理由

第29話「理由」

「ええと……どうして謝るのかな」

ミナトにそう聞かれた瞬間、俺の頭の中は綺麗に真っ白になった。

いや、そりゃそうだろう。

初対面の相手に、いきなり「ごめんなさい」で入る奴がどこにいる。しかも場所は一楽ラーメン。右にクシナ、左にミナト、その真ん中に俺。どう考えても落ち着いて対応できる状況じゃない。

クシナが怪訝そうに眉を上げた。

「何それ。あんた、ミナトに何かしたの?」

してない。

今はまだ何もしてない。

でも前々世の記憶はそういう理屈で黙ってくれないんだよ、とは当然言えない。言えるわけがない。俺は必死に言い訳を探した。探して、探して、何とか喉を動かす。

「……いや、その」

声が変に掠れる。

落ち着け俺。
落ち着け。
ただの初対面だ。
初対面の相手に未来の罪悪感をぶつけるな。

ミナトは急かさず、ただこちらを見ていた。やわらかい目だったが、そのやわらかさの奥で、ちゃんと相手を見ている感じがある。誤魔化しやすそうでいて、こういう人の方が実は誤魔化しづらい。

クシナは遠慮なくもう一歩踏み込んだ。

「その、何?」

早い。

追及が早い。

俺は腹を括った。

どうせなら、いかにも動揺した子どもが口走りそうな方向へ寄せるしかない。

「……間に俺がいたら、邪魔ですよね!?」

言った瞬間、自分で頭を抱えたくなった。

いや何言ってんだお前。

でももう止まらない。

「お二人、並んで座りたかっただろうなって思ったから」
「俺、一人だし、空いてる席に移動した方が良いかなって意味で!」

一気に言い切って、耳まで熱くなるのが分かった。

妙に必死だし、説明もだいぶ変だ。
でも、少なくとも今の状況をどうにかしようとしてることだけは伝わるはずだ。たぶん。いや、伝わってくれ。

数拍の沈黙のあと、クシナがぱちぱちと瞬いた。

「……あんた、そんなこと気にしてたの?」

声の調子が少し変わっていた。さっきまでの怪訝さに、呆れが混ざっている。悪い方向ではない。

ミナトも小さく笑った。

「なるほど。そういう意味だったんだね」

助かった……のか?

まだ油断はできないが、とりあえず変な謝罪の意味は通じたらしい。俺は内心で小さく息を吐いた。

クシナはふんと鼻を鳴らした。

「別に、そこまで気ぃ使わなくていいってばね」

「……はい」

素直に頷く。

いや、気ぃ使うだろ。
だって恋人同士っぽい二人の間に俺が挟まってるんだぞ。
しかも未来を知ってるのこっちだけなんだぞ。
使わない方が無理だろ。

ちょうどそのタイミングで、ラーメンが出てきた。

湯気。
だしの匂い。
醤油の香り。

救われた、と思った。

ラーメンは偉大だ。
本当に偉大だ。

「いただきます」

そう言って箸を取る。まず一口、麺を啜る。

うまい。

動揺していたはずなのに、味がしっかり分かる。いや、動揺していたからこそ余計に沁みたのかもしれない。温かい汁が喉を通るだけで、さっきまでの居た堪れなさが少しほどける。

美味いは正義だな、としみじみ思う。

その一口で、だいぶ救われた。

左隣から、ミナトのやわらかな声がした。

「君、名前は?」

ああ、来るよな、その質問。

当たり前の問いだ。なのに妙に心臓へ来る。俺は箸を一度置いてから答えた。

「……オビト」

「オビトくんか」

その“くん”付けが、今の時点では自然なはずなのに、少しだけ胸の奥に引っかかった。普通だ。普通なんだ。でも、知ってる未来が邪魔をする。

クシナが俺を見た。

「うちはの子?」

「うん」

「へえ。ゴーグルしてるから、ぱっと見じゃ分かんなかったってばね」

そりゃそうだろうなと思う。

このゴーグルは目を隠すためのものでもある。うちはの子だと分かりやすい要素を、意識して一つ外しているんだから。

ミナトはそのやり取りを聞きながら、表には出さずに小さく考えていた。

うちはオビト。

火影室で名前を見た子。
演習場で見かけた子。
そして今、一楽で挟まれている変な子。

目の前の少年は、年齢相応に動揺している。変なところで気を回して、初対面で謝って、ラーメンに露骨に救われている。なのに、演習場で見た動きだけを思い出すと、どうにも噛み合わない。

あれほど生っぽく、戦いへ入り込む子が、今はこの歳らしい顔で麺を啜っている。

あれ?

と、ミナトは内心で思った。

もちろん、口にはしない。

それを今ここで言葉にするほど、まだ何かが分かったわけではない。ただ、小さな違和感として残っただけだ。

その間にも、俺はラーメンを食べていた。

気づけば、だいぶ夢中で食べていた。

うまい。
ほんとにうまい。

腹へ温かいものが入るだけで、幸福感がじわっと満ちる。前世の記憶が蘇る。虎杖とラーメン食べ歩いたな、とか、任務帰りに適当な店入ったな、とか、釘崎は付き合ってくれても結局パスタ推しだったな、とか、そういう細かいものまでつるつる出てくる。

それでも今ここで味わってる一杯は、今の一杯としてちゃんと嬉しかった。

クシナが俺の丼を見て言う。

「あんた、食べるの早いわね」

しまった。

またやった。

前世の食い癖が出た。任務帰りの飯は速くなるんだよな。ついでにラーメンだと余計に進む。五歳児らしい速度かと言われると、ちょっと怪しい。

「お腹、空いてて」

どうにかそう返すと、クシナは「ああ、育ち盛りだもんね」とあっさり納得した。

助かる。

ミナトはその様子を見て、また少しだけ笑った。

「たくさん食べるのはいいことだよ」

言い方が優しい。

優しいのに、ちゃんと相手を見てる感じがあって、そこがまた困る。

その後も、何でもない話がぽつぽつ続いた。

学校のこと。
一人で食べに来たこと。
祖母が今夜はいないこと。

クシナは思ったことをそのまま聞いてくるし、ミナトは必要以上に踏み込まず、でも流しすぎもせずに拾っていく。二人はまだ夫婦になっているわけじゃない。距離感も、完成しきったものではない。それでも、並んで話しているだけで不思議と空気が合っている。気安さと、まだ少しよそいきの部分が混じっている感じだ。

ああ、この時期はこうなんだな、と、変にしみじみしてしまう。

クシナがふいに言った。

「でも、あんた変な子ね」

直球だな。

俺は思わず苦笑した。

「よく言われる」

「自覚あるんだ」

「ちょっとは」

その返しに、クシナがけらっと笑う。右側から明るい笑い声が落ちてきて、ミナトもつられるように笑った。

その時、少しだけ思った。

ああ、こういうふうに笑うんだな、この人たちは。

それだけのことが、妙に胸へ残る。

ラーメン一杯の間に、三人の空気は少しだけほぐれた。

初対面のぎこちなさは完全には消えない。俺の動揺もまだ消えてない。でも、最初のあの変な謝罪から始まったわりには、ちゃんと“縁”と呼べるものが生まれた気がした。

食べ終えて、店を出る。

夜風が少し冷たくて、でも店の熱気を背負っているせいか、ちょうどよかった。

帰る方向がしばらく同じらしく、自然と途中まで一緒に歩く流れになる。

「祖母ちゃん、一人で平気なの?」

クシナが聞く。

「今日は友達と食事会」

「へえ。じゃあ、あんた今夜ちょっと自由ってわけね」

「たぶん」

「いいわねぇ」

クシナの口調は軽いが、どこか面倒見の良さが滲む。こういうところなんだろうな、と思う。強くて、はっきりしていて、情が深い。放っておけない相手には、自然に距離を詰めてくる。

ミナトはそんなクシナの隣で、時々俺へ穏やかに問いを投げてくる。

「学校はどう?」
「困ってることはない?」

大げさじゃない。
でも、ちゃんと相手を見る聞き方だ。

俺は答えながら、変な居心地の良さを覚えていた。

二人とも、近すぎないのに遠くない。

強く踏み込むのはクシナの方で、ミナトはその横で静かに様子を見る。今の時点ではまだ、互いの完成された片割れというより、それぞれの性格と距離感がうまく噛み合い始めている段階なんだろう。

しばらく歩いたところで、クシナがぽつりと言った。

「あの子、なんか放っとけないわね」

俺のことだ。

分かって、思わず足が止まりかけた。

ミナトはすぐには答えなかったが、少しだけ目を細めてから頷いた。

「そうだね」

その一言が、思っていたより深く刺さった。

やめてくれ。
そういうの、弱いんだよ。

いや、弱いって言っても別に恋愛とかそういう意味じゃない。こう、懐へ入れられる感じに弱い。しかもこの二人にそれをやられると、前々世の記憶まで全部一緒に揺れるから厄介だ。

分かれ道が近づいて、俺は少しだけ気持ちを整えた。

ここで変なことを言うな。
自然に別れろ。
今日のやらかしはもう十分だ。

そう思っていたのに、最後の最後でまた口が滑った。

「……その、今日はありがとうございました。えっと……お幸せに」

言った瞬間、頭を抱えたくなった。

何でだよ!!

何でそこでそんな挨拶になる!?

まだこの二人、結婚してないだろ!
未来知識が口から漏れてんじゃねぇか!

クシナが「は?」って顔をし、ミナトが困ったように目を瞬かせる。

終わった。

本当に終わった。

俺はその場で真っ赤になりながら慌てて付け足した。

「いや、その、仲良さそうだから……!」

苦しい。
言い訳が苦しい。

でももう、それで押し通すしかない。

数拍のあと、クシナがぷっと吹き出した。

「何それ、変なの!」

ミナトも、今度は隠しきれずに笑った。

「ありがとう、でいいのかな」

「……はい」

消えたい。

でも、その笑い方があまりにも柔らかかったから、少しだけ救われた。

結局、最後まで変な子のままだった。

けれど、そのせいで縁が切れたわけじゃない。

むしろ、少しだけ濃くなった気さえした。

別れ際、クシナが片手をひらっと振る。

「また会ったら声かけるってばね」

「……うん」

そう返して、俺は二人と別れた。

夜道を一人で歩きながら、頭を抱えたくなる。

やらかした。
またやらかした。
しかも最後の最後でとどめみたいなやつを。

でも、不思議と胸の奥は少しあたたかかった。

最初の縁。

たぶん、これはそういうものになったんだろう。

ラーメン一杯分の時間だったのに、妙に長く残りそうな夜だった。


〆栞
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