うちは一族
第24話「うちは一族」
家の近くで、また同じ気配を感じたのは、夕方だった。
買い物を終えて戻る道。袋の中で豆腐が少し揺れて、味噌の包みが擦れる。家までもう少しというところで、首筋のあたりへ、あの薄く冷たい違和感が触れた。
低級の呪いじゃない。
人の澱みとも違う。
もっと細くて、乾いていて、息を殺しているくせに、隠れ慣れている気配だ。
俺は歩幅を変えなかった。
変えないまま、道端の影にいる低級をひとつ祓う。指先だけで解を走らせる。霧みたいにほどけるそれを見送るふりをして、その奥を見る。
いた。
遠い。だがいる。
屋根の縁、塀の向こう、あるいは木の陰。そのどれでもありそうな位置に、視線だけがある。音もほとんどない。忍としての気配の消し方だ。しかも雑魚じゃない。慣れている。人を見張ることに。
何となく察した。
根、か。
胸の奥が少しだけ冷える。
いや、断定は早い。だが、あの乾き方は嫌でもそちらを連想する。火影の特別授業のあとだ。学校での噂も広がっている。うちはの外れの家の子へ、どこか別の目が向き始めてもおかしくはない。
面倒だな、と思う。
本当に。
でも、立ち止まっても仕方ない。
俺はそのまま家へ帰った。祖母の前ではいつも通りに振る舞い、買ってきたものを渡し、夕餉の支度を少し手伝って、何でもない顔をした。そういうのは得意だ。得意だが、だからといって気が抜けるわけじゃない。
見張られているかもしれない家で、祖母を一人にしておくのは気分が悪かった。
その夜は、少し遅くまで目が冴えていた。
そして翌々日、祖母が静かに言った。
「オビト、一族の集まりに呼ばれてるよ」
味噌汁を飲みかけていた手が、ほんの一瞬だけ止まる。
来たか。
顔には出さない。出さないが、内心ではわりと正直に「マジか」と思っていた。
一族の集まり、と言っても全員が揃うような大げさなものではないらしい。子どもの評判が耳へ入って、少し見ておこうという程度の話だと、祖母は言外に滲ませた。だが、その“少し見ておこう”が厄介なのだ。
うちはの一族は、見方が濃い。
一度視線が向けば、家柄も、立場も、才能も、全部まとめて測られる。
「別に、悪い話じゃないよ」
祖母はそう言っていたが、それは祖母なりの気遣いだろう。悪くないかどうかは、相手次第だ。
「行ってきな」
「ああ」
短く答えて、俺は立ち上がった。
額のゴーグルをつける。襟元を整える。深呼吸を一つ。五歳児としては少し落ち着きすぎた手順だが、今さら変えられない。
一族の集まる建物は、集落の中心寄りにあった。
外れの家から歩いていくと、どうしたって空気の密度が変わる。家々の配置が近くなり、人の視線が多くなり、うちは特有の張りつめた気配が濃くなる。嫌いじゃない。嫌いじゃないが、息が楽とも言い難い。
着くと、既に何人かの大人がいた。
年配の者、働き盛りの者、若い忍。子どもの品定めにしては顔ぶれが重いな、と一目で分かる。しかも、座っているだけの者ばかりではない。立ち方で分かる。何人かは、普通に強い。
ああ、これ、見るだけじゃ済まないな。
俺がそう思ったのと、ほとんど同時だった。
「うちはオビト」
名を呼ばれる。
進み出ると、視線が一斉に集まった。露骨に敵意があるわけではない。だが、子ども扱いだけでもない。噂を確かめる目。マヒトの子を見る目。外れの家の子へ向ける目。その全部が混ざっている。
少し離れた位置に、フガクもいた。
若いが、もう周囲が自然と道を空ける立ち方をしている。前に会った時と同じだ。威厳があって、不器用で、でも無駄に威張る感じではない。今日のここで、彼がただの見物で終わるとも思えなかった。
一族の年長者が口を開く。
「学校での話は耳にした」
まあ、そうだろうな。
「噂と実際が違うのなら、見ておいた方が早い」
やっぱりそれか。
俺は心の中で小さく息を吐いた。
すると、すぐ横の広い空間へ顎が向けられる。
「組手をしてもらう」
マジか。
いや、知ってた。
知ってたけど、やっぱり言われるとマジかと思う。
しかも“少し手合わせ”みたいな軽い空気ではない。最初から測る前提だ。何人かが順に出るのだろう。子ども相手に大人気ない、と言えればいいが、うちはでそれは通らない。見ると決めたら、ちゃんと見に来る。
「手加減はいらん。だが殺すなよ」
誰かがそう言って、場に小さな笑いが落ちた。
冗談めかしているくせに、本気の線引きだ。
俺は決めた。
隠しきるのは無理だ。
だが、全部は出さない。
忍術として通る範囲で、やる。
最初に出てきたのは、十代半ばくらいの少年だった。
俺よりずっと大きい。まだ大人の骨格ではないが、子どもと呼ぶにはだいぶ育っている。腰の位置も高く、重心もしっかりしていた。目だけで侮ってこないあたり、ちゃんとやる気らしい。
「始め」
声が落ちた瞬間、相手が先に来た。
速い。
だが見える。
一歩目の踏み込み、肩の入り、拳の角度。その全部が見える。見えるからこそ、避け方の方が厄介だった。露骨に完封すると場が変わる。だから紙一重でかわし、ほんの少し崩す。相手は二手目、三手目と続けてくる。今度は足が飛ぶ。
重いな。
五歳児相手に、遠慮なしだ。
少しだけ笑いそうになる。ああ、うちはだなと思った。身内相手でも、測ると決めたら甘くしない。そういうところは嫌いじゃない。
こちらも踏み込む。
低く、短く。
真正面からは入らない。相手の死角へ半歩ずらす。拳を打ち込むより先に、体の軸へ触れて傾ける。相手の顔が一瞬だけ変わった。やっぱり五歳児の間合いじゃないと思ったのだろう。
そのまま崩しても良かったが、やりすぎるので止める。
止めた結果、逆に動きが妙に洗練されて見える。
やばいな。
そう思った時には、もう次の一手へ入っていた。
足払い。
返し。
肩を入れて押し出す。
相手がたたらを踏んで距離を取る。
周囲の空気が少し変わるのが分かった。
次に出てきたのは、もう少し年上の男だった。
今度は最初から目つきが違う。面白がるでも、侮るでもない。本当に測る側の目だ。こういう相手は好きじゃない。いや、嫌いじゃないのか。強い相手ほど、俺の中の変な部分が火をつけたがるから困る。
始まる。
さっきより間合いが遠い。手足の長さも、体の厚みも違う。真正面から行けば潰される。なら、横だ。横から入って、足を削って、嫌がる位置へ立つ。
本格的な戦いになると、どうしてもスイッチが入る。
体の表面は五歳児だ。小さくて、軽くて、まだ脆い。だからこそ、まともに受ける発想が消える。受けず、流し、差し込み、ずらす。相手の力を正面から噛まない。そういう戦い方は、前々世の忍としてもやったが、今の俺の感覚はもっと別のところへ近い。
本質は忍より呪術師なんだろうな、と、そんなことが頭の片隅をよぎる。
足裏へチャクラを流す。
ほんの少しだけ。
地面を噛む感覚が変わる。
次の瞬間、体が前へ滑る。五歳児の歩幅では出ない距離を、足裏の使い方だけで食う。縮地、というほど大仰でもない。だが相手からすれば、消えたように見えたらしい。
目が揺れた。
そこへ拳を置く。
まっすぐには打たない。肩へ見せて、ずらして、二段で響かせる。
逕庭拳。
相手の息が詰まる。
一撃のあとに遅れて来る衝撃に、周囲の視線がまた動いた。
ああ、しまった、と思ったが遅い。楽しくなってきた。強い相手と手を合わせると、どうしても火が入る。止めないとまずいのに、止める手前が分からなくなる。
最後は、あえて自分から距離を切った。
これ以上続けると、本当にやりすぎる。
相手は呼吸を整えながら、俺を見ていた。悔しそうでも、怒っているのでもなく、純粋に見直した顔だった。
そして、最後にフガクが前へ出た。
空気が変わる。
やっぱり来たか、と思う。
若いのに、既に一族を背負う者の重さがある。先ほどまでの者たちと違って、立っただけで“終わらせに来る”感じはない。測る。そのためだけに立っている。だが、だからこそごまかしが効かない。
「行け」
短い一言。
それだけで、始まった。
フガクは速い。
静かに速い。
踏み込みが見えにくい。肩も腰も、余計な予兆を出さないまま入ってくる。俺は一手目を紙一重でかわし、二手目へ合わせて半歩横へずれた。普通ならそこで崩せる。だが、フガクは崩れない。軸が太い。流したはずの力が、逆にこっちへ返ってくる。
うわ、やりにくい。
思わずそう感じた瞬間、足元が空く。
危ない。
低く沈んで避ける。そこから返す。脚へ触れ、軸を浮かせるつもりが、逆に腕を取られそうになった。切る。離す。もう一歩詰める。
フガクの目が、少しだけ変わる。
そこか。
そこを見ているのか。
俺がどう強いかではなく、何を見て、どう判断して、どこで引くか。その癖を拾っている。父マヒトの面影を探しているのか、それとも俺自身を見ているのか。たぶん両方だ。
数手、渡り合ったところで、フガクは最後に大きく踏み込んできた。
受ければ終わる。
逃げても追われる。
だから、前へ入る。
足裏に流す。
地を噛む。
縮める。
一気に懐へ。
肩へ当たる寸前で止める。
フガクの拳も、俺の頭ひとつ分の上で止まっていた。
静寂が落ちた。
近い。
近すぎる距離で、俺たちは互いに息を測っていた。
先に引いたのはフガクだった。
わずかに体を離し、まっすぐ俺を見る。
「……そうか」
短い声だった。
その一言に、色々なものが混ざっている気がした。学校での噂。マヒトの子という認識。外れの家の子。そういうもの全部を通って、ようやく本人へ触れたときの声。
周囲がざわめき始める。
見られた。
測られた。
たぶん、十分すぎるほど。
俺は小さく息を吐いた。
やっぱり、やらかした気がする。
でも、全部出したわけじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、額のゴーグルを少しだけ押し上げた。
フガクはそれ以上何も言わなかった。ただ、一族の年長者たちの方へ向き直り、短く告げる。
「見れば分かる」
それだけで、今日の場は終わった。
帰り道、俺は少しだけ頭が重かった。
家の近くで感じたあの気配。
根を思わせる視線。
一族の上層部の目。
フガクの測るような眼差し。
面倒が、ちゃんと大きくなっている。
それでも、足は家へ向く。
祖母が待っている。
守るものがある。
それだけは、やっぱり変わらない。
家の近くで、また同じ気配を感じたのは、夕方だった。
買い物を終えて戻る道。袋の中で豆腐が少し揺れて、味噌の包みが擦れる。家までもう少しというところで、首筋のあたりへ、あの薄く冷たい違和感が触れた。
低級の呪いじゃない。
人の澱みとも違う。
もっと細くて、乾いていて、息を殺しているくせに、隠れ慣れている気配だ。
俺は歩幅を変えなかった。
変えないまま、道端の影にいる低級をひとつ祓う。指先だけで解を走らせる。霧みたいにほどけるそれを見送るふりをして、その奥を見る。
いた。
遠い。だがいる。
屋根の縁、塀の向こう、あるいは木の陰。そのどれでもありそうな位置に、視線だけがある。音もほとんどない。忍としての気配の消し方だ。しかも雑魚じゃない。慣れている。人を見張ることに。
何となく察した。
根、か。
胸の奥が少しだけ冷える。
いや、断定は早い。だが、あの乾き方は嫌でもそちらを連想する。火影の特別授業のあとだ。学校での噂も広がっている。うちはの外れの家の子へ、どこか別の目が向き始めてもおかしくはない。
面倒だな、と思う。
本当に。
でも、立ち止まっても仕方ない。
俺はそのまま家へ帰った。祖母の前ではいつも通りに振る舞い、買ってきたものを渡し、夕餉の支度を少し手伝って、何でもない顔をした。そういうのは得意だ。得意だが、だからといって気が抜けるわけじゃない。
見張られているかもしれない家で、祖母を一人にしておくのは気分が悪かった。
その夜は、少し遅くまで目が冴えていた。
そして翌々日、祖母が静かに言った。
「オビト、一族の集まりに呼ばれてるよ」
味噌汁を飲みかけていた手が、ほんの一瞬だけ止まる。
来たか。
顔には出さない。出さないが、内心ではわりと正直に「マジか」と思っていた。
一族の集まり、と言っても全員が揃うような大げさなものではないらしい。子どもの評判が耳へ入って、少し見ておこうという程度の話だと、祖母は言外に滲ませた。だが、その“少し見ておこう”が厄介なのだ。
うちはの一族は、見方が濃い。
一度視線が向けば、家柄も、立場も、才能も、全部まとめて測られる。
「別に、悪い話じゃないよ」
祖母はそう言っていたが、それは祖母なりの気遣いだろう。悪くないかどうかは、相手次第だ。
「行ってきな」
「ああ」
短く答えて、俺は立ち上がった。
額のゴーグルをつける。襟元を整える。深呼吸を一つ。五歳児としては少し落ち着きすぎた手順だが、今さら変えられない。
一族の集まる建物は、集落の中心寄りにあった。
外れの家から歩いていくと、どうしたって空気の密度が変わる。家々の配置が近くなり、人の視線が多くなり、うちは特有の張りつめた気配が濃くなる。嫌いじゃない。嫌いじゃないが、息が楽とも言い難い。
着くと、既に何人かの大人がいた。
年配の者、働き盛りの者、若い忍。子どもの品定めにしては顔ぶれが重いな、と一目で分かる。しかも、座っているだけの者ばかりではない。立ち方で分かる。何人かは、普通に強い。
ああ、これ、見るだけじゃ済まないな。
俺がそう思ったのと、ほとんど同時だった。
「うちはオビト」
名を呼ばれる。
進み出ると、視線が一斉に集まった。露骨に敵意があるわけではない。だが、子ども扱いだけでもない。噂を確かめる目。マヒトの子を見る目。外れの家の子へ向ける目。その全部が混ざっている。
少し離れた位置に、フガクもいた。
若いが、もう周囲が自然と道を空ける立ち方をしている。前に会った時と同じだ。威厳があって、不器用で、でも無駄に威張る感じではない。今日のここで、彼がただの見物で終わるとも思えなかった。
一族の年長者が口を開く。
「学校での話は耳にした」
まあ、そうだろうな。
「噂と実際が違うのなら、見ておいた方が早い」
やっぱりそれか。
俺は心の中で小さく息を吐いた。
すると、すぐ横の広い空間へ顎が向けられる。
「組手をしてもらう」
マジか。
いや、知ってた。
知ってたけど、やっぱり言われるとマジかと思う。
しかも“少し手合わせ”みたいな軽い空気ではない。最初から測る前提だ。何人かが順に出るのだろう。子ども相手に大人気ない、と言えればいいが、うちはでそれは通らない。見ると決めたら、ちゃんと見に来る。
「手加減はいらん。だが殺すなよ」
誰かがそう言って、場に小さな笑いが落ちた。
冗談めかしているくせに、本気の線引きだ。
俺は決めた。
隠しきるのは無理だ。
だが、全部は出さない。
忍術として通る範囲で、やる。
最初に出てきたのは、十代半ばくらいの少年だった。
俺よりずっと大きい。まだ大人の骨格ではないが、子どもと呼ぶにはだいぶ育っている。腰の位置も高く、重心もしっかりしていた。目だけで侮ってこないあたり、ちゃんとやる気らしい。
「始め」
声が落ちた瞬間、相手が先に来た。
速い。
だが見える。
一歩目の踏み込み、肩の入り、拳の角度。その全部が見える。見えるからこそ、避け方の方が厄介だった。露骨に完封すると場が変わる。だから紙一重でかわし、ほんの少し崩す。相手は二手目、三手目と続けてくる。今度は足が飛ぶ。
重いな。
五歳児相手に、遠慮なしだ。
少しだけ笑いそうになる。ああ、うちはだなと思った。身内相手でも、測ると決めたら甘くしない。そういうところは嫌いじゃない。
こちらも踏み込む。
低く、短く。
真正面からは入らない。相手の死角へ半歩ずらす。拳を打ち込むより先に、体の軸へ触れて傾ける。相手の顔が一瞬だけ変わった。やっぱり五歳児の間合いじゃないと思ったのだろう。
そのまま崩しても良かったが、やりすぎるので止める。
止めた結果、逆に動きが妙に洗練されて見える。
やばいな。
そう思った時には、もう次の一手へ入っていた。
足払い。
返し。
肩を入れて押し出す。
相手がたたらを踏んで距離を取る。
周囲の空気が少し変わるのが分かった。
次に出てきたのは、もう少し年上の男だった。
今度は最初から目つきが違う。面白がるでも、侮るでもない。本当に測る側の目だ。こういう相手は好きじゃない。いや、嫌いじゃないのか。強い相手ほど、俺の中の変な部分が火をつけたがるから困る。
始まる。
さっきより間合いが遠い。手足の長さも、体の厚みも違う。真正面から行けば潰される。なら、横だ。横から入って、足を削って、嫌がる位置へ立つ。
本格的な戦いになると、どうしてもスイッチが入る。
体の表面は五歳児だ。小さくて、軽くて、まだ脆い。だからこそ、まともに受ける発想が消える。受けず、流し、差し込み、ずらす。相手の力を正面から噛まない。そういう戦い方は、前々世の忍としてもやったが、今の俺の感覚はもっと別のところへ近い。
本質は忍より呪術師なんだろうな、と、そんなことが頭の片隅をよぎる。
足裏へチャクラを流す。
ほんの少しだけ。
地面を噛む感覚が変わる。
次の瞬間、体が前へ滑る。五歳児の歩幅では出ない距離を、足裏の使い方だけで食う。縮地、というほど大仰でもない。だが相手からすれば、消えたように見えたらしい。
目が揺れた。
そこへ拳を置く。
まっすぐには打たない。肩へ見せて、ずらして、二段で響かせる。
逕庭拳。
相手の息が詰まる。
一撃のあとに遅れて来る衝撃に、周囲の視線がまた動いた。
ああ、しまった、と思ったが遅い。楽しくなってきた。強い相手と手を合わせると、どうしても火が入る。止めないとまずいのに、止める手前が分からなくなる。
最後は、あえて自分から距離を切った。
これ以上続けると、本当にやりすぎる。
相手は呼吸を整えながら、俺を見ていた。悔しそうでも、怒っているのでもなく、純粋に見直した顔だった。
そして、最後にフガクが前へ出た。
空気が変わる。
やっぱり来たか、と思う。
若いのに、既に一族を背負う者の重さがある。先ほどまでの者たちと違って、立っただけで“終わらせに来る”感じはない。測る。そのためだけに立っている。だが、だからこそごまかしが効かない。
「行け」
短い一言。
それだけで、始まった。
フガクは速い。
静かに速い。
踏み込みが見えにくい。肩も腰も、余計な予兆を出さないまま入ってくる。俺は一手目を紙一重でかわし、二手目へ合わせて半歩横へずれた。普通ならそこで崩せる。だが、フガクは崩れない。軸が太い。流したはずの力が、逆にこっちへ返ってくる。
うわ、やりにくい。
思わずそう感じた瞬間、足元が空く。
危ない。
低く沈んで避ける。そこから返す。脚へ触れ、軸を浮かせるつもりが、逆に腕を取られそうになった。切る。離す。もう一歩詰める。
フガクの目が、少しだけ変わる。
そこか。
そこを見ているのか。
俺がどう強いかではなく、何を見て、どう判断して、どこで引くか。その癖を拾っている。父マヒトの面影を探しているのか、それとも俺自身を見ているのか。たぶん両方だ。
数手、渡り合ったところで、フガクは最後に大きく踏み込んできた。
受ければ終わる。
逃げても追われる。
だから、前へ入る。
足裏に流す。
地を噛む。
縮める。
一気に懐へ。
肩へ当たる寸前で止める。
フガクの拳も、俺の頭ひとつ分の上で止まっていた。
静寂が落ちた。
近い。
近すぎる距離で、俺たちは互いに息を測っていた。
先に引いたのはフガクだった。
わずかに体を離し、まっすぐ俺を見る。
「……そうか」
短い声だった。
その一言に、色々なものが混ざっている気がした。学校での噂。マヒトの子という認識。外れの家の子。そういうもの全部を通って、ようやく本人へ触れたときの声。
周囲がざわめき始める。
見られた。
測られた。
たぶん、十分すぎるほど。
俺は小さく息を吐いた。
やっぱり、やらかした気がする。
でも、全部出したわけじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、額のゴーグルを少しだけ押し上げた。
フガクはそれ以上何も言わなかった。ただ、一族の年長者たちの方へ向き直り、短く告げる。
「見れば分かる」
それだけで、今日の場は終わった。
帰り道、俺は少しだけ頭が重かった。
家の近くで感じたあの気配。
根を思わせる視線。
一族の上層部の目。
フガクの測るような眼差し。
面倒が、ちゃんと大きくなっている。
それでも、足は家へ向く。
祖母が待っている。
守るものがある。
それだけは、やっぱり変わらない。
【〆栞】