目撃

演習場へ辿り着くまでに、ずいぶん時間がかかった。

正確には、辿り着くために影分身を犠牲にした。

本体が通りを進めば、案の定、老人に呼び止められる。荷物を運んでほしい。高い場所の物を取ってほしい。戸棚が引っかかる。瓶の蓋が開かない。

一つ引き受ければ、その先でもう一つ増える。

これでは今日も演習場へ着かない。

そう判断したオビトは、人目の少ない角で影分身を作った。

一人は荷物運び。

一人は屋根の掃除。

もう一人は、なぜか老人たちの茶飲み相手。

本体だけが、隙を見てその場を抜けた。

背後から影分身の声が飛ぶ。

「おい、本体! 茶菓子だけ持って逃げんな!」

「あとで記憶ごと受け取るから頑張れ!」

「最悪だこいつ!」

自分同士の罵声を背に、オビトはようやく演習場へ到着した。

空いている。

周囲の訓練場にも人影はない。

少なくとも、見える範囲には。

オビトは荷物を木の根元へ置き、肩や腰を回した。首を傾け、足首をほぐす。軽く走り、屈伸をして、今の身体の調子を確かめた。

火影との組手で受けた痛みは、もうほとんど残っていない。

フガクたちとの組手で使った箇所にも問題はなかった。

五歳の身体ではある。

だが、内側へ抱えているものは、年齢に見合う量ではない。

準備運動を終え、オビトは演習場の中央で立ち止まった。

「さて、何すっかな」

班編成はまだ決まっていない。

任務もない。

下忍になったとはいえ、今のところ生活は忍者学校へ通わなくなっただけだ。

ならば、身体を動かす。

今の体格で使いやすい間合いを探る。

出力を調整し、見せられる範囲と隠すべき範囲を整理する。

五歳児らしく見せることは、もう諦めた。

火影相手にあれだけ動いたあとで、今さら年相応の振る舞いへ戻しても遅い。これから必要なのは、何ができるかを隠すことではなく、何を見せるかを選ぶことだった。

オビトは忍具入れからクナイを一本取り出した。

指の上で重さを確かめる。

刃へ、薄く呪力を纏わせる。

見た目には分からない。

だが、金属の表面を覆う力は、低級の呪霊なら十分に断てる密度を持っていた。

森の影。

木の幹と幹の間に、黒い塊が潜んでいる。

人へ近づく機会を窺っていたらしい。

オビトは身体を捻り、クナイを投げた。

一直線に飛ぶ。

黒い塊の中心を貫き、そのまま奥の木へ突き刺さる。

呪霊は声もなく崩れた。

オビトは木へ歩み寄り、刺さったクナイを引き抜く。

刃を見る。

欠けも歪みもない。

「うーん」

唸った。

呪力の制御そのものは問題ない。

むしろ問題がなさすぎる。

前世と同じく、総量は乙骨先輩と同等級。

身体が五歳になったからといって、魂へ根づいた呪力量まで五歳相当へ縮んではくれなかった。

今の器へ収まり、馴染み、むしろ安定している。

出す量を絞ることはできる。

しかし、どれほど努力しても、経験も精度も総量も五歳児の水準へ落とせない。

無理なものは無理だった。

「五歳児、難しすぎんだろ……」

火影との組手で、ようやく認めた。

全人生を引っ括めても、最も過酷な任務だった気がする。

第四次忍界大戦。

宿儺との最終決戦。

数えきれない呪霊と呪詛師の相手。

どれも命懸けだった。

だが、五歳児になるという任務には、終わりが見えなかった。

「あ、いや」

オビトは真顔になった。

「赤ん坊よりはマシか」

その瞬間、地獄の記憶が走馬灯のように駆け巡った。

動けない。

話せない。

首が据わらない。

腹が減れば泣くしかない。

風呂も着替えも排泄も、すべて他人任せ。

意識だけが大人のまま、赤子として扱われ続けた日々。

オビトは遠い目をした。

「あれは本当に地獄だったな……」

五歳児は自分で歩ける。

食事もできる。

風呂にも入れる。

夜中に家を抜け出して呪霊を祓いに行くことすらできる。

祖母ちゃんに知られれば叱られるが。

その点だけでも、赤子よりは圧倒的に自由だった。

「よし。赤ん坊よりマシ」

基準がおかしい。

だが、少し気が楽になった。

オビトはクナイを握り直し、演習場へ戻る。

さて。

何をするか。

ただ型を繰り返すだけでは飽きる。

相手を想定した方が、判断も足運びも自然になる。

記憶を探り、対戦相手を選ぶ。

虎杖は昨夜やった。

五条先生は、六道仙人の試験で一度相手にした。あれは体格差が理不尽すぎる。今また選べば、長い脚で蹴り飛ばされる未来しか見えない。

伏黒なら、式神込みでなければ少し違う。

乙骨先輩は呪力量も技の幅も広すぎる。

釘崎は武器と術式が絡む。

なら。

「真希さんにするか」

術式はいらない。

呪力による派手な攻防もない。

純粋な肉弾戦と武器を使った戦い。

今の身体で、距離と武器の扱いを確かめる相手としては申し分ない。

前世で、オビトの主要武器はナイフではなかった。

それでも、任務先で何かと便利だったため、サバイバルナイフ型の呪具を使うことは多かった。

切る。

突く。

受ける。

投げる。

障害物を削る。

罠を外す。

呪霊へ直接通す。

一本あるだけで、できることが増える。

ここには呪具のナイフはない。

だが、クナイで十分代用できる。

「一周目で慣れてるしな」

忍として生きた頃、クナイは身体の一部に近かった。

オビトは柄に指を引っかけ、くるくると回した。

一回。

二回。

回転を止めず、そのまま軽く上へ放る。

落ちてきたクナイを足の甲で受け止めた。

刃が自分へ向かない角度。

少し蹴り上げる。

クナイが回る。

落ちる。

また足の甲で受け、上へ。

サッカーのリフティングのように、受けては蹴る。

右足。

左足。

膝。

足の外側。

クナイは少しずつ高さを増していく。

オビトの視線が、その軌道を追う。

高く。

さらに高く。

陽光を反射し、クナイが空で一度輝いた。

オビトは地面を蹴た。

跳ぶ。

空中で身体を捻る。

クナイへ足を合わせる。

ちょうどその先。

木の枝に、細長い呪霊がぶら下がっていた。

「そこ」

蹴り抜く。

クナイが鋭く飛んだ。

呪霊の頭部を貫き、枝ごと奥へ吹き飛ばす。

黒い身体が崩れ、クナイだけが地面へ落ちた。

着地したオビトは、足裏で土を滑らせながら勢いを殺した。

「威力は上々」

落ちたクナイを拾いに行く。

刃についた黒い残滓は、すぐに消えた。

足で武器を扱う感覚も悪くない。

今の体格では腕の間合いが短い。

なら、脚と跳躍を混ぜて補う。

投擲も、手からだけ出す必要はない。

オビトはクナイを握り、演習場の中央へ戻った。

周囲を見る。

静かだ。

風が木々を揺らし、葉の擦れる音がする。

人の気配はない。

少なくとも、オビトはそう判断した。

「んじゃあ」

目を閉じる。

「目の前に真希さんがいると思って、やるか」

記憶を引き出す。

立ち姿。

武器の持ち方。

視線。

無駄のない足運び。

こちらを遠慮なく叩き潰しに来る圧。

真希は訓練だからと甘くはならない。

隙を見せれば打つ。

武器を落とせば拾わせない。

立てるなら立たせる。

立てないなら、立てるまで鍛え直す。

その厳しさを、オビトはよく知っていた。

演習場の景色が、記憶の中で少しずつ変わる。

木ノ葉の森が遠のき、東京高専の運動場が重なる。

土の匂い。

武器庫の気配。

校舎の影。

少し離れた場所には、パンダの大きな姿。

仮想のパンダ先輩が片手を上げた。

「準備はいいか?」

オビトは腰を落とし、クナイを逆手に構える。

前方。

仮想の真希が薙刀を肩へ担いで立っている。

口元に、挑発するような笑み。

「来いよ、オビト」

懐かしい。

怖い。

そして、楽しい。

仮想のパンダ先輩の腕が振り下ろされた。

「始め!」

真希が一気に間合いを詰めた。

薙刀が横へ薙がれる。

オビトは身を低くし、刃の下を潜った。

風圧が髪を揺らす。

そのまま懐へ入る。

クナイを突き出す。

柄で弾かれる。

手首へ重い衝撃。

クナイを離さず、身体を回して肘へ繋げる。

真希が半歩引く。

膝が来る。

オビトは腕で受け、地面を蹴って距離を取った。

「重っ」

仮想の相手だ。

衝撃は自分の記憶が作っている。

それでも、手加減する気はなかった。

真希が追う。

薙刀の石突が突き出される。

避ける。

刃が返る。

クナイで受ける。

金属がぶつかる音が、演習場へ響いた。

実際には、オビト一人しかいない。

それでも動きは真剣だった。

見えない攻撃を避ける。

クナイを振るう。

跳ぶ。

転がる。

足裏へチャクラを集め、角度を変える。

低い身体を使い、相手の武器の内側へ潜る。

届かないなら、武器へ足をかける。

空中で身体を回し、肩を狙う。

仮想の真希が腕で受け、そのままオビトを投げた。

地面が近づく。

オビトは片手をつき、勢いを横へ逃がす。

転がり、即座に起きる。

「やっぱ強ぇ!」

笑みが浮かぶ。

真希は答えず、再び来る。

一撃ごとに重い。

技術だけではない。

身体能力そのものが違う。

正面から力比べをすれば負ける。

だから、外す。

流す。

崩す。

武器の軌道へ別の力を重ねる。

オビトはクナイを投げた。

真希が薙刀で弾く。

その隙に地面を蹴る。

クナイは囮。

本命は自分。

懐へ入る。

拳。

受けられる。

そこへ遅れてチャクラを響かせる。

逕庭拳。

真希の腕がわずかに揺れる。

だが、そのまま肩を掴まれた。

「うわ」

投げられる。

オビトは空中で身体を丸め、真希の腕へ脚を絡めた。

一緒に重心を崩す。

両者が地面へ落ちる寸前、真希が足をついて耐える。

オビトだけが弾き飛ばされた。

土の上を滑る。

すぐに立つ。

呼吸が乱れる。

胸が上下する。

それでも、目は楽しそうに細められていた。

「真希先輩、やっぱり強い!」

返事の代わりに、仮想の真希が薙刀を構え直した。

第二幕。

第三幕。

何度倒されても、オビトは立った。

クナイを落とせば、地面を蹴って跳ね上げる。

手で取れなければ、足で蹴る。

武器を弾かれれば、素手へ切り替える。

素手を封じられれば、頭突きでも肩でも使う。

今の身体で、何が届くか。

何を使えば、体格差を埋められるか。

考える。

試す。

失敗する。

また変える。

夢中だった。

だから、気づかなかった。

演習場へ続く道の途中で、二人の男が足を止めていたことに。

一人は、明るい金髪。

波風ミナト。

その隣には、長い白髪を持つ大柄な男が立っていた。

自来也。

任務帰りに立ち寄っただけだった。

ミナトが、近くの演習場から規則的ではない物音がすると気づいた。

一人分の気配しかない。

それなのに、動きは明らかに誰かと打ち合っている。

二人は木々の隙間から、演習場を見た。

そこにいたのは、小さな少年だった。

額にゴーグル。

黒い髪。

手にはクナイ。

相手はいない。

それでも、少年は何かを避け、受け、反撃している。

見えない相手の武器の長さまで把握しているような動きだった。

一歩目。

二歩目。

突然、加速。

低い位置から懐へ入り、直後に空中へ身体を逃がす。

着地と同時に、次の攻撃。

「……あれが?」

自来也が低く問う。

ミナトは目を離さず答えた。

「うちはオビトです」

火影塔で、一度だけ名を見た。

忍者学校を異例の早さで卒業した少年。

火影が少し変わった子だと評した、五歳の下忍。

書類の上の名が、今目の前で動いている。

「五歳だったな」

「はい」

「五歳ってのは、最近ああいう動きすんのか?」

「少なくとも、僕の知っている五歳児とは違います」

自来也は腕を組んだ。

軽口を叩いてはいるが、目は笑っていない。

少年の動きを見ている。

速さ。

技術。

それ以上に、対戦相手が存在するかのような反応の正確さ。

記憶から組み上げているのか。

想像だけで、あれほど具体的に戦えるものか。

「相手が見えてるみてぇだな」

「ええ」

ミナトの視線が細くなる。

オビトが投げたクナイを足で拾う。

見えない薙ぎ払いを潜る。

体格差のある相手へ近づくため、重心をさらに低くする。

攻撃を受けた想定で身体を飛ばし、空中で立て直す。

遊びではない。

型の反復でもない。

明確な対人戦闘の訓練だった。

そして別の場所。

演習場の反対側にある木立の陰でも、一人の男が動きを止めていた。

はたけサクモ。

任務へ向かう途中、近道として森を抜けていた。

聞こえた金属音に足を止め、気配を消して様子を見た。

オビトがいる。

以前、カカシとの修行中に出会った少年。

最近では、息子の口から頻繁に名を聞くようになった子ども。

火影との組手で、カカシへ強い衝撃を与えた相手。

サクモは黙って見ていた。

少年は一人だった。

だが、独りではないように動いている。

相手の武器を想定し、距離を測り、受けた衝撃まで再現する。

そして、楽しんでいる。

無謀に力を振るう楽しさではない。

強い相手に届くため、試し、考え、修正することそのものを楽しんでいる。

サクモの目が静かに細められた。

カカシが、あれほど意識するはずだ。

才の差だけではない。

積み重ねたものの質が違う。

だが、どうして五歳の子どもが、これほど具体的な戦いを組み上げられるのか。

答えは見えない。

サクモは姿を現さなかった。

ただ、その動きを最後まで見届けた。

オビトは何も知らない。

ミナトも。

自来也も。

サクモも。

自分を見ていることに気づかないまま、仮想の真希との戦いへ没頭していた。

最後。

真希の薙刀が、上段から振り下ろされる。

オビトは避けない。

踏み込む。

刃が肩を掠める想定。

その内側へ入る。

クナイの柄で手首を打ち、反対の拳を腹へ。

一撃。

遅れて二撃目。

仮想の真希の身体が揺らぐ。

同時に、オビトの額へ真希の拳が落ちた。

「っ!」

身体が後ろへ飛ぶ。

土の上を転がる。

仰向けで止まった。

しばらく、空を見上げる。

呼吸が荒い。

胸が上下する。

腕も脚も熱を持っている。

それでも、満足していた。

視界の中で、仮想の高専が薄れていく。

真希。

パンダ。

運動場。

すべてが木ノ葉の演習場へ戻る。

オビトは片手を上げた。

「参りました」

誰もいない空間へ告げる。

それから身体を起こし、乱れた呼吸を整えた。

吸う。

吐く。

もう一度。

汗を袖で拭う。

「真希先輩、やっぱり強いなぁ」

疲れている。

だが、顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。

今の身体で使える動きも見えた。

クナイの扱い方にも幅がある。

体格差への対処も、まだ工夫できる。

今日は十分だ。

オビトは落ちたクナイを拾い、土を払った。忍具入れへ戻し、木の根元に置いた荷物を持つ。

そして演習場を後にする。

帰る途中で影分身を解除すれば、老人たちの相手をした記憶が一気に戻ってくる。

茶菓子。

屋根掃除。

戸棚修理。

孫の相談。

一体は途中から囲碁まで打たされていた。

考えただけで、別の意味で疲れそうだった。

オビトの背中が木々の向こうへ消える。

しばらくして。

自来也が低く息を吐いた。

「お前、あれをどう見る」

ミナトはすぐには答えなかった。

空になった演習場を見る。

土には、一人分では説明しにくいほど複雑な足跡が残っている。

「一度、話してみたいです」

その声は穏やかだった。

だが、強い関心があった。

別の木立では、サクモも静かに踵を返していた。

カカシが追おうとしている相手。

その姿を、今日初めて理解した気がした。


〆栞
PREV  |  NEXT
BACK