弟子
村を出る時、オビトは四歳ほどの女の子と赤ん坊の目を隠した。
見せるべきではない。
見てしまったものは、消えない。
すでに二人は、見なくていいものをあまりにも多く感じている。家の中で響いた音。両親か、家族か、村人か、誰かが襲われる気配。床下の暗がりで息を潜めながら聞いた悲鳴と、赤ん坊の泣き声を抑えようとした小さな腕の震え。
それだけで、十分すぎる。
地上へ出てから村の外へ抜けるまでの間、自来也は赤ん坊を抱き、オビトは女の子の手を引いた。女の子は声を出さなかった。ただ、オビトの服の裾を握りしめ、爪が食い込むほど力を込めていた。
血溜まりを踏まないように歩くのは難しかった。
肉片を避けるのも、壊れた家屋を回り込むのも、子どもの足には時間がかかる。それでもオビトは急かさなかった。自来也も何も言わず、赤ん坊を片腕に抱えたまま、もう片方の手で女の子の視界へ余計なものが入らないよう支えた。
村の外れを抜け、山道へ入る。
血の臭いが少しずつ薄れていく。
それでも背後の村から漂う死の気配は消えない。無堕は祓った。だが、村人たちが死んだ事実は消えない。
オビトはある程度距離を取ってから、女の子の目隠しを外した。
赤ん坊の方も、自来也が包んでいた布を少し緩める。
夜の山道。
木々の影。
冷たい空気。
血の海はもう見えない。
それでも、女の子の目には恐怖の色が残ったままだった。
当然だ。
オビトは何も言わず、しゃがんで視線を合わせた。
「少し歩ける?」
女の子は答えない。
ただ、裾を掴む手へさらに力が入った。
離れない。
オビトは、その手を見た。
震えている。
小さな指先が白くなるほど握りしめている。
これは仕方がないことだ。
今、彼女にとって、世界は壊れたばかりなのだ。家も、村も、大人たちも、守ってくれるはずだったものが全部失われた。その中で地下穴から出してくれた相手を手放せないのは、当然だった。
「分かった。離れなくていい」
女の子の肩が、ほんの少しだけ下がる。
自来也は赤ん坊を抱え直しながら、その様子を見ていた。七歳の少年が、四歳ほどの子どもの恐怖を受け止め、距離を間違えずに声をかけている。
さっき、片腕を奪われても退かなかった少年と同じとは思えない。
だが、きっと同じだからこそなのだろう。
「自来也さん」
オビトは立ち上がり、声を潜めた。
「この子たちを保護するとして、村落のことをどう説明する?」
自来也の顔が難しくなる。
当然の問いだった。
村は壊滅した。
村人はほぼ全滅。
原因は、普通の忍には見えない呪霊。
それを祓ったのは、七歳の中忍であるうちはオビト。
その過程で、自来也は見えない怪物を一時的に視認し、オビトが血を操り、失った腕を再生し、黒い閃光と焔で怪物を消し飛ばすところを見た。
どこをどう切り取っても、まともな報告にならない。
「……ううむ」
自来也は唸った。
赤ん坊が腕の中で身じろぎする。
「どう説明しても、無理が出るのう」
「できれば――俺が説明したことは秘密にしてもらいたい」
自来也の目がオビトへ向く。
「何故だ」
「ただでさえ戦時下なんだ。余計な混乱は避けたい」
オビトは山道の先を見た。
「見えない化け物がいる。忍でも見えなければ殺される。そう広まったら、怖がる人が増えるだけだ。対応できる人間もほとんどいない。火影様に必要最低限を伝えるのは避けられないとしても、話を広げたくない」
言葉は静かだった。
七歳の声にしては、あまりにも状況を見ている。
自来也は目を細める。
「成程のう。まあ、話したところで九割方信じては貰えんだろうのう」
「で、説明は――」
「うむ」
自来也は赤ん坊を抱えたまま、わずかに顎を上げた。
「条件付きじゃが、なんとか誤魔化す」
オビトの眉が寄る。
「何だよ、条件付きって」
嫌な予感がした。
自来也の顔に、どこか楽しげなものが浮かぶ。
さっきまでの重い空気に似合わない、けれど妙にこの男らしい顔だった。
「オビト」
「うん」
「弟子になれ」
「は……?」
山道に、間の抜けた声が落ちた。
女の子がびくりとしたので、オビトはすぐに声を落とす。
「いや、待って。何で今その話になるんだよ」
「固定した班に所属しとらんのだろう」
「そうだけど」
「その分、自由が利く」
「いや、自由っていうか、火影直属の何でも屋みたいな扱いで」
「なら、なおさら都合がいい」
「都合って言ったな今」
自来也は悪びれない。
「ワシの弟子にする」
「だから勝手に決めるなって」
「仙術はどうだ?」
オビトが一瞬止まった。
自来也の目が、そこを見逃さない。
「あと、そうだな。ワシの弟子の技だがの」
嫌な言い方をする。
分かっていて、引っかけに来ている。
「螺旋丸と言う、とっておきの技を教えてやろう」
オビトの内側で、何かが跳ねた。
螺旋丸。
その名を聞いて、平然としていられるはずがなかった。
前々世で、ずっと引っかかっていた技だ。
ミナト先生が作り、ナルトが受け継ぎ、形を変え、強くしていった技。
手のひらに収めた渦。
形態変化の極致。
印を必要としない、純粋なチャクラ操作の塊。
憧れがなかったわけじゃない。
ミナト先生が使っていた。
ナルトも使っていた。
カカシも知っていた。
それに、今度は自分も手を伸ばせるのかと思うと、嬉しいような、妙に複雑なような、変な気分になる。
仙術だってそうだ。
妙木山。
自来也、ミナト、ナルトへ繋がる場所。
行けるなら行きたいに決まっている。
自然エネルギーとの相性も、今の自分なら前よりずっといいかもしれない。忍のチャクラと呪力、そして自然の力。それをどう重ねられるか、興味がないわけがない。
ないわけが、ない。
「よし、決まりだ!」
「勝手に進めるなよ!」
オビトは我に返って叫びかけ、また女の子を見て声を抑えた。
「まずはこの子たちの保護!」
自来也はにやにやしている。
完全に食いついたのを見られた。
「仙術と……螺旋丸は、興味あるけど」
最後はぼそっと漏れた。
言わなければいいのに、言ってしまった。
自来也の口元が、悪い笑みに変わる。
「食いついたな」
「うるさい」
「なら十だ」
「十?」
「十歳になったら、弟子として旅に同行してもらう」
「は?」
また間抜けな声が出た。
自来也は指を一本立てる。
「それまでに、お前は今の変則配属で里の任務を積め。ワシも動かねばならんことが多い。十になれば、ある程度は里外へ出る理由も作りやすい」
「俺の予定を勝手に組むな」
「内容によっては妙木山へ連れて行く。そんでもって、仙術を学ぶ機会をやる」
オビトは黙った。
強い。
条件が強すぎる。
本当にずるい。
今この場で断るには、餌が豪華すぎる。
「それに、螺旋丸じゃ」
「二度言うな」
「興味あるんじゃろう?」
「あるけど!」
「なら決まりじゃな」
「だから勝手に――」
「ふ、う、」
自来也の腕の中で、赤ん坊が顔をくしゃりと歪めた。
「オギャア!」
夜の山道に、泣き声が響く。
自来也はすぐに赤ん坊を揺らしたが、慣れていないのが丸分かりだった。
「おーおー、賛成と言うとるぞ」
「違う! 腹を空かせてるか、あとはオシメかだ!」
オビトは即座に突っ込んだ。
赤ん坊の泣き方を聞き、顔色と手足の冷えを見て、必要なものを判断する。七歳の言動ではないが、経験の蓄積が違う。赤子として地獄を味わった記憶もあるし、前世でも今世でも子どもの世話を見る機会は多かった。
自来也は目を瞬く。
「お主、えらく面倒見が良いのう」
「必要に迫られた経験があるだけ」
「七歳の答えじゃねぇな」
「それはもう諦めた」
女の子が、オビトの服をぎゅっと握ったまま、赤ん坊へ視線を向ける。
泣き声が不安を煽ったのか、唇が震えていた。
オビトは姿勢を低くし、女の子へ声をかける。
「大丈夫。泣けるくらい元気があるってことだから」
女の子は何も言わない。
それでも、オビトの言葉を聞こうとはしている。
「赤ちゃん、少し抱いてもいい?」
女の子は自来也の腕にいる赤ん坊を見て、それからオビトを見る。
悩むように、目が揺れた。
完全に信頼しているわけではない。
だが、赤ん坊が泣いていることに、彼女自身もどうしたらいいか分からないのだろう。
オビトは手を差し出さず、待った。
女の子が、小さく頷いた。
「ありがと」
自来也から赤ん坊を受け取る。
腕はもう元通りだ。
左腕も動く。
だが、血が足りないせいで少し力が入りにくい。オビトは無理をしないよう、腕だけで支えず、身体へ寄せるように抱いた。
赤ん坊はまだ泣いている。
オビトは背中を軽く叩き、揺れを一定にした。
「寒かったな。腹も減ったよな」
声を低くする。
赤ん坊の泣き方が少し変わる。
「自来也さん、水と布ある?」
「水はある。布もあるにはあるが」
「貸して。あと、火は小さく。温めるだけ」
「……完全に慣れとるな」
「今は感心してる場合じゃない」
自来也は忍具入れから水筒と布を出す。
その動きが、戦場で必要な道具を渡す時より少しぎこちないのが、逆に可笑しい。
オビトは赤ん坊を抱えたまま、女の子の様子も確認した。
彼女はまだオビトの服の裾を握っている。
離れる気配はない。
赤ん坊はオビトの腕の中。
七歳にして、包容力が半端ない状況になっていた。
自分でも少しおかしいと思う。
けれど、今はそれでいい。
泣いている赤ん坊が少しでも落ち着くなら。
四歳の女の子が、誰かの服を握っていられるなら。
それでいい。
自来也は火を小さく起こしながら、横目でオビトを見た。
血まみれの村で化物と戦い、片腕を失っても黒い閃光を叩き込み、謎の治療で元通りになった少年。
その少年が今は、赤ん坊を抱いて背をとんとん叩き、四歳の女の子の目線を気にしている。
やはり、落差が激しい。
「のう、オビト」
「何」
「お前、弟子になったらその辺も教える側に回れそうじゃな」
「何を」
「赤子のあやし方」
「弟子入り関係ないだろ」
「旅先で役立つかもしれん」
「どんな旅だよ」
自来也は笑った。
その笑いは、先ほどより少しだけ力が抜けていた。
村は失われた。
惨状は変わらない。
報告しなければならないことも、隠さなければならないことも多すぎる。
それでも、二つの命がここにある。
女の子はオビトから離れない。
赤ん坊はオビトの腕の中で、少しずつ泣き声を弱めている。
オビトはその重みを確かめながら、自来也へ視線を向けた。
「十歳の話は、今すぐ返事しないからな」
「興味はあるんじゃろ」
「ある」
「なら同じことじゃ」
「同じじゃない。祖母ちゃんにも、火影様にも話が必要だろ」
「まあ、その辺はどうにかする」
「その“どうにかする”が信用ならねぇんだよな……」
「安心せい。ワシは三忍の一人じゃぞ」
「それ、安心材料かな」
「失礼な小僧じゃ」
軽口が戻る。
だが、足はもう木ノ葉へ向いていた。
まずは保護。
食事。
休息。
そして安全な場所。
話し合いも、弟子入りも、仙術も螺旋丸も、その後だ。
赤ん坊が小さくしゃくり上げる。
女の子がまたオビトの裾を握る。
オビトはその手を見下ろし、少しだけ目を細めた。
「大丈夫」
誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
女の子へ。
赤ん坊へ。
自来也へ。
それとも、自分自身へ。
夜の山道はまだ暗い。
けれど、木ノ葉へ向かう道は確かに続いていた。
見せるべきではない。
見てしまったものは、消えない。
すでに二人は、見なくていいものをあまりにも多く感じている。家の中で響いた音。両親か、家族か、村人か、誰かが襲われる気配。床下の暗がりで息を潜めながら聞いた悲鳴と、赤ん坊の泣き声を抑えようとした小さな腕の震え。
それだけで、十分すぎる。
地上へ出てから村の外へ抜けるまでの間、自来也は赤ん坊を抱き、オビトは女の子の手を引いた。女の子は声を出さなかった。ただ、オビトの服の裾を握りしめ、爪が食い込むほど力を込めていた。
血溜まりを踏まないように歩くのは難しかった。
肉片を避けるのも、壊れた家屋を回り込むのも、子どもの足には時間がかかる。それでもオビトは急かさなかった。自来也も何も言わず、赤ん坊を片腕に抱えたまま、もう片方の手で女の子の視界へ余計なものが入らないよう支えた。
村の外れを抜け、山道へ入る。
血の臭いが少しずつ薄れていく。
それでも背後の村から漂う死の気配は消えない。無堕は祓った。だが、村人たちが死んだ事実は消えない。
オビトはある程度距離を取ってから、女の子の目隠しを外した。
赤ん坊の方も、自来也が包んでいた布を少し緩める。
夜の山道。
木々の影。
冷たい空気。
血の海はもう見えない。
それでも、女の子の目には恐怖の色が残ったままだった。
当然だ。
オビトは何も言わず、しゃがんで視線を合わせた。
「少し歩ける?」
女の子は答えない。
ただ、裾を掴む手へさらに力が入った。
離れない。
オビトは、その手を見た。
震えている。
小さな指先が白くなるほど握りしめている。
これは仕方がないことだ。
今、彼女にとって、世界は壊れたばかりなのだ。家も、村も、大人たちも、守ってくれるはずだったものが全部失われた。その中で地下穴から出してくれた相手を手放せないのは、当然だった。
「分かった。離れなくていい」
女の子の肩が、ほんの少しだけ下がる。
自来也は赤ん坊を抱え直しながら、その様子を見ていた。七歳の少年が、四歳ほどの子どもの恐怖を受け止め、距離を間違えずに声をかけている。
さっき、片腕を奪われても退かなかった少年と同じとは思えない。
だが、きっと同じだからこそなのだろう。
「自来也さん」
オビトは立ち上がり、声を潜めた。
「この子たちを保護するとして、村落のことをどう説明する?」
自来也の顔が難しくなる。
当然の問いだった。
村は壊滅した。
村人はほぼ全滅。
原因は、普通の忍には見えない呪霊。
それを祓ったのは、七歳の中忍であるうちはオビト。
その過程で、自来也は見えない怪物を一時的に視認し、オビトが血を操り、失った腕を再生し、黒い閃光と焔で怪物を消し飛ばすところを見た。
どこをどう切り取っても、まともな報告にならない。
「……ううむ」
自来也は唸った。
赤ん坊が腕の中で身じろぎする。
「どう説明しても、無理が出るのう」
「できれば――俺が説明したことは秘密にしてもらいたい」
自来也の目がオビトへ向く。
「何故だ」
「ただでさえ戦時下なんだ。余計な混乱は避けたい」
オビトは山道の先を見た。
「見えない化け物がいる。忍でも見えなければ殺される。そう広まったら、怖がる人が増えるだけだ。対応できる人間もほとんどいない。火影様に必要最低限を伝えるのは避けられないとしても、話を広げたくない」
言葉は静かだった。
七歳の声にしては、あまりにも状況を見ている。
自来也は目を細める。
「成程のう。まあ、話したところで九割方信じては貰えんだろうのう」
「で、説明は――」
「うむ」
自来也は赤ん坊を抱えたまま、わずかに顎を上げた。
「条件付きじゃが、なんとか誤魔化す」
オビトの眉が寄る。
「何だよ、条件付きって」
嫌な予感がした。
自来也の顔に、どこか楽しげなものが浮かぶ。
さっきまでの重い空気に似合わない、けれど妙にこの男らしい顔だった。
「オビト」
「うん」
「弟子になれ」
「は……?」
山道に、間の抜けた声が落ちた。
女の子がびくりとしたので、オビトはすぐに声を落とす。
「いや、待って。何で今その話になるんだよ」
「固定した班に所属しとらんのだろう」
「そうだけど」
「その分、自由が利く」
「いや、自由っていうか、火影直属の何でも屋みたいな扱いで」
「なら、なおさら都合がいい」
「都合って言ったな今」
自来也は悪びれない。
「ワシの弟子にする」
「だから勝手に決めるなって」
「仙術はどうだ?」
オビトが一瞬止まった。
自来也の目が、そこを見逃さない。
「あと、そうだな。ワシの弟子の技だがの」
嫌な言い方をする。
分かっていて、引っかけに来ている。
「螺旋丸と言う、とっておきの技を教えてやろう」
オビトの内側で、何かが跳ねた。
螺旋丸。
その名を聞いて、平然としていられるはずがなかった。
前々世で、ずっと引っかかっていた技だ。
ミナト先生が作り、ナルトが受け継ぎ、形を変え、強くしていった技。
手のひらに収めた渦。
形態変化の極致。
印を必要としない、純粋なチャクラ操作の塊。
憧れがなかったわけじゃない。
ミナト先生が使っていた。
ナルトも使っていた。
カカシも知っていた。
それに、今度は自分も手を伸ばせるのかと思うと、嬉しいような、妙に複雑なような、変な気分になる。
仙術だってそうだ。
妙木山。
自来也、ミナト、ナルトへ繋がる場所。
行けるなら行きたいに決まっている。
自然エネルギーとの相性も、今の自分なら前よりずっといいかもしれない。忍のチャクラと呪力、そして自然の力。それをどう重ねられるか、興味がないわけがない。
ないわけが、ない。
「よし、決まりだ!」
「勝手に進めるなよ!」
オビトは我に返って叫びかけ、また女の子を見て声を抑えた。
「まずはこの子たちの保護!」
自来也はにやにやしている。
完全に食いついたのを見られた。
「仙術と……螺旋丸は、興味あるけど」
最後はぼそっと漏れた。
言わなければいいのに、言ってしまった。
自来也の口元が、悪い笑みに変わる。
「食いついたな」
「うるさい」
「なら十だ」
「十?」
「十歳になったら、弟子として旅に同行してもらう」
「は?」
また間抜けな声が出た。
自来也は指を一本立てる。
「それまでに、お前は今の変則配属で里の任務を積め。ワシも動かねばならんことが多い。十になれば、ある程度は里外へ出る理由も作りやすい」
「俺の予定を勝手に組むな」
「内容によっては妙木山へ連れて行く。そんでもって、仙術を学ぶ機会をやる」
オビトは黙った。
強い。
条件が強すぎる。
本当にずるい。
今この場で断るには、餌が豪華すぎる。
「それに、螺旋丸じゃ」
「二度言うな」
「興味あるんじゃろう?」
「あるけど!」
「なら決まりじゃな」
「だから勝手に――」
「ふ、う、」
自来也の腕の中で、赤ん坊が顔をくしゃりと歪めた。
「オギャア!」
夜の山道に、泣き声が響く。
自来也はすぐに赤ん坊を揺らしたが、慣れていないのが丸分かりだった。
「おーおー、賛成と言うとるぞ」
「違う! 腹を空かせてるか、あとはオシメかだ!」
オビトは即座に突っ込んだ。
赤ん坊の泣き方を聞き、顔色と手足の冷えを見て、必要なものを判断する。七歳の言動ではないが、経験の蓄積が違う。赤子として地獄を味わった記憶もあるし、前世でも今世でも子どもの世話を見る機会は多かった。
自来也は目を瞬く。
「お主、えらく面倒見が良いのう」
「必要に迫られた経験があるだけ」
「七歳の答えじゃねぇな」
「それはもう諦めた」
女の子が、オビトの服をぎゅっと握ったまま、赤ん坊へ視線を向ける。
泣き声が不安を煽ったのか、唇が震えていた。
オビトは姿勢を低くし、女の子へ声をかける。
「大丈夫。泣けるくらい元気があるってことだから」
女の子は何も言わない。
それでも、オビトの言葉を聞こうとはしている。
「赤ちゃん、少し抱いてもいい?」
女の子は自来也の腕にいる赤ん坊を見て、それからオビトを見る。
悩むように、目が揺れた。
完全に信頼しているわけではない。
だが、赤ん坊が泣いていることに、彼女自身もどうしたらいいか分からないのだろう。
オビトは手を差し出さず、待った。
女の子が、小さく頷いた。
「ありがと」
自来也から赤ん坊を受け取る。
腕はもう元通りだ。
左腕も動く。
だが、血が足りないせいで少し力が入りにくい。オビトは無理をしないよう、腕だけで支えず、身体へ寄せるように抱いた。
赤ん坊はまだ泣いている。
オビトは背中を軽く叩き、揺れを一定にした。
「寒かったな。腹も減ったよな」
声を低くする。
赤ん坊の泣き方が少し変わる。
「自来也さん、水と布ある?」
「水はある。布もあるにはあるが」
「貸して。あと、火は小さく。温めるだけ」
「……完全に慣れとるな」
「今は感心してる場合じゃない」
自来也は忍具入れから水筒と布を出す。
その動きが、戦場で必要な道具を渡す時より少しぎこちないのが、逆に可笑しい。
オビトは赤ん坊を抱えたまま、女の子の様子も確認した。
彼女はまだオビトの服の裾を握っている。
離れる気配はない。
赤ん坊はオビトの腕の中。
七歳にして、包容力が半端ない状況になっていた。
自分でも少しおかしいと思う。
けれど、今はそれでいい。
泣いている赤ん坊が少しでも落ち着くなら。
四歳の女の子が、誰かの服を握っていられるなら。
それでいい。
自来也は火を小さく起こしながら、横目でオビトを見た。
血まみれの村で化物と戦い、片腕を失っても黒い閃光を叩き込み、謎の治療で元通りになった少年。
その少年が今は、赤ん坊を抱いて背をとんとん叩き、四歳の女の子の目線を気にしている。
やはり、落差が激しい。
「のう、オビト」
「何」
「お前、弟子になったらその辺も教える側に回れそうじゃな」
「何を」
「赤子のあやし方」
「弟子入り関係ないだろ」
「旅先で役立つかもしれん」
「どんな旅だよ」
自来也は笑った。
その笑いは、先ほどより少しだけ力が抜けていた。
村は失われた。
惨状は変わらない。
報告しなければならないことも、隠さなければならないことも多すぎる。
それでも、二つの命がここにある。
女の子はオビトから離れない。
赤ん坊はオビトの腕の中で、少しずつ泣き声を弱めている。
オビトはその重みを確かめながら、自来也へ視線を向けた。
「十歳の話は、今すぐ返事しないからな」
「興味はあるんじゃろ」
「ある」
「なら同じことじゃ」
「同じじゃない。祖母ちゃんにも、火影様にも話が必要だろ」
「まあ、その辺はどうにかする」
「その“どうにかする”が信用ならねぇんだよな……」
「安心せい。ワシは三忍の一人じゃぞ」
「それ、安心材料かな」
「失礼な小僧じゃ」
軽口が戻る。
だが、足はもう木ノ葉へ向いていた。
まずは保護。
食事。
休息。
そして安全な場所。
話し合いも、弟子入りも、仙術も螺旋丸も、その後だ。
赤ん坊が小さくしゃくり上げる。
女の子がまたオビトの裾を握る。
オビトはその手を見下ろし、少しだけ目を細めた。
「大丈夫」
誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
女の子へ。
赤ん坊へ。
自来也へ。
それとも、自分自身へ。
夜の山道はまだ暗い。
けれど、木ノ葉へ向かう道は確かに続いていた。
【〆栞】