ミナトとクシナと別れたあと、オビトはそのまま真っ直ぐ家へ帰らなかった。

祖母ちゃんに知られたら、また言いつけが一つ増える。分かってはいる。分かってはいるが、見えてしまうものを放っておけない性分は、今さら直らない。しかも今夜は、いつもより里の空気がざらついていた。

人の行き交う通りを離れ、少し人気の薄い道へ入る。塀と塀の隙間、屋根の影、井戸端の湿った空気。そういう場所に、黒い澱みがぽつぽつと溜まっていた。第三次忍界大戦の名残か、それとも日々積もる小さな不安の滓か。理由が何であれ、人に害をなすなら祓うだけだ。

「解」

指先を軽く振る。

目に見えない斬撃が、塀際にうずくまっていた呪霊を横一文字に断ち切った。黒い塊は音もなく崩れ、そのまま霧みたいに散っていく。

うん、安定。

もう一体、屋根裏へ這い上がろうとしていたものへ視線を向ける。

「捌」

今度は縦に裂けた。対象の強度に合わせて噛み合う感覚も、もうすっかり手に馴染んでいる。宿儺の術式はやっぱり便利だ。便利すぎるくらい便利だ。

前世で一時期、二代目呪いの王って呼ばれたことを思い出して、オビトは微妙な顔になった。

言い出したのは釘崎だ。面白がって乗ったのが虎杖と伏黒。しかも乙骨先輩まで「……あながち間違ってない気もする」みたいな顔で頷いていた。何でだよ。そこは止める側だろ、先輩。

解せぬ。

小さく鼻を鳴らし、次の気配を追う。今度は道端の木の根元に溜まった小さめのやつだ。切るほどでもない。指先へ意識を集める。

血針。

掌に滲ませた一滴を細く伸ばし、針みたいに飛ばす。黒い塊の中心を穿たれた呪霊が、ひゅ、と息を漏らすように縮んで消えた。

これも安定。

そもそも前世の赤ん坊の頃からやってたんだ、今さら外す方が難しい。とはいえ、血をそのまま使うのは目立つ。人目のある里中でやるなら、やっぱり水で代用した方がいい。

手近な桶の縁に残っていた水を、指先で掬うみたいに引いた。細い筋が夜気を裂いて伸びる。

水針。

同じ軌道で、同じように急所を穿つ。感触は少し違うが、もう充分すぎるほど慣れた。赤血操術の理屈を水へ被せるのも、今では呼吸みたいなものだ。

「……っと」

次の曲がり角へ足を向けかけて、オビトは止まった。

気配が増えている。

呪霊だけじゃない。人だ。しかも一人や二人じゃない。屋根の上、路地の影、背後の足音を殺した位置。忍だな、と分かる気配が、じわりと包囲を狭めてきている。

その上で、見えてしまうものがある。

肩に。背中に。足元に。黒く縋りつくように張りついた呪霊が、数人分。

「うわ、結構ちゃんと憑いてるな……」

思わず本音が漏れた。

その言葉に反応したのは、人の方だった。音もなく、前方の路地へ黒装束の男が降り立つ。面をつけ、感情を消し、余計な気配を削り落とした立ち姿。けれど、完全に無機質ではない。張りついた呪いの分だけ、濁りが見える。

根だ。

ダンゾウからの勧誘か、牽制か、あるいは回収か。目的はまだ分からないが、ろくでもない方向なのは分かる。

「うちはオビト」

前の男が短く名を呼んだ。

「我らと来い」

やっぱりそう来るか。

オビトは内心で頭を抱えた。

いや、ちょっと待て。お前らからしたら俺一人なんだろうけど、俺からしたら根の暗部数人に加えて、そいつらにくっついてる呪霊が複数なんだよ。乱戦確実なんだけど。話し合いをするには環境が最悪すぎるだろ。

しかも相手は暗部だ。体術だけで処理しようとすると、こっちも色々と危ない。五歳の身体で近接を回せるのは問題ないとしても、集中が深まると黒閃が出かねない。あれはさすがにまずい。説明不能の極みだ。

なら、選ぶのは。

風か、水か。

切るなら風遁に偽装した解。

制圧なら水遁に偽装した赤血操術。

根の連中はまだ動かない。こちらの出方を見ている。だが、その肩へしがみついている呪霊の方は違う。生きた人間の情動が薄いせいか、飢えたみたいにざわついている。こちらへ気づいたやつが、ぬるりと輪郭を伸ばしかけた。

駄目だな。話してる暇はない。

「悪いけど、今ちょっと手が離せない」

オビトがそう言った瞬間、屋根の上から別の気配が落ちてきた。根の一人が間合いを詰める。同時に、背後の呪霊が口みたいな裂け目を開いて飛びかかった。

ほんとに最悪のタイミングだな!

足裏へチャクラを込め、身体を斜めへ弾く。前へ出た暗部の腕を紙一重で外し、その脇を潜るように低く滑り込む。呪霊の牙めいた黒が、さっきまでオビトのいた位置を噛んだ。

「風遁・解!」

振り抜いた手の先から、不可視の斬撃が扇状に走る。

一撃目で飛びかかってきた呪霊を断ち、二撃目で屋根から降りた暗部の袖を浅く裂き、三撃目でその背後にいたもう一体をまとめて薙いだ。人と呪いを、同じ線上で切り分ける。人間の方は致命にはしない。布と武器と足場を削る程度に抑える。

だが、それでも充分に速い。

「何……ッ」

面の奥で息を呑む気配がした。

印がない。

しかも、見えない。

当然だ。忍として見れば、異様にしか見えない。

オビトは振り返りざま、もう片方の手を振る。近くの水溜まりと、軒先の桶の残り水と、空気中の湿り気までまとめて引き寄せた。

「水遁・血星磊!」

幾本もの水の弾丸が、星を散らすみたいに一斉に弾け飛ぶ。

直線じゃない。わずかに軌道を曲げ、呪霊の中心と暗部の退路を同時に突いた。黒い塊が二つ、三つ、串刺しになって霧散する。暗部の一人は咄嗟に身を捻ったが、肩口を掠めた水弾に弾かれて体勢を崩し、塀へ叩きつけられた。

「水遁、だと……?」

前方の男が低く呟く。

その声に、今度は別の呪霊が反応した。音へ群がる虫みたいに、根の忍の背からぞろりと伸びる。

面倒くさい。ほんとに面倒くさい。

オビトは一気に間合いを詰めた。小さな身体を低く沈め、足場を蹴って相手の懐へ潜る。根の忍が肘を落としてくる。その軌道を半歩だけ外し、掌底を鳩尾へ打ち込む。体術そのものは忍のそれに収める。二段目の衝撃は乗せない。ここで逕庭拳まで使う必要はない。

代わりに、相手の背へまとわりついた呪霊へ、小さく指を弾いた。

水針。

黒い塊の急所を穿たれ、憑いていた呪霊がぼろりと落ちる。

「っ、貴様……何を」

「そっちこそ、何連れて歩いてんだよ」

思わずツッコむと、さすがに通じるはずもなかった。

根の連中にとっては、こちらが印も結ばず風と水を操り、ついでに何か見えているみたいな言い方をしているだけだ。意味不明にもほどがある。

包囲の輪が、一瞬だけ乱れた。

その動揺を見逃さず、オビトは続けざまに風を走らせる。

「風遁・解!」

今度は足元を払う高さだ。塀際の呪霊を裂き、暗部二人の膝下を軽く薙ぐ。倒しきるつもりはない。動きを止める。それで十分だった。足場を失った二人の背から、縋っていた呪霊がずり落ちる。そこへ水の針を三本。

祓う。

消える。

また一体、また一体。

乱戦の中心で、オビトだけが標的を二重に見ていた。根の暗部は子ども一人を囲っているつもりだろう。だがオビトからすれば、連中の動きに紛れて呪霊が噛みつき、這い回り、隙あらばこちらへ飛びかかってくる。優先順位を一瞬でも誤れば、普通に面倒なことになる。

右から苦無。

左から短刀。

正面から踏み込み。

その合間を縫って、肩口の呪霊が腕を伸ばす。

「うっわ、忙し……!」

愚痴を零しながら、身体は動く。苦無を躱し、短刀の手首を流し、正面の踏み込みへ膝を当てて軸を崩す。呪霊の黒い腕だけは、斜め上へ放った水弾で撃ち抜いた。

五歳児相手にやる包囲じゃねぇだろ。

いや、向こうからしたら五歳児じゃないのか。火影戦以降、その辺の扱いはだいぶ怪しい。ありがたいやら面倒やら、ほんとに複雑だ。

前方の男が、短く合図を送る。すると屋根の上にいた二人が、距離を取って印を結びかけた。

術を使う気か。

それは困る。こんな場所で大きくやられると、呪霊まで余計に刺激される。

オビトは一気に踏み込んだ。足裏へ込めたチャクラを爆ぜさせる。五歳の体格だからこそ低く、速く、地を滑るように懐へ潜れる。屋根へ飛び上がりざま、空中で身をひねって一人の印を断つ。もう一人の足場へ、解を横薙ぎに走らせた。

瓦が割れ、忍が跳ぶ。

その背後に張りついていた呪霊が、宙へ放り出される。

「水遁・血星磊!」

散った水弾が夜気を裂き、屋根上の呪霊をまとめて貫いた。

黒い霧が弾け、ようやく気配が薄くなる。

残るのは、人間だけ。

根の忍たちは、短い沈黙のままオビトを見ていた。面の奥の目線が変わっている。最初の「五歳の子どもを見る目」では、もうない。

当然だ。

印を結ばずに風と水を使う。

体術の間合いもおかしい。

しかも、小柄な身体で暗部相手に乱戦を捌いてみせた。

狙われる。

あー、これは確実に狙われるな。

オビトは内心で盛大にため息をついた。

前方の男が一歩引く。撤退の気配だ。同時に、別の者が低く言った。

「報告する」

「やめてくれたら助かるんだけどな」

返しても無駄だった。根の忍は無言のまま散る。来た時と同じように、気配を削って闇へ溶けていく。

最後の一人が消えるまで見届けてから、オビトはようやく肩の力を抜いた。

周囲に残る呪霊の気配は、もうほとんどない。さっきの乱戦で粗方祓ってしまったらしい。結果だけ見れば上々だ。被害も出していない。根の連中も死なせていない。

ただし。

「面倒くせぇ……」

ぽつりと呟いた声が、夜道へ落ちた。

ダンゾウが動いた。しかも、一度で諦めるとは思えない。今日みたいな接触がまた来るのか、もっと露骨になるのか。どちらにせよ、静かな下忍待機期間なんて夢だったらしい。

ほんと、班編成待ちって何なんだろうな。

待ってる間に面倒の方が寄ってくるんだけど。

オビトは地面へ転がった苦無を一つ拾い、指先でくるりと回した。それから人気のない空を見上げ、小さく息を吐く。

「……帰るか」

祖母ちゃんに遅いって怒られる。

その現実が、今は妙にありがたかった。

帰り道、念のためもう二体だけ呪霊を祓った。さっきの乱戦で気持ちは荒れたままだったが、手の届く範囲で見つけた以上、見逃すわけにもいかない。

そうしてようやく家へ向かいながら、オビトは次に来る面倒について考え始めていた。

根の勧誘か。

火影側の動きか。

あるいは、その両方か。

どのみち、静かには済まない。

それだけは、もうはっきりしていた。


〆栞
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