黄色と赤と

波風ミナトは、演習場で見かけた小さな背中を、思った以上に長く覚えていた。

名だけは、先に耳へ入っていた。

うちはオビト。

外れの家の子。
マヒトの子。
学校で妙にできるらしい少年。

その程度の断片だったはずなのに、実際に目で見たあの子は、断片の中へ収まらなかった。

軽い。
小さい。
まだ五歳の体格だ。

だが、動きの芯が違う。ただ上手いだけではない。強い相手を仮想した時の目の置き方、踏み込みの迷いの消し方、届かない間合いへどう入るかの組み立て方。その全部に、妙な生っぽさがあった。

子どもが背伸びしているのとも違う。

訓練として覚えた動きをなぞっているわけでもない。

あれは、実際に届かせようとしている目だった。

面白い子だな、と自来也は笑っていたが、ミナトはもう少し別の感触を覚えていた。

なぜだろう。

理由はまだ言葉にならない。けれど、ただ優秀な子どもというだけではない引っかかりがある。火影室で名前を聞いた時より、ずっとはっきりと、その子の輪郭が意識へ残っていた。

名だけ知る子、ではなくなった。

目で見た子になったのだ。

それだけで、人は少し違って見える。

はたけサクモもまた、同じ演習場で足を止めた一人だった。

彼が見たのは、技量だけではない。

確かに、うちはオビトは強かった。五歳児の身体であれだけ動けるのは異常だ。足の運び、視線の切り方、クナイの使い方。どれも、子どもの訓練の枠を少しはみ出している。

だがサクモの目に残ったのは、その強さの奥のものだった。

夢中になった時の入り込み方。

一人で深く潜るような集中の仕方。

強い子どもはいる。早熟な子も珍しくない。けれど、あの子は少し危うい。周囲を忘れるほど一つの仮想へ没入した時、体の小ささも、年齢も、全部どこかへ置いていくようなところがあった。

そして、その帰り道で、サクモはようやく理解した。

カカシの黙り方の質が違っていた理由を。

あれはただ悔しかったのではない。

自分より一つ上の子どもが、自分の知る“できる”の枠から少し外れていたからだ。強い、賢い、それだけでは片づかない何かを目の当たりにして、うまく言葉へできずに噛みしめていたのだろう。

サクモは夕餉の支度へ向かう前に、静かに空を見上げた。

マヒトの子か。

なら、これから少し気にしておくべきだろう。

そんなことを、淡く思った。

俺はそんなふうに見られているとも知らず、班編成待機とかいう微妙な立場をそれなりに持て余していた。

下忍になった。

でも班はまだない。

だから急に暇になるかと思いきや、そんなことは全然なく、むしろ祓除と鍛錬と家の手伝いで一日が埋まる。学校がない分、自分で動ける時間が増えたせいで、やることを勝手に増やしているだけなのだが。

朝は祖母の手伝い。

昼は鍛錬。

夕方は買い物のついでに低級の祓除。

その合間に、お年寄りへ遭遇する。

相変わらず遭遇率が高い。

どういう理屈だよ本当に。

今日も今日とて、道端で荷物を落とした婆さんを助け、坂道で息を切らした爺さんに肩を貸し、気づけば「まあまあ、オビトちゃん」と名前付きで呼ばれる始末である。

介護ヘルパースキルだけが順調に上がっていくの、何なんだろうな。

いや、役に立ってるからいいんだけどさ。

いいんだけど、俺の下忍待機期間ってこういうことだっけ? と時々真顔になる。

そんなある日、祖母が出かける支度をしながら言った。

「今夜は友達と食事会なんだよ」

珍しいな、と思った。

祖母は交友がないわけではないが、夜に外へ出ることはそう多くない。だから少しだけ安心した。祖母にも、ちゃんとそういう時間はあっていい。

「オビトは外で食べてきな。たまにはいいだろう」

「いいの?」

「いいよ。遅くなりすぎるんじゃないよ」

そう言って笑う顔が、少しだけ楽しそうだった。

なら遠慮はしない。

外食していいと言われた時点で、俺の頭にはもう一択しかなかった。

一楽ラーメンに行こう。

その発想が浮かんだ瞬間、前世の記憶がつるりと蘇る。

虎杖と、よくラーメンを食いに行った。

任務帰りに、妙に腹が減って、そのまま適当な店へ入る。気づけば一杯で終わらず、あっちの方が良かっただの、今度は別の味も試したいだのと、くだらない理由で梯子までしていた。

あいつ、本当に付き合いが良かったんだよな。

ラーメン好きだったのかと聞かれれば、たぶんそうだ。俺も相当好きだったが、虎杖もノリが良かった。釘崎は同じ麺でもパスタ専攻だったけど……、まあ、それはそれでらしい。あいつはあいつで、こっちの好きなものを全否定はしない代わりに、自分の好みも絶対に曲げなかった。

伏黒は付き合いが悪かったな。

いや、悪かったというか、あいつはあいつで和食派だっただけだ。うどん巡りなら乗ったのかもしれない。いや、あいつの場合は蕎麦かな。

うどんか。

香川のうどん巡りも良かったよな。あれは任務先だったくせに、妙に記憶へ残っている。朝から梯子して、店ごとの違いで本気で議論して、最後には全員ちょっと胃がもたれていた。

そんなことを思い出しながら、一楽の暖簾をくぐった。

いい匂い。

だしの匂い、湯気、賑わい。大きすぎない店の中に、あたたかさが詰まっている。こういう空気は落ち着く。

「いらっしゃい!」

元気な声に軽く会釈して、俺は空いているカウンター席へ座った。壁際。ちょうど一人分だけ空いていた席だ。

注文を伝える。

その瞬間だった。

後から来た客が、左右に挟む形で座った。

右側。

赤い髪。
強い気配。
すぐ分かる。

うずまきクシナ。

左側。

明るい金。
やわらかい笑み。
でも、隠しきれない静かな鋭さ。

波風ミナト。

真ん中、俺。

何故挟む!

いや、確かに二人並んで座れる席はなかった。なかったけども! でもさあ! この配置はないだろ! 何だこれ! 初対面前の心の準備とかいう概念、どこへ行った!?

硬直した俺をよそに、二人はまるで自然な流れみたいに話し始めた。

「本当に取材?」

クシナが横からじろりとミナトを見る。

ミナトは苦笑した。

「先生はそう言ってたけど」

「絶対に覗きに行ったってばね」

「はは……否定はできない、かな」

おい。

おいおいおい。

オビトを挟んで会話する恋人カップル、居た堪れなさがすごい。しかもこの二人、距離感に一切の遠慮がない。夫婦になる前からこうなんだよな、と思うと妙に納得もするが、だからって真ん中へ挟まれてる側はたまったもんじゃない。

俺はそっと席を立とうとした。

逃げよう。

今ならまだ自然に移動できる。ラーメンが来る前なら、ほかの席が空いたふりもできる。

そう思った瞬間、左側から声が落ちた。

「君」

ひっ、と心の中で跳ねる。

心の準備ができてねぇんだけど!!

ゆっくり振り向く。

ミナトが、穏やかな顔でこちらを見ていた。

柔らかい。
でも、ただ柔らかいだけじゃない。

ああ、この目だ。

火影になる人の目。

前々世の罪悪感が、胸の奥から一気にこみ上げた。九尾襲撃。壊した夜。奪ったもの。守れなかったもの。分かっている。今のこの人は何も知らない。俺もまだ何もしていない。それでも、前々世の記憶は勝手に反応する。

口が、先に動いた。

「ごめんなさい」

…………。

何で謝罪から入った!?

言った俺が一番びっくりした。

いや本当に何で!?

違うだろ、そこは! 初対面だろ! 何でいきなり謝ってるんだ俺は! 動揺がひどい! ひどすぎる!

ミナトが、さすがに少し目を丸くした。

クシナが右側で「は?」って顔をする。

そりゃそうだよな!

俺だってそう思うよ!

でももう遅い。謝罪は飛び出した。飛び出したものは戻らない。取り消したい。死ぬほど取り消したい。今すぐラーメンの湯気へ紛れて消えたい。

動揺で頭が真っ白になる中、ミナトが困ったように、それでもやわらかく笑った。

「ええと……どうして謝るのかな」

そうだよな。

そうなるよな。

俺は完全に固まったまま、どうにか口を開こうとして――でも何も出てこなかった。

ラーメン屋の熱気が、やけに頬へ集まる。

やばい。

本当にやばい。

これはたぶん、人生三周目でもかなり上位に入るやらかしだ。


〆栞
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