懐かしい光景

二月十日。

五歳になった。

祖母にそう言われて、朝の味噌汁へ卵が落ちていた時に、ああ本当に五歳か、と思った。誕生日だから少しだけ豪華にしたのだろう。そういう気遣いが、いちいち胸に沁みるのはたぶん年のせいだ。前々世三十一年、前世二十一年、今世五年。足せば五十七である。

五十七歳の視点で、五歳児をやっている。

情報量が多いな、と我ながら思う。

とはいえ身体はちゃんと五歳なので、卵が入っているだけでちょっと嬉しい。そこは否定しない。味噌汁をふうふうしながら飲み、祖母の作った煮物を口へ運んでいると、向こうが静かに笑った。

「今日は少し早めに帰るんだよ」

「うん」

「寄り道しすぎないこと」

「うん」

「あと、あんたは“見つけると立ち止まる”から、道の真ん中で止まらない」

「……うん」

そこまで読まれてるのか、と少しだけ気まずくなる。

祖母は、俺が何でもない顔であちこち見ているつもりでも、案外ちゃんと見抜いている。問い詰めはしないが、放ってもおかない。その距離感がありがたくて、時々ちょっと怖い。

食後、祖母に小さな包みを渡された。

「あとで食べな」

中には、うちは煎餅が二枚入っていた。

ああ、誕生日仕様か。

ちょっと嬉しい。

かなり嬉しい。

だが顔へ出しすぎると五歳児らしいというよりただの煎餅好きなので、そこはほどほどにした。……いや、五歳児なら別に煎餅好きでもいいのか。まあいいか。

そんなふうに朝を過ごしてから、俺は一人で外へ出た。

二月の空気は冷たく、吐く息が少し白い。集落の道はいつも通り整っていて、朝の訓練へ向かう者、家の前を掃く者、買い物へ出る女たちが行き交っている。戦時下だ。穏やかな景色に見えても、その裏では人が消え、人が戻らず、人が前倒しで大人になっていく。

嫌だねぇ、戦時下ってのは。

五歳児らしからぬ感想を胸の内でだけ零しながら、俺は歩いた。

しばらくして、少し開けた場所の向こうに、見覚えのある銀が揺れた。

足が止まりかける。

あ、いた。

はたけ親子だった。

先に目へ入ったのは、父の方。

はたけサクモ。

白い牙の異名を持つ木ノ葉の英雄。その名は、この時代の木ノ葉で知らぬ者の方が少ない。だが実際に見ると、まず強さより先に、人としてのやわらかさが目につく。立っているだけで目立つのに、威圧感で押す人ではない。気配の置き方が静かで、周囲を自然と安心させる類の大人だった。

その傍らにいるのが、はたけカカシ。

小さい。

いや、そりゃ今は小さいんだけど。

懐かしいな、と不意に思った。

前々世で隣に立っていた頃のカカシは、もっと背が伸びていて、もっと細く尖っていて、目元に隠しきれない疲れと諦めを溜めていた。六代目火影になったのかな、と、まだ来ていない未来にふと思いを飛ばしそうになる。

あいつは、ちゃんとそこまで辿り着けるんだろうか。

いや、辿り着かせる。

そのためにも、ここから先の悲劇は止めないといけない。

だが今は、そんな先の話より目の前だ。

親子で何してんだろう、と少し離れた位置から眺める。

木剣が見える。

修行、だろう。

だろうけど。

何だろうなこれ、五十七歳の視点で見ると、ちょっと戯れてるように見えてしまう。

もちろん実際は違う。サクモの動きは無駄がなく、カカシもまた年齢不相応にきっちり反応している。遊びではない。教える側と吸収する側が、ちゃんと噛み合っている訓練だ。だが、それでも体格差のせいか、俺からするとどこか微笑ましく映ってしまう。

小さいな。

なんか可愛いな。

いや、本人に言ったら確実に嫌な顔をされるやつだけど。

カカシは五歳でアカデミーを卒業して下忍、六歳で中忍にまで上がる。

異常だ。

父の名声、本人の資質、戦時下ゆえの前倒し。その複合で成立した、天才の進路。けれど、その速さが健やかさを意味するわけじゃない。むしろ逆だ。早く“大人にならざるを得ない”子どもだ。

今の小さな背中を見ていると、それが余計につらい。

サクモは何かを言っている。

声は遠く、全部は聞こえない。だが、叱りつけるような調子ではない。見守りながら、必要なことだけを伝えている。カカシは短く頷いて、また木剣を構え直した。

その姿へ、不意に前々世の記憶が重なる。

少年時代のカカシ。
白い牙の息子として、もう周囲から“できて当然”を向けられていた頃。
父を誇りながら、その背中の大きさにまだ潰されきっていなかった頃。

そして、そこから先。

はたけサクモ。
白い牙。
木ノ葉の英雄。

そして――自殺。

胸の奥が冷える。

ああ、と静かに思う。

最も近い悲劇の運命だ。

九尾襲撃も、リンの死も、いずれ大きな分岐になる。だが今、この時点で一番近くにある“確定しかけている破滅”は、たぶんこれだ。

サクモの死。

それがカカシをどう変えるのかを、俺は知っている。

理屈を先に置き、感情を奥へ沈め、失う前に切り離す癖。父を失ったあとのカカシは、そこへ一気に寄る。あの無表情と早熟さの裏で、取りこぼしたものがどれだけ大きいか、俺はもう知っている。

助けることができるか。

いや、助ける。

そこで迷ってる場合じゃない。

カカシの為にも――と考えたところで、不意に木剣の音が止んだ。

しまった。

思考へ沈みすぎた。

顔を上げると、カカシがこちらを見ていた。

まっすぐではない。斜めに、でもはっきりと。子どもらしい無邪気さより先に、観察が来る目だ。小さいくせにやたら落ち着いていて、ああ、こいつは本当にこの頃からこうなんだな、と思う。

目が合う。

俺は一瞬だけ、どうするか迷った。

普通なら逸らす。
だがそれも不自然か。
いや、ここでじっと見返すのも変だ。

結果、俺は五歳児らしく手を振った。

ふつうに。

愛想よく。

年相応っぽく。

するとカカシの目が、ほんの僅かだけ細くなった。

……何だ今の反応。

警戒か、困惑か、判断しかねている顔だった。そりゃそうだよな。集落外れの家の子が、少し離れたところから自分たちの訓練を見ていて、目が合ったら普通に手を振ってくる。しかもゴーグル付きである。変なやつ判定されても文句は言えない。

だが、サクモの方は違った。

こちらへ気づくと、わずかに表情をやわらげた。すぐに手招きはしない。ただ、避けもしない。その場にいていいという程度の、静かな許可を置くような目だった。

迷った末、俺は数歩だけ近づいた。

走らない。
はしゃがない。
でも引きすぎない。

普通の五歳児ってどの距離感だっけ、と内心で考えながら近づくの、だいぶ難易度が高い。

「何か用かい」

サクモの声は穏やかだった。

俺は首を横に振る。

「……たまたま」

それは本当だ。

用事はない。ただ見かけて、足が止まっただけ。

サクモはそれを聞いて、ふっと口元を緩めた。

「そうか」

それだけで済ませる。

問い詰めないのが、この人らしい。

一方、カカシは黙ったままだった。だが完全に無視しているわけでもない。視線の端にこちらを置いている。言葉より先に観察が来るあたり、やはりだいぶ早熟だ。

サクモが木剣を下ろし、カカシへ言った。

「少し休憩にしようか」

カカシは無言で頷く。

その仕草に、子どもらしさは薄い。けれど完全に消えてもいない。息の整え方、木剣の置き方、父の言葉への反応。そこに、ちゃんと“父の息子”の気安さがある。

良かった、と思った。

まだここは、壊れていない。

まだ間に合う。

その現実が、目の前にある。

サクモは俺へも視線を向けた。

「オビトくん、だったかな」

あ、知ってるんだ。

少しだけ意外に思ったが、表には出さない。白い牙なら、集落の子どもの名前くらい把握していても不思議はない。あるいは――カカシが何か言ったのかもしれない。

ちらりと隣を見ると、カカシは露骨に嫌そうな顔はしなかった。ただ、少しだけ眉間へ皺が寄っている。

その微妙な顔つきに、逆に察する。

あ、言ってるなこれ。

たぶん「あの外れの家の子、変」くらいのことは既に父へ漏らしてるやつだ。

ちょっと面白い。

「はい」

返事をすると、サクモは俺のゴーグルへ一瞬だけ目をやった。

その視線は短い。意味を探るというより、まず“そこにあるもの”として受け止める見方だった。すぐに顔へ戻る。

「散歩かい」

「うん」

「今日は寒い。長く外にいると手がかじかむよ」

「……うん」

五歳児へ向ける言葉として自然だ。

自然で、押しつけがましくない。

強いな、この人は、と思う。

名声とか功績とか、そういう分かりやすいものじゃなく、人としての強さだ。目の前の相手に必要な分だけを渡して、それ以上で支配しない。大人としてこういう振る舞いができる人は、案外少ない。

だからこそ、余計に胸が重くなる。

この人が、死ぬのか。

死なせたくない。

その思いがまた強くなる。

サクモと少し話している間も、カカシはあまり口を挟まなかった。だが黙っているだけではない。こちらの言葉の選び方、間の取り方、父とのやり取りの仕方を、静かに見ている。ああ、やっぱりこの段階からもう、簡単に流さない子なんだなと思う。

落ちこぼれの噂。
外れの家の子。
なのに妙に落ち着いている。
隠しているようにも見える。

そんなふうに、少しずつ引っかかっていくのだろう。

だが今はまだ、それでいい。

急に近づかれるより、ずっと自然だ。

やがてサクモが訓練を再開する空気を作ると、俺もそれ以上は邪魔せず、一歩下がった。

「じゃあ」

「うん」

サクモは軽く頷いた。

カカシは何も言わない。

ただ、最後に一度だけ、こちらをまっすぐ見た。

冷たいわけじゃない。
でも、簡単には近づけない。
その目の奥に、年齢不相応な観察の鋭さと、少しばかりの息苦しさがある。

本質は冷たくない。

でも、もうだいぶ大人になりすぎている。

そんな印象だった。

俺は軽く手を振って、その場を離れた。

背中へまた木剣の音が響き始める。

乾いた、真っ直ぐな音だった。

しばらく歩いてから、小さく息を吐く。

懐かしい光景だった。

前々世では当たり前すぎて、こんなふうに外から見ることはなかった。けれど今は分かる。父と子が並んで、言葉を交わしながら、木剣を振るう。その時間自体が、どれだけ貴重だったか。

守りたいな、と素直に思う。

あの光景を。

あの父を。
あの子を。

カカシの為にも、サクモは助ける。

それが俺の中で、かなりはっきりした。

五歳の誕生日に決めるには、ちょっと重いかもしれない。

でも、まあいい。

俺はそういうのを、今さら軽くはできない。

家へ戻る途中、包みの中の煎餅を一枚だけ齧った。

ぱり、と良い音がする。

うまい。

こういう平和な味を、ちゃんと守れるようにならないとな。

そんなことを思いながら、俺は冬の道を歩いた。


〆栞
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