目撃
演習場へ辿り着くまでに、ずいぶん時間がかかった。
正確には、辿り着くために影分身を犠牲にした。
本体が通りを進めば、案の定、老人に呼び止められる。荷物を運んでほしい。高い場所の物を取ってほしい。戸棚が引っかかる。瓶の蓋が開かない。
一つ引き受ければ、その先でもう一つ増える。
これでは今日も演習場へ着かない。
そう判断したオビトは、人目の少ない角で影分身を作った。
一人は荷物運び。
一人は屋根の掃除。
もう一人は、なぜか老人たちの茶飲み相手。
本体だけが、隙を見てその場を抜けた。
背後から影分身の声が飛ぶ。
「おい、本体! 茶菓子だけ持って逃げんな!」
「あとで記憶ごと受け取るから頑張れ!」
「最悪だこいつ!」
自分同士の罵声を背に、オビトはようやく演習場へ到着した。
空いている。
周囲の訓練場にも人影はない。
少なくとも、見える範囲には。
オビトは荷物を木の根元へ置き、肩や腰を回した。首を傾け、足首をほぐす。軽く走り、屈伸をして、今の身体の調子を確かめた。
火影との組手で受けた痛みは、もうほとんど残っていない。
フガクたちとの組手で使った箇所にも問題はなかった。
五歳の身体ではある。
だが、内側へ抱えているものは、年齢に見合う量ではない。
準備運動を終え、オビトは演習場の中央で立ち止まった。
「さて、何すっかな」
班編成はまだ決まっていない。
任務もない。
下忍になったとはいえ、今のところ生活は忍者学校へ通わなくなっただけだ。
ならば、身体を動かす。
今の体格で使いやすい間合いを探る。
出力を調整し、見せられる範囲と隠すべき範囲を整理する。
五歳児らしく見せることは、もう諦めた。
火影相手にあれだけ動いたあとで、今さら年相応の振る舞いへ戻しても遅い。これから必要なのは、何ができるかを隠すことではなく、何を見せるかを選ぶことだった。
オビトは忍具入れからクナイを一本取り出した。
指の上で重さを確かめる。
刃へ、薄く呪力を纏わせる。
見た目には分からない。
だが、金属の表面を覆う力は、低級の呪霊なら十分に断てる密度を持っていた。
森の影。
木の幹と幹の間に、黒い塊が潜んでいる。
人へ近づく機会を窺っていたらしい。
オビトは身体を捻り、クナイを投げた。
一直線に飛ぶ。
黒い塊の中心を貫き、そのまま奥の木へ突き刺さる。
呪霊は声もなく崩れた。
オビトは木へ歩み寄り、刺さったクナイを引き抜く。
刃を見る。
欠けも歪みもない。
「うーん」
唸った。
呪力の制御そのものは問題ない。
むしろ問題がなさすぎる。
前世と同じく、総量は乙骨先輩と同等級。
身体が五歳になったからといって、魂へ根づいた呪力量まで五歳相当へ縮んではくれなかった。
今の器へ収まり、馴染み、むしろ安定している。
出す量を絞ることはできる。
しかし、どれほど努力しても、経験も精度も総量も五歳児の水準へ落とせない。
無理なものは無理だった。
「五歳児、難しすぎんだろ……」
火影との組手で、ようやく認めた。
全人生を引っ括めても、最も過酷な任務だった気がする。
第四次忍界大戦。
宿儺との最終決戦。
数えきれない呪霊と呪詛師の相手。
どれも命懸けだった。
だが、五歳児になるという任務には、終わりが見えなかった。
「あ、いや」
オビトは真顔になった。
「赤ん坊よりはマシか」
その瞬間、地獄の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
動けない。
話せない。
首が据わらない。
腹が減れば泣くしかない。
風呂も着替えも排泄も、すべて他人任せ。
意識だけが大人のまま、赤子として扱われ続けた日々。
オビトは遠い目をした。
「あれは本当に地獄だったな……」
五歳児は自分で歩ける。
食事もできる。
風呂にも入れる。
夜中に家を抜け出して呪霊を祓いに行くことすらできる。
祖母ちゃんに知られれば叱られるが。
その点だけでも、赤子よりは圧倒的に自由だった。
「よし。赤ん坊よりマシ」
基準がおかしい。
だが、少し気が楽になった。
オビトはクナイを握り直し、演習場へ戻る。
さて。
何をするか。
ただ型を繰り返すだけでは飽きる。
相手を想定した方が、判断も足運びも自然になる。
記憶を探り、対戦相手を選ぶ。
虎杖は昨夜やった。
五条先生は、六道仙人の試験で一度相手にした。あれは体格差が理不尽すぎる。今また選べば、長い脚で蹴り飛ばされる未来しか見えない。
伏黒なら、式神込みでなければ少し違う。
乙骨先輩は呪力量も技の幅も広すぎる。
釘崎は武器と術式が絡む。
なら。
「真希さんにするか」
術式はいらない。
呪力による派手な攻防もない。
純粋な肉弾戦と武器を使った戦い。
今の身体で、距離と武器の扱いを確かめる相手としては申し分ない。
前世で、オビトの主要武器はナイフではなかった。
それでも、任務先で何かと便利だったため、サバイバルナイフ型の呪具を使うことは多かった。
切る。
突く。
受ける。
投げる。
障害物を削る。
罠を外す。
呪霊へ直接通す。
一本あるだけで、できることが増える。
ここには呪具のナイフはない。
だが、クナイで十分代用できる。
「一周目で慣れてるしな」
忍として生きた頃、クナイは身体の一部に近かった。
オビトは柄に指を引っかけ、くるくると回した。
一回。
二回。
回転を止めず、そのまま軽く上へ放る。
落ちてきたクナイを足の甲で受け止めた。
刃が自分へ向かない角度。
少し蹴り上げる。
クナイが回る。
落ちる。
また足の甲で受け、上へ。
サッカーのリフティングのように、受けては蹴る。
右足。
左足。
膝。
足の外側。
クナイは少しずつ高さを増していく。
オビトの視線が、その軌道を追う。
高く。
さらに高く。
陽光を反射し、クナイが空で一度輝いた。
オビトは地面を蹴た。
跳ぶ。
空中で身体を捻る。
クナイへ足を合わせる。
ちょうどその先。
木の枝に、細長い呪霊がぶら下がっていた。
「そこ」
蹴り抜く。
クナイが鋭く飛んだ。
呪霊の頭部を貫き、枝ごと奥へ吹き飛ばす。
黒い身体が崩れ、クナイだけが地面へ落ちた。
着地したオビトは、足裏で土を滑らせながら勢いを殺した。
「威力は上々」
落ちたクナイを拾いに行く。
刃についた黒い残滓は、すぐに消えた。
足で武器を扱う感覚も悪くない。
今の体格では腕の間合いが短い。
なら、脚と跳躍を混ぜて補う。
投擲も、手からだけ出す必要はない。
オビトはクナイを握り、演習場の中央へ戻った。
周囲を見る。
静かだ。
風が木々を揺らし、葉の擦れる音がする。
人の気配はない。
少なくとも、オビトはそう判断した。
「んじゃあ」
目を閉じる。
「目の前に真希さんがいると思って、やるか」
記憶を引き出す。
立ち姿。
武器の持ち方。
視線。
無駄のない足運び。
こちらを遠慮なく叩き潰しに来る圧。
真希は訓練だからと甘くはならない。
隙を見せれば打つ。
武器を落とせば拾わせない。
立てるなら立たせる。
立てないなら、立てるまで鍛え直す。
その厳しさを、オビトはよく知っていた。
演習場の景色が、記憶の中で少しずつ変わる。
木ノ葉の森が遠のき、東京高専の運動場が重なる。
土の匂い。
武器庫の気配。
校舎の影。
少し離れた場所には、パンダの大きな姿。
仮想のパンダ先輩が片手を上げた。
「準備はいいか?」
オビトは腰を落とし、クナイを逆手に構える。
前方。
仮想の真希が薙刀を肩へ担いで立っている。
口元に、挑発するような笑み。
「来いよ、オビト」
懐かしい。
怖い。
そして、楽しい。
仮想のパンダ先輩の腕が振り下ろされた。
「始め!」
真希が一気に間合いを詰めた。
薙刀が横へ薙がれる。
オビトは身を低くし、刃の下を潜った。
風圧が髪を揺らす。
そのまま懐へ入る。
クナイを突き出す。
柄で弾かれる。
手首へ重い衝撃。
クナイを離さず、身体を回して肘へ繋げる。
真希が半歩引く。
膝が来る。
オビトは腕で受け、地面を蹴って距離を取った。
「重っ」
仮想の相手だ。
衝撃は自分の記憶が作っている。
それでも、手加減する気はなかった。
真希が追う。
薙刀の石突が突き出される。
避ける。
刃が返る。
クナイで受ける。
金属がぶつかる音が、演習場へ響いた。
実際には、オビト一人しかいない。
それでも動きは真剣だった。
見えない攻撃を避ける。
クナイを振るう。
跳ぶ。
転がる。
足裏へチャクラを集め、角度を変える。
低い身体を使い、相手の武器の内側へ潜る。
届かないなら、武器へ足をかける。
空中で身体を回し、肩を狙う。
仮想の真希が腕で受け、そのままオビトを投げた。
地面が近づく。
オビトは片手をつき、勢いを横へ逃がす。
転がり、即座に起きる。
「やっぱ強ぇ!」
笑みが浮かぶ。
真希は答えず、再び来る。
一撃ごとに重い。
技術だけではない。
身体能力そのものが違う。
正面から力比べをすれば負ける。
だから、外す。
流す。
崩す。
武器の軌道へ別の力を重ねる。
オビトはクナイを投げた。
真希が薙刀で弾く。
その隙に地面を蹴る。
クナイは囮。
本命は自分。
懐へ入る。
拳。
受けられる。
そこへ遅れてチャクラを響かせる。
逕庭拳。
真希の腕がわずかに揺れる。
だが、そのまま肩を掴まれた。
「うわ」
投げられる。
オビトは空中で身体を丸め、真希の腕へ脚を絡めた。
一緒に重心を崩す。
両者が地面へ落ちる寸前、真希が足をついて耐える。
オビトだけが弾き飛ばされた。
土の上を滑る。
すぐに立つ。
呼吸が乱れる。
胸が上下する。
それでも、目は楽しそうに細められていた。
「真希先輩、やっぱり強い!」
返事の代わりに、仮想の真希が薙刀を構え直した。
第二幕。
第三幕。
何度倒されても、オビトは立った。
クナイを落とせば、地面を蹴って跳ね上げる。
手で取れなければ、足で蹴る。
武器を弾かれれば、素手へ切り替える。
素手を封じられれば、頭突きでも肩でも使う。
今の身体で、何が届くか。
何を使えば、体格差を埋められるか。
考える。
試す。
失敗する。
また変える。
夢中だった。
だから、気づかなかった。
演習場へ続く道の途中で、二人の男が足を止めていたことに。
一人は、明るい金髪。
波風ミナト。
その隣には、長い白髪を持つ大柄な男が立っていた。
自来也。
任務帰りに立ち寄っただけだった。
ミナトが、近くの演習場から規則的ではない物音がすると気づいた。
一人分の気配しかない。
それなのに、動きは明らかに誰かと打ち合っている。
二人は木々の隙間から、演習場を見た。
そこにいたのは、小さな少年だった。
額にゴーグル。
黒い髪。
手にはクナイ。
相手はいない。
それでも、少年は何かを避け、受け、反撃している。
見えない相手の武器の長さまで把握しているような動きだった。
一歩目。
二歩目。
突然、加速。
低い位置から懐へ入り、直後に空中へ身体を逃がす。
着地と同時に、次の攻撃。
「……あれが?」
自来也が低く問う。
ミナトは目を離さず答えた。
「うちはオビトです」
火影塔で、一度だけ名を見た。
忍者学校を異例の早さで卒業した少年。
火影が少し変わった子だと評した、五歳の下忍。
書類の上の名が、今目の前で動いている。
「五歳だったな」
「はい」
「五歳ってのは、最近ああいう動きすんのか?」
「少なくとも、僕の知っている五歳児とは違います」
自来也は腕を組んだ。
軽口を叩いてはいるが、目は笑っていない。
少年の動きを見ている。
速さ。
技術。
それ以上に、対戦相手が存在するかのような反応の正確さ。
記憶から組み上げているのか。
想像だけで、あれほど具体的に戦えるものか。
「相手が見えてるみてぇだな」
「ええ」
ミナトの視線が細くなる。
オビトが投げたクナイを足で拾う。
見えない薙ぎ払いを潜る。
体格差のある相手へ近づくため、重心をさらに低くする。
攻撃を受けた想定で身体を飛ばし、空中で立て直す。
遊びではない。
型の反復でもない。
明確な対人戦闘の訓練だった。
そして別の場所。
演習場の反対側にある木立の陰でも、一人の男が動きを止めていた。
はたけサクモ。
任務へ向かう途中、近道として森を抜けていた。
聞こえた金属音に足を止め、気配を消して様子を見た。
オビトがいる。
以前、カカシとの修行中に出会った少年。
最近では、息子の口から頻繁に名を聞くようになった子ども。
火影との組手で、カカシへ強い衝撃を与えた相手。
サクモは黙って見ていた。
少年は一人だった。
だが、独りではないように動いている。
相手の武器を想定し、距離を測り、受けた衝撃まで再現する。
そして、楽しんでいる。
無謀に力を振るう楽しさではない。
強い相手に届くため、試し、考え、修正することそのものを楽しんでいる。
サクモの目が静かに細められた。
カカシが、あれほど意識するはずだ。
才の差だけではない。
積み重ねたものの質が違う。
だが、どうして五歳の子どもが、これほど具体的な戦いを組み上げられるのか。
答えは見えない。
サクモは姿を現さなかった。
ただ、その動きを最後まで見届けた。
オビトは何も知らない。
ミナトも。
自来也も。
サクモも。
自分を見ていることに気づかないまま、仮想の真希との戦いへ没頭していた。
最後。
真希の薙刀が、上段から振り下ろされる。
オビトは避けない。
踏み込む。
刃が肩を掠める想定。
その内側へ入る。
クナイの柄で手首を打ち、反対の拳を腹へ。
一撃。
遅れて二撃目。
仮想の真希の身体が揺らぐ。
同時に、オビトの額へ真希の拳が落ちた。
「っ!」
身体が後ろへ飛ぶ。
土の上を転がる。
仰向けで止まった。
しばらく、空を見上げる。
呼吸が荒い。
胸が上下する。
腕も脚も熱を持っている。
それでも、満足していた。
視界の中で、仮想の高専が薄れていく。
真希。
パンダ。
運動場。
すべてが木ノ葉の演習場へ戻る。
オビトは片手を上げた。
「参りました」
誰もいない空間へ告げる。
それから身体を起こし、乱れた呼吸を整えた。
吸う。
吐く。
もう一度。
汗を袖で拭う。
「真希先輩、やっぱり強いなぁ」
疲れている。
だが、顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。
今の身体で使える動きも見えた。
クナイの扱い方にも幅がある。
体格差への対処も、まだ工夫できる。
今日は十分だ。
オビトは落ちたクナイを拾い、土を払った。忍具入れへ戻し、木の根元に置いた荷物を持つ。
そして演習場を後にする。
帰る途中で影分身を解除すれば、老人たちの相手をした記憶が一気に戻ってくる。
茶菓子。
屋根掃除。
戸棚修理。
孫の相談。
一体は途中から囲碁まで打たされていた。
考えただけで、別の意味で疲れそうだった。
オビトの背中が木々の向こうへ消える。
しばらくして。
自来也が低く息を吐いた。
「お前、あれをどう見る」
ミナトはすぐには答えなかった。
空になった演習場を見る。
土には、一人分では説明しにくいほど複雑な足跡が残っている。
「一度、話してみたいです」
その声は穏やかだった。
だが、強い関心があった。
別の木立では、サクモも静かに踵を返していた。
カカシが追おうとしている相手。
その姿を、今日初めて理解した気がした。
正確には、辿り着くために影分身を犠牲にした。
本体が通りを進めば、案の定、老人に呼び止められる。荷物を運んでほしい。高い場所の物を取ってほしい。戸棚が引っかかる。瓶の蓋が開かない。
一つ引き受ければ、その先でもう一つ増える。
これでは今日も演習場へ着かない。
そう判断したオビトは、人目の少ない角で影分身を作った。
一人は荷物運び。
一人は屋根の掃除。
もう一人は、なぜか老人たちの茶飲み相手。
本体だけが、隙を見てその場を抜けた。
背後から影分身の声が飛ぶ。
「おい、本体! 茶菓子だけ持って逃げんな!」
「あとで記憶ごと受け取るから頑張れ!」
「最悪だこいつ!」
自分同士の罵声を背に、オビトはようやく演習場へ到着した。
空いている。
周囲の訓練場にも人影はない。
少なくとも、見える範囲には。
オビトは荷物を木の根元へ置き、肩や腰を回した。首を傾け、足首をほぐす。軽く走り、屈伸をして、今の身体の調子を確かめた。
火影との組手で受けた痛みは、もうほとんど残っていない。
フガクたちとの組手で使った箇所にも問題はなかった。
五歳の身体ではある。
だが、内側へ抱えているものは、年齢に見合う量ではない。
準備運動を終え、オビトは演習場の中央で立ち止まった。
「さて、何すっかな」
班編成はまだ決まっていない。
任務もない。
下忍になったとはいえ、今のところ生活は忍者学校へ通わなくなっただけだ。
ならば、身体を動かす。
今の体格で使いやすい間合いを探る。
出力を調整し、見せられる範囲と隠すべき範囲を整理する。
五歳児らしく見せることは、もう諦めた。
火影相手にあれだけ動いたあとで、今さら年相応の振る舞いへ戻しても遅い。これから必要なのは、何ができるかを隠すことではなく、何を見せるかを選ぶことだった。
オビトは忍具入れからクナイを一本取り出した。
指の上で重さを確かめる。
刃へ、薄く呪力を纏わせる。
見た目には分からない。
だが、金属の表面を覆う力は、低級の呪霊なら十分に断てる密度を持っていた。
森の影。
木の幹と幹の間に、黒い塊が潜んでいる。
人へ近づく機会を窺っていたらしい。
オビトは身体を捻り、クナイを投げた。
一直線に飛ぶ。
黒い塊の中心を貫き、そのまま奥の木へ突き刺さる。
呪霊は声もなく崩れた。
オビトは木へ歩み寄り、刺さったクナイを引き抜く。
刃を見る。
欠けも歪みもない。
「うーん」
唸った。
呪力の制御そのものは問題ない。
むしろ問題がなさすぎる。
前世と同じく、総量は乙骨先輩と同等級。
身体が五歳になったからといって、魂へ根づいた呪力量まで五歳相当へ縮んではくれなかった。
今の器へ収まり、馴染み、むしろ安定している。
出す量を絞ることはできる。
しかし、どれほど努力しても、経験も精度も総量も五歳児の水準へ落とせない。
無理なものは無理だった。
「五歳児、難しすぎんだろ……」
火影との組手で、ようやく認めた。
全人生を引っ括めても、最も過酷な任務だった気がする。
第四次忍界大戦。
宿儺との最終決戦。
数えきれない呪霊と呪詛師の相手。
どれも命懸けだった。
だが、五歳児になるという任務には、終わりが見えなかった。
「あ、いや」
オビトは真顔になった。
「赤ん坊よりはマシか」
その瞬間、地獄の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
動けない。
話せない。
首が据わらない。
腹が減れば泣くしかない。
風呂も着替えも排泄も、すべて他人任せ。
意識だけが大人のまま、赤子として扱われ続けた日々。
オビトは遠い目をした。
「あれは本当に地獄だったな……」
五歳児は自分で歩ける。
食事もできる。
風呂にも入れる。
夜中に家を抜け出して呪霊を祓いに行くことすらできる。
祖母ちゃんに知られれば叱られるが。
その点だけでも、赤子よりは圧倒的に自由だった。
「よし。赤ん坊よりマシ」
基準がおかしい。
だが、少し気が楽になった。
オビトはクナイを握り直し、演習場へ戻る。
さて。
何をするか。
ただ型を繰り返すだけでは飽きる。
相手を想定した方が、判断も足運びも自然になる。
記憶を探り、対戦相手を選ぶ。
虎杖は昨夜やった。
五条先生は、六道仙人の試験で一度相手にした。あれは体格差が理不尽すぎる。今また選べば、長い脚で蹴り飛ばされる未来しか見えない。
伏黒なら、式神込みでなければ少し違う。
乙骨先輩は呪力量も技の幅も広すぎる。
釘崎は武器と術式が絡む。
なら。
「真希さんにするか」
術式はいらない。
呪力による派手な攻防もない。
純粋な肉弾戦と武器を使った戦い。
今の身体で、距離と武器の扱いを確かめる相手としては申し分ない。
前世で、オビトの主要武器はナイフではなかった。
それでも、任務先で何かと便利だったため、サバイバルナイフ型の呪具を使うことは多かった。
切る。
突く。
受ける。
投げる。
障害物を削る。
罠を外す。
呪霊へ直接通す。
一本あるだけで、できることが増える。
ここには呪具のナイフはない。
だが、クナイで十分代用できる。
「一周目で慣れてるしな」
忍として生きた頃、クナイは身体の一部に近かった。
オビトは柄に指を引っかけ、くるくると回した。
一回。
二回。
回転を止めず、そのまま軽く上へ放る。
落ちてきたクナイを足の甲で受け止めた。
刃が自分へ向かない角度。
少し蹴り上げる。
クナイが回る。
落ちる。
また足の甲で受け、上へ。
サッカーのリフティングのように、受けては蹴る。
右足。
左足。
膝。
足の外側。
クナイは少しずつ高さを増していく。
オビトの視線が、その軌道を追う。
高く。
さらに高く。
陽光を反射し、クナイが空で一度輝いた。
オビトは地面を蹴た。
跳ぶ。
空中で身体を捻る。
クナイへ足を合わせる。
ちょうどその先。
木の枝に、細長い呪霊がぶら下がっていた。
「そこ」
蹴り抜く。
クナイが鋭く飛んだ。
呪霊の頭部を貫き、枝ごと奥へ吹き飛ばす。
黒い身体が崩れ、クナイだけが地面へ落ちた。
着地したオビトは、足裏で土を滑らせながら勢いを殺した。
「威力は上々」
落ちたクナイを拾いに行く。
刃についた黒い残滓は、すぐに消えた。
足で武器を扱う感覚も悪くない。
今の体格では腕の間合いが短い。
なら、脚と跳躍を混ぜて補う。
投擲も、手からだけ出す必要はない。
オビトはクナイを握り、演習場の中央へ戻った。
周囲を見る。
静かだ。
風が木々を揺らし、葉の擦れる音がする。
人の気配はない。
少なくとも、オビトはそう判断した。
「んじゃあ」
目を閉じる。
「目の前に真希さんがいると思って、やるか」
記憶を引き出す。
立ち姿。
武器の持ち方。
視線。
無駄のない足運び。
こちらを遠慮なく叩き潰しに来る圧。
真希は訓練だからと甘くはならない。
隙を見せれば打つ。
武器を落とせば拾わせない。
立てるなら立たせる。
立てないなら、立てるまで鍛え直す。
その厳しさを、オビトはよく知っていた。
演習場の景色が、記憶の中で少しずつ変わる。
木ノ葉の森が遠のき、東京高専の運動場が重なる。
土の匂い。
武器庫の気配。
校舎の影。
少し離れた場所には、パンダの大きな姿。
仮想のパンダ先輩が片手を上げた。
「準備はいいか?」
オビトは腰を落とし、クナイを逆手に構える。
前方。
仮想の真希が薙刀を肩へ担いで立っている。
口元に、挑発するような笑み。
「来いよ、オビト」
懐かしい。
怖い。
そして、楽しい。
仮想のパンダ先輩の腕が振り下ろされた。
「始め!」
真希が一気に間合いを詰めた。
薙刀が横へ薙がれる。
オビトは身を低くし、刃の下を潜った。
風圧が髪を揺らす。
そのまま懐へ入る。
クナイを突き出す。
柄で弾かれる。
手首へ重い衝撃。
クナイを離さず、身体を回して肘へ繋げる。
真希が半歩引く。
膝が来る。
オビトは腕で受け、地面を蹴って距離を取った。
「重っ」
仮想の相手だ。
衝撃は自分の記憶が作っている。
それでも、手加減する気はなかった。
真希が追う。
薙刀の石突が突き出される。
避ける。
刃が返る。
クナイで受ける。
金属がぶつかる音が、演習場へ響いた。
実際には、オビト一人しかいない。
それでも動きは真剣だった。
見えない攻撃を避ける。
クナイを振るう。
跳ぶ。
転がる。
足裏へチャクラを集め、角度を変える。
低い身体を使い、相手の武器の内側へ潜る。
届かないなら、武器へ足をかける。
空中で身体を回し、肩を狙う。
仮想の真希が腕で受け、そのままオビトを投げた。
地面が近づく。
オビトは片手をつき、勢いを横へ逃がす。
転がり、即座に起きる。
「やっぱ強ぇ!」
笑みが浮かぶ。
真希は答えず、再び来る。
一撃ごとに重い。
技術だけではない。
身体能力そのものが違う。
正面から力比べをすれば負ける。
だから、外す。
流す。
崩す。
武器の軌道へ別の力を重ねる。
オビトはクナイを投げた。
真希が薙刀で弾く。
その隙に地面を蹴る。
クナイは囮。
本命は自分。
懐へ入る。
拳。
受けられる。
そこへ遅れてチャクラを響かせる。
逕庭拳。
真希の腕がわずかに揺れる。
だが、そのまま肩を掴まれた。
「うわ」
投げられる。
オビトは空中で身体を丸め、真希の腕へ脚を絡めた。
一緒に重心を崩す。
両者が地面へ落ちる寸前、真希が足をついて耐える。
オビトだけが弾き飛ばされた。
土の上を滑る。
すぐに立つ。
呼吸が乱れる。
胸が上下する。
それでも、目は楽しそうに細められていた。
「真希先輩、やっぱり強い!」
返事の代わりに、仮想の真希が薙刀を構え直した。
第二幕。
第三幕。
何度倒されても、オビトは立った。
クナイを落とせば、地面を蹴って跳ね上げる。
手で取れなければ、足で蹴る。
武器を弾かれれば、素手へ切り替える。
素手を封じられれば、頭突きでも肩でも使う。
今の身体で、何が届くか。
何を使えば、体格差を埋められるか。
考える。
試す。
失敗する。
また変える。
夢中だった。
だから、気づかなかった。
演習場へ続く道の途中で、二人の男が足を止めていたことに。
一人は、明るい金髪。
波風ミナト。
その隣には、長い白髪を持つ大柄な男が立っていた。
自来也。
任務帰りに立ち寄っただけだった。
ミナトが、近くの演習場から規則的ではない物音がすると気づいた。
一人分の気配しかない。
それなのに、動きは明らかに誰かと打ち合っている。
二人は木々の隙間から、演習場を見た。
そこにいたのは、小さな少年だった。
額にゴーグル。
黒い髪。
手にはクナイ。
相手はいない。
それでも、少年は何かを避け、受け、反撃している。
見えない相手の武器の長さまで把握しているような動きだった。
一歩目。
二歩目。
突然、加速。
低い位置から懐へ入り、直後に空中へ身体を逃がす。
着地と同時に、次の攻撃。
「……あれが?」
自来也が低く問う。
ミナトは目を離さず答えた。
「うちはオビトです」
火影塔で、一度だけ名を見た。
忍者学校を異例の早さで卒業した少年。
火影が少し変わった子だと評した、五歳の下忍。
書類の上の名が、今目の前で動いている。
「五歳だったな」
「はい」
「五歳ってのは、最近ああいう動きすんのか?」
「少なくとも、僕の知っている五歳児とは違います」
自来也は腕を組んだ。
軽口を叩いてはいるが、目は笑っていない。
少年の動きを見ている。
速さ。
技術。
それ以上に、対戦相手が存在するかのような反応の正確さ。
記憶から組み上げているのか。
想像だけで、あれほど具体的に戦えるものか。
「相手が見えてるみてぇだな」
「ええ」
ミナトの視線が細くなる。
オビトが投げたクナイを足で拾う。
見えない薙ぎ払いを潜る。
体格差のある相手へ近づくため、重心をさらに低くする。
攻撃を受けた想定で身体を飛ばし、空中で立て直す。
遊びではない。
型の反復でもない。
明確な対人戦闘の訓練だった。
そして別の場所。
演習場の反対側にある木立の陰でも、一人の男が動きを止めていた。
はたけサクモ。
任務へ向かう途中、近道として森を抜けていた。
聞こえた金属音に足を止め、気配を消して様子を見た。
オビトがいる。
以前、カカシとの修行中に出会った少年。
最近では、息子の口から頻繁に名を聞くようになった子ども。
火影との組手で、カカシへ強い衝撃を与えた相手。
サクモは黙って見ていた。
少年は一人だった。
だが、独りではないように動いている。
相手の武器を想定し、距離を測り、受けた衝撃まで再現する。
そして、楽しんでいる。
無謀に力を振るう楽しさではない。
強い相手に届くため、試し、考え、修正することそのものを楽しんでいる。
サクモの目が静かに細められた。
カカシが、あれほど意識するはずだ。
才の差だけではない。
積み重ねたものの質が違う。
だが、どうして五歳の子どもが、これほど具体的な戦いを組み上げられるのか。
答えは見えない。
サクモは姿を現さなかった。
ただ、その動きを最後まで見届けた。
オビトは何も知らない。
ミナトも。
自来也も。
サクモも。
自分を見ていることに気づかないまま、仮想の真希との戦いへ没頭していた。
最後。
真希の薙刀が、上段から振り下ろされる。
オビトは避けない。
踏み込む。
刃が肩を掠める想定。
その内側へ入る。
クナイの柄で手首を打ち、反対の拳を腹へ。
一撃。
遅れて二撃目。
仮想の真希の身体が揺らぐ。
同時に、オビトの額へ真希の拳が落ちた。
「っ!」
身体が後ろへ飛ぶ。
土の上を転がる。
仰向けで止まった。
しばらく、空を見上げる。
呼吸が荒い。
胸が上下する。
腕も脚も熱を持っている。
それでも、満足していた。
視界の中で、仮想の高専が薄れていく。
真希。
パンダ。
運動場。
すべてが木ノ葉の演習場へ戻る。
オビトは片手を上げた。
「参りました」
誰もいない空間へ告げる。
それから身体を起こし、乱れた呼吸を整えた。
吸う。
吐く。
もう一度。
汗を袖で拭う。
「真希先輩、やっぱり強いなぁ」
疲れている。
だが、顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。
今の身体で使える動きも見えた。
クナイの扱い方にも幅がある。
体格差への対処も、まだ工夫できる。
今日は十分だ。
オビトは落ちたクナイを拾い、土を払った。忍具入れへ戻し、木の根元に置いた荷物を持つ。
そして演習場を後にする。
帰る途中で影分身を解除すれば、老人たちの相手をした記憶が一気に戻ってくる。
茶菓子。
屋根掃除。
戸棚修理。
孫の相談。
一体は途中から囲碁まで打たされていた。
考えただけで、別の意味で疲れそうだった。
オビトの背中が木々の向こうへ消える。
しばらくして。
自来也が低く息を吐いた。
「お前、あれをどう見る」
ミナトはすぐには答えなかった。
空になった演習場を見る。
土には、一人分では説明しにくいほど複雑な足跡が残っている。
「一度、話してみたいです」
その声は穏やかだった。
だが、強い関心があった。
別の木立では、サクモも静かに踵を返していた。
カカシが追おうとしている相手。
その姿を、今日初めて理解した気がした。
【〆栞】