呪い

自来也は、忍具入れの中を荒っぽく探っていた。

血と肉片と崩れた家屋に囲まれた村の中心で、そんな仕草だけが妙に日常じみている。だが、その顔に浮かんでいるものは普段の軽薄さではなかった。

焦り。

困惑。

怒り。

そして、理解できないものを前にした警戒。

「増血丸、増血丸……あった」

自来也は小さな丸薬の入った包みを取り出した。

オビトは血溜まりから少し離れた場所に座り込み、片膝を立てていた。左腕はすでに元通りになっている。腹部の穴も塞がっていた。反転術式と陽の力で、筋肉も血管も内臓も再構築済みだ。

失った事実はある。

だが、今は失われていない。

問題は、流れた血まではすぐに戻らないことだった。

「偶々持ってたんだな」

「任務帰りに何があるか分からんからの」

「偶々……いや、まあ、ありがたい」

自来也が包みごと投げる。

オビトは右手で受け取り、丸薬を一粒口へ放り込んだ。苦味が舌に広がる。飲み込むと同時に、両眼に灯っていた赤を静かに閉じた。

次に開いた時、瞳は黒へ戻っていた。

三つ巴の写輪眼は消えている。

自来也は、その変化を見逃さなかった。

ただし、まず問うべきものは別にある。

「あの化物は何だったのか、説明しろ」

声は低かった。

いつもの調子ではない。

茶化す余地がないほど、今夜の光景は異常だった。

オビトは黒い瞳で自来也を見上げ、わずかに顔を顰めた。増血丸が効くまで少し時間がかかる。気分の悪さはまだ消えない。

それでも、口元だけ苦笑する。

「あー、見えたんだよな」

「見えた。途中からな」

自来也の目が鋭くなる。

「最初は何も見えんかった。お前が何もないところに血を飛ばして、何かを避けて、何かに向かって戦っているようにしか見えんかった。だが、踏み込もうとした時に見えた」

「今際の際にいたってことだ」

「……どういう意味だ」

「死が近かったんだよ。あれに巻き込まれてたら、自来也さんでも危なかった」

オビトは淡々と言った。

「もし飛び込んでたら死んでた。よく踏みとどまったな」

自来也の眉が動く。

褒められた。

七歳の子どもに。

見えない化物を相手に、片腕を噛み千切られてなお殴り返した少年に、よく踏みとどまったと言われた。

腹の底が、妙な具合にざわついた。

「お前は踏みとどまるどころか突っ込んどったがの」

「俺は見えてたし、対処法もあったから」

「あれのどこが対処じゃ。腕を喰われとっただろうが」

「治した」

「そういう問題じゃねぇ」

自来也の声が荒くなる。

オビトは少しだけ視線を伏せた。

怒られるのは当然だ。

客観的に見れば、狂気の沙汰だった。自分でも分かっている。けれど、あの場で他に核へ届く方法がなかった。

それを説明したところで、自来也の怒りは収まらないだろう。

だから、別の話から始める。

「呪いだよ」

「呪い?」

「人間の負の感情から生まれるもの。恐怖、憎しみ、後悔、怒り、悲しみ。そういうのが溜まって、形を持つことがある。さっきのは、その中でもかなり強いやつだった」

自来也は黙って聞いた。

オビトは言葉を選ぶ。

呪術世界の仕組みをすべて話すつもりはない。

前世のことも言わない。

術式の正確な理屈も伏せる。

だが、自来也は見た。

見えてしまった。

何も説明しないわけにはいかない。

「呪いが形になって、人を襲うものを呪霊って呼ぶ」

「じゅれい」

「それを祓うのが呪術師」

「お前はそれか」

「……まあ、そういうことにしといて」

自来也は目を細めた。

「そういうことに、ねぇ」

含みのある言い方だった。

オビトは誤魔化すように肩をすくめた。失ったはずの左腕も自然に動く。自来也の視線が一瞬そこへ落ちたが、今は追及を飲み込んだらしい。

「見えない忍は、非呪術師って扱いになる。見える側で、且つ戦える呪術師から見れば、忍と言えども一般人に近い」

「忍が一般人だと?」

「その相手に関してはな」

オビトは夜の村へ視線を向けた。

血の匂いがまだ濃い。

無堕は祓った。

だが、残された死は消えない。

「だって見えないだろ。攻撃も防御も、まず相手を認識できなきゃ始まらない。忍術がどれだけ強くても、当てる場所が分からない。呪いに効く術も、普通は持ってない」

「わしは見えた」

「死に近づきすぎたからだ。常に見えるようになったかは分からない」

自来也の顔が険しくなる。

「つまり、普通の忍があれに襲われたら」

「かなり厳しい」

「上忍でもか」

「見えなければ、基本は同じだ」

自来也は低く息を吐いた。

忍の強さが通じない領域。

そう言われて、すぐに納得できるはずがない。

だが、今夜見たものがある。

村人たちは、何に襲われたのか分からないまま殺された。自来也自身も最初は敵を認識できなかった。オビトが戦っていなければ、あの化物の存在に気づく前に死んでいた可能性がある。

「自然から発生した……と言うには、少し違うか」

オビトは言葉を探す。

「人から出たものだけど、溜まって形になれば、人とは別の存在になる。尾獣と少し似てる部分があるかもな」

自来也の目が、そこで止まった。

「尾獣」

しまった。

オビトの内心が跳ねる。

この時代で尾獣という存在そのものは知られている。だが、七歳の中忍が、まるで性質まで理解しているような口ぶりで語るのは不自然だった。

しかも自来也は、普通の忍ではない。

三忍の一人。

九尾の人柱力であるクシナと関わりのあるミナトの師。

こういう言葉の引っかかりを、流す人間ではない。

「尾獣を知っとる口振りだのう」

自来也が言った。

オビトは焦った。

増血丸の苦味が、急に口の中へ戻ってきた気がする。

何か言え。

ごまかせ。

火影塔で資料を見た。

任務報告で聞いた。

うちはの古い話で知った。

選択肢はいくつかある。

だが、どれも掘られたら面倒だ。

オビトは数秒迷い、ふっと笑った。

右手の人差し指を唇の前に立てる。

「秘密」

なぜか語尾に妙な軽さが乗った。

自分でも、今のはどうかと思った。

自来也の顔が盛大に歪む。

「カァァ! 可愛くねぇのう!」

「うるせぇ、悪かったな可愛くなくて」

オビトは笑いながら返した。

血が足りなくて顔色は悪い。

それでも、軽口を返すくらいの気力は戻ってきた。

自来也は舌打ちしながら、足元の血溜まりを避けて歩いた。戦闘中に吹き飛んだゴーグルが、少し離れた地面に転がっている。

拾い上げ、血や泥を袖で拭う。

「無事だな」

「よかった」

オビトは素直に安堵した。

額に乗せ慣れた重みがないと、妙に落ち着かない。ゴーグルが壊れていたら、祖母ちゃんに何を言われるか分からない。

自来也はゴーグルを手にしたまま、こちらへ戻ってくる。

そして、先ほど飲み込んだ問いを、今度こそ口にした。

「写輪眼」

「あ」

オビトは固まった。

終わった。

完全に見られている。

無堕との戦いでゴーグルが吹き飛び、核を視るために両眼へ三つ巴を出した。そのまま黒閃を叩き込み、倒れ、反転術式で回復した。

増血丸を飲む直前まで、閉じる余裕もなかった。

自来也は見ている。

間違いなく。

「三つ巴の写輪眼であることから、今しがたの戦いで開眼したわけではないのう」

逃げ道を塞ぐのが早い。

「いつからだ」

オビトは黙った。

血の臭い。

夜の闇。

壊れた村。

その中心で、三忍の一人が七歳の中忍を見下ろしている。

まじめに答えるべき場面だ。

分かっている。

写輪眼の開眼は、うちはにとっても木ノ葉にとっても重大な情報だ。隠していた理由を問われるのも当然だ。

だが、ここで本当のことを言えば、さらに面倒が増える。

前々世から両眼が魂にある。

赤子の頃から使える可能性があった。

開眼時期など、今世の出来事として説明できない。

言えるはずがない。

オビトはしばらく考えた。

そして、苦し紛れに言った。

「…………幻、ということにしときませんか?」

自来也の眉間に皺が寄る。

「写輪眼だけに」

次の瞬間、自来也の顔が盛大に歪んだ。

怒りとも呆れとも殺意とも言い切れない、非常に怖い表情だった。

オビトは反射的に思った。

あ、宿儺みたい。

怖っ。

「お前な」

「はい」

「今この状況で、それを言うか」

「言いました」

「開き直るな」

「すみません」

「すみませんって顔じゃねぇ」

オビトは目を逸らした。

自来也は大きく息を吸い、吐いた。

本気で怒鳴りたいのを堪えているらしい。

「つまり、答える気はないんじゃな」

「今は」

「今は?」

「言えることと言えないことがある」

「さっきもそんな調子だったのう」

「まあ、色々あるんだよ」

「七歳の言い方じゃねぇ」

「それはもう諦めた」

自来也は額を押さえた。

見えない化物。

呪い。

呪霊。

呪術師。

尾獣を知るような口ぶり。

隠していた三つ巴の写輪眼。

失われた腕と腹部を元通りにする治療。

どれも一つずつなら、火影へ即座に報告すべき重大事項だ。

だが、今ここで報告の話をしても仕方がない。

村は壊滅状態。

少年は増血丸を飲んだばかりで、傷は塞がっても血が足りない。

まずは状況を整えるべきだった。

「立てるか」

自来也が聞く。

「少し待てば」

「今は座っとれ」

「でも、生存者がいるかも」

「お前は座っとれ」

声が強かった。

オビトは口を閉じる。

自来也はゴーグルを渡した。

「これは無事だった」

「ありがとう」

受け取ったゴーグルを、オビトは軽く確認した。傷はあるが、割れていない。額へ戻すと、少しだけ落ち着いた。

自来也はその様子を見て、また複雑な顔をした。

さっきまで左腕を失い、腹を貫かれていた子どもが、ゴーグルの無事に安心している。

理解が追いつかない。

「自来也さん」

「何だ」

「さっきの、見えた感覚ってまだある?」

問われ、自来也は村の中心へ目を向けた。

無堕がいた場所。

今は何もない。

血と瓦礫だけだ。

ただ、空気の奥に薄いざらつきが残っている気がした。

見える、とは言い難い。

だが、何も知らなかった時には感じなかった違和感がある。

「はっきりはせん」

「そっか」

「お前にはまだ何か見えとるのか」

「残り滓くらい」

「厄介な世界じゃな」

「本当に」

オビトは小さく笑った。

自来也はその顔を見て、再び眉を寄せる。

疲れている。

血が足りず、顔色も悪い。

それなのに、少年は当たり前のように周囲を見ている。

次に何をすべきか考えている。

このまま放っておけば、立ち上がって村中を調べ始めるだろう。

「動くな」

先回りして言った。

オビトがわずかに口を尖らせる。

「まだ何も言ってない」

「顔に書いてある」

「見えるようになったの、呪霊だけじゃないんだな」

「減らず口は元気じゃの」

「血が足りないだけだから」

「それを大事と言うんだ」

自来也はゴーグルを戻したオビトの頭を、軽く小突こうとしてやめた。

血と泥で汚れているが、七歳の子どもだ。

しかも今、腕を再生したばかりの子どもだ。

小突く気にはなれなかった。

代わりに、大きく息を吐く。

「ひとまず、増血丸が効くまで座っとれ。動いたら担ぐ」

「担がれるのは嫌だな」

「なら座れ」

「はいはい」

「一回」

「はい」

今度は素直に返事をした。

オビトは血に濡れた地面を避け、壊れた石垣のそばへ背を預けた。黒い瞳はもう写輪眼ではない。それでも、自来也には分かる。

この少年は、まだ多くを隠している。

あの化物を祓ったことよりも。

腕を治したことよりも。

もっと深いところに。

今は追及しても、きっと答えない。

自来也は村の惨状へ目を向けた。

夜はまだ明けない。

血の臭いも消えない。

見えない世界の入り口に、自分は今、立ってしまったのだろう。

その入口へ導いたのは、血まみれの七歳の中忍だった。

いや。

導いたというより、勝手に飛び込んでいた少年を追っただけだ。

「まったく」

自来也は低く呟いた。

「とんでもねぇ小僧を拾っちまったのう」

オビトは聞こえていたらしい。

「拾われてない」

「今は拾われとけ」

「……増血丸もらったし、それはそうか」

妙なところで納得した。

自来也は呆れ、けれど少しだけ口元を緩めた。

村の闇は深い。

死は重い。

説明すべきことも、隠されたことも山ほどある。

だが、今はまだ、報告の話ではない。

まずは、この血に濡れた夜を越えなければならなかった。


〆栞
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