特別授業の噂
忍者学校へ通い始めてからも、オビトの日々は学校だけでは終わらなかった。
朝は登校途中にお年寄りへ捕まり、帰り道では荷物を持ち、夕方には買い物へ出た先で呪霊を祓う。
片や呪霊。
片やお年寄り。
この落差よ。
オビトは小さな買い物籠を片手に、道端で杖をついた老人の歩調へ合わせていた。
「急がなくていいからな。足元、段差あるぞ」
「すまないねえ、オビトくん」
「これくらい平気だって」
老人を家の前まで送り届ける。受け取った礼は、干した果物が二つ。断ると余計に長引くことはすでに学んでいたため、素直に受け取った。
「祖母ちゃんと食べるよ」
「そうしなさい。いい子だねえ」
頭を撫でられる。
五歳児としては普通の光景だ。
中身を考えなければ。
そこから少し離れた路地では、壁へ張りついた呪霊が、通り過ぎる女の背中へ細い腕を伸ばしていた。
オビトは歩みを止めない。
視線も向けない。
指先にだけ、わずかに呪力を集める。
細い切断が走り、呪霊が黒い塵となって崩れた。女は何も気づかず、野菜の入った籠を抱えて角を曲がっていく。
その直後、反対側から腰の曲がった老婆が現れた。
「あら、オビトくん。ちょうどよかった。悪いけど、この蓋が固くてねえ」
「貸して」
瓶を受け取り、力を入れすぎないよう注意して蓋を開ける。
「はい」
「まあ、力持ちだねえ」
「これくらい普通だって」
呪霊を切った直後に、瓶の蓋を開けている。
特級術師時代にも、これほど振れ幅の大きい仕事を同じ道でこなした覚えはない。
いや、あったかもしれない。
呪霊を祓った直後に迷子を送り届けたり、任務先の老人に茶を飲まされたりしたことはある。思い返せば、前世から似たようなことをしていた。
結局、世界が変わっても自分は自分らしい。
「オビトくん、明日も学校かい?」
「うん」
「偉いねえ。勉強もよくできるって聞いたよ」
噂が広がっている。
最近、どこへ行ってもこれだった。
忍者学校で一番を取っている。
手裏剣も術も上手い。
難しい問題を解いた。
落ちこぼれという話は何だったのか。
学校内だけでなく、うちは集落から里の年配者たちにまで伝わり始めている。誰がどこで話を繋いでいるのかは分からないが、お年寄りの情報網は忍の諜報網に負けていなかった。
「勉強は、まあ」
「謙遜しなくてもいいんだよ」
謙遜ではない。
困っているのだ。
だが、その説明はできない。オビトは曖昧に笑い、老婆へ瓶を返した。
学校へ行けば、今度はカカシの視線が待っている。
「昨日も一位だったね」
休み時間、カカシが机の横で言った。
「知ってる。俺の結果だから」
「嬉しくなさそう」
「毎回同じこと聞くなよ」
「毎回同じ顔してるから」
可愛げがねぇ。
本当に可愛げがない。
カカシは以前より明らかにオビトを意識するようになっていた。授業で何かあれば、すぐにこちらを見る。手裏剣が当たれば投げ方を確認し、術を使えば印とチャクラの流れを見て、座学では答案を書く速度まで拾おうとする。
放っておいてほしい。
だが、四歳のカカシに対して本気でそう言うのも大人げない気がした。中身の年齢は捨てたはずなのに、こういう時だけ戻ってくるから困る。
「カカシ、またオビトのところにいるの?」
リンがやって来た。
「別に」
「話してたじゃん」
「確認してただけ」
「何を?」
カカシが黙る。
リンは少し首を傾げ、それからオビトを見た。
「今日、一緒に帰れる?」
「うん」
「オレも」
カカシが即座に言った。
「まだ何も聞いてないだろ」
「道は同じ」
「便利な言葉だな、それ」
「事実だから」
リンが小さく笑う。
三人で帰ることは、もう珍しくなくなっていた。
距離はまだ完全には近くない。リンは自然に二人の間へ入り、オビトとカカシは言葉を交わせばすぐに刺し合う。それでも、翌日の話をし、授業の感想を言い、途中まで同じ道を歩く。
今世の関係が、少しずつ形になっている。
その教室の外では、教師たちが普段とは違う動きを始めていた。
訓練場の使用予定が細かく組み直される。
授業時間の一部が変更される。
安全確認のため、いつもより多くの忍具が点検される。
教師同士の話も、子どもたちが近づくと途切れた。
「何かあるのかな」
リンが職員室の前を通った時、声を潜めた。
「授業の変更じゃない?」
オビトは軽く答えた。
実際、それ以上のことは分からない。教師の様子が普段より硬いことには気づいていたが、何を準備しているのかまでは見えていなかった。
カカシは閉じた戸を一度見た。
「隠してる」
「お前、人が何かしてたら全部隠してる扱いするのやめろよ」
「オビトも隠してる」
「俺の話に戻すな」
リンがまた笑った。
一方、上の学年では、小さな噂が流れ始めていた。
火影が授業へ来た。
ただ見に来ただけではない。
生徒と一人ずつ組手をした。
普段の授業だと思って訓練場へ出たら、三代目火影が待っていた。
最初は誰かの作り話だと思われた。だが、別の学年でも似た話が出る。話した子どもたちの細部は少しずつ違っていたが、火影が通常授業へ現れたという部分だけは一致していた。
「本当なのか?」
「兄貴が言ってた。急に火影様が来たって」
「組手したのか?」
「勝てるわけないだろ。でも、すぐには倒されなかったって自慢してた」
廊下や校庭の隅で囁かれる。
一年目の教室までは、まだはっきり届いていない。
教師たちも口を閉ざしていた。
はたけ家では、サクモが任務帰りにその話を耳にしていた。
同僚の忍が、子どもの話として何気なく口にしたものだった。
「忍者学校で、火影様が生徒の相手をされているそうですよ」
「火影様が?」
「ええ。上の学年から順に。かなり秘密にしているようですが、子どもの口までは塞げませんからね」
サクモは穏やかに頷いた。
家へ帰ると、カカシは庭で木刀を振っていた。
いつも通りに見える。
だが、一度振るたびに足の位置を確かめ、踏み込みを細かく直している。以前より、動きを繰り返す回数が増えていた。
サクモは縁側へ座り、しばらく息子を見た。
「学校はどうだい」
「普通」
いつもの答えだった。
「オビトくんとは?」
木刀が止まる。
「何でオビトの話になるの」
「最近、よく名前を聞くからね」
「父さんが聞くからでしょ」
「そうだったかな」
カカシは不機嫌そうに木刀を構え直した。
「次は負けない」
小さな声だった。
サクモには聞こえていたが、すぐには返さなかった。
相手を意識し、追いつこうとすること自体は悪くない。だが、焦りが動きを硬くするなら、そこは見なければならない。
火影直々の授業が一年目にも行われるのか、まだ確かな話ではない。
それでもサクモは、カカシの足運びを見ながら静かに言った。
「力を入れすぎているよ」
カカシの眉が寄る。
「入れてない」
「右肩が少し上がっている」
言われて、カカシが構えを直す。
「相手を見ることは大事だ。でも、相手ばかり見ていると、自分の足元を忘れる」
カカシは返事をしなかった。
ただ、次の一振りは少しだけ滑らかになった。
うちは警務部隊にも、忍者学校の噂は届いていた。
休憩中の隊員が、上の学年にいる親族から聞いた話を口にする。
「火影様が学校で生徒と組手をしているらしい」
「視察か?」
「査定に近いそうだ。学年ごとに日を分けているとか」
フガクは書類から目を上げた。
「確かな話か」
「複数の家から同じ話が出ています」
一年目の名簿には、うちはオビトがいる。
学校へ入るまで、才の噂はほとんどなかった子ども。入学後は、手裏剣、術、体術、座学のすべてで高い評価を得ている。
落ちこぼれという古い噂は、すでに誰も口にしなくなっていた。
火影が実際に子どもたちの力を見るのなら、オビトもその前へ立つ可能性がある。
フガクはすぐに何かを命じることはしなかった。
学校の授業へ、一族が余計な手を入れるべきではない。まして、まだ正式に知らされてもいない話である。
それでも、マヒトの息子の姿が脳裏へ浮かぶ。
買い物包みを抱え、煎餅を買いに行くと答えた子ども。
あの時は、落ち着いた幼子にしか見えなかった。
学校の報告が事実なら、見せていなかったものがある。
フガクの指が、机の上でわずかに止まった。
「一年目の日も分かるか」
「いえ。教師たちも口を閉ざしているようです」
「そうか」
短く答え、書類へ視線を戻す。
だが、意識まで戻ったわけではなかった。
その夜、オビトは布団の中で目を開けていた。
祖母ちゃんの寝息が、隣の部屋から微かに聞こえる。
眠れない。
昼間に特別なことがあったわけではない。授業を受け、カカシに絡まれ、リンと一緒に帰り、夕飯を食べた。帰宅途中には呪霊を二体祓い、老人の荷物を一つ運んだ。
通常運転である。
なのに、頭の奥が妙に冴えていた。
身体を動かせば眠れるかな。
オビトは静かに起き上がった。
物音を立てないよう着替え、ゴーグルをつける。祖母ちゃんの部屋から変化がないことを確認し、戸を少しだけ開けた。
夜気が入り込む。
冷たい。
オビトは家を抜け、人気のない場所へ向かった。
祖母ちゃんに知られれば確実に叱られる。
夜に一人で出るな。
危ない場所へ近づくな。
自分で全部どうにかしようとするな。
全部正しい。
だからこそ、見つからないようにする。
そこではない。
そういうことではない。
祖母ちゃんの声が聞こえた気がしたが、今は無視した。
里の外れに近い訓練場は、夜になると人の気配が薄い。周囲を確認し、呪霊もいないことを確かめる。見張りの気配もない。
オビトは中央へ立ち、肩を回した。
術を試すつもりはない。
少し身体を動かすだけだ。
それなら、仮想の相手がいた方がいい。
目を閉じる。
記憶の中から、一人の姿を引き出す。
短い桃色の髪。
しなやかで無駄のない身体。
まっすぐこちらを見る目。
両の拳。
目を開けた時、前方に虎杖悠仁が立っていた。
本物ではない。
六道仙人が作った仮想の場ほど明確でもない。自分の記憶と戦闘感覚から、相手の動きを組み上げる。見慣れた構え、呼吸、足の運び。
虎杖は軽く拳を上げた。
「やろうぜ、オビト」
声まで、やけに懐かしい。
オビトは口元を緩めた。
「手加減しろよ」
「そっちが?」
「五歳児相手だぞ」
「でも中身はオビトじゃん」
正論。
腹が立つ。
もちろん、脳内の虎杖が勝手に喋っているだけだ。つまり自分で自分に正論をぶつけている。余計に腹が立つ。
オビトも拳を上げた。
術はなし。
写輪眼もなし。
呪力とチャクラは、身体強化に使う最低限。
今の小さな身体に合わせる。
「来い」
虎杖が踏み込んだ。
速い。
拳が真っ直ぐに伸びる。
オビトは外へ流し、懐へ入った。脇腹を狙う。虎杖が肘で受ける。互いの腕がぶつかり、重い音が夜の訓練場へ響いた。
次の拳。
避ける。
蹴り。
潜る。
小さい身体は不利ばかりではない。重心が低く、懐へ潜りやすい。だが、手足の長さが足りない。届く距離を見誤れば、こちらの拳が空を切る。
虎杖の拳が肩をかすめた。
その直後。
遅れて、二度目の衝撃が来る。
身体が横へ流される。
「っ!」
逕庭拳。
一度目の打撃に、遅れて呪力が重なる。
分かっていても厄介だ。
いや、自分も使うのだが。
オビトは地面へ手をつき、勢いを殺して立ち直る。
「やっぱ便利だな、それ」
「オビトも使うじゃん」
「勝手に写したから、ちょっと申し訳なくてな」
「今さら?」
また正論。
虎杖が来る。
オビトも踏み込んだ。
拳と拳がぶつかる。
肉体の衝撃。
一拍遅れて、互いの呪力が炸裂する。
二重の衝撃が重なり、空気が震えた。
オビトは笑った。
楽しい。
虎杖との打ち合いは、いつもそうだった。考えていないわけではない。むしろ戦闘中の判断は速い。けれど、最後には真っ直ぐ来る。
小細工だけで終わらない。
迷っても、折れても、拳を握る。
虎杖の右が来る。
オビトは半歩入り、受け流しながら腹へ拳を当てた。
一撃。
遅れて二撃目。
虎杖の身体がわずかに浮く。
だが、倒れない。
逆に肩を掴まれ、膝が上がる。
オビトは身体を捻って外し、腕を払う。小さな足で地面を蹴り、顔の高さまで跳ぶ。
虎杖の頬へ拳を振り抜く。
受けられる。
その腕越しに、遅れて衝撃が走った。
虎杖が笑う。
「いいじゃん」
「だろ?」
息が上がる。
身体が熱い。
眠れない夜の重さが、少しずつ汗へ変わっていく。
拳を交えるたび、前世の記憶が蘇る。
任務帰りの食事。
伏黒の呆れた顔。
釘崎の罵声。
五条先生の軽い声。
血と瓦礫と、どうしようもない夜。
それでも立ち上がった虎杖の背中。
不撓不屈。
折れないのではない。
折れても、また立つ。
その強さを、オビトはよく知っていた。
虎杖の拳が胸元へ迫る。
オビトは避けなかった。
腕を交差して受ける。
一撃目。
遅れて二撃目。
足が土を削る。
そのまま腕を開き、虎杖の懐へ潜り込む。
「今度は俺の番だ」
拳を腹へ打ち込む。
遅れて、呪力が響く。
虎杖が後ろへ下がる。
一歩。
二歩。
それでも倒れず、また構える。
オビトも拳を上げた。
二人は同時に踏み込んだ。
拳が交差する。
衝撃が弾けた。
そこで仮想の虎杖が揺らぎ、夜気へ溶けた。
静けさが戻る。
オビトはその場に立ったまま、肩で息をした。
汗が額を伝い、ゴーグルの縁へ溜まる。腕が少し痺れている。胸の奥のざわつきは、さっきより薄くなっていた。
「……やっぱ強ぇな、虎杖」
誰もいない訓練場へ呟く。
返事はない。
当たり前だ。
それでも、少し笑えた。
身体を動かせば眠れるかもしれない。
その目的は達成できそうだった。
問題は、帰る途中で呪霊を見つけた時に放っておけるかどうかである。
たぶん無理。
夜間祓除散歩が始まる予感しかしない。
オビトは頭を掻き、帰る方向へ足を向けた。
片や呪霊。
片やお年寄り。
その間で忍者学校へ通い、夜には虎杖と拳を交える。
五歳児の生活ではない。
けれど、今の自分の日々だった。
その頃、忍者学校の鍵のかかった引き出しには、一年目の特別授業の日程が収められていた。
子どもたちはまだ知らない。
オビトも知らない。
ただ、火影と向かい合う日は、静かに近づいていた。
朝は登校途中にお年寄りへ捕まり、帰り道では荷物を持ち、夕方には買い物へ出た先で呪霊を祓う。
片や呪霊。
片やお年寄り。
この落差よ。
オビトは小さな買い物籠を片手に、道端で杖をついた老人の歩調へ合わせていた。
「急がなくていいからな。足元、段差あるぞ」
「すまないねえ、オビトくん」
「これくらい平気だって」
老人を家の前まで送り届ける。受け取った礼は、干した果物が二つ。断ると余計に長引くことはすでに学んでいたため、素直に受け取った。
「祖母ちゃんと食べるよ」
「そうしなさい。いい子だねえ」
頭を撫でられる。
五歳児としては普通の光景だ。
中身を考えなければ。
そこから少し離れた路地では、壁へ張りついた呪霊が、通り過ぎる女の背中へ細い腕を伸ばしていた。
オビトは歩みを止めない。
視線も向けない。
指先にだけ、わずかに呪力を集める。
細い切断が走り、呪霊が黒い塵となって崩れた。女は何も気づかず、野菜の入った籠を抱えて角を曲がっていく。
その直後、反対側から腰の曲がった老婆が現れた。
「あら、オビトくん。ちょうどよかった。悪いけど、この蓋が固くてねえ」
「貸して」
瓶を受け取り、力を入れすぎないよう注意して蓋を開ける。
「はい」
「まあ、力持ちだねえ」
「これくらい普通だって」
呪霊を切った直後に、瓶の蓋を開けている。
特級術師時代にも、これほど振れ幅の大きい仕事を同じ道でこなした覚えはない。
いや、あったかもしれない。
呪霊を祓った直後に迷子を送り届けたり、任務先の老人に茶を飲まされたりしたことはある。思い返せば、前世から似たようなことをしていた。
結局、世界が変わっても自分は自分らしい。
「オビトくん、明日も学校かい?」
「うん」
「偉いねえ。勉強もよくできるって聞いたよ」
噂が広がっている。
最近、どこへ行ってもこれだった。
忍者学校で一番を取っている。
手裏剣も術も上手い。
難しい問題を解いた。
落ちこぼれという話は何だったのか。
学校内だけでなく、うちは集落から里の年配者たちにまで伝わり始めている。誰がどこで話を繋いでいるのかは分からないが、お年寄りの情報網は忍の諜報網に負けていなかった。
「勉強は、まあ」
「謙遜しなくてもいいんだよ」
謙遜ではない。
困っているのだ。
だが、その説明はできない。オビトは曖昧に笑い、老婆へ瓶を返した。
学校へ行けば、今度はカカシの視線が待っている。
「昨日も一位だったね」
休み時間、カカシが机の横で言った。
「知ってる。俺の結果だから」
「嬉しくなさそう」
「毎回同じこと聞くなよ」
「毎回同じ顔してるから」
可愛げがねぇ。
本当に可愛げがない。
カカシは以前より明らかにオビトを意識するようになっていた。授業で何かあれば、すぐにこちらを見る。手裏剣が当たれば投げ方を確認し、術を使えば印とチャクラの流れを見て、座学では答案を書く速度まで拾おうとする。
放っておいてほしい。
だが、四歳のカカシに対して本気でそう言うのも大人げない気がした。中身の年齢は捨てたはずなのに、こういう時だけ戻ってくるから困る。
「カカシ、またオビトのところにいるの?」
リンがやって来た。
「別に」
「話してたじゃん」
「確認してただけ」
「何を?」
カカシが黙る。
リンは少し首を傾げ、それからオビトを見た。
「今日、一緒に帰れる?」
「うん」
「オレも」
カカシが即座に言った。
「まだ何も聞いてないだろ」
「道は同じ」
「便利な言葉だな、それ」
「事実だから」
リンが小さく笑う。
三人で帰ることは、もう珍しくなくなっていた。
距離はまだ完全には近くない。リンは自然に二人の間へ入り、オビトとカカシは言葉を交わせばすぐに刺し合う。それでも、翌日の話をし、授業の感想を言い、途中まで同じ道を歩く。
今世の関係が、少しずつ形になっている。
その教室の外では、教師たちが普段とは違う動きを始めていた。
訓練場の使用予定が細かく組み直される。
授業時間の一部が変更される。
安全確認のため、いつもより多くの忍具が点検される。
教師同士の話も、子どもたちが近づくと途切れた。
「何かあるのかな」
リンが職員室の前を通った時、声を潜めた。
「授業の変更じゃない?」
オビトは軽く答えた。
実際、それ以上のことは分からない。教師の様子が普段より硬いことには気づいていたが、何を準備しているのかまでは見えていなかった。
カカシは閉じた戸を一度見た。
「隠してる」
「お前、人が何かしてたら全部隠してる扱いするのやめろよ」
「オビトも隠してる」
「俺の話に戻すな」
リンがまた笑った。
一方、上の学年では、小さな噂が流れ始めていた。
火影が授業へ来た。
ただ見に来ただけではない。
生徒と一人ずつ組手をした。
普段の授業だと思って訓練場へ出たら、三代目火影が待っていた。
最初は誰かの作り話だと思われた。だが、別の学年でも似た話が出る。話した子どもたちの細部は少しずつ違っていたが、火影が通常授業へ現れたという部分だけは一致していた。
「本当なのか?」
「兄貴が言ってた。急に火影様が来たって」
「組手したのか?」
「勝てるわけないだろ。でも、すぐには倒されなかったって自慢してた」
廊下や校庭の隅で囁かれる。
一年目の教室までは、まだはっきり届いていない。
教師たちも口を閉ざしていた。
はたけ家では、サクモが任務帰りにその話を耳にしていた。
同僚の忍が、子どもの話として何気なく口にしたものだった。
「忍者学校で、火影様が生徒の相手をされているそうですよ」
「火影様が?」
「ええ。上の学年から順に。かなり秘密にしているようですが、子どもの口までは塞げませんからね」
サクモは穏やかに頷いた。
家へ帰ると、カカシは庭で木刀を振っていた。
いつも通りに見える。
だが、一度振るたびに足の位置を確かめ、踏み込みを細かく直している。以前より、動きを繰り返す回数が増えていた。
サクモは縁側へ座り、しばらく息子を見た。
「学校はどうだい」
「普通」
いつもの答えだった。
「オビトくんとは?」
木刀が止まる。
「何でオビトの話になるの」
「最近、よく名前を聞くからね」
「父さんが聞くからでしょ」
「そうだったかな」
カカシは不機嫌そうに木刀を構え直した。
「次は負けない」
小さな声だった。
サクモには聞こえていたが、すぐには返さなかった。
相手を意識し、追いつこうとすること自体は悪くない。だが、焦りが動きを硬くするなら、そこは見なければならない。
火影直々の授業が一年目にも行われるのか、まだ確かな話ではない。
それでもサクモは、カカシの足運びを見ながら静かに言った。
「力を入れすぎているよ」
カカシの眉が寄る。
「入れてない」
「右肩が少し上がっている」
言われて、カカシが構えを直す。
「相手を見ることは大事だ。でも、相手ばかり見ていると、自分の足元を忘れる」
カカシは返事をしなかった。
ただ、次の一振りは少しだけ滑らかになった。
うちは警務部隊にも、忍者学校の噂は届いていた。
休憩中の隊員が、上の学年にいる親族から聞いた話を口にする。
「火影様が学校で生徒と組手をしているらしい」
「視察か?」
「査定に近いそうだ。学年ごとに日を分けているとか」
フガクは書類から目を上げた。
「確かな話か」
「複数の家から同じ話が出ています」
一年目の名簿には、うちはオビトがいる。
学校へ入るまで、才の噂はほとんどなかった子ども。入学後は、手裏剣、術、体術、座学のすべてで高い評価を得ている。
落ちこぼれという古い噂は、すでに誰も口にしなくなっていた。
火影が実際に子どもたちの力を見るのなら、オビトもその前へ立つ可能性がある。
フガクはすぐに何かを命じることはしなかった。
学校の授業へ、一族が余計な手を入れるべきではない。まして、まだ正式に知らされてもいない話である。
それでも、マヒトの息子の姿が脳裏へ浮かぶ。
買い物包みを抱え、煎餅を買いに行くと答えた子ども。
あの時は、落ち着いた幼子にしか見えなかった。
学校の報告が事実なら、見せていなかったものがある。
フガクの指が、机の上でわずかに止まった。
「一年目の日も分かるか」
「いえ。教師たちも口を閉ざしているようです」
「そうか」
短く答え、書類へ視線を戻す。
だが、意識まで戻ったわけではなかった。
その夜、オビトは布団の中で目を開けていた。
祖母ちゃんの寝息が、隣の部屋から微かに聞こえる。
眠れない。
昼間に特別なことがあったわけではない。授業を受け、カカシに絡まれ、リンと一緒に帰り、夕飯を食べた。帰宅途中には呪霊を二体祓い、老人の荷物を一つ運んだ。
通常運転である。
なのに、頭の奥が妙に冴えていた。
身体を動かせば眠れるかな。
オビトは静かに起き上がった。
物音を立てないよう着替え、ゴーグルをつける。祖母ちゃんの部屋から変化がないことを確認し、戸を少しだけ開けた。
夜気が入り込む。
冷たい。
オビトは家を抜け、人気のない場所へ向かった。
祖母ちゃんに知られれば確実に叱られる。
夜に一人で出るな。
危ない場所へ近づくな。
自分で全部どうにかしようとするな。
全部正しい。
だからこそ、見つからないようにする。
そこではない。
そういうことではない。
祖母ちゃんの声が聞こえた気がしたが、今は無視した。
里の外れに近い訓練場は、夜になると人の気配が薄い。周囲を確認し、呪霊もいないことを確かめる。見張りの気配もない。
オビトは中央へ立ち、肩を回した。
術を試すつもりはない。
少し身体を動かすだけだ。
それなら、仮想の相手がいた方がいい。
目を閉じる。
記憶の中から、一人の姿を引き出す。
短い桃色の髪。
しなやかで無駄のない身体。
まっすぐこちらを見る目。
両の拳。
目を開けた時、前方に虎杖悠仁が立っていた。
本物ではない。
六道仙人が作った仮想の場ほど明確でもない。自分の記憶と戦闘感覚から、相手の動きを組み上げる。見慣れた構え、呼吸、足の運び。
虎杖は軽く拳を上げた。
「やろうぜ、オビト」
声まで、やけに懐かしい。
オビトは口元を緩めた。
「手加減しろよ」
「そっちが?」
「五歳児相手だぞ」
「でも中身はオビトじゃん」
正論。
腹が立つ。
もちろん、脳内の虎杖が勝手に喋っているだけだ。つまり自分で自分に正論をぶつけている。余計に腹が立つ。
オビトも拳を上げた。
術はなし。
写輪眼もなし。
呪力とチャクラは、身体強化に使う最低限。
今の小さな身体に合わせる。
「来い」
虎杖が踏み込んだ。
速い。
拳が真っ直ぐに伸びる。
オビトは外へ流し、懐へ入った。脇腹を狙う。虎杖が肘で受ける。互いの腕がぶつかり、重い音が夜の訓練場へ響いた。
次の拳。
避ける。
蹴り。
潜る。
小さい身体は不利ばかりではない。重心が低く、懐へ潜りやすい。だが、手足の長さが足りない。届く距離を見誤れば、こちらの拳が空を切る。
虎杖の拳が肩をかすめた。
その直後。
遅れて、二度目の衝撃が来る。
身体が横へ流される。
「っ!」
逕庭拳。
一度目の打撃に、遅れて呪力が重なる。
分かっていても厄介だ。
いや、自分も使うのだが。
オビトは地面へ手をつき、勢いを殺して立ち直る。
「やっぱ便利だな、それ」
「オビトも使うじゃん」
「勝手に写したから、ちょっと申し訳なくてな」
「今さら?」
また正論。
虎杖が来る。
オビトも踏み込んだ。
拳と拳がぶつかる。
肉体の衝撃。
一拍遅れて、互いの呪力が炸裂する。
二重の衝撃が重なり、空気が震えた。
オビトは笑った。
楽しい。
虎杖との打ち合いは、いつもそうだった。考えていないわけではない。むしろ戦闘中の判断は速い。けれど、最後には真っ直ぐ来る。
小細工だけで終わらない。
迷っても、折れても、拳を握る。
虎杖の右が来る。
オビトは半歩入り、受け流しながら腹へ拳を当てた。
一撃。
遅れて二撃目。
虎杖の身体がわずかに浮く。
だが、倒れない。
逆に肩を掴まれ、膝が上がる。
オビトは身体を捻って外し、腕を払う。小さな足で地面を蹴り、顔の高さまで跳ぶ。
虎杖の頬へ拳を振り抜く。
受けられる。
その腕越しに、遅れて衝撃が走った。
虎杖が笑う。
「いいじゃん」
「だろ?」
息が上がる。
身体が熱い。
眠れない夜の重さが、少しずつ汗へ変わっていく。
拳を交えるたび、前世の記憶が蘇る。
任務帰りの食事。
伏黒の呆れた顔。
釘崎の罵声。
五条先生の軽い声。
血と瓦礫と、どうしようもない夜。
それでも立ち上がった虎杖の背中。
不撓不屈。
折れないのではない。
折れても、また立つ。
その強さを、オビトはよく知っていた。
虎杖の拳が胸元へ迫る。
オビトは避けなかった。
腕を交差して受ける。
一撃目。
遅れて二撃目。
足が土を削る。
そのまま腕を開き、虎杖の懐へ潜り込む。
「今度は俺の番だ」
拳を腹へ打ち込む。
遅れて、呪力が響く。
虎杖が後ろへ下がる。
一歩。
二歩。
それでも倒れず、また構える。
オビトも拳を上げた。
二人は同時に踏み込んだ。
拳が交差する。
衝撃が弾けた。
そこで仮想の虎杖が揺らぎ、夜気へ溶けた。
静けさが戻る。
オビトはその場に立ったまま、肩で息をした。
汗が額を伝い、ゴーグルの縁へ溜まる。腕が少し痺れている。胸の奥のざわつきは、さっきより薄くなっていた。
「……やっぱ強ぇな、虎杖」
誰もいない訓練場へ呟く。
返事はない。
当たり前だ。
それでも、少し笑えた。
身体を動かせば眠れるかもしれない。
その目的は達成できそうだった。
問題は、帰る途中で呪霊を見つけた時に放っておけるかどうかである。
たぶん無理。
夜間祓除散歩が始まる予感しかしない。
オビトは頭を掻き、帰る方向へ足を向けた。
片や呪霊。
片やお年寄り。
その間で忍者学校へ通い、夜には虎杖と拳を交える。
五歳児の生活ではない。
けれど、今の自分の日々だった。
その頃、忍者学校の鍵のかかった引き出しには、一年目の特別授業の日程が収められていた。
子どもたちはまだ知らない。
オビトも知らない。
ただ、火影と向かい合う日は、静かに近づいていた。
【〆栞】