噂
火影直々の特別授業は、秘密裏に行われた。
少なくとも、そういうことになっていた。
生徒には事前に知らせず、授業日程の変更も最小限に留め、関係する教師たちへは口外しないよう念を押してある。各学年で行われた一対一の組手も、子どもたちの現在の力量を測るための授業にすぎない。
だが、秘密とは知る者が増えるほど形を失うものだ。
三代目火影が忍者学校へ来た。
生徒一人ひとりと組手をした。
一年目には、はたけカカシがいる。
そして、うちはオビトがいる。
断片だった話は、子どもから家族へ、教師から関係者へ、火影直属の忍から上層部へと、静かに枝を伸ばしていった。
その中でも、もっとも強く人の耳を引いたのは同じ話だった。
うちはオビトの実力が、異常だった。
忍者学校へ入学して、まだ日も浅い。
五歳。
両親を亡くし、祖母と暮らす子ども。
うちは集落の端にある家で育ち、少し前までは落ちこぼれと呼ばれていた少年。
その子が、火影との組手で三代目を一歩退かせた。
さすがに、そのままの言葉を信じる者ばかりではなかった。
火影が加減したのだろう。
子どもの自信をつけさせるために譲ったのではないか。
学校内の話が大げさになっただけだ。
そう考える方が自然だった。
だが、実際に演習場へいた者たちの報告は、噂よりも厄介だった。
速さだけではない。
技の数でもない。
五歳児とは到底思えない間合いの取り方をしていた。
火影の誘いを読み、攻撃を受ける危険があっても懐へ入った。
一撃を止められたあとへ、遅れて二度目の衝撃を重ねた。
何より、危険になるほど落ち着き、笑っていた。
それは、ただ早熟な子どもの姿ではなかった。
うちは一族の上層部へ話が届いたのは、特別授業の翌日だった。
集会に使われる部屋には、年長者たちが集まっていた。正式な議題は別にある。警務部隊の配置、戦時下での里内警戒、一族から任務へ出ている忍たちの状況。
その合間に、忍者学校から聞こえてきた少年の名が出た。
「マヒトの息子が、火影様と組手をしたそうだ」
一人の男が言う。
「忍者学校の特別授業なら、他の子どもも同じだろう」
「問題は内容だ。生徒の範囲を逸脱していたと聞く」
「五歳児の話だぞ」
訝しむ声が上がる。
だが、別の年長者は否定しなかった。
「学校の評価では、すべて首位だ。手裏剣、忍術、体術、座学。教師が意図的に難度を上げても、答えたらしい」
「集落で落ちこぼれと言われていた子がか」
「その呼び名自体、誰が言い始めたものか分からん。才を見せる機会がなかっただけだろう」
それは、最近になって増えた見方だった。
忍者学校へ入る前のオビトは、集落の中で目立つ存在ではない。祖母と暮らし、老人たちの用事を手伝い、買い物へ出れば道端で誰かに捕まっている。
一族の子どもとして早くから華々しい修練を積んだという話もない。
写輪眼を開いたという報告もない。
だから、才がないのだと勝手に決められていた。
学校で積み上げた評価は、その認識を完全に覆していた。
「誰が教えた」
「分からん」
「祖母ではあるまい」
「マヒトが何か残していた可能性は?」
「両親が亡くなった時、あの子はまだ幼い」
「ならば、独学だというのか」
問いに答えられる者はいなかった。
フガクは議論を聞きながら、腕を組んでいた。
以前に会った少年の姿を思い出す。
額のゴーグル。
手にした買い物包み。
自分を前にして怯えもせず、かといって馴れ馴れしく振る舞うこともなかった。父親の話を出した時だけ、静かに耳を傾けていた。
あの時、戦う子どもとして見たわけではない。
それでも、年齢のわりに落ち着いているとは感じた。
マヒトもまた、目立つことを好む男ではなかった。
己を大きく見せず、任務では周囲をよく見ていた。必要な時に前へ出るが、功を誇ることはない。
だが、息子の話は、その程度の似方では収まらない。
「火影様は、何と」
フガクが問う。
部屋の声が止まった。
「まだ正式な話は来ていない。ただ、授業後にオビトだけが火影塔へ呼ばれたそうだ」
上層部の何人かが目を細める。
一族の子どもを、火影が個別に呼んだ。
戦時下の里では、それだけでも意味を探られる。
「一族として、話を聞くべきではないか」
「何についてだ」
「オビトの今後についてだ。火影が才を認めたのなら、うちはとしても把握しておく必要がある」
「まだ五歳だぞ」
「だからこそだ。外に任せきりにするわけにはいかん」
言葉の底にあるものを、フガクは聞き取った。
才ある子を、一族の外へ持っていかれたくない。
火影側が先に目をつけたのなら、うちはも立場を示すべきだ。
それは、戦時下の一族として理解できる考えではある。
だが、当人を置き去りにしてよい理由にはならない。
「正式な通知もないうちから、動くべきではない」
フガクが静かに言った。
「しかし」
「忍者学校での授業だ。火影様が何を判断されたかも分からん。噂だけで家へ押しかければ、祖母と子どもを怯えさせるだけだ」
反論は止まった。
フガクは表情を変えず、続ける。
「まず事実を確認する。オビトについては、それからだ」
マヒトの子。
その名はもう、集落の外れで暮らす遺児というだけではない。
一族上層部が、今後を話し合う存在になっていた。
同じ頃。
火影塔の地下に近い、陽の差し込まない一室では、別の男が報告を受けていた。
志村ダンゾウは、差し出された書面へ目を落とした。
報告をまとめたのは、火影直属の暗部に属する忍だった。
本来ならば、特別授業の内容がそのまま根へ渡ることはない。だが、情報が完全に一つの場所だけへ留まることもなかった。火影塔の出入り、演習場の警戒、教師たちの動き。
断片を集めれば、形は見える。
五歳。
うちは。
忍者学校入学直後。
成績は全分野で首位。
火影との組手では、年齢と経験に見合わぬ体術を披露。
出力を抑えていた形跡あり。
危険への躊躇が薄い。
実戦を経験した者のような判断。
「五歳児とは、到底思えぬか」
ダンゾウの声は低かった。
報告に来た男は、頭を垂れたまま答える。
「実際に見た者は、皆同じ印象を持ったようです」
「火影は」
「授業後、本人を火影室へ呼んでいます。対話の内容は不明です」
ダンゾウの指が、書面の上で止まる。
うちはオビト。
一族の中でこれまで注目されていなかった子ども。
両親は死亡。
育てているのは祖母一人。
後ろ盾は弱い。
それでいて、才は並外れている。
幼いほど染めやすい。
教え込む前の子どもは、導き方次第でいかようにも形を変える。己の力を持て余し、周囲から理解されず、居場所を得られない者ほど、与えられた役目へ強く縋る。
根に必要なのは、命令を疑わず、里の闇を引き受ける者だ。
「接触の機会を探れ」
ダンゾウが告げる。
男の頭がわずかに上がる。
「火影がすでに目を向けています」
「だからこそ、遅れてはならぬ」
「うちは側も動く可能性があります」
「表立って奪う必要はない」
ダンゾウは書面を閉じた。
「まず、何を望み、何を恐れる子かを知れ。祖母、学校、交友関係。火影との対話後に変化があれば、それも拾え」
「承知しました」
男の気配が消える。
部屋に一人残ったダンゾウは、机上の名へもう一度目を落とした。
五歳で、火影を相手に戦うことを楽しんだ少年。
危険へ入ることを恐れない。
正しく使えば、役に立つ。
それが自らの意志で前へ出る性質ならば、なおさら。
ただし、その意志がどこへ向いているのかは、まだ分からない。
「猿飛め」
低い呟きが、暗い室内へ落ちた。
「また先に手を伸ばしたか」
はたけ家では、カカシの様子が明らかに変わっていた。
いつもより口数が少ない。
食事中も、箸は正しく動いている。姿勢も崩れていない。だが、意識の半分が別の場所にあることは、向かいに座るサクモには分かった。
特別授業のあと、帰宅してからずっとそうだった。
サクモは急かさなかった。
息子が自分から言葉を探すまで、静かに待った。
やがてカカシが箸を置いた。
「父さん」
「うん」
「オビトは、何であんなに強いの」
問いは唐突だった。
サクモは湯呑みを置く。
「今日、組手を見たんだね」
「火影様と戦った」
「そうか」
「戦ったっていうか……」
カカシはそこで黙った。
何と表現すればいいか、決められないようだった。
相手は火影だ。
勝てるはずはない。
実際、最後にはオビトも弾き飛ばされていた。
それでも、ただ負けた子どもではなかった。
火影の動きを読み、一撃を届かせ、二度目の衝撃で足を退かせた。
何より、途中から笑っていた。
普段の、困ったような顔でもない。
リンに話しかけられた時の柔らかい顔でもない。
強い相手を前にして、ようやく自分の場所を見つけたような顔だった。
「全然違った」
カカシが言う。
「何が?」
「学校で動いてる時と」
手裏剣を投げる時。
簡単な組手をする時。
授業中に教師へ答える時。
あれまでですら、同年代では並ぶ者がいなかった。
だが、今日見たものはその先にあった。
「ずっと隠してた」
声に苛立ちが混じる。
「オレが本気でやっても、あいつは本気じゃなかった」
サクモはすぐに否定しなかった。
「悔しいかい」
カカシの口が固く結ばれる。
「……悔しい」
初めて、はっきり認めた。
「何が違うのか分からない。オレも毎日やってる。手裏剣も、体術も、忍術も。なのに、あいつは」
言葉が止まる。
カカシは自分の手を見た。
「攻撃が来ても、怖がってなかった」
「怖くなかったとは限らないよ」
「でも入った」
「そうだね」
サクモも、その報告は聞いている。
避けきらず、掠める距離へ踏み込む。
相手の懐へ届くため、自分も危険へ晒す。
技術だけなら、型を教えることはできる。
だが、あの判断は型では身につかない。
「何で、あんなことができるの」
「私にも分からない」
サクモは正直に答えた。
カカシが顔を上げる。
父なら答えを知っていると思っていたのかもしれない。
「ただ、一つ言えることはある」
「何」
「オビトくんと同じ戦い方を、そのまま真似する必要はない」
カカシの眉が寄る。
「負けたままでいいってこと?」
「違うよ」
サクモは穏やかに首を振った。
「追いつきたいと思うなら、追えばいい。悔しいなら、修練すればいい。けれど、相手が危険へ踏み込んだからといって、自分も同じ危険を選ぶ必要はない」
「でも、それじゃ届かない」
「届く方法は一つではない」
カカシは黙った。
納得はしていない。
それでも、聞いてはいる。
「オビトくんが何を知っているのか、私にも分からない。けれど、カカシにはカカシの積み重ねがある。比べるなら、相手の強さだけでなく、自分が何を伸ばすべきかを見なさい」
カカシは視線を落とした。
「……次は負けない」
静かな声。
以前にも言った言葉だった。
だが今度は、意味が違う。
一位を取り返すだけではない。
自分の前にいる相手として、オビトを認めた上で追う言葉だった。
サクモは小さく頷く。
「うん」
それでいい。
悔しさを知らない者より、悔しさを抱えて進める者の方が強くなる。
ただし、その悔しさが息子自身を削りすぎないよう、見ておく必要はあった。
そして。
波風ミナトが、うちはオビトの名を知ったのも、その日だった。
任務報告を終え、火影塔の廊下を歩いていた時のことだった。
執務室から出てきた忍者学校の教師が、数枚の書類を抱えている。すれ違いざま、上に置かれた紙が一枚滑り落ちた。
ミナトは反射的に手を伸ばし、床へ触れる前に受け止めた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます、波風上忍」
教師が慌てて受け取る。
紙が裏返る一瞬、名が見えた。
うちはオビト。
その下に並ぶ評価。
手裏剣術。
忍術。
体術。
座学。
すべて第一位。
目に入ったのは、それだけだった。
人の書類を覗き込むつもりはない。ミナトはすぐに視線を外した。
だが、教師の顔には疲労と困惑が混じっていた。
「忍者学校の生徒ですか」
「ええ。少し、今後の扱いを火影様と相談しておりまして」
教師はそこまで言い、口を閉じた。
詳しく話せない内容なのだろう。
ミナトも踏み込まなかった。
「大変そうですね」
「……はい。優秀なのは、間違いないのですが」
言葉の終わりが重い。
教師は一礼し、廊下を急いでいく。
ミナトはその背を見送った。
うちはオビト。
聞き覚えはなかった。
だが、火影と今後の扱いを相談するほどの子どもであるらしい。
その後、執務室へ追加の確認で戻った際、机の端へ同じ名の書類が分けられていることにも気づいた。
ヒルゼンがミナトの視線を追う。
「気になるかの」
「先ほど、偶然名前を見ました。忍者学校の生徒だそうですね」
「うむ」
ヒルゼンはそれ以上をすぐには語らなかった。
ミナトも待つ。
「少々、変わった子でな」
やがて返ってきたのは、それだけだった。
ただ、ヒルゼンの声には警戒だけではないものがあった。
驚き。
興味。
そして、どこか期待に近い響き。
ミナトは静かにその名を覚えた。
うちはオビト。
それが、自分と深く関わる少年の名になることを、今のミナトはまだ知らない。
一方。
自分の名が、うちは一族の上層部へ届き。
根が動き。
カカシの胸へ強い悔しさを残し。
波風ミナトの耳にまで入ったことなど、当のオビトは露ほども知らなかった。
彼は今日も、里の一角で祓除に精を出していた。
正確には。
祓除より、反省に精を出していた。
「あー……だとしても、まずかったよなぁ」
人気の少ない裏道を歩きながら、オビトは頭を抱えた。
塀の上から、細長い呪霊が人通りを見下ろしている。
「解」
音もなく切れる。
黒い塵が風へ消える。
「あそこまでやる必要なかったよなぁ」
井戸の陰で、口ばかりの呪霊がこちらを向いた。
「解」
二つに割れる。
「あの縮地は絶対いらなかったし」
屋根の軒下から、蜘蛛に似た異形が這い出す。
「解」
脚ごと細かく切断される。
オビトは深く息を吐いた。
思い返すたびに頭が痛い。
最初はよかった。
周囲の子どもたちへ合わせていた。
忍者学校で首位の子どもとして、少しできる程度に抑えていた。
火影が探るように動き始めたことにも気づいた。
そこまではいい。
問題は、そのあとだ。
火影の動きが鋭くなる。
こちらの反応を見ていると分かる。
誘われる。
応じる。
一撃が届く。
楽しくなる。
五歳児、消失。
特級呪術師、出現。
「何やってんだ俺……」
思わず額を押さえた。
前方の路地から、やや大きな気配が近づいてくる。
人の不安を吸って育ったのか、歪んだ胴体から複数の腕が生えていた。通りの向こうには、帰宅途中らしい親子がいる。
オビトの目が変わる。
反省は一旦脇へ置く。
対象の硬さを測る。
動き。
距離。
親子までの位置。
「捌」
呪霊の強度に合わせた切断が走った。
巨体が幾つにも分かれ、崩れ落ちる。
「はァ……」
溜息と一緒に放ったせいで、我ながら随分と気の抜けた祓除になった。
宿儺が見ていれば怒るだろう。
呪いの王の術式を、溜息がてら使うなと。
知らん。
今はそれどころではない。
火影からは、卒業相当と告げられた。
正式な通知は翌日か翌々日。
つまり、自分が呑気に呪霊を祓っている間にも、忍者学校と火影塔では手続きが進んでいる。
祖母ちゃんにも話が行く。
教室の皆にも知られる。
カカシはどういう顔をするだろう。
リンは。
ガイは。
そもそも、入学してからほとんど日が経っていない。
介護ヘルパー戦隊として登校経路を最適化し、授業で満点を量産し、カカシと睨み合い、リンと一緒に帰るようになったと思ったら、もう卒業。
展開が早すぎる。
「俺、何しに学校入ったんだろうな」
五歳児になるためだった。
結果。
五歳児になれず、卒業する。
完璧な失敗だった。
路地の角で、小さな呪霊が一体、塀の陰へ隠れた。
害意は薄い。
人へ近づく様子もない。
オビトは一度だけ見て、そのまま通り過ぎる。
全部を祓う必要はない。
反省も同じだ。
いつまでも頭を抱えていても、起きたことは戻らない。
火影相手にやりすぎた。
卒業を告げられた。
なら、その先でどうするかを考えるしかない。
そう分かっている。
分かっているのだが。
「あー、でもやっぱまずかったよなぁ……」
再び声が漏れる。
前方に呪霊。
「解」
右の軒下にも一体。
「解」
背後の屋根に、硬めのもの。
「……はァ」
振り返らず。
「捌」
夕暮れの路地を歩きながら、オビトは祓除と反省を交互に繰り返した。
自分を巡って里のいくつもの場所が動き始めていることなど、知る由もない。
ただ一人。
火影との組手を思い出しては、五歳児任務の失敗を噛み締めていた。
少なくとも、そういうことになっていた。
生徒には事前に知らせず、授業日程の変更も最小限に留め、関係する教師たちへは口外しないよう念を押してある。各学年で行われた一対一の組手も、子どもたちの現在の力量を測るための授業にすぎない。
だが、秘密とは知る者が増えるほど形を失うものだ。
三代目火影が忍者学校へ来た。
生徒一人ひとりと組手をした。
一年目には、はたけカカシがいる。
そして、うちはオビトがいる。
断片だった話は、子どもから家族へ、教師から関係者へ、火影直属の忍から上層部へと、静かに枝を伸ばしていった。
その中でも、もっとも強く人の耳を引いたのは同じ話だった。
うちはオビトの実力が、異常だった。
忍者学校へ入学して、まだ日も浅い。
五歳。
両親を亡くし、祖母と暮らす子ども。
うちは集落の端にある家で育ち、少し前までは落ちこぼれと呼ばれていた少年。
その子が、火影との組手で三代目を一歩退かせた。
さすがに、そのままの言葉を信じる者ばかりではなかった。
火影が加減したのだろう。
子どもの自信をつけさせるために譲ったのではないか。
学校内の話が大げさになっただけだ。
そう考える方が自然だった。
だが、実際に演習場へいた者たちの報告は、噂よりも厄介だった。
速さだけではない。
技の数でもない。
五歳児とは到底思えない間合いの取り方をしていた。
火影の誘いを読み、攻撃を受ける危険があっても懐へ入った。
一撃を止められたあとへ、遅れて二度目の衝撃を重ねた。
何より、危険になるほど落ち着き、笑っていた。
それは、ただ早熟な子どもの姿ではなかった。
うちは一族の上層部へ話が届いたのは、特別授業の翌日だった。
集会に使われる部屋には、年長者たちが集まっていた。正式な議題は別にある。警務部隊の配置、戦時下での里内警戒、一族から任務へ出ている忍たちの状況。
その合間に、忍者学校から聞こえてきた少年の名が出た。
「マヒトの息子が、火影様と組手をしたそうだ」
一人の男が言う。
「忍者学校の特別授業なら、他の子どもも同じだろう」
「問題は内容だ。生徒の範囲を逸脱していたと聞く」
「五歳児の話だぞ」
訝しむ声が上がる。
だが、別の年長者は否定しなかった。
「学校の評価では、すべて首位だ。手裏剣、忍術、体術、座学。教師が意図的に難度を上げても、答えたらしい」
「集落で落ちこぼれと言われていた子がか」
「その呼び名自体、誰が言い始めたものか分からん。才を見せる機会がなかっただけだろう」
それは、最近になって増えた見方だった。
忍者学校へ入る前のオビトは、集落の中で目立つ存在ではない。祖母と暮らし、老人たちの用事を手伝い、買い物へ出れば道端で誰かに捕まっている。
一族の子どもとして早くから華々しい修練を積んだという話もない。
写輪眼を開いたという報告もない。
だから、才がないのだと勝手に決められていた。
学校で積み上げた評価は、その認識を完全に覆していた。
「誰が教えた」
「分からん」
「祖母ではあるまい」
「マヒトが何か残していた可能性は?」
「両親が亡くなった時、あの子はまだ幼い」
「ならば、独学だというのか」
問いに答えられる者はいなかった。
フガクは議論を聞きながら、腕を組んでいた。
以前に会った少年の姿を思い出す。
額のゴーグル。
手にした買い物包み。
自分を前にして怯えもせず、かといって馴れ馴れしく振る舞うこともなかった。父親の話を出した時だけ、静かに耳を傾けていた。
あの時、戦う子どもとして見たわけではない。
それでも、年齢のわりに落ち着いているとは感じた。
マヒトもまた、目立つことを好む男ではなかった。
己を大きく見せず、任務では周囲をよく見ていた。必要な時に前へ出るが、功を誇ることはない。
だが、息子の話は、その程度の似方では収まらない。
「火影様は、何と」
フガクが問う。
部屋の声が止まった。
「まだ正式な話は来ていない。ただ、授業後にオビトだけが火影塔へ呼ばれたそうだ」
上層部の何人かが目を細める。
一族の子どもを、火影が個別に呼んだ。
戦時下の里では、それだけでも意味を探られる。
「一族として、話を聞くべきではないか」
「何についてだ」
「オビトの今後についてだ。火影が才を認めたのなら、うちはとしても把握しておく必要がある」
「まだ五歳だぞ」
「だからこそだ。外に任せきりにするわけにはいかん」
言葉の底にあるものを、フガクは聞き取った。
才ある子を、一族の外へ持っていかれたくない。
火影側が先に目をつけたのなら、うちはも立場を示すべきだ。
それは、戦時下の一族として理解できる考えではある。
だが、当人を置き去りにしてよい理由にはならない。
「正式な通知もないうちから、動くべきではない」
フガクが静かに言った。
「しかし」
「忍者学校での授業だ。火影様が何を判断されたかも分からん。噂だけで家へ押しかければ、祖母と子どもを怯えさせるだけだ」
反論は止まった。
フガクは表情を変えず、続ける。
「まず事実を確認する。オビトについては、それからだ」
マヒトの子。
その名はもう、集落の外れで暮らす遺児というだけではない。
一族上層部が、今後を話し合う存在になっていた。
同じ頃。
火影塔の地下に近い、陽の差し込まない一室では、別の男が報告を受けていた。
志村ダンゾウは、差し出された書面へ目を落とした。
報告をまとめたのは、火影直属の暗部に属する忍だった。
本来ならば、特別授業の内容がそのまま根へ渡ることはない。だが、情報が完全に一つの場所だけへ留まることもなかった。火影塔の出入り、演習場の警戒、教師たちの動き。
断片を集めれば、形は見える。
五歳。
うちは。
忍者学校入学直後。
成績は全分野で首位。
火影との組手では、年齢と経験に見合わぬ体術を披露。
出力を抑えていた形跡あり。
危険への躊躇が薄い。
実戦を経験した者のような判断。
「五歳児とは、到底思えぬか」
ダンゾウの声は低かった。
報告に来た男は、頭を垂れたまま答える。
「実際に見た者は、皆同じ印象を持ったようです」
「火影は」
「授業後、本人を火影室へ呼んでいます。対話の内容は不明です」
ダンゾウの指が、書面の上で止まる。
うちはオビト。
一族の中でこれまで注目されていなかった子ども。
両親は死亡。
育てているのは祖母一人。
後ろ盾は弱い。
それでいて、才は並外れている。
幼いほど染めやすい。
教え込む前の子どもは、導き方次第でいかようにも形を変える。己の力を持て余し、周囲から理解されず、居場所を得られない者ほど、与えられた役目へ強く縋る。
根に必要なのは、命令を疑わず、里の闇を引き受ける者だ。
「接触の機会を探れ」
ダンゾウが告げる。
男の頭がわずかに上がる。
「火影がすでに目を向けています」
「だからこそ、遅れてはならぬ」
「うちは側も動く可能性があります」
「表立って奪う必要はない」
ダンゾウは書面を閉じた。
「まず、何を望み、何を恐れる子かを知れ。祖母、学校、交友関係。火影との対話後に変化があれば、それも拾え」
「承知しました」
男の気配が消える。
部屋に一人残ったダンゾウは、机上の名へもう一度目を落とした。
五歳で、火影を相手に戦うことを楽しんだ少年。
危険へ入ることを恐れない。
正しく使えば、役に立つ。
それが自らの意志で前へ出る性質ならば、なおさら。
ただし、その意志がどこへ向いているのかは、まだ分からない。
「猿飛め」
低い呟きが、暗い室内へ落ちた。
「また先に手を伸ばしたか」
はたけ家では、カカシの様子が明らかに変わっていた。
いつもより口数が少ない。
食事中も、箸は正しく動いている。姿勢も崩れていない。だが、意識の半分が別の場所にあることは、向かいに座るサクモには分かった。
特別授業のあと、帰宅してからずっとそうだった。
サクモは急かさなかった。
息子が自分から言葉を探すまで、静かに待った。
やがてカカシが箸を置いた。
「父さん」
「うん」
「オビトは、何であんなに強いの」
問いは唐突だった。
サクモは湯呑みを置く。
「今日、組手を見たんだね」
「火影様と戦った」
「そうか」
「戦ったっていうか……」
カカシはそこで黙った。
何と表現すればいいか、決められないようだった。
相手は火影だ。
勝てるはずはない。
実際、最後にはオビトも弾き飛ばされていた。
それでも、ただ負けた子どもではなかった。
火影の動きを読み、一撃を届かせ、二度目の衝撃で足を退かせた。
何より、途中から笑っていた。
普段の、困ったような顔でもない。
リンに話しかけられた時の柔らかい顔でもない。
強い相手を前にして、ようやく自分の場所を見つけたような顔だった。
「全然違った」
カカシが言う。
「何が?」
「学校で動いてる時と」
手裏剣を投げる時。
簡単な組手をする時。
授業中に教師へ答える時。
あれまでですら、同年代では並ぶ者がいなかった。
だが、今日見たものはその先にあった。
「ずっと隠してた」
声に苛立ちが混じる。
「オレが本気でやっても、あいつは本気じゃなかった」
サクモはすぐに否定しなかった。
「悔しいかい」
カカシの口が固く結ばれる。
「……悔しい」
初めて、はっきり認めた。
「何が違うのか分からない。オレも毎日やってる。手裏剣も、体術も、忍術も。なのに、あいつは」
言葉が止まる。
カカシは自分の手を見た。
「攻撃が来ても、怖がってなかった」
「怖くなかったとは限らないよ」
「でも入った」
「そうだね」
サクモも、その報告は聞いている。
避けきらず、掠める距離へ踏み込む。
相手の懐へ届くため、自分も危険へ晒す。
技術だけなら、型を教えることはできる。
だが、あの判断は型では身につかない。
「何で、あんなことができるの」
「私にも分からない」
サクモは正直に答えた。
カカシが顔を上げる。
父なら答えを知っていると思っていたのかもしれない。
「ただ、一つ言えることはある」
「何」
「オビトくんと同じ戦い方を、そのまま真似する必要はない」
カカシの眉が寄る。
「負けたままでいいってこと?」
「違うよ」
サクモは穏やかに首を振った。
「追いつきたいと思うなら、追えばいい。悔しいなら、修練すればいい。けれど、相手が危険へ踏み込んだからといって、自分も同じ危険を選ぶ必要はない」
「でも、それじゃ届かない」
「届く方法は一つではない」
カカシは黙った。
納得はしていない。
それでも、聞いてはいる。
「オビトくんが何を知っているのか、私にも分からない。けれど、カカシにはカカシの積み重ねがある。比べるなら、相手の強さだけでなく、自分が何を伸ばすべきかを見なさい」
カカシは視線を落とした。
「……次は負けない」
静かな声。
以前にも言った言葉だった。
だが今度は、意味が違う。
一位を取り返すだけではない。
自分の前にいる相手として、オビトを認めた上で追う言葉だった。
サクモは小さく頷く。
「うん」
それでいい。
悔しさを知らない者より、悔しさを抱えて進める者の方が強くなる。
ただし、その悔しさが息子自身を削りすぎないよう、見ておく必要はあった。
そして。
波風ミナトが、うちはオビトの名を知ったのも、その日だった。
任務報告を終え、火影塔の廊下を歩いていた時のことだった。
執務室から出てきた忍者学校の教師が、数枚の書類を抱えている。すれ違いざま、上に置かれた紙が一枚滑り落ちた。
ミナトは反射的に手を伸ばし、床へ触れる前に受け止めた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます、波風上忍」
教師が慌てて受け取る。
紙が裏返る一瞬、名が見えた。
うちはオビト。
その下に並ぶ評価。
手裏剣術。
忍術。
体術。
座学。
すべて第一位。
目に入ったのは、それだけだった。
人の書類を覗き込むつもりはない。ミナトはすぐに視線を外した。
だが、教師の顔には疲労と困惑が混じっていた。
「忍者学校の生徒ですか」
「ええ。少し、今後の扱いを火影様と相談しておりまして」
教師はそこまで言い、口を閉じた。
詳しく話せない内容なのだろう。
ミナトも踏み込まなかった。
「大変そうですね」
「……はい。優秀なのは、間違いないのですが」
言葉の終わりが重い。
教師は一礼し、廊下を急いでいく。
ミナトはその背を見送った。
うちはオビト。
聞き覚えはなかった。
だが、火影と今後の扱いを相談するほどの子どもであるらしい。
その後、執務室へ追加の確認で戻った際、机の端へ同じ名の書類が分けられていることにも気づいた。
ヒルゼンがミナトの視線を追う。
「気になるかの」
「先ほど、偶然名前を見ました。忍者学校の生徒だそうですね」
「うむ」
ヒルゼンはそれ以上をすぐには語らなかった。
ミナトも待つ。
「少々、変わった子でな」
やがて返ってきたのは、それだけだった。
ただ、ヒルゼンの声には警戒だけではないものがあった。
驚き。
興味。
そして、どこか期待に近い響き。
ミナトは静かにその名を覚えた。
うちはオビト。
それが、自分と深く関わる少年の名になることを、今のミナトはまだ知らない。
一方。
自分の名が、うちは一族の上層部へ届き。
根が動き。
カカシの胸へ強い悔しさを残し。
波風ミナトの耳にまで入ったことなど、当のオビトは露ほども知らなかった。
彼は今日も、里の一角で祓除に精を出していた。
正確には。
祓除より、反省に精を出していた。
「あー……だとしても、まずかったよなぁ」
人気の少ない裏道を歩きながら、オビトは頭を抱えた。
塀の上から、細長い呪霊が人通りを見下ろしている。
「解」
音もなく切れる。
黒い塵が風へ消える。
「あそこまでやる必要なかったよなぁ」
井戸の陰で、口ばかりの呪霊がこちらを向いた。
「解」
二つに割れる。
「あの縮地は絶対いらなかったし」
屋根の軒下から、蜘蛛に似た異形が這い出す。
「解」
脚ごと細かく切断される。
オビトは深く息を吐いた。
思い返すたびに頭が痛い。
最初はよかった。
周囲の子どもたちへ合わせていた。
忍者学校で首位の子どもとして、少しできる程度に抑えていた。
火影が探るように動き始めたことにも気づいた。
そこまではいい。
問題は、そのあとだ。
火影の動きが鋭くなる。
こちらの反応を見ていると分かる。
誘われる。
応じる。
一撃が届く。
楽しくなる。
五歳児、消失。
特級呪術師、出現。
「何やってんだ俺……」
思わず額を押さえた。
前方の路地から、やや大きな気配が近づいてくる。
人の不安を吸って育ったのか、歪んだ胴体から複数の腕が生えていた。通りの向こうには、帰宅途中らしい親子がいる。
オビトの目が変わる。
反省は一旦脇へ置く。
対象の硬さを測る。
動き。
距離。
親子までの位置。
「捌」
呪霊の強度に合わせた切断が走った。
巨体が幾つにも分かれ、崩れ落ちる。
「はァ……」
溜息と一緒に放ったせいで、我ながら随分と気の抜けた祓除になった。
宿儺が見ていれば怒るだろう。
呪いの王の術式を、溜息がてら使うなと。
知らん。
今はそれどころではない。
火影からは、卒業相当と告げられた。
正式な通知は翌日か翌々日。
つまり、自分が呑気に呪霊を祓っている間にも、忍者学校と火影塔では手続きが進んでいる。
祖母ちゃんにも話が行く。
教室の皆にも知られる。
カカシはどういう顔をするだろう。
リンは。
ガイは。
そもそも、入学してからほとんど日が経っていない。
介護ヘルパー戦隊として登校経路を最適化し、授業で満点を量産し、カカシと睨み合い、リンと一緒に帰るようになったと思ったら、もう卒業。
展開が早すぎる。
「俺、何しに学校入ったんだろうな」
五歳児になるためだった。
結果。
五歳児になれず、卒業する。
完璧な失敗だった。
路地の角で、小さな呪霊が一体、塀の陰へ隠れた。
害意は薄い。
人へ近づく様子もない。
オビトは一度だけ見て、そのまま通り過ぎる。
全部を祓う必要はない。
反省も同じだ。
いつまでも頭を抱えていても、起きたことは戻らない。
火影相手にやりすぎた。
卒業を告げられた。
なら、その先でどうするかを考えるしかない。
そう分かっている。
分かっているのだが。
「あー、でもやっぱまずかったよなぁ……」
再び声が漏れる。
前方に呪霊。
「解」
右の軒下にも一体。
「解」
背後の屋根に、硬めのもの。
「……はァ」
振り返らず。
「捌」
夕暮れの路地を歩きながら、オビトは祓除と反省を交互に繰り返した。
自分を巡って里のいくつもの場所が動き始めていることなど、知る由もない。
ただ一人。
火影との組手を思い出しては、五歳児任務の失敗を噛み締めていた。
【〆栞】