配属
根の本部は、昼夜の区別が薄い。
地上の光は届かず、灯りは必要な場所にしか置かれていない。壁も床も冷たく、足音すら長く残らなかった。
その最奥で、志村ダンゾウは報告を聞いていた。
片膝をついた暗部は、昨夜オビトへ接触した者の一人だった。面の下に表情はない。負傷した肩と脚にはすでに処置が施されている。
「任務は失敗しました」
「五歳の子ども一人を連れてくることができなかったと?」
低い声が落ちる。
暗部は頭を垂れたまま、言い訳をしなかった。
「対象は、忍者学校の報告を大きく上回る戦闘能力を有しています」
「具体的に述べよ」
「体術は火影様との組手で報告された水準と一致します。低い重心から一瞬で間合いを詰め、複数を相手にしても位置を崩しませんでした」
ダンゾウは黙って続きを待つ。
「加えて、風遁と水遁を使用しました」
「印は」
「確認できません」
室内の空気が、わずかに変わった。
「見落とした可能性は」
「複数名が至近距離から確認しています。対象は印を結んでいません」
ダンゾウの片目が細くなる。
「無印で二つの性質変化を扱ったというのか」
「術の発動動作は、腕を振る、あるいは指先を向ける程度でした。風遁は不可視の刃に近く、衣服、忍具、足場を選んで切断しています」
「殺すつもりはなかったか」
「はい。致命部位を外していました」
「水遁は」
「周囲の水を利用し、複数の弾へ変えて放ちました。直進だけではなく、わずかに軌道を変えたように見えます」
五歳。
火影との組手で、上忍に迫る体術を見せた。
二つの性質変化。
印を結ばない術。
複数を相手にしながら、全員を殺さず制圧する判断。
しかも、これまでその力を表へ出していなかった。
「ほかには」
暗部がわずかに間を置いた。
「対象は、何も存在しない場所へ攻撃を加えていました」
「何もいない場所へ?」
「少なくとも我々には、標的を確認できませんでした。ですが対象は、何かを避け、追い、攻撃していたように見えます」
ダンゾウの指が杖の頭を一度叩く。
「幻術か」
「我々に異常はありませんでした」
「感知術による索敵」
「それだけでは、攻撃の理由を説明できません」
報告した暗部自身も、理解できていない。
自分たちが襲いかかった最中、オビトは別の何かまで相手にしていた。時折こちらではなく空間へ注意を向け、何かを切り、撃ち抜いていた。
それにもかかわらず、動きには無駄がない。
対象が見えていたとしか思えない。
ダンゾウはしばらく沈黙した。
猿飛は、どこまで知っている。
特別授業で確認されたのは体術と戦闘判断だけだ。火影の側近にも、印を結ばぬ風遁や水遁の話は流れていない。
つまり。
この情報は、現時点では根だけが持っている。
「接触時、対象は何と」
「同行を命じました」
「それだけか」
「はい」
「愚かな」
ダンゾウの声に感情はほとんどなかった。
だが、暗部の頭がさらに下がる。
「力ずくで従わせられる相手かを測らずに囲んだ。しかも、こちらの意図を明かす前に警戒させた」
「申し訳ありません」
「謝罪に価値はない。結果を次へ生かせ」
「はっ」
ダンゾウは目を閉じた。
幼ければ染めやすい。
その見立て自体は変わらない。
しかし、何も知らぬ子どもとして扱うのは誤りだった。
オビトはすでに、自分の力を選んで見せている。
忍者学校では隠し。
火影との組手では体術を晒し。
根に囲まれた時には、別の術を使った。
状況ごとに開示する力を変えている。
ただ強いだけではない。
情報の価値を理解している。
「監視は継続せよ」
「再接触は」
「まだ行うな」
暗部がわずかに顔を上げる。
「火影側の配属が決まる。誰の下へ置かれるかを見極める」
「承知しました」
「家族へは触れるな」
命令は短かった。
「祖母を使えば、対象は敵対へ傾く。あれは情を切り捨てられる類いではない」
むしろ、情こそが行動の軸にある。
ならば、奪うより使うべきだ。
守るべきもの。
助けるべき者。
里のためという理由。
差し出せる形はいくらでもある。
ただし、急げば猿飛に気づかれる。
火影はすでに、オビトを自らの管理下へ置こうとしている。
「あの力は、いずれ里に必要となる」
ダンゾウの呟きが、暗い部屋へ落ちた。
「猿飛一人に任せるわけにはいかぬ」
不穏な動きは、静かに速度を増していた。
翌朝。
オビトは火影塔へ向かって歩いていた。
呼び出しが届いたのは、朝食を終えた直後だ。
班編成が決まったらしい。
ようやくである。
下忍登録されてから、祓除と修行と老人介護しかしていない。忍としての最初の正式な知らせが届き、祖母ちゃんも少し安心したようだった。
ただし、家を出る前には入念に釘を刺された。
指導役の名前を覚えること。
任務内容を勝手に引き受けないこと。
帰還予定を確認すること。
怪我を隠さないこと。
知らない人についていかないこと。
最後の一つは下忍への注意としてどうなんだろうと思ったが、昨夜、根の暗部についていかなかった実績がある。祖母ちゃんは正しい。
問題は、その根との接触を祖母ちゃんへ言っていないことだった。
火影にも、まだ伝えていない。
報告すべきかどうか、オビトは迷っていた。
根が動いたと断言するには、相手は名乗っていない。ただし、あの装備と気配で間違えることもない。
しかも連中は、印を結ばずに使った術を見た。
火影へ話せば、昨夜何をしていたのかまで説明が必要になる。
呪霊は明かせない。
御厨子も赤血操術も、そのまま見せるつもりはない。
風遁と水遁として押し通すにしても、なぜ誰もいない場所へ術を放ったのかを聞かれる。
面倒だ。
だが、黙って根を自由に動かすのも面倒だ。
どちらへ転んでも面倒だった。
「配属の話が先だな」
小さく呟き、火影塔へ入る。
案内された執務室には、ヒルゼン一人だけがいた。
机には何枚かの書類が置かれている。その中に自分の下忍登録書も見えたが、通常の班編成表らしいものは見当たらない。
嫌な予感がする。
「来たか、オビト」
「おはようございます、火影様」
「うむ。掛けるとよい」
前回と同じ椅子へ座る。
相変わらず足は床へ届かない。
この身体で下忍として任務へ出るのかと思うと、見た目だけはかなり不安になる。
ヒルゼンは手元の書類を整えた。
「お主の配属が決まった」
「はい」
オビトは姿勢を正した。
誰だ。
ミナトか。
サクモさんか。
それとも別の上忍か。
前々世と同じ形に近づけるなら、いずれミナト班へ入る可能性はある。だが、今はカカシもリンもまだ忍者学校にいる。
自分だけ先に下忍になった以上、別の班へ一時的に入るのだろう。
「ただし、固定の班ではない」
「……はい?」
聞き間違えたかと思った。
ヒルゼンは平然としている。
「当面、お主を一つの班へ固定せず、複数の班へ参加させる」
「どういうこと?」
思わず敬語が消えた。
「言葉の通りじゃ。任務ごとに異なる班へ加わり、それぞれの指揮官の下で動いてもらう」
「え……?」
理解が追いつかない。
通常、下忍は三人一組。
担当上忍がつく。
班で任務を重ね、連携を覚える。
そのはずだ。
それなのに、複数の班へ順番に混ざれと言われている。
傭兵か。
臨時増員か。
「俺だけですか」
「今のところはな」
「今のところは、って」
「前例がないわけではない。人員不足の折、班をまたいで任務へ加わる者はおる」
「それ、普通は経験積んだ忍がやるやつですよね?」
「よく知っておるのう」
「下忍登録の資料にも書いてあったから」
嘘ではない。
祖母ちゃんの前で事務官が出した資料は、かなり細かかった。
ヒルゼンは満足そうに頷く。
誤魔化された気がする。
「何で、そんな形に」
問うと、ヒルゼンは少し真面目な顔になった。
「お主は、忍者学校にいた期間があまりに短い」
「早々に下忍にしたの、そちらですよね……」
「そうじゃな」
否定しない。
強い。
「忍者学校は、術や知識を教えるだけの場所ではない。同年代と過ごし、役割を分け、失敗し、助け合うことも学ぶ」
「それは分かります」
短い期間でも、リンやカカシ、ガイたちと過ごした。
授業の中で互いに教え合い、競い、帰り道を一緒に歩いた。
それが無意味だったとは思わない。
「お主には、その機会が足りぬ」
ヒルゼンが続ける。
「ゆえに、実際の任務で学ばせる」
「複数の班を渡り歩かせて?」
「うむ」
「余計に固定の関係を作りにくくないですか」
正論をぶつけたつもりだった。
だが、ヒルゼンは待っていたように答える。
「一つの班だけに入れば、その班のやり方しか知らぬ。様々な指揮官、様々な忍、様々な関係の中へ入り、その違いを見よ」
「俺、観察実習か何か?」
「実践じゃよ」
「五歳児に言うことか」
「五歳児から逸脱した強さじゃから」
即答だった。
オビトは黙った。
俺が悪いのか。
いや、やりすぎた自覚はある。
あるけど。
そこを根拠に、妙な制度へ放り込まれるとは思っていなかった。
「それに」
ヒルゼンが机の上で指を組む。
「お主の力を、実戦で使わぬのは勿体ない」
「五歳児に言うことか」
二度目だった。
「五歳児から逸脱した強さじゃから」
返答まで同じだった。
「そこ繰り返せば通ると思ってません?」
「事実じゃ」
「俺が悪いのか……」
とうとう口から漏れた。
ヒルゼンの目元がわずかに緩む。
「悪いとは言うておらん」
「でも、全部俺の強さを理由にしてるじゃないですか」
「使えるものを使うのも火影の役目じゃ」
祖母ちゃんが聞いたら、強いから便利に使うなと言っただろう。
たぶんヒルゼンも分かっている。だからこそ、言葉の続きを待った。
「もちろん、便利な駒として使い回すつもりはない」
老人の声から、少し笑みが消える。
「任務の危険度は選ぶ。指揮官も、わしが認めた者に限る。お主を一人で放り出すこともせぬ」
「なら、何を見たいんです」
オビトが聞いた。
複数の班へ参加させる。
戦力としてだけなら、一つの強い班へ入れればいい。
実戦で育てるだけなら、担当上忍を決めればいい。
あえて固定しないのには、別の理由がある。
ヒルゼンは、静かに少年を見た。
「お主は、人を助けると言った」
火影室での対話。
全員を助けられるとは思わない。
それでも、手の届く相手を見捨てたくない。
感謝のためではなく、自分がそうしたいから。
「その行動原理が、任務の中でどう働くかを見たい」
オビトの目がわずかに細くなる。
「命令と、お主の判断が食い違った時」
ヒルゼンは続けた。
「仲間と依頼人、どちらかを選ばねばならぬ時。助けたい者がいても、班全体のために退かねばならぬ時。お主が何を考え、誰と話し、どう決めるのか」
「試すんですか」
「育てるのじゃ」
「言い方変えただけじゃないですか」
「試すことと育てることは、必ずしも別ではない」
うまいこと言いやがる。
オビトは椅子の背にもたれた。
足が浮いているせいで、威厳は出ない。
「俺一人の判断を見たいなら、単独任務の方が早いでしょう」
「それでは意味がない」
ヒルゼンの返答は明確だった。
「お主は一人で動ける。おそらく、一人の方が楽なのじゃろう」
否定できなかった。
自分で見て。
自分で決めて。
自分で片づける。
その方が早い。
呪霊の祓除もそうだ。誰かへ説明するより、自分だけで動く方が都合がいい。
「されど、火影は一人で里を守るものではない」
ヒルゼンが言った。
「多くの者の考えを聞き、力を借り、時に己とは異なる判断を受け入れねばならぬ」
オビトは黙って聞く。
「お主が火影を目指すなら、人と共に動くことを学べ。それが第一歩じゃよ」
「なんかそれ、都合よく言ってません?」
「ホッホッホッ」
「ホッホッホッじゃねぇ。含み笑いじゃねーか!」
完全に誤魔化した。
ヒルゼンは楽しそうに笑っている。
この老人、絶対に自分が反論しにくい言葉を選んでいる。
火影への第一歩。
そう言われれば、断りづらい。
しかも内容そのものは間違っていない。
人と動くこと。
異なる命令系統へ入ること。
自分とは違う判断を知ること。
前々世でも、前世でも、それが重要だったことは身に染みている。
一人で何でもできると思った時ほど、ろくな結果にならなかった。
だから余計に腹が立つ。
「具体的には、どの班へ?」
「任務ごとに知らせる。最初の数件は、里内か近隣の任務じゃ」
「担当上忍も毎回違う?」
「そうなる」
「同じ班に何度か入ることも?」
「ある」
「評価は誰がまとめるんです」
「各指揮官の報告を、わしが見る」
完全に火影直轄だった。
固定班に入らず。
複数の指揮官の下へ送り込まれ。
毎回、火影へ報告が上がる。
「それ、フリーランスな下忍じゃないですか」
「ふりーらんす?」
しまった。
通じない言葉だった。
「……どこにも所属しない、臨時の下忍」
「火影直属という所属はあるぞ」
「もっと面倒なやつだった」
オビトは額を押さえた。
ヒルゼンは机から一枚の書類を取る。
「最初の任務は、明日の朝じゃ」
「もう決まってるんですか」
「うむ」
「誰の班?」
ヒルゼンは答える前に、ほんの少しだけ間を置いた。
その表情に、また嫌な予感がした。
「それは明日、直接聞くとよい」
「何で隠すんです」
「楽しみが減るじゃろう」
「配属に驚きはいらねぇよ」
「ホッホッホッ」
「だからその笑い方やめろって!」
火影室の外まで、少年の声が響いた。
廊下に控えていた事務官は、何も聞こえなかった顔で書類を抱え直した。
室内では、オビトが渡された任務規定へ目を落としている。
参加する班。
指揮官。
集合場所。
帰還予定。
任務ごとに毎回変わる。
普通の下忍生活からは、明らかに外れていた。
だが、拒むつもりはなかった。
火影の言うことに納得した部分もある。
何より、この形なら様々な忍と関われる。
誰が何を守り。
どう命令を出し。
仲間をどう扱うのか。
見る機会は多い。
それでも。
「フリーランスな下忍とか、聞いたことねぇ……」
書類を受け取りながら、もう一度呟いた。
「新しい道を作るのも悪くなかろう」
「作る側の苦労も考えてくださいよ」
「期待しておるぞ、オビト」
「綺麗に締めようとすんな」
ヒルゼンはまた笑った。
その笑いの奥で、少年を見定める火影の目だけは静かだった。
力はある。
覚悟もある。
だが、忍は一人では成り立たない。
異なる者たちの中で、オビトが何を選ぶのか。
誰と繋がるのか。
その先に、少年が語った火影への道がある。
オビトはまだ、その意図のすべてを知らない。
ただ、明日から始まる妙な下忍生活を思い、深々と息を吐いた。
固定班なし。
任務ごとに配属変更。
火影直属。
五歳。
どう考えても、普通ではなかった。
地上の光は届かず、灯りは必要な場所にしか置かれていない。壁も床も冷たく、足音すら長く残らなかった。
その最奥で、志村ダンゾウは報告を聞いていた。
片膝をついた暗部は、昨夜オビトへ接触した者の一人だった。面の下に表情はない。負傷した肩と脚にはすでに処置が施されている。
「任務は失敗しました」
「五歳の子ども一人を連れてくることができなかったと?」
低い声が落ちる。
暗部は頭を垂れたまま、言い訳をしなかった。
「対象は、忍者学校の報告を大きく上回る戦闘能力を有しています」
「具体的に述べよ」
「体術は火影様との組手で報告された水準と一致します。低い重心から一瞬で間合いを詰め、複数を相手にしても位置を崩しませんでした」
ダンゾウは黙って続きを待つ。
「加えて、風遁と水遁を使用しました」
「印は」
「確認できません」
室内の空気が、わずかに変わった。
「見落とした可能性は」
「複数名が至近距離から確認しています。対象は印を結んでいません」
ダンゾウの片目が細くなる。
「無印で二つの性質変化を扱ったというのか」
「術の発動動作は、腕を振る、あるいは指先を向ける程度でした。風遁は不可視の刃に近く、衣服、忍具、足場を選んで切断しています」
「殺すつもりはなかったか」
「はい。致命部位を外していました」
「水遁は」
「周囲の水を利用し、複数の弾へ変えて放ちました。直進だけではなく、わずかに軌道を変えたように見えます」
五歳。
火影との組手で、上忍に迫る体術を見せた。
二つの性質変化。
印を結ばない術。
複数を相手にしながら、全員を殺さず制圧する判断。
しかも、これまでその力を表へ出していなかった。
「ほかには」
暗部がわずかに間を置いた。
「対象は、何も存在しない場所へ攻撃を加えていました」
「何もいない場所へ?」
「少なくとも我々には、標的を確認できませんでした。ですが対象は、何かを避け、追い、攻撃していたように見えます」
ダンゾウの指が杖の頭を一度叩く。
「幻術か」
「我々に異常はありませんでした」
「感知術による索敵」
「それだけでは、攻撃の理由を説明できません」
報告した暗部自身も、理解できていない。
自分たちが襲いかかった最中、オビトは別の何かまで相手にしていた。時折こちらではなく空間へ注意を向け、何かを切り、撃ち抜いていた。
それにもかかわらず、動きには無駄がない。
対象が見えていたとしか思えない。
ダンゾウはしばらく沈黙した。
猿飛は、どこまで知っている。
特別授業で確認されたのは体術と戦闘判断だけだ。火影の側近にも、印を結ばぬ風遁や水遁の話は流れていない。
つまり。
この情報は、現時点では根だけが持っている。
「接触時、対象は何と」
「同行を命じました」
「それだけか」
「はい」
「愚かな」
ダンゾウの声に感情はほとんどなかった。
だが、暗部の頭がさらに下がる。
「力ずくで従わせられる相手かを測らずに囲んだ。しかも、こちらの意図を明かす前に警戒させた」
「申し訳ありません」
「謝罪に価値はない。結果を次へ生かせ」
「はっ」
ダンゾウは目を閉じた。
幼ければ染めやすい。
その見立て自体は変わらない。
しかし、何も知らぬ子どもとして扱うのは誤りだった。
オビトはすでに、自分の力を選んで見せている。
忍者学校では隠し。
火影との組手では体術を晒し。
根に囲まれた時には、別の術を使った。
状況ごとに開示する力を変えている。
ただ強いだけではない。
情報の価値を理解している。
「監視は継続せよ」
「再接触は」
「まだ行うな」
暗部がわずかに顔を上げる。
「火影側の配属が決まる。誰の下へ置かれるかを見極める」
「承知しました」
「家族へは触れるな」
命令は短かった。
「祖母を使えば、対象は敵対へ傾く。あれは情を切り捨てられる類いではない」
むしろ、情こそが行動の軸にある。
ならば、奪うより使うべきだ。
守るべきもの。
助けるべき者。
里のためという理由。
差し出せる形はいくらでもある。
ただし、急げば猿飛に気づかれる。
火影はすでに、オビトを自らの管理下へ置こうとしている。
「あの力は、いずれ里に必要となる」
ダンゾウの呟きが、暗い部屋へ落ちた。
「猿飛一人に任せるわけにはいかぬ」
不穏な動きは、静かに速度を増していた。
翌朝。
オビトは火影塔へ向かって歩いていた。
呼び出しが届いたのは、朝食を終えた直後だ。
班編成が決まったらしい。
ようやくである。
下忍登録されてから、祓除と修行と老人介護しかしていない。忍としての最初の正式な知らせが届き、祖母ちゃんも少し安心したようだった。
ただし、家を出る前には入念に釘を刺された。
指導役の名前を覚えること。
任務内容を勝手に引き受けないこと。
帰還予定を確認すること。
怪我を隠さないこと。
知らない人についていかないこと。
最後の一つは下忍への注意としてどうなんだろうと思ったが、昨夜、根の暗部についていかなかった実績がある。祖母ちゃんは正しい。
問題は、その根との接触を祖母ちゃんへ言っていないことだった。
火影にも、まだ伝えていない。
報告すべきかどうか、オビトは迷っていた。
根が動いたと断言するには、相手は名乗っていない。ただし、あの装備と気配で間違えることもない。
しかも連中は、印を結ばずに使った術を見た。
火影へ話せば、昨夜何をしていたのかまで説明が必要になる。
呪霊は明かせない。
御厨子も赤血操術も、そのまま見せるつもりはない。
風遁と水遁として押し通すにしても、なぜ誰もいない場所へ術を放ったのかを聞かれる。
面倒だ。
だが、黙って根を自由に動かすのも面倒だ。
どちらへ転んでも面倒だった。
「配属の話が先だな」
小さく呟き、火影塔へ入る。
案内された執務室には、ヒルゼン一人だけがいた。
机には何枚かの書類が置かれている。その中に自分の下忍登録書も見えたが、通常の班編成表らしいものは見当たらない。
嫌な予感がする。
「来たか、オビト」
「おはようございます、火影様」
「うむ。掛けるとよい」
前回と同じ椅子へ座る。
相変わらず足は床へ届かない。
この身体で下忍として任務へ出るのかと思うと、見た目だけはかなり不安になる。
ヒルゼンは手元の書類を整えた。
「お主の配属が決まった」
「はい」
オビトは姿勢を正した。
誰だ。
ミナトか。
サクモさんか。
それとも別の上忍か。
前々世と同じ形に近づけるなら、いずれミナト班へ入る可能性はある。だが、今はカカシもリンもまだ忍者学校にいる。
自分だけ先に下忍になった以上、別の班へ一時的に入るのだろう。
「ただし、固定の班ではない」
「……はい?」
聞き間違えたかと思った。
ヒルゼンは平然としている。
「当面、お主を一つの班へ固定せず、複数の班へ参加させる」
「どういうこと?」
思わず敬語が消えた。
「言葉の通りじゃ。任務ごとに異なる班へ加わり、それぞれの指揮官の下で動いてもらう」
「え……?」
理解が追いつかない。
通常、下忍は三人一組。
担当上忍がつく。
班で任務を重ね、連携を覚える。
そのはずだ。
それなのに、複数の班へ順番に混ざれと言われている。
傭兵か。
臨時増員か。
「俺だけですか」
「今のところはな」
「今のところは、って」
「前例がないわけではない。人員不足の折、班をまたいで任務へ加わる者はおる」
「それ、普通は経験積んだ忍がやるやつですよね?」
「よく知っておるのう」
「下忍登録の資料にも書いてあったから」
嘘ではない。
祖母ちゃんの前で事務官が出した資料は、かなり細かかった。
ヒルゼンは満足そうに頷く。
誤魔化された気がする。
「何で、そんな形に」
問うと、ヒルゼンは少し真面目な顔になった。
「お主は、忍者学校にいた期間があまりに短い」
「早々に下忍にしたの、そちらですよね……」
「そうじゃな」
否定しない。
強い。
「忍者学校は、術や知識を教えるだけの場所ではない。同年代と過ごし、役割を分け、失敗し、助け合うことも学ぶ」
「それは分かります」
短い期間でも、リンやカカシ、ガイたちと過ごした。
授業の中で互いに教え合い、競い、帰り道を一緒に歩いた。
それが無意味だったとは思わない。
「お主には、その機会が足りぬ」
ヒルゼンが続ける。
「ゆえに、実際の任務で学ばせる」
「複数の班を渡り歩かせて?」
「うむ」
「余計に固定の関係を作りにくくないですか」
正論をぶつけたつもりだった。
だが、ヒルゼンは待っていたように答える。
「一つの班だけに入れば、その班のやり方しか知らぬ。様々な指揮官、様々な忍、様々な関係の中へ入り、その違いを見よ」
「俺、観察実習か何か?」
「実践じゃよ」
「五歳児に言うことか」
「五歳児から逸脱した強さじゃから」
即答だった。
オビトは黙った。
俺が悪いのか。
いや、やりすぎた自覚はある。
あるけど。
そこを根拠に、妙な制度へ放り込まれるとは思っていなかった。
「それに」
ヒルゼンが机の上で指を組む。
「お主の力を、実戦で使わぬのは勿体ない」
「五歳児に言うことか」
二度目だった。
「五歳児から逸脱した強さじゃから」
返答まで同じだった。
「そこ繰り返せば通ると思ってません?」
「事実じゃ」
「俺が悪いのか……」
とうとう口から漏れた。
ヒルゼンの目元がわずかに緩む。
「悪いとは言うておらん」
「でも、全部俺の強さを理由にしてるじゃないですか」
「使えるものを使うのも火影の役目じゃ」
祖母ちゃんが聞いたら、強いから便利に使うなと言っただろう。
たぶんヒルゼンも分かっている。だからこそ、言葉の続きを待った。
「もちろん、便利な駒として使い回すつもりはない」
老人の声から、少し笑みが消える。
「任務の危険度は選ぶ。指揮官も、わしが認めた者に限る。お主を一人で放り出すこともせぬ」
「なら、何を見たいんです」
オビトが聞いた。
複数の班へ参加させる。
戦力としてだけなら、一つの強い班へ入れればいい。
実戦で育てるだけなら、担当上忍を決めればいい。
あえて固定しないのには、別の理由がある。
ヒルゼンは、静かに少年を見た。
「お主は、人を助けると言った」
火影室での対話。
全員を助けられるとは思わない。
それでも、手の届く相手を見捨てたくない。
感謝のためではなく、自分がそうしたいから。
「その行動原理が、任務の中でどう働くかを見たい」
オビトの目がわずかに細くなる。
「命令と、お主の判断が食い違った時」
ヒルゼンは続けた。
「仲間と依頼人、どちらかを選ばねばならぬ時。助けたい者がいても、班全体のために退かねばならぬ時。お主が何を考え、誰と話し、どう決めるのか」
「試すんですか」
「育てるのじゃ」
「言い方変えただけじゃないですか」
「試すことと育てることは、必ずしも別ではない」
うまいこと言いやがる。
オビトは椅子の背にもたれた。
足が浮いているせいで、威厳は出ない。
「俺一人の判断を見たいなら、単独任務の方が早いでしょう」
「それでは意味がない」
ヒルゼンの返答は明確だった。
「お主は一人で動ける。おそらく、一人の方が楽なのじゃろう」
否定できなかった。
自分で見て。
自分で決めて。
自分で片づける。
その方が早い。
呪霊の祓除もそうだ。誰かへ説明するより、自分だけで動く方が都合がいい。
「されど、火影は一人で里を守るものではない」
ヒルゼンが言った。
「多くの者の考えを聞き、力を借り、時に己とは異なる判断を受け入れねばならぬ」
オビトは黙って聞く。
「お主が火影を目指すなら、人と共に動くことを学べ。それが第一歩じゃよ」
「なんかそれ、都合よく言ってません?」
「ホッホッホッ」
「ホッホッホッじゃねぇ。含み笑いじゃねーか!」
完全に誤魔化した。
ヒルゼンは楽しそうに笑っている。
この老人、絶対に自分が反論しにくい言葉を選んでいる。
火影への第一歩。
そう言われれば、断りづらい。
しかも内容そのものは間違っていない。
人と動くこと。
異なる命令系統へ入ること。
自分とは違う判断を知ること。
前々世でも、前世でも、それが重要だったことは身に染みている。
一人で何でもできると思った時ほど、ろくな結果にならなかった。
だから余計に腹が立つ。
「具体的には、どの班へ?」
「任務ごとに知らせる。最初の数件は、里内か近隣の任務じゃ」
「担当上忍も毎回違う?」
「そうなる」
「同じ班に何度か入ることも?」
「ある」
「評価は誰がまとめるんです」
「各指揮官の報告を、わしが見る」
完全に火影直轄だった。
固定班に入らず。
複数の指揮官の下へ送り込まれ。
毎回、火影へ報告が上がる。
「それ、フリーランスな下忍じゃないですか」
「ふりーらんす?」
しまった。
通じない言葉だった。
「……どこにも所属しない、臨時の下忍」
「火影直属という所属はあるぞ」
「もっと面倒なやつだった」
オビトは額を押さえた。
ヒルゼンは机から一枚の書類を取る。
「最初の任務は、明日の朝じゃ」
「もう決まってるんですか」
「うむ」
「誰の班?」
ヒルゼンは答える前に、ほんの少しだけ間を置いた。
その表情に、また嫌な予感がした。
「それは明日、直接聞くとよい」
「何で隠すんです」
「楽しみが減るじゃろう」
「配属に驚きはいらねぇよ」
「ホッホッホッ」
「だからその笑い方やめろって!」
火影室の外まで、少年の声が響いた。
廊下に控えていた事務官は、何も聞こえなかった顔で書類を抱え直した。
室内では、オビトが渡された任務規定へ目を落としている。
参加する班。
指揮官。
集合場所。
帰還予定。
任務ごとに毎回変わる。
普通の下忍生活からは、明らかに外れていた。
だが、拒むつもりはなかった。
火影の言うことに納得した部分もある。
何より、この形なら様々な忍と関われる。
誰が何を守り。
どう命令を出し。
仲間をどう扱うのか。
見る機会は多い。
それでも。
「フリーランスな下忍とか、聞いたことねぇ……」
書類を受け取りながら、もう一度呟いた。
「新しい道を作るのも悪くなかろう」
「作る側の苦労も考えてくださいよ」
「期待しておるぞ、オビト」
「綺麗に締めようとすんな」
ヒルゼンはまた笑った。
その笑いの奥で、少年を見定める火影の目だけは静かだった。
力はある。
覚悟もある。
だが、忍は一人では成り立たない。
異なる者たちの中で、オビトが何を選ぶのか。
誰と繋がるのか。
その先に、少年が語った火影への道がある。
オビトはまだ、その意図のすべてを知らない。
ただ、明日から始まる妙な下忍生活を思い、深々と息を吐いた。
固定班なし。
任務ごとに配属変更。
火影直属。
五歳。
どう考えても、普通ではなかった。
【〆栞】