壊滅の知らせ

自来也は、火影塔へ向かう道すがら、昨夜のことを何度も思い返していた。

血に沈んだ村。

見えない化物。

呪い、呪霊、呪術師。

七歳の少年が血を操り、片腕を奪われ、腹を貫かれ、それでも黒い閃光を叩き込んで怪物を祓った姿。

そして、その同じ少年が地下穴で震える女の子に声をかけ、泣く赤ん坊を抱き、道中でも二人を怯えさせないよう歩幅を合わせていた姿。

どうにも、頭から離れない。

自来也は忍として多くの子どもを見てきた。戦場に出るには早すぎる年齢で額当てを巻き、恐怖を押し殺し、任務の名の下に傷ついていく子どもたちを、何人も見てきた。

だが、うちはオビトはそのどれとも違っていた。

異能がある。

それは間違いない。

写輪眼だけではない。血を操る力。見えないものを見る目。失われた腕と腹の傷を元通りにした治療。黒い閃光。焔を纏う拳。

どれ一つ取っても、簡単に流していいものではない。

けれど、自来也が弟子にしたいと思ったのは、それだけが理由ではなかった。

あの少年には、揺るがない指針がある。

全部は助けられない。

けれど、手が届くなら見捨てたくない。

火影は前に立ち、拾えるものを拾う。

血に塗れた夜の底で、あれを言える子どもがいる。

そのくせ、自分の命を賭けることに慣れすぎている。

放っておけば、きっとまた一人で飛び込む。

見えるのが自分だけなら、なおさら。

自来也は小さく息を吐いた。

だから弟子にしたいのだ。

力を伸ばすためだけではない。

見張るためでもある。

止めるためでもある。

あの子どもが自分の命を雑に扱いすぎないよう、近くで見ておきたいと思ってしまった。

それは情かもしれない。

興味かもしれない。

弟子を取る者としての欲かもしれない。

だが、昨夜あれを見た以上、知らぬ顔はできなかった。

火影室の前で足を止める。

深く息を吸う。

ここから先は、言葉を選ばなければならない。

見えない化物のことは伏せる。

オビトが現場にいたことも伏せる。

あの少年が戦ったことも、二人を見つけたことも、血を使ったことも、貧血で倒れかけたことも、すべて伏せる。

火影なら、もしかすると信じるかもしれない。

だが、信じたなら信じたで厄介だ。

上層部へ流れれば面倒になる。見えない敵と戦える少年として、オビトへ余計な注目が集まる。うちはの三つ巴を隠していたことまで絡めば、火種はいくらでも増える。

自来也は、今ここでその火種を増やしたくなかった。

弟子にしたい。

その気持ちがあるからこそ、変な角度からオビトを縛る材料を増やしたくない。

扉の向こうから、ヒルゼンの声がした。

「入れ」

自来也は火影室へ入った。

窓の外は、まだ朝の色が薄い。夜明け前の冷えた空気が室内にも残っている。ヒルゼンは机の向こうに座り、すでにいくつかの報告書へ目を通していた。

自来也の顔を見るなり、その目が少しだけ鋭くなる。

「何があった」

余計な前置きはしない。

自来也も、それを分かっていた。

「昨晩、里外から離れた村落に偶々立ち寄ったんだがの」

ヒルゼンが顔を上げる。

「何があったのかわからんが、酷い有様で壊滅しておった」

その一言で、火影の目が細くなった。

「壊滅」

「ああ。獣害とも、人の仕業とも断じきれん。忍同士の戦闘跡とも違う。少なくとも、わしが見た限りでは原因は不明じゃ」

簡潔に。

だが、雑にはしない。

それが自来也の決めた報告だった。

村が壊滅していたこと。

原因が分からないこと。

獣害とも人の仕業とも断じきれないこと。

それ以上の異常は、今は伏せる。

ヒルゼンは煙管へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。

「場所は」

自来也が答える。

山間部の小さな村落。

木ノ葉からは近いとは言えない。

偶然立ち寄ったと言うには、確かに遠い。

ヒルゼンの視線が、自来也の顔を読むように向いた。

「偶々、か」

「偶々じゃ」

「お主が昨晩そこへ行く理由があったとは聞いておらんが」

「旅の途中で道を外れることくらいあるじゃろ」

「里内に戻っていた者が、夜中にか」

誤魔化せていない。

自来也は内心で舌打ちした。

ヒルゼンはこういうところで甘くない。

だが、今は押し切る。

「詳しい話はあとで詰めるとして、先に子どもじゃ」

ヒルゼンの表情が変わる。

「生存者がいたのか」

「ああ」

自来也は頷いた。

「赤ん坊と、四歳ほどの女の子じゃ。姉弟と思われる。今、木ノ葉病院で検査を受けさせておる」

「容体は」

「外傷は少ない。だが、女の子の方はかなり怯えておる。赤ん坊は衰弱気味じゃが、医療忍が診ておる」

ヒルゼンはすぐに机上の鈴を鳴らした。

控えの忍が入室する。

「病院へ連絡。保護された子ども二人の検査を最優先で行わせよ。身元確認、親族確認、保護先の手配も並行して進める。孤児院だけでなく、引き取り希望のある家庭があるかも確認せよ」

「はっ」

忍が消える。

自来也は、その背を見送った。

まずは二人の保護。

そこは誤魔化しではない。

本当に最優先すべきことだった。

「それで」

ヒルゼンは静かに言った。

「村の調査は」

「日が昇ってからがいい。夜の山道で人数を動かすより、明るくなってから部隊を出した方が確実じゃ」

「危険は残っていると思うか」

自来也は一瞬だけ黙った。

無堕は祓われた。

少なくとも、あの特級呪霊はいない。

だが、残滓までは完全にないとは言い切れない。死に満ちた村は、放置すればまた別の呪いを呼ぶ可能性がある。

それをそのまま言うことはできない。

「原因不明である以上、警戒は必要じゃ。だが、今すぐ里へ迫る何かを確認したわけではない」

嘘ではない。

全てではないだけだ。

ヒルゼンはじっと自来也を見ていた。

「自来也」

「何じゃ」

「隠しておることがあるの」

心臓のあたりが、ほんの少しだけ重くなる。

だが、自来也は顔に出さなかった。

「ありゃあ、村の有様を見たら誰だって言葉を選ぶわい」

「そうか」

「そうじゃ」

ヒルゼンはしばらく黙った。

誤魔化せてはいない。

それでも、今ここで強く問い詰めることはしなかった。

自来也が何かを伏せている。

だが、生存者がいる。

子ども二人を保護し、村の調査を手配することが先だ。

火影としての優先順位を、ヒルゼンは間違えなかった。

「よかろう。調査隊は夜明け後に出す。お主も同行せよ」

「分かっとる」

「子ども二人のことは、こちらで進める」

「頼む」

自来也は短く答えた。

これで、公式情報では村落壊滅とオビトは結びつかない。

少なくとも、この時点では。

その頃、木ノ葉病院の一室で、オビトは赤ん坊と女の子のそばにいた。

病院の廊下には消毒薬の匂いが満ちている。白い布。清潔な寝台。医療忍たちの慌ただしい足音。

血に塗れた村とは別世界のようだった。

オビト自身は、表向きには貧血患者扱いだった。

村落壊滅とは別件。

任務か、別件の処理で少し血を使いすぎた。体調を崩したため、病院で検査と休憩を受けていた。帰ろうとしたところで偶然自来也と会い、保護した子ども二人の面倒を少し見てほしいと頼まれた。

そういう流れになっている。

かなり強引だ。

だが、病院関係者から見れば、オビトはたまたま病院にいた中忍の少年であり、村落壊滅の現場関係者ではない。

女の子がオビトから離れないのも、保護後に世話をしたからだと説明できる。

赤ん坊を抱く手つきが妙に慣れているのも、まあ、そこは突っ込まれたら困るが、今は誰もそれどころではなかった。

「二日間の休暇……」

オビトは椅子に座り、乾いた目で天井を見た。

「ぶっ飛んだな」

本当にぶっ飛んだ。

老人介護に始まり、クシナと茶会、ミナトの微妙な反応、特級呪霊、片腕欠損、腹部貫通、黒閃、竈開、自来也への説明、姉弟保護、そして病院。

休暇とは。

いや、考えたら負けだ。

「増血丸さえ貰えたら良いんだけどな……」

ぼそっと呟く。

医療忍には安静にしろと言われている。傷はない。反転術式と陽で完全に塞いだ。左腕も腹部も、現在は元通りだ。だが、血液不足と消耗は誤魔化しきれない。

顔色が悪い。

それだけはどうにもならなかった。

寝台の上では、赤ん坊が眠っている。

名前は、風見ハヤト。

女の子は風見イトハ。

姉弟。

イトハは椅子に座るオビトの服の裾を握ったまま、隣の丸椅子に座っていた。病院の人間が声をかけても、離れない。医療忍が検査をする時も、オビトが見える位置でなければ首を振った。

無理もない。

親の死に目を見たのだ。

いや、正確には見たとは限らない。だが、聞いた。感じた。恐怖と悲鳴と、何かが家族を奪っていく気配を、地下穴の中で抱え込んだ。

当然だ。

オビトはイトハの手を見下ろした。

小さい。

力を込めすぎて、指が白くなっている。

「大丈夫」

そう言うと、イトハは返事の代わりに裾を握る力を少しだけ強くした。

ハヤトはまだ赤ん坊だ。

何も知らない分、まだましな方だろう。

空腹と寒さと不安はあった。けれど、あの村で何が起きたのかを記憶として抱えて生きていく年齢ではない。

問題はイトハだ。

これから先のことを考えると、やるせなかった。

記憶は残る。

血の匂い。

家族の声。

地下穴の暗さ。

赤ん坊を抱きしめて震えた時間。

それは、ふとした瞬間に蘇る。

眠れない夜を作る。

似た音に身体を竦ませる。

赤ん坊の泣き声に、あの夜を重ねる。

大人になっても、心の傷は消えないかもしれない。

苦しみ続ける一生を歩くかもしれない。

他人が簡単に触れていい領域ではない。

記憶を奪うことは、救いとは限らない。

痛みも、その人のものだ。

けれど。

四歳だ。

あまりにも幼い。

抱えきれるはずがない。

オビトは目を伏せた。

前世でも、こういう選択は嫌いだった。

助けるという言葉の中に、どこまで踏み込むのか。

本人の心を守るために、本人の記憶へ触れることを許していいのか。

答えは簡単ではない。

それでも、イトハの手の震えは今も止まらない。

声も戻らない。

病室の扉の外に医療忍の気配がある。廊下にも人がいる。だが、今この瞬間、室内にはオビトとイトハとハヤトだけだった。

オビトは周囲を確認した。

窓。

扉。

天井の隅。

気配。

誰も見ていない。

「イトハ」

名前を呼ぶと、女の子がゆっくり顔を上げた。

黒い瞳が、怯えたままオビトを見る。

オビトは椅子から降り、イトハの前に膝をついた。

「少しだけ、楽にする」

イトハには意味が分からなかっただろう。

ただ、オビトの声が怖くなかったからか、逃げなかった。

「怖かったこと、全部忘れなくていい。でも、夢で何度も見るところだけ、遠くに置く」

自分に言い聞かせるような言葉だった。

完全に消すのではない。

名前も、家族への愛情も、守られた事実も奪わない。

ただ、凄惨な瞬間だけを薄める。

血肉の映像と、音と、化け物の気配を、夢の奥へ沈める。

心が成長するまで、直接触れない場所へ。

オビトはほんの一瞬、写輪眼を出した。

三つ巴が赤く灯る。

次の瞬間には消える。

短い。

瞬きほどの時間。

イトハの瞳が、ふっと焦点を失った。

オビトは視線を合わせ、慎重に記憶へ触れる。

壊さない。

奪いすぎない。

必要なものまで消さない。

家族が守ってくれたこと。

地下穴にいたこと。

赤ん坊を抱いていたこと。

木ノ葉の忍に助けられたこと。

それは残す。

だが、家の外で響いた咀嚼音。

戸口で削られた男の姿。

奥間の前に残された女の手。

黒い影の気配。

血の臭い。

それらを、薄い布で覆うように遠ざける。

凄惨な記憶を打ち消す。

心の表面へ何度も浮かび上がらないよう、深く沈める。

イトハの手から力が抜けた。

完全に離したわけではない。

けれど、白くなるほど握っていた指が少し緩む。

呼吸が、わずかに整った。

オビトは写輪眼を閉じる。

黒い瞳へ戻った時、イトハはぼんやりと瞬きをした。

「……」

声はまだ出ない。

それでも、先ほどまでの張り詰めた恐怖が、少しだけ薄れていた。

オビトは安堵の息を吐きかけて、途中で止めた。

これは救いだと、簡単に言いたくはない。

でも、今はこれが必要だったと思うしかない。

「ごめんな」

小さく呟く。

イトハは意味も分からず、オビトの袖をまた掴んだ。

今度は、しがみつく力ではなかった。

眠る前に布を握る子どものような、弱い掴み方だった。

病室の扉が軽く叩かれる。

医療忍が顔を出した。

「うちはくん、体調はどう?」

「さっきよりはましです」

「顔色はまだ悪いわね。もう少し休んで」

「はい」

素直に返事をしておく。

医療忍は寝台のハヤトを確認し、イトハの様子を見た。

「あら……少し落ち着いた?」

「疲れたんだと思います」

「そうね。無理もないわ」

医療忍は静かに頷いた。

そして、少し声を潜める。

「この子たちのことだけど、火影様へ引き取りの希望が出ているそうよ」

オビトは顔を上げた。

「もう?」

「ええ。子どものいないご夫婦でね。前から里の保護児童を引き取りたいと相談していた方たちらしいの。もちろん、すぐ決まるわけじゃないわ。身元確認も、相性も、手続きもある。でも、悪い話ではないと思う」

イトハとハヤト。

風見の姉弟。

村を失い、家族を失った二人。

それでも、行き先があるかもしれない。

オビトは少しだけ目を伏せた。

「いい人たちだといいな」

「そうね」

医療忍は柔らかく答えた。

病室の外で、足音が近づき、また遠ざかる。

木ノ葉の朝が動き始めている。

火影塔では、自来也が報告している頃だろう。

村落壊滅。

原因不明。

生存者二名。

公式情報に、オビトの名はない。

それでいい。

今はそれでいい。

イトハが小さくあくびをした。

それに気づいたオビトは、椅子の位置を少し寄せる。

「寝ていいよ」

イトハは首を横に振りかけたが、眠気には勝てないらしい。袖を握ったまま、こくりと頭が揺れた。

オビトは動かなかった。

手を離せとは言わない。

ハヤトの寝息が小さく続いている。

病室の白い空気の中で、ようやく二人の呼吸が少しだけ穏やかになった。

オビトは背もたれに身体を預け、目を閉じる。

貧血で頭が重い。

休暇は完全に消えた。

弟子入りの話も、火影への説明も、村の調査も、この後いくらでも面倒が待っている。

それでも、二つの命がここにある。

それだけは、確かだった。


〆栞
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