特別授業開始

夜間の仮想組手と、その帰り道での祓除。

どちらも自分で始めたことだった。

眠れないから、少し身体を動かそうと思っただけだ。虎杖を相手に逕庭拳を打ち合い、汗をかけば、家へ戻って素直に眠れると思っていた。

そこまではよかった。

問題は、帰る途中で見つけてしまったことだ。

人通りの絶えた路地に一体。

屋根の上に二体。

使われていない倉の陰に、育ちかけたものが三体。

放っておけるはずがない。

一体祓えば、少し先でもう一体見つかる。ついでに周囲を確かめれば、さらに別の気配が引っかかる。気づけば夜間祓除散歩は、散歩と呼ぶには少々本格的なものになっていた。

家へ戻った頃には、空の端がわずかに明るくなり始めていた。

布団へ入って、目を閉じた。

そして、朝が来た。

一限目。

オビトは机に座り、必死に目を開いていた。

教師の声が遠い。

黒板へ白墨が走る音も聞こえる。文字も見える。内容も理解できる。眠ってはいけないことも、よく分かっている。

忍者学校へ通い始めてから、満点を連発し、教師を困惑させ、カカシから疑いの視線を浴びている。

ここで居眠りまで加われば、どうなるか。

成績はいいが授業中に寝る子。

完全に五条先生の生徒である。

いや、実際に生徒だった。

それはそれとして、避けたい。

オビトは膝の上で拳を握った。

頑張れ。

まだ一限目だ。

昨日の夜を乗り越えた男だろう。呪いの王とも戦った。自爆法術にも巻き込まれた。前々世では第四次忍界大戦まで起こした。

眠気くらい何だ。

負けるな。

瞼が落ちる。

上げる。

落ちる。

上げる。

黒板の文字が二重に見えた。

教師の声が、次第に柔らかな子守歌のように聞こえてくる。

無理。

一限目から敗北した。

額が机へ落ちる直前、腕を枕にすることだけは成功した。ゴーグルが机へ当たらない角度へ顔を傾ける。

そこで意識が途切れた。

「オビト」

リンの小さな声が、遠くから聞こえた気がした。

返事はできなかった。

二限目。

一度は起きた。

休み時間にリンから声をかけられ、顔を上げた記憶がある。

「眠いの?」

「ちょっとだけ」

「ちょっとに見えないけど」

「大丈夫」

大丈夫ではなかった。

二限目が始まり、教師が黒板へ簡単な計算を書き始めたところまでは覚えている。

次に気づいた時には、頬が腕へ深く沈み込んでいた。

爆睡だった。

三限目。

もはや起きた記憶が曖昧だった。

教師が席の横へ来た気配はあった。

「うちは」

呼ばれた。

たぶん。

肩へ手が伸びかける。

その気配も、何となく分かった。

だが教師は、すぐには触れなかった。

机の上に置かれた昨日までの答案。

授業で何度も並んだ満点。

黒板へ書かせれば、教える側より丁寧な解答。

手裏剣、体術、忍術、座学のすべてで首位。

教師の沈黙が続く。

起こすべきか。

寝かせておくべきか。

少なくとも、今の授業内容についていけず眠っているわけではない。普段は他の生徒へ手を貸し、質問されれば答え、教師の話も聞いている。

今日だけだ。

教師はしばらく考えた末、伸ばしかけた手を引いた。

「……今日は、寝かせておくか」

小さな呟きが落ちる。

オビトは知らない。

完全に熟睡していた。

教室では、子どもたちがちらちらとこちらを見ていた。

ガイは心配そうだった。

アスマは少し羨ましそうだった。

紅は教師に叱られないことを不思議そうにしている。

カカシは、明らかに疑っていた。

何をすれば授業中にここまで眠れるのか。

昨日の帰り道までは、いつも通りだった。三人で歩き、リンと話し、自分へ余計な言葉を返す余裕もあった。

その夜に、何かをしていた。

そう考えている顔だった。

リンは時折、オビトの方へ目を向けた。

腕を枕にしたまま、まったく動かない。呼吸は穏やかだから、体調が悪いわけではなさそうだ。それでも心配なのだろう。休み時間になるたび、そっと様子を確認していた。

オビトは眠り続けた。

教室の戸が開くまでは。

授業の途中だった。

廊下側から足音が近づき、教師がわずかに姿勢を正す。戸が引かれる。

入ってきた老人の姿を見て、教室中の空気が止まった。

猿飛ヒルゼン。

三代目火影。

火影装束ではなく、動きやすい忍装束姿だったが、見間違える者はいない。里を治める者の顔は、忍者学校へ入ったばかりの子どもたちでも知っている。

ガイが目を見開いた。

アスマの眠そうな顔が一気に引き締まる。

紅もリンも固まった。

カカシだけは驚きを表へ出さなかったが、視線はすぐに教師とヒルゼンの間を往復した。

上級生の間で流れていた小さな噂。

教師たちの不自然な動き。

訓練場の使用予定。

どうやら事実だったらしい。

教室の中で、ただ一人。

うちはオビトだけが熟睡していた。

ヒルゼンは教室を見回し、机へ突っ伏している黒髪の子どもへ目を留めた。

額にはゴーグル。

腕を枕にし、顔を半分伏せている。

繰り返し報告書に名が上がった子どもは、火影が教室へ入ってきても起きなかった。

ヒルゼンの目に、わずかな可笑しさが滲む。

教師は困った顔でオビトの席へ近づいた。

「うちは」

反応はない。

「うちはオビト」

起きない。

教室中の視線が集まる。

教師が肩へ手を伸ばそうとした時、リンが小さく手を上げた。

「あの、先生。私が起こしてもいいですか?」

教師は一瞬考え、頷いた。

リンが隣から身を寄せ、オビトの肩へ手を置く。

「オビト」

揺する。

反応なし。

「オビト、起きて」

もう少し強く揺すった。

オビトの肩が、ビクンッと大きく跳ねた。

「っ!」

勢いよく顔が上がる。

黒い瞳が見開かれ、周囲を見回す。

「……?」

寝起きの頭が働かない。

リン。

教室。

教師。

固まっている同級生たち。

そして、教壇の近くに立つ三代目火影。

ヒルゼンが穏やかに口を開いた。

「よう眠っておったのう」

「ふぁ!?」

声が裏返った。

一瞬で眠気が吹き飛んだ。

何で。

どうして。

火影様がここに。

今日だったのか。

いや、そもそも何が今日なのか知らない。知らないが、教師たちの様子と、教室の空気と、動きやすい格好をしたヒルゼンを見れば、ただの挨拶ではないことくらい分かる。

寝起きの頭が、無理やり回り始めた。

オビトは姿勢を正した。

机の上に涎が落ちていないことだけを素早く確認する。

セーフ。

たぶん。

「火影様……」

「起こしてしまったかの」

「いえ、俺が勝手に寝てただけなので」

その通りである。

教室の何人かが笑いを堪えた。

リンも少しだけ口元を緩めている。

カカシは笑っていない。

こちらをじっと見ている。

昨日の夜に何をしていた、と目で聞かれている気がした。

知らん顔をするしかない。

ヒルゼンは教室の前へ立ち、子どもたちを見渡した。

「今日は、普段とは少し違う授業をさせてもらう」

教室の空気がざわつく。

教師が手を上げ、静かにするよう促した。

「これから訓練場へ移動する。火影様に、一人ずつ組手の相手をしていただく」

一瞬の沈黙。

次の瞬間、声が上がった。

「火影様と!?」

最も大きかったのはガイだった。

椅子から立ち上がりかけ、教師に視線で座るよう促される。それでも目は輝き、身体中からやる気が溢れていた。

アスマは露骨に顔をしかめた。

やりにくいだろう。

父親を相手に、同級生たちの前で組手をする。しかも相手は火影として来ている。普段の親子の距離ではいられない。

紅は緊張したように背筋を伸ばした。

リンも驚いている。

カカシは、すでに組手の条件を考え始めているような顔をしていた。

オビトは固まったままだった。

火影との、一対一組手。

今日。

今から。

内心で盛大に絶叫した。

聞いてない。

何も聞いてない。

普通の授業だと思って来た。

いや、普通の授業すら寝ていた。

睡眠不足で三限目まで熟睡した直後に、三代目火影と組手。

最高の目覚ましだった。

眠気は完全に消えた。

代わりに、別の意味で頭が痛い。

どこまで出す。

何を見せる。

体術だけか。

忍術も使うのか。

写輪眼は絶対に出さない。

呪力も前へは出さない。

術式など論外。

だが、抑えすぎればまた不自然になる。教師たちの報告が火影の耳へ入っている可能性は高い。むしろ、そのための授業だろう。

まずい。

かなりまずい。

ヒルゼンの視線が、一瞬だけこちらへ向いた。

穏やかな目。

だが、ただの好々爺の目ではない。

見られている。

試される。

そのことだけは分かった。

子どもたちは荷物を置き、教師に連れられて訓練場へ移動した。

陽は高く、土の上には薄い影が落ちている。訓練場の中央には、すでに簡単な境界線が引かれていた。周囲には教師が数人立ち、安全確認をしている。

ヒルゼンが中央へ進む。

「勝敗だけを見るものではない。今、自分に何ができるか。それを見せてくれればよい」

穏やかな言葉だった。

「無理に勝とうとせずともよい。されど、最初から諦める必要もない」

子どもたちの顔が引き締まる。

順番が告げられた。

最初に呼ばれたのはガイだった。

「よろしくお願いします!」

訓練場中へ響くほどの声で頭を下げる。

元気だ。

本当に元気だ。

開始の合図と同時に、真正面から飛び込んだ。

迷いがない。

速さも技術もまだ粗い。それでも、今持っている力を全部ぶつけようとする姿勢は、見ていて気持ちがよかった。蹴りを避けられても、転んでも、すぐに立つ。ヒルゼンは必要以上に攻撃せず、ガイがどう立て直すかを見ている。

最後は足を払われ、尻から土へ落ちた。

それでもガイは、悔しそうにしながら笑っていた。

「ありがとうございました!」

真っ直ぐだ。

オビトも自然に笑みが浮かんだ。

次々と子どもたちが呼ばれる。

アスマの番になる。

「……よろしくお願いします」

声が少し硬い。

ヒルゼンは火影として息子を見ている。アスマもそれが分かっているのだろう。普段の父へ向ける感情と、火影へ挑む緊張が混じり、動きに少し迷いが出ていた。

やりにくいよな。

オビトは同情した。

攻めれば読まれる。

下手に引けば、普段より気持ちが逃げていることまで見抜かれる。

アスマは最後まで顔をしかめたままだったが、途中からは迷いを捨てた。低く踏み込み、一撃だけでも届かせようとする。結局、腕を取られて止められたものの、最初より動きはよくなっていた。

紅は慎重だった。

正面から入らず、距離を測り、ヒルゼンが動くのを待つ。だが待ちすぎたところへ一歩で間合いを詰められ、驚いて動きが止まった。すぐに立て直そうとしたが、肩へ手を置かれたところで終了となる。

悔しそうだった。

けれど、何が足りなかったかを考えている顔だった。

リンの番が来る。

「よろしくお願いします」

声は少し緊張している。

オビトは無意識に姿勢を正した。

リンは攻撃の巧さより、相手の動きをよく見ていた。ヒルゼンが一歩踏み込むと、避けるだけでなく、周囲の境界線まで確認する。後ろへ下がりすぎて場外にならないよう気をつけている。

防御が中心だ。

無理に手を出さない。

ヒルゼンがわざと隙を見せた時、リンは一瞬迷った。

攻めるか。

待つか。

結局、慎重に手を伸ばしたところで腕を取られた。

組手は短く終わったが、ヒルゼンは穏やかに頷いた。

「周囲をよく見ておった。ただ、好機と思った時は、もう少し己の判断を信じてもよい」

「はい」

リンは素直に返事をした。

列へ戻る途中、その視線がカカシへ向く。

頑張って、と言うような小さな笑み。

やはり、カカシが好きらしい。

前々世の頃と、そのあたりは変わらない。

オビトはそう思った。

それだけだった。

胸が痛むこともない。

嫉妬もない。

寂しさもない。

不思議なくらい、何も引っかからなかった。

どうしてだろう、と一瞬考える。

前々世では、リンがカカシを見るたびに胸の奥がざわついた。追いつきたくて、振り向いてほしくて、勝手に張り合っていた。

今は、リンの好意を見ても、微笑ましいとしか思わない。

年齢を重ねすぎたからか。

今世のリンを、前々世と同じように見ていないからか。

それもある。

けれど、もう一つ。

頭に浮かんだのは、前世で何だかんだと自分を扱き使った女だった。

釘崎野薔薇。

任務中でも、買い物でも、遠慮がない。

「それ持って」

「遅い」

「何ぼさっとしてんの」

「今日空いてるでしょ。荷物持ち決定」

だいたい命令か、罵倒か、当然のような使役だった。

けれど、案外ああいう相手の方が気楽だった。

こちらの顔色を窺わない。

遠回しに察してもらおうとしない。

腹が立てば怒る。

嬉しければ笑う。

嫌なら嫌と言う。

自分が沈みそうになれば、容赦なく襟首を掴んで引きずり上げる。

あの空気は、案外好きだった。

いや、案外どころではない。

恋人だったのだから、好きで当然なのだが。

オビトは少しだけ目を伏せた。

リンへの感情が消えたというより、形が変わったのだろう。

今のリンは、大切にしたい子どもであり、仲間になっていく相手だ。

前々世の恋心を、そのまま重ねる相手ではない。

そこまで考えたところで、周囲の空気が変わった。

カカシの番だった。

「はたけカカシ」

呼ばれ、カカシが前へ出る。

小さな身体。

白い髪。

表情は淡い。

だが、目は鋭くヒルゼンを見ている。

「よろしくお願いします」

構えに無駄がない。

開始の合図。

カカシはすぐには飛び込まなかった。

相手が火影だと分かっている。

正面から行けば簡単に止められる。距離を測り、足元を見て、ヒルゼンの重心がわずかに動いた瞬間に横へ回った。

速い。

四歳としては、やはり異常なほどに。

ヒルゼンの手が伸びる。

カカシは低く潜り、足元へ入る。だが、その動きも読まれている。体勢を崩す前に肩へ手が来る。

カカシは触れられる直前に身体を捻り、袖を抜いた。

周囲から小さな声が上がる。

ヒルゼンの目がわずかに細くなった。

次は、先ほどより速い。

カカシは後ろへ下がらず、懐へ入ろうとする。手首を狙い、肘を押さえ、体格差を使わせないよう動く。

上手い。

本当に上手い。

しかし、まだ小さい。

一度流れを外されると、足の長さも体重も足りない。ヒルゼンがわずかに軸をずらしただけで、カカシの身体が前へ流れる。

それでも倒れない。

手をつき、即座に蹴りへ繋ぐ。

ヒルゼンはそれを腕で受け、軽く押し返した。

カカシの足が土を滑る。

そこで教師が終了を告げた。

カカシは息を乱しながらも、最後まで目を逸らさなかった。

「よい判断じゃった」

ヒルゼンが言う。

「相手の力を正面から受けぬよう、よく考えておる。ただ、先を読みすぎて身体が硬くなる時がある。相手は必ずしも、予想した通りには動かぬ」

「はい」

カカシは短く答え、列へ戻った。

悔しそうだった。

だが、その悔しさを顔へ大きく出さない。

戻ってきたカカシへ、リンが笑いかける。

「すごかったよ、カカシ」

「別に」

返事は素っ気ない。

けれど、完全に無視はしない。

この辺りも、記憶と大きな差はなかった。

オビトは少しだけ息を吐いた。

残っている生徒が減っている。

次は誰だ。

自分の順番は、できれば真ん中くらいで流してほしかった。最後になると注目が集まる。報告書を見て組まれた順番なら、なおさら嫌な予感がする。

教師が名簿を見る。

残った子どもを一人呼ぶ。

その組手が終わる。

また一人。

終わる。

そして。

気づけば、立っているのはオビトだけだった。

え。

待って。

周囲の視線がこちらへ集まる。

リン。

カカシ。

ガイ。

アスマ。

紅。

教師たち。

中央に立つヒルゼン。

教師が名を呼んだ。

「最後。うちはオビト」

オビトは固まった。

大トリ。

何で。

やっぱり狙われている。

内心で頭を抱えた。

眠気はとっくに吹き飛んでいる。

代わりに、胃の辺りが重い。

見せすぎるな。

抑えすぎるな。

写輪眼は出すな。

呪力も術式も使うな。

五歳の身体に合わせる。

だが、火影を相手に不自然な手抜きは通じない。

無理難題の山だった。

ヒルゼンは中央で、穏やかにこちらを待っている。

オビトは一度だけ深く息を吸った。

それから列を離れ、訓練場へ足を踏み出した。


〆栞
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