火影の目

特別授業が終わったあとも、演習場にはまだ熱が残っていた。

子どもたちは教師に促されて列を崩し、いつもの授業へ戻るように散っていく。だが、その足取りはどこか浮ついている。火影を相手に手を合わせた余韻と、見たものへの興奮が、まだ小さな背中に残っていた。

猿飛ヒルゼンは、それを静かに見送っていた。

一人一人の動きは、短い組手の中にも出る。

技量そのものはもちろんだ。だが、それ以上に、相手を前にした時の呼吸、迷い、踏み込み、諦めの早さ、崩れた後の立ち直り方。そこに、その子の今が出る。

まず、はたけカカシ。

白い牙の息子という前評判に、偽りはなかった。

動きは早い。理解も早い。無駄が少なく、相手を見て修正する頭もある。勝てぬと知っていても、そこから何を拾えるかを先に考える目だった。年齢にしては、あまりにも冷静だ。いや、冷静であろうとしすぎていると言うべきかもしれない。

子どもらしい昂りがまったく無いわけではない。だが、それを外へ出すより先に理屈と結果を前へ置く。失敗しても顔へ出しすぎず、褒められても浮かれない。己の内側を、既にかなり強く縛っている。

優秀だ、とヒルゼンは思う。

だが同時に、早く大人になりすぎているとも思った。

あの年で、背負うものが重すぎる。

父の名。
周囲の期待。
戦時下の空気。

それらを“当たり前”として受け止めてしまっている子どもの危うさが、確かにあった。

そして、うちはオビト。

ヒルゼンはその名を思い返す時、ほんのわずかに間を置いた。

紙の上の評価だけでは測りきれぬ子だとは思っていた。実際に対面してみて、その印象はより強くなった。高い。だが、高いというだけでは足りない。むしろ、高さそのものよりも、その出し方が目につく。

最初は抑えていた。

五歳児らしくあろうとしていた。

だが、途中からずれた。

それは単なる失敗ではない。相手が強いと、奥底に沈めた火が浮く。昂り、前へ出る。その時の変化が、あまりにもはっきりしていた。

命懸けの戦い方を知る者の踏み込み。

あの年齢の子どもが持つには、少し重すぎる感覚だった。

もちろん、五歳児なりの未熟さもある。身体は小さい。できることには限界がある。だが、その限界の使い方が既に妙だ。足裏へ流すチャクラの置き方、間合いの詰め方、一撃へ仕込む意識。忍の理の内側にいながら、どこかそれだけではない別の組み方が混ざっている。

何より、隠そうとしている。

隠している、と言っても、己を閉ざすためではない。本来より幼く、軽く、普通に見せようと寄せている。だがその調整が甘い。いや、甘いというより、基準がずれている。

普通の五歳児をやるには、知りすぎているのだ。

ヒルゼンは演習場の端で待つ教師たちへ目を向けた。

「ふむ」

その一声で、近くにいた担任たちが姿勢を正す。

ヒルゼンは穏やかな顔のまま告げた。

「はたけカカシは、紙で見た通りじゃな。抜けておる。だが、年相応の柔らかさが少し足りぬ」

教師たちは黙って聞いている。

「できることはよい。だが、できることを当たり前として背負いすぎると、いずれ折れる。あの子には、勝つことや学ぶこと以外の余白も要る」

担任の一人が小さく頷いた。

続いて、ヒルゼンはもう一つの名を出す。

「うちはオビトは、噂と実態が噛み合っておらなんだな」

教師の表情に、苦い同意が浮かぶ。

「はい。高いです。ただ……」

「抑えようとしておる」

ヒルゼンが先に言うと、教師は少し驚いたように目を瞬いた。

「しかも、抑え方が不器用じゃ。隠したいのか、目立ちたくないのか、その辺りの事情はまだ読めぬ。じゃが、己を小さく見せようとする癖はある」

静かな声だった。

断定ではない。だが、見た上での言葉だ。

「無理に引き上げようとせず、まずは見よ。あの子は、押されれば余計に引く可能性がある」

教師たちは真剣な顔でそれを受け止めた。

評価としては高い。
だが、扱いは慎重に。

その線引きが、火影の目からは既に定まっていた。

一通りの所見を伝えたあと、ヒルゼンは少しだけ黙った。

それから、ゆるやかに口を開く。

「うちはオビトを、あとで火影室へ」

教師が息を呑む。

「火影様、自らですか」

「少し話してみたくての」

柔らかい言い方だったが、そこに迷いはなかった。

演習場から戻ったあと、学校は何事もなかったように授業を続けた。

だが、オビトはどうにも落ち着かなかった。

特別授業が終わってから、教師の目が少し変わった気がする。クラスメイトの視線もそうだ。ガイは相変わらず元気で、アスマは妙にやりにくそうで、紅は気になって仕方ない顔をしている。リンは何か言いたげで、カカシは黙っているくせに一番うるさい目をしていた。

やらかした、とは思う。

思うが、巻き戻せはしない。

なら今日は静かに帰って、帰り道で祓除でもして、気持ちを落ち着けよう。そう思っていた矢先だった。

「うちはオビト」

担任に呼ばれる。

嫌な予感しかしない。

「火影様がお呼びだ。火影室へ行け」

え。

俺?

今?

いや待て待て待て。

特別授業のあと、そのまま火影室呼び出しって何。五歳児へやる導線じゃなくない? 普通もっと段階とかあるだろ。こっちは今日のやらかしで既に心がいっぱいいっぱいなんだけど。

だが断る選択肢はない。

俺はどうにか平然を装って立ち上がり、教師に連れられて校舎を出た。

火影室へ向かう廊下は、やけに長く感じた。

逃げたいわけじゃない。けれど、やりにくい。相手が火影となればなおさらだ。あの人は柔らかい顔で、きっちり見てくる。組手の最中だけでもそれが分かった。そこへ今度は言葉まで加わるのだから、いよいよ誤魔化しが利かない。

火影室の前で教師が止まり、「ここからは一人で入れ」と言う。

薄情だな。

いや、そういうものなんだろうけど。

俺は小さく息を吐いてから、戸を叩いた。

「入りなさい」

中から返ってきた声は、やはり穏やかだった。

戸を開ける。

火影室は想像よりも静かだった。机があり、書類があり、壁際に棚があり、窓からは里が見える。豪奢ではない。だが、ここが木ノ葉の中心なのだと分かるだけの空気があった。

猿飛ヒルゼンは机の向こうではなく、その前に座っていた。俺が入りやすいようにしたのだろう。そういうところがまたやりにくい。

「来たか」

「……はい」

五歳児らしい返事をしたつもりだったが、たぶんもうあまり意味はない。

ヒルゼンはしばらく俺を見てから、柔らかく言った。

「そう固くならずともよい」

なってないです、と言いたいところだが、嘘になるのでやめた。

火影は少しだけ目を細める。

「お主、だいぶ“寄せて”おるの」

心臓が跳ねた。

やっぱりバレてる。

いや、そりゃそうか。今日の組手でそこまで見抜く人だ。五歳児っぽく振る舞おうとする不自然さなんて、とっくに拾っているに決まっている。

ヒルゼンは続ける。

「無理に隠さずとも良い。本来のお主と話がしたい」

……ああ、そこまで来たか。

俺は一瞬だけ視線を落とした。

五歳児に寄せてるの、完全にバレてる。

恥ずかしいとかそういう話ではない。単に、誤魔化しの余地が減ったという現実がじわじわ効く。だが同時に、少しだけ肩の力も抜けた。最初から見抜かれているなら、これ以上下手な演技を重ねる方が不自然だ。

俺は小さく息を吐く。

それから、ほんの少しだけ言葉の置き方を変えた。

「……どこまで話せばいいの」

ヒルゼンの眉が、わずかに動く。

さっきまでの返事とは違う。幼い舌足らなさを完全に消したわけではないが、言葉の芯が変わったのは伝わっただろう。

火影は咎めなかった。

ただ、静かに頷く。

「話せるところまででよい」

その返しが、やはり上手い。

無理に抉らない。だが、逃がしもしない。こっちが選べるように見せながら、どこを見るかは決めている。

嫌だな、本当に。

でも、嫌いじゃない。

ヒルゼンは指を組んで言った。

「まず聞こう。お主は、何を支えに生きておる」

大きい問いだ。

だが、六道仙人に聞かれたものと少し似ている。あの時よりも、今はもう少し言葉へできる気がした。

俺は窓の外へちらりと目をやる。

木ノ葉が見える。
屋根が見える。
人の暮らしがある。

「……助けること、かな」

声は自然に出た。

「手の届く範囲でいい。救えるやつは救う。そういうふうに、思ってる」

ヒルゼンは黙って聞いている。

変に相槌を打たない。促しすぎない。その静けさが逆に話しやすかった。

「全部は無理だって、分かってる。でも、目の前にいるのを見捨てて、後で後悔するのは嫌だ」

言いながら、胸の奥に沈んでいるものが少し揺れる。

後悔は、もう知っている。

取り返しのつかないことも。
守れなかったものも。
間違えた時の深さも。

それでも手を伸ばすしかないことを、俺は前々世と前世の両方で知った。

ヒルゼンはそこで初めて、ほんの少しだけ目を細めた。

「そうか」

短い。

だが軽くはない。

「では、夢は何じゃ」

今度は迷わなかった。

「火影になること」

その言葉を口にした瞬間、自分の中で少しだけ熱が動くのが分かった。

憧れでは終わらない夢だ。

前々世では憧れだった。
でも今は、それだけじゃない。

俺はゆっくり言葉を選ぶ。

「前に立つやつがいないと、守れないものがある。手を伸ばすだけじゃ足りなくて、背負う立場じゃないと変えられないものもある」

ヒルゼンの目が、少しだけ深くなる。

俺は続けた。

「火影って、上に立つことじゃなくて……帰る場所を守ることだと思う。里を、家として繋いでいくこと」

言ってから、少しだけ自分でも驚いた。

意外と、ちゃんと形になっていた。

胸の中でぼんやりしていたものが、言葉へするとこうなるのかと、逆に自分が教えられる気分になる。

ヒルゼンはすぐには口を開かなかった。

その沈黙は、値踏みではなかった。受け止めて、考えている沈黙だ。

やがて火影は、低く言った。

「五歳の言葉とは思えぬのう」

図星すぎる。

俺は思わず苦い顔になる。

するとヒルゼンは、そこで初めてほんの少しだけ笑った。

「だが、借り物の言葉ではないな」

その一言に、胸が少し軽くなる。

借り物じゃない。

それはたぶん、俺にとってかなり大事なことだった。前世で受け取ったものは多い。言葉も、背中も、生き方も。だが、それをそのままなぞっているだけじゃない。ちゃんと自分の中へ沈めて、今の俺の言葉になっている。

そう認められた気がした。

ヒルゼンは静かに息を吐く。

「火影とは、里の頂に座る者ではない。最後に責を引き受ける者じゃ。家として守る、というのは……悪くない見方じゃな」

その声音には、柔らかさと重さが同居していた。

きっと、この人自身が何度もそうしてきたのだろう。優しいだけでは済まない立場で、抱えたくなくても抱えるしかなかったものがある。その先で出る言葉だ。

俺は黙って頷いた。

火影室にはしばらく静けさがあった。

不思議と居心地は悪くない。緊張はしている。しているが、押し潰される感じではない。むしろ、見られた上で置かれる静けさだった。

やがてヒルゼンは、話を少しだけ戻した。

「お主、力を隠しておるな」

やっぱりそこ来るか。

俺は一拍だけ黙った。

否定しても無駄だ。あの組手をやって、ここまで話して、まだ誤魔化せるわけがない。

「……目立ちたくないから」

それは本音だった。

「何故じゃ」

難しい。

何故、と一言で言うのは難しい。

けれど、言える部分はある。

「普通でいたいから」

ヒルゼンは黙って聞く。

「変に見られると、やりにくい。家もあるし、祖母ちゃんもいるし……余計な面倒は増やしたくない」

そこまで言ってから、少しだけ迷う。

でも、もう一つは言ってもいい気がした。

「あと、前へ出すぎると、たぶん……自分でも加減が難しくなる」

ヒルゼンの目が、わずかに細くなる。

さっきの組手を思い出しているのだろう。

「昂るか」

「……うん」

認めると、少しだけ悔しかった。

だが事実だ。強い相手とやると、どうしても楽しくなる。楽しくなった時の俺は、普通の五歳児をやる余裕をあっさり忘れる。そこが今の危うさだ。

ヒルゼンはしばらく考え、それから穏やかに言った。

「ならば、抑えることばかり覚えず、制すことも覚えねばならぬな」

抑えると、制す。

似ているようで違う。

抑えるだけでは、いつか歪む。だが、燃えるものを知った上で握るのなら、また別だ。

俺はその言葉を胸の中で転がした。

最後に、ヒルゼンは話を締めるように姿勢を整えた。

「今日の話は、必要以上に広めぬ。教師にもそう伝える」

少しだけ驚いた。

「……いいの」

「わしが今知りたかったのは、成績ではなく、お主の立ち方じゃ」

その返しに、また少しだけやられる。

この人は本当に、見たいものをきちんと見に来る。

「ただし」

ヒルゼンはそこで、わずかに火影の顔へ戻った。

「隠れることばかり考えるな。いずれ、お主が前へ出ねばならぬ時も来る」

その声は、予言めいて聞こえた。

俺は何も答えられなかった。

答えられないが、たぶん分かっている。

前に立たなければ守れないものがある。それを、俺はもう知っている。

火影室を出る時、ヒルゼンは最後に一つだけ言った。

「オビト」

俺は振り返る。

「その夢、軽々しく捨てるでないぞ」

柔らかい声だった。

けれど、重かった。

俺は小さく頷いて、火影室を出た。

廊下に出ると、空気が少し軽い。さっきまでの緊張が、そこでようやくほどけた気がした。

やりにくい人だった。
でも、話してよかったとも思う。

五歳児に寄せてるのはバレた。
夢も言った。
火影の意味も、少しだけ自分の口で確かめられた。

なら、まあ。

今日は十分だろう。

そう思いながら歩き出した時、遠くの窓から、夕方の光が差していた。

その色は、どこか静かに燃えていた。


〆栞
PREV  |  NEXT
BACK