特別授業開始
本当に通常授業に差し込まれるんですね。
朝の時点では、まだ半信半疑だった。
いや、噂としては聞いていた。火影直々の特別授業。上の学年から順に始まっているらしいことも、教師たちの空気が妙に張っていることも知っていた。でも、どこかで、もう少し予告めいたものがあるんじゃないかと思っていたのだ。
なかった。
一限目の終わり際、教師が教壇の前で手を打って、何でもない顔で言った。
「今日は特別授業を行う。全員、演習場へ移動」
は?
教室がざわつく。
俺もざわついた。
今日……今日!? 今から!?
いや待て。心の準備とかあるだろ。せめて昨日のうちに“明日は火影様が来るぞ”くらい言ってくれ。こっちは普通の五歳児をやるだけでも綱渡りなんだよ。そこへ火影査定まで突っ込まれると、いろいろと処理が追いつかない。
だが教師はそんな混乱など知ったことではない顔で、「さっさと並べ」と言う。
鬼だな。
いや、こういうのが“通常授業内で特別授業サプライズ”ってやつなのは分かるけど。分かるけど心臓へ悪い。
演習場へ向かう道中、ガイだけが元気だった。
「青春だ!!」
声がでかい。
何がそんなに楽しいんだ、お前。
いや、楽しそうで何よりだけども。こういう突然のイベントでテンションを上げられるあたり、本当にガイは強い。アスマは露骨にやりにくそうな顔をしていて、紅は少し緊張している。エビスはもう背筋を伸ばし切っていて、イビキは黙ったまま歩幅だけが一定だった。
カカシは、やっぱり静かだった。
静かだけど、分かる。
あいつはああいう時ほど、内側へ火を入れる。表には出さない。出さないくせに、目の奥だけが少し鋭くなる。白い牙の息子。火影。特別授業。一対一の組手。そこへ、何も感じないはずがない。
演習場へ着くと、既に空気が違った。
いつもの訓練場だ。土の匂いも、朝の冷たさも知っているはずなのに、今日はやけに輪郭がはっきりしている。教師陣の立ち位置も、周囲の見張り方も、普段より少しだけ整っていた。
その中央に、猿飛ヒルゼンが立っていた。
三代目火影。
小柄な体。柔らかく見える目元。だが、そこにいるだけで場の中心が自然と定まる。威圧ではない。静かな重さだ。ああ、この人は本当に火影なんだな、と、子どもの身体でも素直に分かる。
ヒルゼンは並んだ俺たちを見渡し、穏やかな声で言った。
「今日は少し、特別な授業をしようと思っての」
その口調は柔らかい。
だが、柔らかさと手加減は別だろうな、と直感する。こういう人ほど、見るべきところはきっちり見る。
教師が横から流れを説明した。
一人ずつ前へ出る。
火影と軽く手を合わせる。
実力を測るための組手であり、勝敗そのものを競うものではない。
軽く、ね。
その“軽く”が信用ならないんだよな。
とはいえ逃げ場もない。俺たちは順に名前を呼ばれ、演習場の中央へ出ていくことになった。
最初の方は、見ている余裕があった。
ガイは予想通り元気だった。
始まる前から声が大きい。構えも気合いも一直線で、迷いがない。ヒルゼンに対しても物怖じより先に勢いが立つ。子どもらしいといえば子どもらしいが、こういう場で怯まないのは普通に強みだろう。
もちろん、結果は簡単にいなされる。
だが、何度転がされても立ち上がるので、見てる側としては分かりやすい。ヒルゼンも最後には少しだけ目を細めていた。そういうタイプ、嫌いじゃなさそうだよな。
アスマはやりにくそうだった。
あれは分かる。
相手が火影だと、どうしたって“猿飛”の名も一緒に目の前へ来る。本人は斜に構えて見えるが、内側ではたぶん雑にはやれない。踏み込みに迷いが一瞬乗るし、崩されたあとに舌打ちしたそうな顔をするのも年相応だった。
紅は丁寧だ。
構えも、崩れたあとの立て直しも、きちんとしている。無茶に前へ出るタイプではないが、見られている時に必要なだけの集中を保てる。
イビキは無言のまま前へ出て、無言のまま負けて戻ってきた。
でも、ああいう子は後から伸びるんだよな、と何となく思う。
そしてカカシ。
やはり優秀だった。
演習場へ入る瞬間から、空気が変わる。四歳。だが、この場では年齢の方が浮く。立ち方がもう違う。重心が低く、無駄がなく、相手を見る目が冷静だ。火影を前にしても、ただの“すごい人”として固まらない。勝てないと知っていても、どこまで通るかを先に測っている。
ヒルゼンの目が、少しだけ細くなるのが見えた。
ああ、そうだろうなと思う。
白い牙の息子という前評判を、本人の動きがきっちり裏打ちしている。あいつはこういう時、本当に崩れない。
少し離れたところで見ていたリンが、小さく息を呑んだ。
その視線は分かりやすい。
ああ、やっぱりカカシが好きらしい。
いや、まだ五歳だ。好き、という言葉へきっちり収まる前の、目が向く、気になる、放っておけない、その辺の温度かもしれない。けれど、少なくとも向く先は分かる。優秀で、近寄りがたくて、でもどこか危うい子。リンがああいう相手を見てしまうのは、まあ分かる。
この辺は、記憶と差異は無い。
そう思ったところで、自分のことが少し不思議になった。
リンの向ける好意を見ても、今の俺は何とも思わない。
いや、何とも、は少し違うか。懐かしいし、大事だし、守りたいとは思う。でも胸が疼くとか、焦るとか、そういう方向へは動かない。前々世なら、たぶんもっと分かりやすく目で追っていた。言葉一つで浮き沈みしたかもしれない。
何でだろうな、とぼんやり考えて――そこで、ぴんと来た。
ああ。
前世か。
脳裏に浮かんだのは、釘崎野薔薇だった。
あいつは本当に、よく俺を使った。
任務でも、買物でも、面倒事でも、「オビト、あんたこっち」「それ持って」「今の違うでしょ」と、何だかんだ遠慮なく振ってくる。女王かよ、と思うこともあったし、実際ちょっとそういうところはあった。強くて、はっきりしていて、こっちが変に気を回す隙を与えない。
でも、案外ああいうタイプの方が気遣い無く気楽でいれた。
俺があれこれ抱えていても、向こうは向こうで踏み込んで、怒って、笑って、必要なら蹴っ飛ばしてくる。綺麗な理想として見上げるんじゃなく、現実の隣へ立たせる相手だった。
好きだったかもしれない。
いや、かもしれないじゃないな。
大事だった。
そう思った瞬間、胸の中に少しだけ静かなものが広がる。未練に縛られているわけじゃない。ただ、上書きみたいな気持ちでは誰かを見られない、その感じだけは今も残っている。
そんなことを考えていたら、名前が呼ばれた。
「うちはオビト」
え。
俺?
今?
いや、それは分かってる。順番だ。順番なんだけど。
一歩前へ出て、ふと気づく。
待て。
残っているの、俺だけじゃないか?
周囲を見回す。
ガイはもう戻っている。
アスマも、紅も、イビキも、エビスも、カカシも、リンも、みんな外側だ。
え、大トリ?
何で!?
いや教師の順番だから深い意味はないのかもしれない。ないのかもしれないけど、こう、最後って嫌なんだよ。嫌というか、変に場が整ってしまう。見られる空気が濃くなる。やめてくれ。目立ちたくないんだってば。
だが現実は待ってくれない。
俺は演習場の中央へ進んだ。
ヒルゼンは穏やかな顔で立っている。柔らかく見えるくせに、隙はない。老人然としているくせに、踏み込ませる前提で待っている目だ。
怖いな、この人。
いや、怖いだけじゃない。ちゃんと優しい。優しいけど、だからって甘く見ていい相手ではない。火影ってそういうものだ。
「さて、マヒトの子か」
ヒルゼンがそう言った。
その一言に、胸の奥が少しだけ動く。
やっぱり、そう来るんだな。
外れの家の子でも、落ちこぼれでもなく、まず父の名から見る。そのことが、今は少しありがたかった。
「うん」
五歳児らしく短く答える。
ヒルゼンは目を細めた。
「よい目をしておる」
やめて。
そういうの、今言う?
褒められてるのか探られてるのか分からないやつ、困るんだよな。
外では教師もクラスメイトも見ている。特にカカシの視線が痛い。リンもこっちを見ている。何で大トリなんだ本当に。
「始めようかの」
火影が構える。
俺も息を整える。
普通の五歳児。
普通の五歳児。
普通の――
無理だなこれ。
心の中で早々に諦めつつ、それでも俺は地を蹴った。
大トリの特別授業が、始まった。
朝の時点では、まだ半信半疑だった。
いや、噂としては聞いていた。火影直々の特別授業。上の学年から順に始まっているらしいことも、教師たちの空気が妙に張っていることも知っていた。でも、どこかで、もう少し予告めいたものがあるんじゃないかと思っていたのだ。
なかった。
一限目の終わり際、教師が教壇の前で手を打って、何でもない顔で言った。
「今日は特別授業を行う。全員、演習場へ移動」
は?
教室がざわつく。
俺もざわついた。
今日……今日!? 今から!?
いや待て。心の準備とかあるだろ。せめて昨日のうちに“明日は火影様が来るぞ”くらい言ってくれ。こっちは普通の五歳児をやるだけでも綱渡りなんだよ。そこへ火影査定まで突っ込まれると、いろいろと処理が追いつかない。
だが教師はそんな混乱など知ったことではない顔で、「さっさと並べ」と言う。
鬼だな。
いや、こういうのが“通常授業内で特別授業サプライズ”ってやつなのは分かるけど。分かるけど心臓へ悪い。
演習場へ向かう道中、ガイだけが元気だった。
「青春だ!!」
声がでかい。
何がそんなに楽しいんだ、お前。
いや、楽しそうで何よりだけども。こういう突然のイベントでテンションを上げられるあたり、本当にガイは強い。アスマは露骨にやりにくそうな顔をしていて、紅は少し緊張している。エビスはもう背筋を伸ばし切っていて、イビキは黙ったまま歩幅だけが一定だった。
カカシは、やっぱり静かだった。
静かだけど、分かる。
あいつはああいう時ほど、内側へ火を入れる。表には出さない。出さないくせに、目の奥だけが少し鋭くなる。白い牙の息子。火影。特別授業。一対一の組手。そこへ、何も感じないはずがない。
演習場へ着くと、既に空気が違った。
いつもの訓練場だ。土の匂いも、朝の冷たさも知っているはずなのに、今日はやけに輪郭がはっきりしている。教師陣の立ち位置も、周囲の見張り方も、普段より少しだけ整っていた。
その中央に、猿飛ヒルゼンが立っていた。
三代目火影。
小柄な体。柔らかく見える目元。だが、そこにいるだけで場の中心が自然と定まる。威圧ではない。静かな重さだ。ああ、この人は本当に火影なんだな、と、子どもの身体でも素直に分かる。
ヒルゼンは並んだ俺たちを見渡し、穏やかな声で言った。
「今日は少し、特別な授業をしようと思っての」
その口調は柔らかい。
だが、柔らかさと手加減は別だろうな、と直感する。こういう人ほど、見るべきところはきっちり見る。
教師が横から流れを説明した。
一人ずつ前へ出る。
火影と軽く手を合わせる。
実力を測るための組手であり、勝敗そのものを競うものではない。
軽く、ね。
その“軽く”が信用ならないんだよな。
とはいえ逃げ場もない。俺たちは順に名前を呼ばれ、演習場の中央へ出ていくことになった。
最初の方は、見ている余裕があった。
ガイは予想通り元気だった。
始まる前から声が大きい。構えも気合いも一直線で、迷いがない。ヒルゼンに対しても物怖じより先に勢いが立つ。子どもらしいといえば子どもらしいが、こういう場で怯まないのは普通に強みだろう。
もちろん、結果は簡単にいなされる。
だが、何度転がされても立ち上がるので、見てる側としては分かりやすい。ヒルゼンも最後には少しだけ目を細めていた。そういうタイプ、嫌いじゃなさそうだよな。
アスマはやりにくそうだった。
あれは分かる。
相手が火影だと、どうしたって“猿飛”の名も一緒に目の前へ来る。本人は斜に構えて見えるが、内側ではたぶん雑にはやれない。踏み込みに迷いが一瞬乗るし、崩されたあとに舌打ちしたそうな顔をするのも年相応だった。
紅は丁寧だ。
構えも、崩れたあとの立て直しも、きちんとしている。無茶に前へ出るタイプではないが、見られている時に必要なだけの集中を保てる。
イビキは無言のまま前へ出て、無言のまま負けて戻ってきた。
でも、ああいう子は後から伸びるんだよな、と何となく思う。
そしてカカシ。
やはり優秀だった。
演習場へ入る瞬間から、空気が変わる。四歳。だが、この場では年齢の方が浮く。立ち方がもう違う。重心が低く、無駄がなく、相手を見る目が冷静だ。火影を前にしても、ただの“すごい人”として固まらない。勝てないと知っていても、どこまで通るかを先に測っている。
ヒルゼンの目が、少しだけ細くなるのが見えた。
ああ、そうだろうなと思う。
白い牙の息子という前評判を、本人の動きがきっちり裏打ちしている。あいつはこういう時、本当に崩れない。
少し離れたところで見ていたリンが、小さく息を呑んだ。
その視線は分かりやすい。
ああ、やっぱりカカシが好きらしい。
いや、まだ五歳だ。好き、という言葉へきっちり収まる前の、目が向く、気になる、放っておけない、その辺の温度かもしれない。けれど、少なくとも向く先は分かる。優秀で、近寄りがたくて、でもどこか危うい子。リンがああいう相手を見てしまうのは、まあ分かる。
この辺は、記憶と差異は無い。
そう思ったところで、自分のことが少し不思議になった。
リンの向ける好意を見ても、今の俺は何とも思わない。
いや、何とも、は少し違うか。懐かしいし、大事だし、守りたいとは思う。でも胸が疼くとか、焦るとか、そういう方向へは動かない。前々世なら、たぶんもっと分かりやすく目で追っていた。言葉一つで浮き沈みしたかもしれない。
何でだろうな、とぼんやり考えて――そこで、ぴんと来た。
ああ。
前世か。
脳裏に浮かんだのは、釘崎野薔薇だった。
あいつは本当に、よく俺を使った。
任務でも、買物でも、面倒事でも、「オビト、あんたこっち」「それ持って」「今の違うでしょ」と、何だかんだ遠慮なく振ってくる。女王かよ、と思うこともあったし、実際ちょっとそういうところはあった。強くて、はっきりしていて、こっちが変に気を回す隙を与えない。
でも、案外ああいうタイプの方が気遣い無く気楽でいれた。
俺があれこれ抱えていても、向こうは向こうで踏み込んで、怒って、笑って、必要なら蹴っ飛ばしてくる。綺麗な理想として見上げるんじゃなく、現実の隣へ立たせる相手だった。
好きだったかもしれない。
いや、かもしれないじゃないな。
大事だった。
そう思った瞬間、胸の中に少しだけ静かなものが広がる。未練に縛られているわけじゃない。ただ、上書きみたいな気持ちでは誰かを見られない、その感じだけは今も残っている。
そんなことを考えていたら、名前が呼ばれた。
「うちはオビト」
え。
俺?
今?
いや、それは分かってる。順番だ。順番なんだけど。
一歩前へ出て、ふと気づく。
待て。
残っているの、俺だけじゃないか?
周囲を見回す。
ガイはもう戻っている。
アスマも、紅も、イビキも、エビスも、カカシも、リンも、みんな外側だ。
え、大トリ?
何で!?
いや教師の順番だから深い意味はないのかもしれない。ないのかもしれないけど、こう、最後って嫌なんだよ。嫌というか、変に場が整ってしまう。見られる空気が濃くなる。やめてくれ。目立ちたくないんだってば。
だが現実は待ってくれない。
俺は演習場の中央へ進んだ。
ヒルゼンは穏やかな顔で立っている。柔らかく見えるくせに、隙はない。老人然としているくせに、踏み込ませる前提で待っている目だ。
怖いな、この人。
いや、怖いだけじゃない。ちゃんと優しい。優しいけど、だからって甘く見ていい相手ではない。火影ってそういうものだ。
「さて、マヒトの子か」
ヒルゼンがそう言った。
その一言に、胸の奥が少しだけ動く。
やっぱり、そう来るんだな。
外れの家の子でも、落ちこぼれでもなく、まず父の名から見る。そのことが、今は少しありがたかった。
「うん」
五歳児らしく短く答える。
ヒルゼンは目を細めた。
「よい目をしておる」
やめて。
そういうの、今言う?
褒められてるのか探られてるのか分からないやつ、困るんだよな。
外では教師もクラスメイトも見ている。特にカカシの視線が痛い。リンもこっちを見ている。何で大トリなんだ本当に。
「始めようかの」
火影が構える。
俺も息を整える。
普通の五歳児。
普通の五歳児。
普通の――
無理だなこれ。
心の中で早々に諦めつつ、それでも俺は地を蹴った。
大トリの特別授業が、始まった。
【〆栞】