消えた村

その日、うずまきクシナは、何の前触れもなく腹の底がざわつくのを感じた。

比喩ではない。

身体の奥、封じられた九尾が、唐突に強く蠢いたのだ。

歩みが一瞬だけ止まる。

「……何」

クシナは思わず低く呟いた。胸騒ぎとも違う。もっと生々しい、不快なざらつきだった。腹の底に抱えたものが、明確に“外”へ反応している。

九尾は、感知していた。

木ノ葉の里から離れた小さな村落で、命が刈り取られていくのを。

恐怖と、絶望と、それに塗れた血肉を喰らいながら、なお強くなる穢れた存在を。

だが、それだけだった。

九尾にとって、人間が死のうが関係ない。ましてや、見えぬものに喰われる村ひとつ、気にかける理由にもならない。あれをどうにかできる人間などいない。そもそも、認識すらできぬのだ。

このまま放置すれば、いずれ木ノ葉へも寄ってくるだろう。

その頃には、もっと強く、もっと凶暴になっているはずだ。

だが、九尾にとってそれは、ただの先の話にすぎない。

まあ、どうでもいい。

誰が死のうが興味は無い。

腹の底から伝わるのは、そんな冷えた無関心だった。

クシナは眉を寄せたまま、しばらくそこへ意識を向けていたが、結局、何も掴めぬまま息を吐いた。

得体が知れない。

それだけが、不快に残った。

一方その頃、俺は家の玄関口で、酷く疲れた顔を浮かべてため息を吐いていた。

今日は、あまりにも濃い一日だった。

いや本当に。

朝から領域展開お年寄り遭遇率激高が発動し――いや、発動じゃねぇよ、単に遭遇率が高いだけだよ――影分身介護ヘルパー集団を出してどうにか捌いたまではいい。

そこまではいつもの範囲だ。

問題は、そのあとだった。

本体の俺一人になった途端、顔馴染みの婆さんとばったり会った。そこで日頃の感謝を、などと言われ、気づけばお年寄り達の三時の茶会へ引っ張り込まれていたのである。

嫌な予感はした。

したんだよ。

でも、断れる空気じゃなかったんだよ。

お年寄りの愛情は無碍にできない。

これは本当に困る。困るんだけど、悪意がないどころか、だいぶ好意しかないので、余計に逃げづらい。しかもそこで、まさかうずまきクシナがいるとは思わなかった。

何でいるの。

いや、里だし、いてもおかしくないんだけど。

でも、茶会の輪の中に自然に混ざってるのは何か違うだろ、と思った。思ったのに、お年寄り達は完全に歓迎ムードで、俺が一楽で一度会っただけだということなど気にしていなかった。

「あらあら、クシナちゃんとオビトちゃん、何だか姉弟みたいだねぇ」

その一言が、だいぶまずかった。

クシナが、半ばその気になったのだ。

いや正確には、最初は「何それ」と笑っていた。笑っていたのだが、お年寄り達に「あんた面倒見いいしねぇ」「この子も放っとけない顔してるしねぇ」と囲まれていくうちに、少しずつ“まあ、そういうのも悪くない”みたいな顔になっていった。

やめて。

そこから先はやめて。

俺の心の叫びも虚しく、クシナは途中から本当に俺を弟扱いし始めた。

「ちゃんとお茶飲んでる?」
「甘いのばっか食べると夜ご飯入んなくなるってばね」
「ほら、そっちじゃなくてこっち座りなさいよ」

何でだ。

いや、前々世でも似たような距離感だった気がするから、悪くはなかった。悪くはなかったんだけど――波風ミナトがそこへ顔を出した時の反応は、若干怖かった。

本当に、若干、だ。

顔は笑っていた。
でも、目が少しだけ笑ってなかった。

「へえ、仲良くなったんだ」

その一言が柔らかいくせに妙に圧を持っていたのを、俺は聞き逃していない。クシナはそんなこと気にせず「あんた、来るの遅いってばね!」と返していたが、真ん中へいる俺からすると、あの空気は結構な精神的疲労を伴った。

今日一日の精神疲労を課したのは、ほぼあのカップルに違いなかった。

いや、まだ夫婦じゃない。
まだ夫婦じゃないんだけど、あの二人の並びはもうだいぶああいう空気があるんだよな。

……まあ、それはともかく。

俺は玄関で忍靴を脱ごうとして、もう一度大きく息を吐いた。

「はァ……」

疲れた。

本当に。

こういう疲れ方、何か久しぶりだなと思う。戦闘でも任務でもなく、人間関係でじわじわ削られるやつ。しかも悪意がないぶん、余計に逃げづらい。

でも、少しだけ悪くなかったのも事実だ。

そんなふうに気を抜いた、その時だった。

ざわり、と嫌な風が背中を撫でた。

空気が変わる。

一瞬で、疲労が飛ぶ。

何だ。

低級じゃない。

もっと濃い。もっと深い。しかも、近くではない。里の中でもない。どこか、里から離れた場所――山の方角から、ひどく濁ったものが流れ込んでくる。

命が、消えていく。

それも一つや二つじゃない。

刈り取られるように、次々と。

頭の奥で警鐘が鳴る。

特級呪霊。

理屈より先に、それだと分かった。

領域の有無まではまだ分からない。だが、低級や二級の延長ではない。濃度が違う。質が違う。積み重なった死と恐怖と穢れが、一つの塊になってこちらへ匂ってくる。

やばい。

これは放置できない。

考えるより先に、身体が動いていた。

玄関へ上がる寸前だった足を返す。祖母へ声をかける暇も惜しい。いや、かけた方がいいのかもしれない。でも今は一秒でも早く向かわないとまずい。戸口の影へ手をかけ、俺はそのまま外へ飛び出した。

月は陰り、光の無い闇夜だった。

風が冷たい。

地面を蹴る。

足裏へチャクラを流し、屋根を飛び、塀を越える。人目のある里の中では抑える。だが外れへ出るほど、遠慮は消える。速く。もっと速く。胸の奥で、あの濃い気配がこちらを急かしてくる。

遅れるな。

間に合え。

あれがどこまで育っているのか、まだ分からない。でも、今この瞬間にも誰かが喰われているかもしれない。その感覚がある以上、止まる理由は何一つなかった。

その小さな影を見かけたのは、三忍が一人、自来也だった。

夜道の端。

頬には赤い手形の跡が残っていて、締まりのない顔をしている。何をしていたのかは、まあだいたい察せる。察せるが、それは今どうでもいい。

自来也は、闇を切るように走る小さな影へ目を留めた。

子どもだった。

しかもただの子どもではない。見覚えがある。

うちはオビト。

あの妙に目が離せないガキだ。

こんな夜に、何処へ行こうとしているのか。

それが、ただの気まぐれや迷子ではないことだけはすぐに分かった。走り方が違う。慌ててはいる。だが、怯えているのではない。目的地へ向けて一直線に身体を使っている。何かを察して、そこへ向かっている足だ。

自来也はわずかに目を細めた。

……何を感知した?

当然、答えは分からない。

分からないが、放っておく気にもなれなかった。

あの年で下忍、中忍と上がり、火影の目にも留まり、何かと妙に厄介な位置へいる子だ。こんな夜更けに、あんな顔で走るのを見て見ぬふりできるほど、自来也は薄情じゃない。

「おい、待て……!」

声をかける。

だが、オビトは振り向かない。

聞こえていないのか、聞こえていても止まらないのか。たぶん後者だろう。迷いのない足取りだった。

「ったく」

自来也は小さく舌打ちして、その後を追った。

頬の赤い手形が残ったままなのはどうかと思うが、そんなことを気にしている場合ではない。

闇の中を、子どもの影が駆ける。

その後ろを、伝説の三忍が追う。

山の方角から流れてくる不穏は、まだ誰にもその正体を知られていない。木ノ葉の里から少し離れた小村で起きていることを、知る者はまだいない。

ただ一つ確かなのは、今夜、何かが大きく動いたということだけだった。


〆栞
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