追う背中
時が経つのは早い。
火影から変則的な配属を言い渡され、任務ごとに違う班へ放り込まれるようになってから、一年が過ぎた。
気づけば、オビトは六歳と半年になっていた。
その間に下忍から中忍へ上がったが、生活が劇的に変わったわけではない。参加する班は相変わらず任務ごとに変わり、里内の雑務から護衛、捜索、警戒、伝令、時には戦闘まで、与えられる仕事は幅広かった。
何でも屋に配属されて一年。
そんな班は存在しない。
所属しているのは、今のところオビト一人だけである。
火影直属という名目はあるものの、実態は空いている穴へその都度放り込まれる臨時要員だ。任務受付へ顔を出すたび、今日はどこだと事務官へ聞き、見知らぬ班員と挨拶を交わすところから一日が始まる。
最初の頃は、五歳の下忍が来たと驚かれた。
中忍へ上がってからは、六歳の指揮官が来たと驚かれるようになった。
驚かれ方が変わっただけだった。
任務先での祓除も続いている。
木ノ葉の里内に溜まっているものは、低級が多かった。人の生活に寄り添って生まれ、小さな不満や恐れを食って育った程度のものなら、解か水針一つで片づく。
だが、里の外は違う。
戦場跡。
捨てられた集落。
街道から外れた森。
川沿いの崖。
人が死に、憎しみや恐怖が長く残った場所には、それだけ濃いものが育っていた。
三級。
二級。
時には、一級に届きかけたものまでいた。
第三次忍界大戦だけではない。
第二次。
第一次。
さらに遡れば、里ができるより前の争いもある。
ひょっとすると、六道仙人が生きていた時代から、祓われることなく溜まり続けているものまでいるのではないか。
そんなことを考える時がある。
忍の世界には、呪霊を祓う仕組みがない。
見えないものは、存在しないものとして扱われる。
それでも人は死に、恐れ、恨み、残す。
誰にも認識されないまま積もったものが、どれだけあるのか。
想像すると、少し気が遠くなった。
一級間近の呪霊と遭遇した任務は、今でもよく覚えている。
表向きは、商隊の護衛だった。
山道へ入ったところで岩崩れが起き、隊列が分断された。敵忍の襲撃まで重なり、班は護衛対象を守りながら迎撃しなければならなかった。
そこへ、巨大な呪霊まで現れた。
人間側には見えていない。
だから誰も避けない。
味方を守りながら敵忍を退け、同時に呪霊の攻撃を外し、誰にも見られない位置で術を通す。
任務半分。
祓除半分。
あれは本当に必死だった。
御厨子をそのまま使えば、周囲に説明できない斬撃が増える。赤血操術も、血を晒せば目立つ。水へ置き換えようにも、山道には使える水が少なかった。
結局、敵忍へは体術とクナイ。
呪霊へは、岩陰を縫って放った解。
商人が足を取られた瞬間には身体を滑り込ませ、呪霊の腕を肩で受ける代わりに、見えない角度から捌を通した。
任務が終わった頃には、護衛班の上忍から、どうしてそんなところで転んだと聞かれた。
転んだわけではない。
人には見えないものに殴られただけだ。
もちろん、そんな説明はできなかった。
「足場を読み違えました」
そう答えるしかなかった。
納得されなかった気はする。
それでも任務は成功した。
商隊は全員生きて帰った。
呪霊も祓った。
結果だけを見れば上々である。
何でも屋を続けていれば、精神も鍛えられる。
初対面の班。
説明できない敵。
隠すべき術。
予定外の人助け。
帰還後の報告書。
そのすべてを同時に処理していれば、嫌でも鋼の精神が育つ。
五条先生なら、いい修行になるねと笑っただろう。
釘崎なら、何であんたばっかり面倒を拾ってるのよと呆れる。
虎杖は、手伝うと言って一緒に飛び込む。
伏黒は、先に説明しろと眉間へ皺を寄せる。
想像できすぎて、少しだけ笑った。
その日も、任務帰りだった。
里の外縁にある倉庫へ物資を届け、帰還報告を済ませたあと、オビトはうちは集落へ向かって歩いていた。
日はまだ高い。
任務そのものは難しくなかったが、途中で低級の呪霊を四体祓い、荷車の車軸を直し、迷子になっていた子どもを親元へ返した。
正式な任務より、付随した作業の方が多い気がする。
いつものことだった。
人通りのある道へ出たところで、前方から見覚えのある少女が歩いてきた。
茶色の髪。
頬に入った紫色の印。
「オビト!」
リンが手を上げる。
オビトも足を止めた。
「リン。久しぶり」
忍者学校を卒業してからは、以前ほど頻繁には会わなくなった。
生活の時間が違う。
オビトは任務へ出る。
リンは忍者学校へ通う。
任務のない日に里で偶然会うか、うちは集落の近くまで来た時に話す程度だ。
「今、任務の帰り?」
「そう。リンは?」
「忍者学校の帰り。今日は少し早く終わったの」
二人は自然に並んで歩き出した。
リンはオビトの服装を見て、袖口の汚れへ気づいた。
「またどこかで転んだ?」
「転んでない。荷車の下に潜った」
「どうして?」
「車軸が外れた」
「任務で?」
「任務の途中で見つけた」
リンは一度黙り、それから小さく笑った。
「やっぱりオビトらしいね」
「どういう意味だよ」
「見つけたら放っておけないところ」
否定できない。
オビトは鼻を掻いた。
「間に合う範囲だったから」
「そう言うと思った」
リンの笑みは柔らかい。
少し歩いたところで、彼女が思い出したように口を開いた。
「そういえば、カカシも最近、いくつか任務に出てるんだって」
オビトは横目を向ける。
「もう?」
「うん。下忍になってから、サクモさんの班へ臨時で入ったり、別の上忍について行ったりしてるみたい」
やはり動き始めている。
前々世と同じだ。
カカシは忍者学校を早く卒業し、下忍になった。
今世では、自分が先に卒業したことで多少時期は動いた。それでも、カカシが六歳で中忍へ上がる流れそのものは、大きく変わらないだろう。
あいつなら、追いつく。
そう思っていた。
「最近、任務が終わるとすぐ帰ることが多いみたい」
リンが続ける。
「サクモさんと修行するんだって」
「相変わらずだな」
「うん。前よりもっと頑張ってる」
リンの声には、少し心配が混じっていた。
カカシは昔から努力を惜しまない。
だが、一度目標が決まると、周囲が見えなくなるほど自分を追い込むことがある。
その理由の一端が自分にあることを、オビトは分かっていた。
追いつく。
超える。
火影との組手のあと、カカシはそう言った。
あの言葉は、子どもの負けず嫌いで終わっていない。
下忍になり、実際の任務へ出るようになれば、オビトとの差は以前よりはっきり見える。
任務数。
階級。
判断を任される範囲。
経験。
追う側にとって、その差は数字になる。
だからこそ、火も強くなる。
「無茶してない?」
オビトが聞く。
リンは少し考えた。
「サクモさんが見てる時は大丈夫だと思う。でも、一人の時は分からない」
「今度会ったら言っとく」
「オビトが?」
「何だよ、その反応」
「だって、二人が話すと、だいたい競争になるから」
「ならねぇよ」
「なるよ」
即答された。
オビトは口を閉じた。
確かに、なるかもしれない。
止めるつもりで声をかけても、カカシは余計に燃える可能性が高い。下手をすれば、心配されたこと自体を侮られたと受け取る。
面倒な相手だ。
前々世から知っている。
「まあ、サクモさんがいるなら大丈夫だろ」
「うん」
リンは頷いた。
少し安心したように見える。
その顔を見ながら、オビトは前々世の記憶へ触れそうになった。
三人で過ごした時間。
言えなかったこと。
間に合わなかったこと。
だが、今目の前にいるリンは、まだ忍者学校へ通う少女だ。
過去を重ねる必要はない。
今の彼女が、今のカカシを心配している。
それだけを受け取ればいい。
「リンは卒業、まだ先?」
「先生には、もう少し基礎を固めてからって言われてる」
「それがいい」
「オビトに言われると説得力ないなあ」
「俺もそう思う」
二人で笑う。
分かれ道へ着くと、リンは足を止めた。
「またね、オビト」
「うん。カカシにもよろしく」
「自分で言えばいいのに」
「会ったら言う」
リンは手を振り、忍者学校の近くへ続く道を曲がっていった。
オビトも家へ向かう。
その頃。
はたけ家の庭では、木刀が乾いた音を立てていた。
カカシは一人ではない。
正面にはサクモがいる。
木刀同士がぶつかる。
カカシの踏み込みは、以前より速くなっていた。
腕だけで振らない。
腰を使い、足裏で地面を掴み、次の一撃へ繋げる。
サクモが受ける。
弾く。
わずかに角度を変える。
カカシの木刀が流される。
それでも止まらず、身体を回して逆側から打ち込む。
「いいね」
サクモが受けながら言った。
「けれど、次を急ぎすぎている」
「分かってる」
「分かっていても、身体が先へ行っている」
カカシは答えず、距離を取った。
呼吸は乱れていない。
だが、握る手には強い力が入っている。
下忍になった。
すでに何度か任務にも出た。
忍者学校の演習とは違う。
相手は動く。
予想を外す。
依頼人は指示どおりに待ってくれない。
仲間が迷えば、判断が遅れる。
一つの失敗が誰かの怪我へ繋がる。
その中で、カカシは自分が優秀であることを知った。
同年代と比べれば、明らかに抜けている。
年上の下忍にも負けない。
上忍からも評価された。
それでも。
任務報告の中で聞くオビトの名は、さらに先にある。
様々な班へ入り。
任務ごとに異なる役割をこなし。
六歳で中忍へ上がった。
追いついたと思った瞬間、また距離が開く。
カカシはそれを、悔しいと思った。
同時に、燃えた。
「もう一度」
木刀を構える。
サクモは息子の目を見る。
焦りだけではない。
以前より静かな火だ。
結果だけを追っていた頃とは違う。
オビトが何を積み重ねているのか。
どんな判断をしているのか。
その背中を見ようとしている。
「いいよ」
サクモも構える。
「ただし、速さだけを追わないこと」
「分かってる」
「相手を倒すことだけが任務ではない」
「それも分かってる」
「では、見せてごらん」
カカシが踏み込む。
今度は、一歩目を急がなかった。
相手の重心を見て。
木刀の角度を読み。
自分から間合いを作る。
追いつく。
超える。
その言葉を口にすることはない。
だが、火は確かに育っていた。
数日後の早朝。
オビトは任務へ向かうため、うちは集落の道を歩いていた。
空は薄青く、家々の屋根には夜露が残っている。
集合は東門。
今回は国境近くへ物資を運ぶ班へ加わる予定だ。表向きは護衛だが、途中の街道に出る盗賊への警戒も含まれている。
任務票を確認しながら角を曲がったところで、前方から一人の男が歩いてきた。
フガクだった。
以前よりも身なりが整っている。
黒髪を後ろへ流し、背筋は真っ直ぐ。若いながらも、その歩き方には一族を背負う者の重さがあった。
先日、正式に族長へ就いたと聞いている。
まだ若い。
それでも一族の上層部が、フガクを選んだ。
実力。
家柄。
判断力。
そして、感情を表へ出しすぎない性質。
族長として求められるものを、すでに持っていたのだろう。
「おはようございます、フガクさん」
オビトが声をかける。
フガクも足を止めた。
「任務か」
「はい。東門集合です」
「遠出か」
「国境近くまで」
フガクの視線が、オビトの装備を確認する。
忍具入れ。
水筒。
保存食。
予備の布。
雨具。
必要なものは揃っている。
「帰還予定は」
「三日後です。延びるなら火影塔から祖母ちゃんに連絡が行きます」
「そうか」
短い会話。
だが、以前とは少し違う。
フガクは今や族長だ。
一族の子ども一人へ気軽に声をかける立場ではなくなった。
それでも、オビトに対する距離は変わらなかった。
「無理はするな」
「善処します」
「善処ではなく、守れ」
「任務次第です」
フガクの眉がわずかに動く。
怒っているわけではない。
予想どおりの答えだったのだろう。
「お前は、誰かを助けるためなら自分を計算から外す」
「外してないです」
「後回しにしている」
否定しづらい。
オビトは少し視線を逸らした。
「最近は、前よりちゃんと考えてます」
「何でも屋の任務でか」
「それ、正式名称じゃないんですけど」
「里ではそう呼ばれている」
「知ってますよ……」
不本意ながら、定着してしまった。
フガクの口元が、ほんのわずかに緩んだ。
笑ったのかどうか、見逃しそうな変化だった。
「様々な班へ入るのは、苦労も多いだろう」
「多いです」
即答する。
「人間関係を毎回最初から作る。得意なことを説明する。指揮官の癖を見る。帰りに呪霊まで祓う。たまに根の監視もついてくる」
最後の二つは口にしていない。
内心だけで付け足した。
「でも、悪いことばかりじゃないです」
「何を得た」
フガクが問う。
オビトは少し考えた。
「同じ任務でも、人によって見方が違うってこと」
慎重な者。
勢いで押す者。
仲間を先に見る者。
依頼人の安全を優先する者。
規則を守る者。
規則より結果を選ぶ者。
どれが常に正しいわけではない。
状況で変わる。
相手で変わる。
その違いを知った。
「あと、知らない班でも動けるようになりました」
「それは強みになる」
「火影様の思いどおりなのが、ちょっと腹立ちますけど」
「火影様は、お前がそう言うところまで見越しているかもしれんな」
「やめてくださいよ」
本当にありそうで嫌だ。
フガクは一度、東門の方角へ目を向けた。
「時間は大丈夫か」
「まだ余裕あります」
「なら、気をつけて行け」
「はい」
オビトは一歩進みかけ、振り返った。
「フガクさん」
「何だ」
「族長就任、おめでとうございます」
フガクの目がわずかに見開かれた。
式の場では、形式的な祝辞を受けている。
一族の者からも、上層部からも。
だが、オビトの言葉は少し違った。
役職ではなく、本人へ向けられている。
「ありがとうございます、じゃなくて……」
オビトは言葉を探す。
「大変だと思いますけど。フガクさんなら、ちゃんと見てくれると思うから」
何を、とまでは言わなかった。
一族の内側。
外側。
声の大きい者。
小さい者。
中心にいる者。
端へ追いやられる者。
フガクなら、少なくとも見ようとはする。
それを知っている。
「俺にできることがあれば、言ってください」
フガクはしばらく答えなかった。
六歳半。
中忍。
火影直属。
様々な班を渡り歩き、里の外へも出る。
一族の子でありながら、一族だけに収まらない少年。
マヒトの息子。
その背中が、少しずつ遠くなっていることを、フガクも感じていた。
だが、それは離れているのではない。
繋がる範囲を広げている。
「まずは、自分の任務を果たせ」
やがてフガクが言った。
「はい」
「それから、無事に戻れ」
「努力します」
「守れと言っている」
同じやり取りになった。
オビトは少し笑った。
「行ってきます、フガクさん」
「ああ」
オビトは東門へ向かって走り出した。
小さな背中。
だが、もう足取りに迷いはない。
任務へ向かい。
人を助け。
見えないものを祓い。
様々な班の中で、自分の立ち位置を選ぶ。
その背中を、カカシは追っている。
フガクは見守っている。
ダンゾウは利用する機会を窺っている。
ミナトもまた、遠くない場所で意識し続けている。
オビト自身は、それらすべてを知っているわけではない。
ただ、自分の前にある道を進む。
追われていることを嫌とは思わなかった。
背中が見えるなら、相手はまだ来られる。
追いついた時には、並んで歩ける。
だから今は、止まらない。
任務の合間に祓除を重ね。
何でも屋として人に振り回され。
面倒だと文句を言いながら、それでも手を伸ばす。
その積み重ねが、オビトの精神を少しずつ鍛えていた。
もともと折れにくい。
倒れても立つことには慣れている。
それでも今世では、一人で立つだけではない。
誰かと動き。
誰かへ任せ。
誰かに追われ。
時には、守られる。
鋼のような強さは、硬いだけでは折れる。
曲がり。
受け止め。
また戻る。
その柔らかさまで含めて、少しずつ育っていた。
東門が見える。
今日の班が待っている。
見知らぬ年上の忍たち。
新しい任務。
たぶん、道中には呪霊もいる。
オビトは走りながら、小さく息を吐いた。
「さて」
また一日が始まる。
火影から変則的な配属を言い渡され、任務ごとに違う班へ放り込まれるようになってから、一年が過ぎた。
気づけば、オビトは六歳と半年になっていた。
その間に下忍から中忍へ上がったが、生活が劇的に変わったわけではない。参加する班は相変わらず任務ごとに変わり、里内の雑務から護衛、捜索、警戒、伝令、時には戦闘まで、与えられる仕事は幅広かった。
何でも屋に配属されて一年。
そんな班は存在しない。
所属しているのは、今のところオビト一人だけである。
火影直属という名目はあるものの、実態は空いている穴へその都度放り込まれる臨時要員だ。任務受付へ顔を出すたび、今日はどこだと事務官へ聞き、見知らぬ班員と挨拶を交わすところから一日が始まる。
最初の頃は、五歳の下忍が来たと驚かれた。
中忍へ上がってからは、六歳の指揮官が来たと驚かれるようになった。
驚かれ方が変わっただけだった。
任務先での祓除も続いている。
木ノ葉の里内に溜まっているものは、低級が多かった。人の生活に寄り添って生まれ、小さな不満や恐れを食って育った程度のものなら、解か水針一つで片づく。
だが、里の外は違う。
戦場跡。
捨てられた集落。
街道から外れた森。
川沿いの崖。
人が死に、憎しみや恐怖が長く残った場所には、それだけ濃いものが育っていた。
三級。
二級。
時には、一級に届きかけたものまでいた。
第三次忍界大戦だけではない。
第二次。
第一次。
さらに遡れば、里ができるより前の争いもある。
ひょっとすると、六道仙人が生きていた時代から、祓われることなく溜まり続けているものまでいるのではないか。
そんなことを考える時がある。
忍の世界には、呪霊を祓う仕組みがない。
見えないものは、存在しないものとして扱われる。
それでも人は死に、恐れ、恨み、残す。
誰にも認識されないまま積もったものが、どれだけあるのか。
想像すると、少し気が遠くなった。
一級間近の呪霊と遭遇した任務は、今でもよく覚えている。
表向きは、商隊の護衛だった。
山道へ入ったところで岩崩れが起き、隊列が分断された。敵忍の襲撃まで重なり、班は護衛対象を守りながら迎撃しなければならなかった。
そこへ、巨大な呪霊まで現れた。
人間側には見えていない。
だから誰も避けない。
味方を守りながら敵忍を退け、同時に呪霊の攻撃を外し、誰にも見られない位置で術を通す。
任務半分。
祓除半分。
あれは本当に必死だった。
御厨子をそのまま使えば、周囲に説明できない斬撃が増える。赤血操術も、血を晒せば目立つ。水へ置き換えようにも、山道には使える水が少なかった。
結局、敵忍へは体術とクナイ。
呪霊へは、岩陰を縫って放った解。
商人が足を取られた瞬間には身体を滑り込ませ、呪霊の腕を肩で受ける代わりに、見えない角度から捌を通した。
任務が終わった頃には、護衛班の上忍から、どうしてそんなところで転んだと聞かれた。
転んだわけではない。
人には見えないものに殴られただけだ。
もちろん、そんな説明はできなかった。
「足場を読み違えました」
そう答えるしかなかった。
納得されなかった気はする。
それでも任務は成功した。
商隊は全員生きて帰った。
呪霊も祓った。
結果だけを見れば上々である。
何でも屋を続けていれば、精神も鍛えられる。
初対面の班。
説明できない敵。
隠すべき術。
予定外の人助け。
帰還後の報告書。
そのすべてを同時に処理していれば、嫌でも鋼の精神が育つ。
五条先生なら、いい修行になるねと笑っただろう。
釘崎なら、何であんたばっかり面倒を拾ってるのよと呆れる。
虎杖は、手伝うと言って一緒に飛び込む。
伏黒は、先に説明しろと眉間へ皺を寄せる。
想像できすぎて、少しだけ笑った。
その日も、任務帰りだった。
里の外縁にある倉庫へ物資を届け、帰還報告を済ませたあと、オビトはうちは集落へ向かって歩いていた。
日はまだ高い。
任務そのものは難しくなかったが、途中で低級の呪霊を四体祓い、荷車の車軸を直し、迷子になっていた子どもを親元へ返した。
正式な任務より、付随した作業の方が多い気がする。
いつものことだった。
人通りのある道へ出たところで、前方から見覚えのある少女が歩いてきた。
茶色の髪。
頬に入った紫色の印。
「オビト!」
リンが手を上げる。
オビトも足を止めた。
「リン。久しぶり」
忍者学校を卒業してからは、以前ほど頻繁には会わなくなった。
生活の時間が違う。
オビトは任務へ出る。
リンは忍者学校へ通う。
任務のない日に里で偶然会うか、うちは集落の近くまで来た時に話す程度だ。
「今、任務の帰り?」
「そう。リンは?」
「忍者学校の帰り。今日は少し早く終わったの」
二人は自然に並んで歩き出した。
リンはオビトの服装を見て、袖口の汚れへ気づいた。
「またどこかで転んだ?」
「転んでない。荷車の下に潜った」
「どうして?」
「車軸が外れた」
「任務で?」
「任務の途中で見つけた」
リンは一度黙り、それから小さく笑った。
「やっぱりオビトらしいね」
「どういう意味だよ」
「見つけたら放っておけないところ」
否定できない。
オビトは鼻を掻いた。
「間に合う範囲だったから」
「そう言うと思った」
リンの笑みは柔らかい。
少し歩いたところで、彼女が思い出したように口を開いた。
「そういえば、カカシも最近、いくつか任務に出てるんだって」
オビトは横目を向ける。
「もう?」
「うん。下忍になってから、サクモさんの班へ臨時で入ったり、別の上忍について行ったりしてるみたい」
やはり動き始めている。
前々世と同じだ。
カカシは忍者学校を早く卒業し、下忍になった。
今世では、自分が先に卒業したことで多少時期は動いた。それでも、カカシが六歳で中忍へ上がる流れそのものは、大きく変わらないだろう。
あいつなら、追いつく。
そう思っていた。
「最近、任務が終わるとすぐ帰ることが多いみたい」
リンが続ける。
「サクモさんと修行するんだって」
「相変わらずだな」
「うん。前よりもっと頑張ってる」
リンの声には、少し心配が混じっていた。
カカシは昔から努力を惜しまない。
だが、一度目標が決まると、周囲が見えなくなるほど自分を追い込むことがある。
その理由の一端が自分にあることを、オビトは分かっていた。
追いつく。
超える。
火影との組手のあと、カカシはそう言った。
あの言葉は、子どもの負けず嫌いで終わっていない。
下忍になり、実際の任務へ出るようになれば、オビトとの差は以前よりはっきり見える。
任務数。
階級。
判断を任される範囲。
経験。
追う側にとって、その差は数字になる。
だからこそ、火も強くなる。
「無茶してない?」
オビトが聞く。
リンは少し考えた。
「サクモさんが見てる時は大丈夫だと思う。でも、一人の時は分からない」
「今度会ったら言っとく」
「オビトが?」
「何だよ、その反応」
「だって、二人が話すと、だいたい競争になるから」
「ならねぇよ」
「なるよ」
即答された。
オビトは口を閉じた。
確かに、なるかもしれない。
止めるつもりで声をかけても、カカシは余計に燃える可能性が高い。下手をすれば、心配されたこと自体を侮られたと受け取る。
面倒な相手だ。
前々世から知っている。
「まあ、サクモさんがいるなら大丈夫だろ」
「うん」
リンは頷いた。
少し安心したように見える。
その顔を見ながら、オビトは前々世の記憶へ触れそうになった。
三人で過ごした時間。
言えなかったこと。
間に合わなかったこと。
だが、今目の前にいるリンは、まだ忍者学校へ通う少女だ。
過去を重ねる必要はない。
今の彼女が、今のカカシを心配している。
それだけを受け取ればいい。
「リンは卒業、まだ先?」
「先生には、もう少し基礎を固めてからって言われてる」
「それがいい」
「オビトに言われると説得力ないなあ」
「俺もそう思う」
二人で笑う。
分かれ道へ着くと、リンは足を止めた。
「またね、オビト」
「うん。カカシにもよろしく」
「自分で言えばいいのに」
「会ったら言う」
リンは手を振り、忍者学校の近くへ続く道を曲がっていった。
オビトも家へ向かう。
その頃。
はたけ家の庭では、木刀が乾いた音を立てていた。
カカシは一人ではない。
正面にはサクモがいる。
木刀同士がぶつかる。
カカシの踏み込みは、以前より速くなっていた。
腕だけで振らない。
腰を使い、足裏で地面を掴み、次の一撃へ繋げる。
サクモが受ける。
弾く。
わずかに角度を変える。
カカシの木刀が流される。
それでも止まらず、身体を回して逆側から打ち込む。
「いいね」
サクモが受けながら言った。
「けれど、次を急ぎすぎている」
「分かってる」
「分かっていても、身体が先へ行っている」
カカシは答えず、距離を取った。
呼吸は乱れていない。
だが、握る手には強い力が入っている。
下忍になった。
すでに何度か任務にも出た。
忍者学校の演習とは違う。
相手は動く。
予想を外す。
依頼人は指示どおりに待ってくれない。
仲間が迷えば、判断が遅れる。
一つの失敗が誰かの怪我へ繋がる。
その中で、カカシは自分が優秀であることを知った。
同年代と比べれば、明らかに抜けている。
年上の下忍にも負けない。
上忍からも評価された。
それでも。
任務報告の中で聞くオビトの名は、さらに先にある。
様々な班へ入り。
任務ごとに異なる役割をこなし。
六歳で中忍へ上がった。
追いついたと思った瞬間、また距離が開く。
カカシはそれを、悔しいと思った。
同時に、燃えた。
「もう一度」
木刀を構える。
サクモは息子の目を見る。
焦りだけではない。
以前より静かな火だ。
結果だけを追っていた頃とは違う。
オビトが何を積み重ねているのか。
どんな判断をしているのか。
その背中を見ようとしている。
「いいよ」
サクモも構える。
「ただし、速さだけを追わないこと」
「分かってる」
「相手を倒すことだけが任務ではない」
「それも分かってる」
「では、見せてごらん」
カカシが踏み込む。
今度は、一歩目を急がなかった。
相手の重心を見て。
木刀の角度を読み。
自分から間合いを作る。
追いつく。
超える。
その言葉を口にすることはない。
だが、火は確かに育っていた。
数日後の早朝。
オビトは任務へ向かうため、うちは集落の道を歩いていた。
空は薄青く、家々の屋根には夜露が残っている。
集合は東門。
今回は国境近くへ物資を運ぶ班へ加わる予定だ。表向きは護衛だが、途中の街道に出る盗賊への警戒も含まれている。
任務票を確認しながら角を曲がったところで、前方から一人の男が歩いてきた。
フガクだった。
以前よりも身なりが整っている。
黒髪を後ろへ流し、背筋は真っ直ぐ。若いながらも、その歩き方には一族を背負う者の重さがあった。
先日、正式に族長へ就いたと聞いている。
まだ若い。
それでも一族の上層部が、フガクを選んだ。
実力。
家柄。
判断力。
そして、感情を表へ出しすぎない性質。
族長として求められるものを、すでに持っていたのだろう。
「おはようございます、フガクさん」
オビトが声をかける。
フガクも足を止めた。
「任務か」
「はい。東門集合です」
「遠出か」
「国境近くまで」
フガクの視線が、オビトの装備を確認する。
忍具入れ。
水筒。
保存食。
予備の布。
雨具。
必要なものは揃っている。
「帰還予定は」
「三日後です。延びるなら火影塔から祖母ちゃんに連絡が行きます」
「そうか」
短い会話。
だが、以前とは少し違う。
フガクは今や族長だ。
一族の子ども一人へ気軽に声をかける立場ではなくなった。
それでも、オビトに対する距離は変わらなかった。
「無理はするな」
「善処します」
「善処ではなく、守れ」
「任務次第です」
フガクの眉がわずかに動く。
怒っているわけではない。
予想どおりの答えだったのだろう。
「お前は、誰かを助けるためなら自分を計算から外す」
「外してないです」
「後回しにしている」
否定しづらい。
オビトは少し視線を逸らした。
「最近は、前よりちゃんと考えてます」
「何でも屋の任務でか」
「それ、正式名称じゃないんですけど」
「里ではそう呼ばれている」
「知ってますよ……」
不本意ながら、定着してしまった。
フガクの口元が、ほんのわずかに緩んだ。
笑ったのかどうか、見逃しそうな変化だった。
「様々な班へ入るのは、苦労も多いだろう」
「多いです」
即答する。
「人間関係を毎回最初から作る。得意なことを説明する。指揮官の癖を見る。帰りに呪霊まで祓う。たまに根の監視もついてくる」
最後の二つは口にしていない。
内心だけで付け足した。
「でも、悪いことばかりじゃないです」
「何を得た」
フガクが問う。
オビトは少し考えた。
「同じ任務でも、人によって見方が違うってこと」
慎重な者。
勢いで押す者。
仲間を先に見る者。
依頼人の安全を優先する者。
規則を守る者。
規則より結果を選ぶ者。
どれが常に正しいわけではない。
状況で変わる。
相手で変わる。
その違いを知った。
「あと、知らない班でも動けるようになりました」
「それは強みになる」
「火影様の思いどおりなのが、ちょっと腹立ちますけど」
「火影様は、お前がそう言うところまで見越しているかもしれんな」
「やめてくださいよ」
本当にありそうで嫌だ。
フガクは一度、東門の方角へ目を向けた。
「時間は大丈夫か」
「まだ余裕あります」
「なら、気をつけて行け」
「はい」
オビトは一歩進みかけ、振り返った。
「フガクさん」
「何だ」
「族長就任、おめでとうございます」
フガクの目がわずかに見開かれた。
式の場では、形式的な祝辞を受けている。
一族の者からも、上層部からも。
だが、オビトの言葉は少し違った。
役職ではなく、本人へ向けられている。
「ありがとうございます、じゃなくて……」
オビトは言葉を探す。
「大変だと思いますけど。フガクさんなら、ちゃんと見てくれると思うから」
何を、とまでは言わなかった。
一族の内側。
外側。
声の大きい者。
小さい者。
中心にいる者。
端へ追いやられる者。
フガクなら、少なくとも見ようとはする。
それを知っている。
「俺にできることがあれば、言ってください」
フガクはしばらく答えなかった。
六歳半。
中忍。
火影直属。
様々な班を渡り歩き、里の外へも出る。
一族の子でありながら、一族だけに収まらない少年。
マヒトの息子。
その背中が、少しずつ遠くなっていることを、フガクも感じていた。
だが、それは離れているのではない。
繋がる範囲を広げている。
「まずは、自分の任務を果たせ」
やがてフガクが言った。
「はい」
「それから、無事に戻れ」
「努力します」
「守れと言っている」
同じやり取りになった。
オビトは少し笑った。
「行ってきます、フガクさん」
「ああ」
オビトは東門へ向かって走り出した。
小さな背中。
だが、もう足取りに迷いはない。
任務へ向かい。
人を助け。
見えないものを祓い。
様々な班の中で、自分の立ち位置を選ぶ。
その背中を、カカシは追っている。
フガクは見守っている。
ダンゾウは利用する機会を窺っている。
ミナトもまた、遠くない場所で意識し続けている。
オビト自身は、それらすべてを知っているわけではない。
ただ、自分の前にある道を進む。
追われていることを嫌とは思わなかった。
背中が見えるなら、相手はまだ来られる。
追いついた時には、並んで歩ける。
だから今は、止まらない。
任務の合間に祓除を重ね。
何でも屋として人に振り回され。
面倒だと文句を言いながら、それでも手を伸ばす。
その積み重ねが、オビトの精神を少しずつ鍛えていた。
もともと折れにくい。
倒れても立つことには慣れている。
それでも今世では、一人で立つだけではない。
誰かと動き。
誰かへ任せ。
誰かに追われ。
時には、守られる。
鋼のような強さは、硬いだけでは折れる。
曲がり。
受け止め。
また戻る。
その柔らかさまで含めて、少しずつ育っていた。
東門が見える。
今日の班が待っている。
見知らぬ年上の忍たち。
新しい任務。
たぶん、道中には呪霊もいる。
オビトは走りながら、小さく息を吐いた。
「さて」
また一日が始まる。
【〆栞】