実地検証

祖母が、ゴーグルを買ってくれた。

それは、よくある子ども用の装身具というには少ししっかりした作りをしていた。額に乗せれば落ちにくく、走ってもずれにくい。縁は硬すぎず、幼い顔に当たっても痛くない。色も形も、記憶の奥にあるものとよく似ていた。

懐かしい、あのゴーグルだった。

「外で遊ぶ時に、目に砂が入るといけないからね」

祖母はそう言って、オビトの額へそれを乗せた。指先が髪を整え、少し離れて具合を見る。年寄りの目は細く、けれど温かい。

「似合うじゃないか」

「……うん」

声が少し詰まった。

前々世の自分は、いつからこれを付けていただろう。正確な時期はもう曖昧だ。ただ、ゴーグルはずっと自分の一部だった。泣き虫で、遅刻魔で、火影になると叫んでいたうちはオビトの顔に、当たり前のようにあったもの。

今世では、それが別の意味を持つ。

目を隠せるだろうか。

額に乗せたままなら、すぐに下ろせる。戦闘中、写輪眼を使わざるを得ない時も、赤い瞳を完全には晒さずに済むかもしれない。もちろん近くで見られれば分かる。だが、ないよりはましだ。

写輪眼の開眼は、できるだけ前々世に倣う。

神無毘橋の戦いまで、表向きは秘密にしておく。

それが一番自然だろう。早すぎる開眼は一族の目を引く。二歳で三つ巴、三歳で万華鏡など、知られれば普通では済まない。うちはの中でさえ、異常は異常として扱われる。里の上層へ伝われば、もっと面倒なことになる。

万華鏡は、本当にまずい時だけ。

便利なのは分かっている。神威には前々世でも前世でも大変世話になった。救出、回避、収納、戦場離脱。あれほど便利な力はなかなかない。感謝してもしきれない。だが、便利だからといって気軽に使えば、目立つ。目立てば、火種になる。

ゴーグル必須だな。

オビトは小さな手でゴーグルの縁に触れた。祖母はそれを、買ってもらったものを喜んでいる子どもの仕草だと思ったらしい。満足げに頷き、台所へ戻っていく。

その背を見送ってから、オビトは静かに息を吐いた。

そろそろ、確認しておくべきだった。

写輪眼、万華鏡、神威。そこまでは前々世からの系譜だ。だが、今の自分には前世で身につけたものも多い。呪力、術式、反転術式、赤血操術、御厨子、黒閃、逕庭拳。使えるのか。どの程度まで動くのか。忍の世界でどう扱えるのか。

試さないままでは、いざという時に困る。

問題は場所だった。

家の中では論外。集落の近くも駄目だ。うちはは目が良い。気配にも敏い。幼子が一人で外へ出るだけでも怪しまれる年齢だが、祖母の目を盗むくらいはできるようになっていた。いや、できるようになっていた、という表現はよくない。三歳児としてはだいぶ問題がある。

だが必要なことだ。

オビトは祖母の昼寝の時間を待ち、家の裏手から外へ出た。ゴーグルを額に乗せ、短い足で集落の外れを抜ける。走らない。足跡を残しすぎない。気配を消しすぎない。子どもがふらっと出歩いた程度に見せる。

これが地味に難しい。

忍として隠れるなら簡単だ。完全に気配を消せばいい。だが、それでは三歳児ではなくなる。普通の子どもが、少しやんちゃをして外へ出た。そう見える範囲に留めなければならない。

普通とは、本当に難しい。

森の浅い場所へ入ると、空気が変わった。人の気配が薄く、土と葉の匂いが濃い。ここなら多少のことは試せる。大きな音や派手な火は避けるとしても、感覚の確認には十分だった。

まずは呪力。

身体の奥へ意識を落とす。チャクラとは別の、けれど今の自分には重なるように流れている力。腹の底、骨の内側、血の巡りに沿うように、濃い気配がある。

量は多い。

分かっていたが、改めて確認すると少し引く。乙骨憂太並み。前世からの感覚そのままに、底が深い。特級と呼ばれるだけの量だ。

乙骨先輩、元気かな。

ふと、疲れた顔で笑う乙骨の姿が浮かんだ。あの人は大体、穏やかな顔で無理をしていた。会うたびにこちらも似たような顔をしていたのだろう。特級同士で、仕事の多さをぼんやり慰め合ったことが何度もある。

名前だけなら格好いい。

実態は、困った時に呼ばれる便利屋。

ブラックにも程がある。

懐かしさに引っ張られかけて、オビトははっとした。

いやいや、今は思い出に浸る時間じゃない。

確認事項だ。

最初は、使い慣れた赤血操術から始めることにした。

前世の母、裏葉綾乃は加茂の出だった。赤血操術は、その血に連なる術式だ。血を媒介に、針、刃、拘束、弾丸、圧縮、穿ちへ変える。前世ではかなり世話になった。張相と肩を並べる域まで、何度も何度も血を流して身につけた力だった。

ただし、今世でそのまま使うには目立つ。

血はまずい。

幼子が血を操っている時点で、かなり怖い。しかも血を使えば怪我と見られる。祖母に心配される。体調が悪い時は貧血気味になることもあるが、張相の域まで至った身としては扱い方を間違えなければ問題ない。問題ないが、知らない者が見れば完全に異常だ。

ホラーである。

使い勝手は良い。

良いだけに困る。

血液。

液。

液体。

水。

オビトは近くの葉に溜まった朝露を見た。前夜の雨で、地面には小さな水溜まりもある。空気には湿り気があった。

水で赤血操術、できるんじゃね?

思いついた瞬間、試していた。

水遁の感覚を下地に、赤血操術の制御理論を被せる。血を動かす時の粘り、圧、形の固定、速度の上げ方、糸のように引く感覚。それを水に置き換える。普通の水遁より細く、速く、粘り強く。血ほど自分の身体に近くはないが、外部媒体としては十分だった。

空気中の水分が寄る。

葉の露が浮く。

水溜まりの表面が震え、細い糸になって立ち上がる。

できた。

いや、できすぎた。

オビトは小さく目を見開いた。水の糸が枝へ絡み、赤縛のように締め上げる。水の刃を薄く伸ばせば、苅祓の要領で葉だけを切り落とせる。小さな水滴を圧縮し、血星磊のように弾けば、木の皮へ浅い穴が開いた。

超新星の形も組める。

百斂の圧縮もできる。

穿血も。

オビトは水を一本の線へ絞り、近くの倒木へ向けた。撃つ瞬間、威力をかなり落とす。三歳児の身体で無茶はしたくないし、森を壊す気もない。細い水の線が空気を裂き、倒木の表面を鋭く穿った。

「……めっちゃできた」

声が漏れた。

ヤバ過ぎる運用性である。

血を使わずに赤血操術の精度を再現できるなら、表向きは高精度な水遁で通せる。忍の世界に水を操る術はある。異常に細かく、異常に速く、異常に粘る水遁だと言い張れば、まだ通る。たぶん。

次は御厨子。

通常の呪力で解と捌をそのまま使えば、最小限の動きで呪霊を祓える。これは強い。無駄がなく、速く、音も少ない。だが対人には殺傷力が高すぎる。人間相手にそのまま使うものではない。

風で試す。

オビトは息を整え、指を軽く動かした。御厨子の術式構造を、風遁の形へ落とす。斬撃の軌道を薄く、浅く、対象の表面だけを削る程度に調整する。枝の先へ向けて放つと、風の刃が葉を切った。

殺傷力は落ちている。

もちろん、出力を上げれば危険だ。だが、調整すれば対人用の風遁斬撃として扱える範囲に収まる。解や捌の精密さを、風遁の制御として見せる。いける。

次は、竈の火。

これは慎重にする必要があった。微細な制御ができなければ大惨事である。ロマンはある。とてもある。だがロマンで森を焼いたら祖母に説明できない。いや、祖母以前に里の忍が来る。

オビトは極小の火を指先に灯した。

普通の火遁とは違う。圧縮し、構造を組み、爆ぜる前の熱を小さく抱える。火が丸く揺れ、すぐに消す。

「……勿体ねぇな」

使える。

だが使いどころが難しい。決戦札としては強い。強すぎる。表向きは火遁の極限圧縮で通せるかもしれないが、見せる相手と場面を選ぶ必要がある。

何か活用できないか。

戦闘以外で。

火力調整を極めれば、調理に使えるのでは、という考えが一瞬よぎった。

いや、さすがに宿儺の術式を調理火力に使うのはどうなんだ。

でも竈だしな。

考えよう。

次に逕庭拳。

これは身体の運用と衝撃の遅延が肝だ。虎杖悠仁の打撃を、写輪眼で見て覚えた。勝手に覚えたことについては、少し申し訳ない気持ちがある。いや、戦場であれだけ見せられたら覚えるだろう。写輪眼だし。

ありがとう虎杖。

勝手に写して悪かった。

オビトは拳を握り、倒木へ軽く当てた。三歳児の腕で全力を出すわけにはいかない。チャクラを先にぶつけ、その後から呪力の衝撃を遅らせる。二段階の打撃。軽く叩いただけなのに、倒木の表面が一拍遅れて内側から軋んだ。

便利だ。

超便利。

問題は、身体が小さいことだった。前世の感覚で殴ると、腕の方が負ける。これは成長待ちだ。今の段階では、緊急時の補助に留めるべきだろう。

黒閃は、もっと注意が必要だった。

狙って出せる。

正確には、狙って限りなく近づけられる。前世で何度も何度も叩き込んだ感覚が残っている。集中すれば出る。時には無意識で出ることすらあった。そのたびに釘崎から「黒閃バカ」と言われた。

あれは褒めてない。

絶対に褒めてない。

黒閃は、出れば強い。だが目立つ。空間が歪むような衝撃は、忍術として説明しにくい。しかも三歳児が無意識に出したらまずい。これは要注意だ。

最後に、反転術式。

これは確認しないわけにはいかなかった。

オビトは持ってきていた小さな刃を取り出した。子どもが持つには危ないものだが、そこは忍の家である。使い方さえ間違えなければ道具だ。指先に浅く当て、皮膚を切る。

痛みが走る。

血が滲む。

反転術式を流す。

傷はすぐに閉じた。

問題なし。

陽の適性が噛んでいるせいか、前世よりもさらに安定している気がする。回復効率が良い。身体が幼い分だけ慎重にする必要はあるが、感覚は悪くない。

アウトプットも確認する。

そう思った時、近くの茂みから小さな羽音がした。見ると、鳥が一羽、枝の下で動けなくなっていた。翼の先を傷めている。罠ではない。ただの怪我だ。

「あの鳥、怪我してる……」

オビトは近づき、逃げられない程度に距離を取った。怖がらせないように声を落とし、反転術式を外へ流す。人間とは身体の作りが違う。強すぎると負担になる。細く、浅く、傷の場所だけへ。

鳥の翼がぴくりと動いた。

傷が塞がる。

少しして、鳥はよろよろと立ち上がり、枝へ飛び移った。まだ完全ではないが、飛べる。問題なし。

「よし」

そこで終わればよかった。

終わればよかったのだが、確認としてもう少し大きめの負傷も試すべきではないか、という考えが浮かんだ。前世なら日常的にやっていた。戦場ではもっとひどい傷を塞いだ。今世の身体でどこまで反転術式と陽の力が噛むか、知っておく必要がある。

小さな刃を手の甲へ当てる。

少し深く切った。

「痛ェ!」

思わず叫んだ。

普通に痛い。

分かっていたが痛い。反転術式で治せるからといって、痛みが消えるわけではない。三歳児の身体は痛みに正直で、涙まで滲みかけた。

急いで反転術式を回す。

陽の力がそこに噛み、傷があっさり塞がった。血も止まる。痕も薄い。回復速度はかなり速い。

医療革命だな。

そう思った。

使いどころは慎重に選ぶべきだ。表向きに見せるには異常すぎる。対呪霊、もしくはどうしても必要な時。怪我人を見捨てるくらいなら使う。そこは決めている。感謝されなくても、怪しまれても、助けられる命を見捨てて後悔するよりはましだ。

ただ、普段から見せびらかすものではない。

すべての確認を終えた頃、森の空気は少し湿っていた。水の糸は元の露に戻し、火の痕跡は消し、斬られた葉は自然に落ちたように散らす。倒木に開けた穴だけはどうしようもないが、森の中なら目立たない。

オビトはそこで、ふと思った。

どれもこれも、印無しである。

呪力と術式の運用。血の理屈を水へ被せ、御厨子を風や火へ落とし、反転術式で治し、逕庭拳で打つ。どれも印を結ばない。チャクラを使っている部分はある。忍術の形へ寄せてもいる。

だが、果たしてこれは忍術と呼べるのだろうか。

少し沈黙する。

まあ、いいか。

逸脱した忍術扱いとして良しとする。これは忍術だ。言い張る。忍術だ。大事なことなので心の中で二回言った。

その時、木の陰に六道仙人がいた。

いつからいた。

老人は長い沈黙のあと、静かに言った。

「……忍術ではないじゃろ」

オビトは六道仙人を見た。

真正面から。

「いいえ、忍術です」

「いや」

「忍術です」

「しかし今のは」

「忍術です」

ガン見した。

六道仙人は黙った。

勝った気はしないが、押し切った気はした。いや、押し切れてはいない。六道仙人の顔は、明らかに納得していない。だがこちらにも事情がある。この世界で生きる以上、これは忍術ですと言い張る必要があるのだ。

呪術です、などと言えるわけがない。

通じないし、説明も長い。

六道仙人は、先ほどの実地検証を思い返すように目を細めた。

「水を血のごとく操り、風を見えぬ刃とし、火を異様に圧し、傷を瞬く間に癒す。拳には遅れて響く衝撃がある。お主の中にある力は、やはりこの世の理だけではない」

「それはまあ」

「認めるのか」

「忍術です」

「今、認めかけたではないか」

「気のせいです」

三歳児と六道仙人が、森の中で押し問答をしている。

冷静に考えると、かなりおかしい。

六道仙人は深く息を吐いた。呆れたようでもあり、まだ困惑しているようでもある。前々世で会った時の超越者ぶりはどこへ行ったのか。いや、こちらがあまりにも異物すぎて、向こうも対応に困っているのだろう。

「お主は、忍というより……」

言いかけて、六道仙人は言葉を探した。

たぶん、適切な語彙がない。

オビトは少しだけ肩をすくめた。

「俺も、忍より向いてたのは別の方だったかもな」

前世で学ぶことは多かった。呪いの世界は過酷だったが、そこで得たものは確かにある。仲間も、戦い方も、救い方も、軽く笑う呼吸も。忍の世界に戻っても、それは消えない。

消す気もない。

ただ、表へ出す形は考える。

「でも、ここでは忍として生きる」

声は幼かったが、言葉は自然に出た。

「だから、これは忍術ってことにする」

「理屈が通っておらぬ」

「通す」

「無茶を言う」

「知ってる」

六道仙人はしばらくオビトを見ていた。異物を見る目。火種を見る目。そして、まだ幼い身体で何かを抱え込もうとしている子どもを見る目。

「その力、使い方を誤るな」

「分かってる」

「分かっておる者ほど、誤る時は深く落ちる」

その言葉には、重みがあった。

前々世の自分を知っているからこそ、反論はできなかった。分かっていたつもりで、見たいものしか見なかった。守りたかったはずのものを壊した。手にした力を、救いではなく逃避に使った。

オビトはゴーグルの縁に触れた。

「だから隠す。試す。使い方を決める。何でもかんでも振り回さない」

「幼子の言葉ではないな」

「三歳です」

「なおさらじゃ」

前にも似たような会話をした気がする。

オビトは少し笑った。六道仙人は笑わなかったが、責めもしなかった。ただ、森の中に残るわずかな力の痕跡を眺めるように視線を動かした。

その時、遠くで鳥が鳴いた。

先ほど治した鳥だろうか。枝から枝へ移り、葉を揺らして飛んでいく。オビトはそれを見上げた。小さな命を一つ治した。それだけだ。世界を変えるほどのことではない。

けれど、手の届く範囲ではあった。

「帰る」

オビトは短く言った。

祖母が起きる前に戻らなければならない。三歳児が森にいたなど知られれば、普通に叱られる。能力検証より、そちらの方が今は差し迫った問題だった。

「また来るのか」

六道仙人に問うと、老人は少し沈黙した。

「……必要があれば」

それは来るやつだ。

オビトはもう突っ込まなかった。踵を返し、集落の方へ戻る。足取りは三歳児らしく、速すぎず、遅すぎず。途中で土を払う。手の傷はもうない。服に血もついていない。ゴーグルは額にある。

家へ戻ると、祖母はちょうど目を覚ましたところだった。

「オビト、どこにいたんだい」

「庭」

「庭にしては、土が多いねえ」

鋭い。

オビトは一瞬だけ迷い、それから幼い顔で笑った。

「ころんだ」

嘘ではない。

さっき尻餅をついた記憶がある。場所は森だが、転んだのは事実だ。

祖母は呆れたようにため息をつき、近づいてきて膝の土を払った。

「まったく。元気なのはいいけど、怪我だけはしないでおくれよ」

「うん」

怪我はした。

もう治した。

言えないことが多い。

それでも、祖母の手が膝の土を払う感触は温かかった。オビトは大人しくされるがままになりながら、今日の確認結果を頭の中で整理する。

水で赤血操術はできる。

御厨子は風と火へ落とせる。

逕庭拳はチャクラでも運用可能。

黒閃は要注意。

反転術式と陽は相性が良すぎる。

結論。

俺、忍より呪術師適性が高いのでは。

少し冷や汗が出た。

まあ、前世で学ぶことも多かったし、影響も強く受けている。悪いことではない。忍の世界に、呪いの世界で得たものを持ち込む。それが今の自分なのだろう。

ただし、表向きは忍術。

これは忍術。

絶対に忍術。

オビトは心の中でもう一度そう言い張りながら、祖母に手を引かれて家の中へ戻った。


〆栞
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