竈開の焔

あー、痛ぇ。

左肩から腕がない。

腹にも穴が空いている。

血が足元へ落ちるたびに、身体の内側から熱が抜けていく。痛みは鋭い。骨の断面も、裂けた筋肉も、貫かれた腹も、全部が遅れて自分の存在を主張している。

それでも、オビトは倒れなかった。

倒れたら喰われる。

喰われたら終わる。

そして無堕は、この村を喰い尽くしたあと、さらに別の場所へ行く。

木ノ葉へ向かう可能性だってある。

なら、ここで止めるしかない。

「つーか……」

口の端から血が垂れる。

「自来也さんが追ってくるなんてな」

気づけなかった。

完全に前方へ意識を奪われていた。村で命が消えていく気配、膨れ上がる特級の呪い、それだけを追いすぎた。

自来也ほどの忍が相手とはいえ、後ろを取られた。

「俺もまだまだだな」

七歳じゃねーけど。

器が七歳。

そこは大事だ。

器が、七歳。

二回言うくらい大事だ。

中身の記憶がいくつ積み重なっていようと、今この身体は七歳のものだ。筋肉も骨も血液量も、内臓も神経も、全部が成長途中の器でしかない。前世の感覚で無理をすれば、当然こうなる。

だが、黒閃は効いた。

無堕の触手は大きく吹き飛んでいる。白い顔の下、黒い身体の中心部も深く抉れていた。再生速度も落ちている。

ただ、まだ倒せてはいない。

無堕は瓦礫の向こうで蠢いていた。

黒い影が盛り上がる。裂けた口が歪む。吹き飛んだ触手の代わりに、短く太い影の腕が何本も地面から生えてくる。

決め手に欠ける。

血星磊も穿血も通る。

解も裂ける。

黒閃なら深く抉れる。

だが、それでも核を砕くには届いていない。

「どうする……?」

脳裏に、火が浮かんだ。

竈開。

御厨子の奥にある、焔。

前世で焼き付いた、呪いの王の火。

一度使えば、この場の呪いごと焼き尽くせるかもしれない。

だが、すぐに否定した。

いや、あれは駄目だ。

出力を誤れば、大災害になる。

村だけでは済まない。山そのものが死ぬ。森が焼け、土が焼け、逃げ残った生存者がいれば巻き込む。自来也もいる。自分の身体だって耐えきれるか分からない。

いくら特級相手でも、山一つを焼くわけにはいかない。

「あー……」

息が荒い。

「あんなことなら、早くちゃんと考えておけば良かった」

竈開を忍術としてどう落とし込むか。

出力をどう絞るか。

一点集中にできるか。

前世の記憶を持っているのに、後回しにしていた。危険すぎるから使わない。その判断自体は間違っていない。

だが、使わないから考えない、では足りなかった。

使わないためにも、いざという時に使える形を考えておくべきだった。

無堕が来た。

瓦礫を弾き飛ばし、黒い身体を波のように伸ばす。先ほどまでとは違う。触手を失った分、動きが荒い。だが、荒いからこそ読みにくい。

影が跳ねた。

低く這うと思った瞬間、上から落ちる。

オビトは身を捻る。

だが、完全には避けきれなかった。

変則的な軌道で跳ねた黒い刃が、顔を掠める。

額のゴーグルが弾け飛んだ。

「クソッ!」

視界が開ける。

額に慣れた重みが消える。

黒い影の刃は頬を浅く裂き、血が一筋落ちた。

オビトは右足で地面を蹴り、何とか次の攻撃をかわした。だが、腹の傷が響いて体勢が崩れる。身体を支えようとして、残った右手が地面についた。

ぬるり、とした感触。

血だ。

自分の血。

村人たちの血。

それが混ざっている。

掌の下で、冷え始めた血溜まりが揺れる。

一瞬、脳裏に映り込んだ。

恐怖に歪んだ男の子の顔。

それを必死に庇おうとした母親の顔。

見たわけではない。

記憶ではない。

血に残った、死の間際の感情が触れた。

怖い。

助けて。

子どもだけは。

何で。

死にたくない。

まだ。

まだ。

「……ざけんなよ」

低い声が落ちた。

無堕が笑う。

村人たちの恐怖を喰い、血肉を喰い、なお足りず、目の前の子どもを極上の餌として狙う。

ふざけるな。

喰って強くなるために、命を奪った。

格を上げるために、恐怖を啜った。

人を、人の終わりを、餌としてしか見ていない。

呪霊とはそういうものだ。

分かっている。

分かっていても、怒りは消えなかった。

オビトの両眼に、赤が灯った。

黒い瞳の中で、三つの巴が顕現する。

写輪眼。

隠していたもの。

まだ誰にも見せるつもりのなかった眼。

だが、今はそんなことを言っている場合ではない。

回復はあとだ。

左腕も腹も、あとでいい。

今は、見る。

核を。

動きを。

殺せる一点を。

無堕が再び襲いかかる。

写輪眼が、その動きを捉えた。

影の波。

跳ねる触手。

白い顔の角度。

再生の中心。

呪力の流れ。

見えた。

完全ではない。

だが、今までより深く。

「そこか」

オビトは立ち上がる。

血が足元へ落ちる。

身体は軽くない。

むしろ重い。視界の端が少し暗い。血が足りない。腹が気持ち悪い。だが、足は動く。

再び近接。

無堕が喜ぶ。

まだ来るのかと、裂けた口を広げる。

喰える。

今度こそ喰える。

その欲が、動きを単純にした。

オビトは真正面へ踏み込んだ。

一歩。

足裏へチャクラ。

二歩。

身体を低く。

三歩。

影の刃を潜る。

黒い触手が右から来る。

肩口を狙う。

左はもうない。

だから無堕の狙いは右腕か、頭。

オビトはあえて右腕を少し遅らせた。

触手が食いつく。

その瞬間、拳を叩き込む。

「逕庭拳!」

一撃目が無堕の影を打った。

衝撃が沈む。

遅れて、二撃目が内側で弾ける。

無堕の身体が歪んだ。

写輪眼が、その奥を捉える。

核。

黒い影の深部、白い顔の下、再生の流れが集まる一点。

そこが見えた。

逃がさない。

オビトの右手に、呪力の炎が灯る。

大きくない。

山を焼く火ではない。

世界を焦がす焔ではない。

拳に収まるだけの、極限まで絞った火。

竈開。

その焔を、拳へ纏わせる。

世界が、一瞬だけ静止した。

心臓の音だけが、やけに大きく響く。

どくん。

血が足りない。

どくん。

腹が熱い。

どくん。

左腕がない。

どくん。

それでも、核は見えている。

無堕の口が開く。

自来也の気配が背後で動く。

血の匂い。

死の気配。

怒り。

痛み。

すべてが一点へ収束する。

――ここだ。

オビトの拳が放たれた。

竈開を纏う拳が、無堕の核へ届く。

打撃と呪力。

その重なりが、また世界を歪ませた。

黒い閃光が迸る。

「黒閃!!」

焔が内側へ食い込んだ。

黒閃の衝撃が、竈開の火を核へ叩き込む。

一瞬、無堕の白い顔が歪んだ。

笑みではない。

初めて浮かんだ、恐怖に似た形。

次の瞬間。

大きな衝撃が村の中心を貫いた。

無堕の身体が内側から弾ける。

黒い影が裂け、白い顔が砕け、触手も舌も影の粒も、すべてが焔に焼かれながら霧散していく。

悲鳴はなかった。

声を上げる形さえ残らなかった。

黒い呪いの塊が、夜気へ溶けるように消える。

特級呪霊、無堕。

完全祓除。

静寂が戻った。

血に濡れた村の中心で、オビトは右拳を下ろした。

ふらりと身体が揺れる。

「はは……」

声が漏れた。

「ロマン、使えるじゃん」

御厨子の火を、黒閃に乗せる。

危険すぎる。

普通ならやらない。

考えてから使うべきだった。

だが、できた。

一点だけなら。

山を焼かずに、核だけを灼けた。

「完了……」

言いかけた。

「あ」

視界が傾いた。

身体から力が抜ける。

オビトはそのまま、血溜まりの中へ倒れた。

血が足りない。

気持ち悪い。

吐き気がする。

耳鳴りが酷い。

左腕がないまま倒れたせいで、受け身も取れない。顔が地面に近づき、鉄臭い血の匂いが鼻を突いた。

「オビト!」

自来也が駆け寄ってくる。

今度は止める声を出す余裕もない。

大きな手が、オビトの肩へ伸びた。

ない方へ触れかけ、ぎょっとして止まる。左肩から腕が失われた状態を、改めて目の当たりにしたのだろう。腹の傷も酷い。血はまだ流れている。

「おい、しっかりしろ! 聞こえるか!」

「あー……大丈夫」

「どこがだ!?」

至極まっとうな怒鳴り声だった。

オビトはうつ伏せのまま、少しだけ顔を上げる。

「ちょっと、血が足りないだけ」

「腕がない奴の台詞じゃねぇ!」

「それは……今から」

反転術式を回す。

呪力を正へ転じる。

そこへ陽の性質を重ねる。

温かい力が、傷口へ流れ込んだ。

腹部の穴が塞がっていく。

裂けた内臓が戻る。

血管が繋がる。

筋繊維が編まれる。

皮膚が閉じる。

次に、左肩。

奪われた腕の形を、記憶と肉体が知っている。

骨を作る。

筋肉を重ねる。

血管を通す。

神経を繋ぐ。

皮膚を張る。

指先まで。

爪まで。

失われた左腕が、ゆっくりと元通りになっていく。

自来也は呆然と見ていた。

言葉が出ない。

無理もない。

見えない化物。

血を操る術。

黒い閃光。

呪力の焔。

そして、失われた腕の再生。

一つでも理解不能なのに、それが一晩で全部起きた。

オビトは左手の指を動かした。

一本ずつ。

握る。

開く。

感覚はある。

少し鈍いが、問題ない。

腹も塞がった。

ただ、血は戻らない。

失った血液までは、すぐには補えない。

身体が重い。

胃が気持ち悪い。

視界がまだ揺れる。

オビトは横向きになり、何とか自来也を見上げた。

自来也の顔には、赤い手形の跡がまだうっすら残っている。

その間抜けな名残と、今の真剣な表情の差が妙で、少し笑いそうになった。

笑う余裕はなかった。

「あのさ、自来也さん」

「何だ」

「増血丸、持ってない?」

沈黙。

血と死と呪いに満ちた村の中心で、蛙の仙人はしばらく言葉を失った。

それから、信じられないものを見る目で叫んだ。

「まず説明しろ!!」


〆栞
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