の見方。実際に相対すれば、書面より多く分かる」

「全学年を一度に行うのですか」

「いや。学年ごとに日を分ける」

人数が多すぎれば、一人へ割ける時間が減る。年齢も習熟度も異なる子どもたちを同じ条件で見る意味も薄い。

それぞれの段階に合わせる必要がある。

ヒルゼンは各学年の名簿へ目を通した。

上の学年から始めれば、教師側も流れを掴みやすい。火影が来ると事前に知られれば、子どもたちは必要以上に緊張し、普段と違う動きをするだろう。

特に、力を抑えようとしている者がいるならなおさらだ。

「一年目の子らは最後にしようか」

「理由をお聞きしても?」

「他の学年を見た後の方が、わしも学校の教え方と子どもらの反応を掴みやすい。それに」

ヒルゼンは、うちはオビトとはたけカカシの評価表へ目を落とした。

「急いで答えを決めぬ方がよい子もおる」

書面にある高評価が、実際の姿と一致しているのか。

あるいは、教師たちがまだ見落としているものがあるのか。

実際に確かめるのが早い。

「学校側へ話を通せ。ただし、生徒には知らせぬように」

「秘密裏に執り行うと」

「大仰なものではない。通常授業の中で行う特別授業じゃ」

ヒルゼンの口元に、ごく薄い笑みが浮かんだ。

「少しばかり、驚いてもらおう」

事前に火影との組手があると分かれば、家で準備する者も出る。緊張から眠れなくなる子もいるだろう。周囲の大人が余計な期待や指示を与える可能性もある。

普段通り学校へ来て、普段通り授業を受ける。

その中で突然、相手が変わる。

不意の状況へどう対応するかも、見るべきものの一つだった。

「教師たちにも、詳細を広げすぎぬよう伝えよ。必要な者だけで準備する」

「承知しました」

忍が一礼し、執務室を退出する。

戸が閉じると、部屋には再び静けさが戻った。

ヒルゼンは、うちはオビトの評価表を手元へ残した。

マヒトの子。

両親を失い、祖母に育てられた幼子。

集落の外れで、才を知られぬまま過ごしていた子ども。

その実態が、報告書の通りであるなら。

なぜ隠していたのか。

どこで身につけたのか。

何を考えているのか。

疑問は多い。

だが、最初から疑ってかかれば、見えるものも見えなくなる。

五歳の子どもであることは、忘れてはならない。

たとえ、その動きが五歳のものに見えなかったとしても。

ヒルゼンは評価表を閉じ、次の書類へ手を伸ばした。

その数日後。

忍者学校の教師たちへ、火影塔から短い通達が届いた。

通常授業の一部を変更すること。

生徒には事前に知らせないこと。

訓練場を確保し、学年ごとに指定された日程で実施すること。

内容は、一対一の実技確認。

相手役。

三代目火影、猿飛ヒルゼン。

通達を読んだ教師は、しばらく紙を持ったまま動かなかった。

その脳裏へ浮かんだのは、黒板の前で教師以上に整った解答を書き、終わってから自分で青ざめていた、ゴーグルの少年だった。

火影と向かい合った時、あの子は何を見せるのか。

あるいは。

今度こそ、何を隠そうとするのか。

教師は通達を丁寧に畳み、鍵のかかる引き出しへしまった。

教室では何も知らない子どもたちが、いつも通り授業を受けている。

特別授業の話は、まだ誰の耳にも届いていなかった。


〆栞
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