少年vs無堕

村落に近付くにつれて、血の臭いが色濃くなった。

最初は風の端に混じる程度だった。鉄錆びたような、鼻の奥へ引っかかる臭い。だが山道を一つ曲がり、二つ下るごとに、それは誤魔化しようもなく濃くなる。生きた血ではない。撒き散らされ、冷え、土と混じり、肉の臭いへ変わりかけた血の匂いだ。

間に合わなかった。

そう思うには、もう十分すぎた。

俺は足を止めない。

止められない。

胸の奥で冷えたものが広がる一方で、頭は妙に静かだった。こういう時の方が、むしろ思考は澄む。見たくないものを見に行く足取りだと、身体の方が理解しているからかもしれない。

村へ入った瞬間、惨状が視界へ飛び込んできた。

酷い有様だった。

血と。
肉片と。
肉塊と。

そこらじゅうに散らばっている。

家の前、土の上、祠へ続く道、倒れた桶の傍。人の形を成していても、頭部が無いものがある。胴の上が消えているものもある。手足だけが残っているもの、引きずられた跡を長く引いたもの、最後まで逃げようとして倒れたのだと分かる姿勢のまま固まったもの。

忍の戦場も見てきた。
前々世では、もっと酷い光景も知っている。

それでも、これはまた別種の凄惨さだった。

人がやったのではない。

いや、人がやる方がまだ、理由を当てはめられる。恨み、命令、戦、欲、狂気。そういうものの線上へ置ける。だがここには、それがない。ただ、食われた痕だけがある。喰らい、裂き、撒き散らし、次へ行ったという跡だけだ。

影はいない。

普通の人間には視認できない。

だが、いる。

俺には見える。

血溜まりの向こう。
崩れた塀の上。
闇へ溶けるみたいに、黒い影が立っていた。

無堕は、ニタリと笑った。

能面じみた白い顔の下で、裂けた口だけが生き物みたいに歪む。長い舌が血を舐め、黒い輪郭がゆらりと揺れた。

子供がまだいたか。

そんな気配が、声になる前に伝わる。

他の者達より、俄かに極上の香りを感じる。

飢えが、そいつの全身から滲んでいた。

これは我の糧だ。

より強く。
より高く。
上り詰める為の――まさにご馳走だ。

ぞわりと、嫌な気配が膨れた。

狙いが変わる。

村人を喰らった後の延長じゃない。もっとはっきりと、俺へ向いた食欲だ。濃い。粘つく。獲物として値踏みされる感覚が、皮膚の上を這う。

無堕が、跳んだ。

黒い影が一気に間合いを詰める。

その瞬間、俺の口が静かに音を発した。

「赤血操術――苅祓」

赤い血が、無堕を襲った。

指先から放たれたわけではない。空間へ浮いた血が、そのまま刃へ変わって走る。夜気の中で赤が閃き、黒い影を横薙ぎに裂いた。

無堕は、一瞬、何が起きたか分からなかった。

裂かれた。

そう理解したのは、半拍遅れてからだ。

黒い輪郭が揺らぎ、能面じみた白い顔がこちらを向く。

子供の顔を見た。

無表情だった。

いや、表に出ていないだけだ。

その奥は、怒りで満ちている。

眼光は鋭い。
冷たい。
それでいて、ただ冷たいだけじゃない。喰われたものたちを見た、その結果としての怒りだ。

見えている?

無堕の中へ、そんな疑念が走る。

だが次の瞬間には、またニタリと笑った。

ああ、だから極上の香りがするのか。

ただの餌ではない。
こちらを認識し、こちらへ刃を向ける者。
しかも幼いのに、濃い。
深い。
良い。

無堕は喰らう。

より強く。
格を上げる為に。

自来也が村へ踏み込んだのは、その直後だった。

山道を追ってきた先で目にしたものに、彼は明らかに動揺した。

「あまりにも酷い……」

声に出さずとも、顔へ出る。

死に体だ。

人間が成すにしても、ここまで酷いのは初めて見る。戦場の死とは違う。もっと無秩序で、もっと生々しく、もっと意味がない。喰い散らかされたとしか言いようのない有様だった。

そしてその中に、少年――オビトが佇んでいる。

何故ここに来たのか。

いや、それよりも先に、自来也は別の心配を覚えた。

精神が持つのか。

ショックだろう、こんな惨状は。忍であろうと、大人であろうと、目にしたくはない。ましてや七歳だ。どれだけ強かろうが、こういう死を前にして平気でいられる年じゃない。

自来也が一歩、踏み出しかける。

その時だった。

「赤血操術――」

子供の酷く冷めた声を、耳にした。

何だ?

自来也の眉が寄る。

知らぬ言葉。
知らぬ響き。
だが、意味を問うより早く、目の前で血が浮いた。

血が、宙へ持ち上がる。

地へ流れていたはずの赤が、まるで意思を持つみたいに離れ、細く、鋭く、刃のかたちを取る。

なんだ……?

理解が追いつかない。

忍術か。
幻術か。
血継限界か。
禁術に近い何かか。

どれにも見えるし、どれとも違う。

自来也が答えを掴むより早く、子供の声が落ちる。

「――苅祓」

血が舞い上がった。

敵意を剥き出しにして。

血に塗れた村で、さらに血が刃となる。その光景の異様さに、自来也は一瞬だけ息を呑んだ。だが、その刃が向かう先には、彼には何も見えない。ただ、オビトだけが、そこに“何か”を認識していることだけは分かった。

血刃が闇を裂く。

何もない空間が、確かにそこへ“何かある”みたいに揺れた。

その瞬間、自来也は初めて知ることになる。

この世界には、見えないナニカが存在することを。

そして、少年がその存在を視認していることを。

無堕は血刃をかわしきれず、片腕のように伸びた影を深く断たれた。

裂けた。

だが、倒れない。

むしろ、笑う。

「あ、は」

喉の奥で、ひび割れたような声が鳴る。

自来也には、その声すら正確には拾えない。ただ、見えない場所から、とてつもなく不快な圧だけが返ってきた。

オビトは一歩も引かなかった。

視線は正面へ固定されている。見えない相手を、見えている者の目で追っている。頬へ血飛沫がついているのに、拭いもしない。怒りは冷えたまま、刃だけが鋭い。

自来也は、そこでようやく理解した。

この子は、怯えていない。

いや、違う。
怯えるより先に、目の前の何かを殺す方へ頭が切り替わっている。

七歳の切り替えじゃない。

それでも、今はその異様さよりも先に、目の前の事態が重い。

「オビト!」

自来也が呼ぶ。

少年の肩が、ほんのわずかにだけ動いた。

「後ろに人がいるなら下がってて」

返ってきた声は静かだった。

子供の声なのに、妙に冷めている。怒りはある。だが騒がない。熱くなっているのに、芯が凍っているみたいな声音だった。

自来也は歯を食いしばる。

何も見えない。
だが、何かいる。

そしてその何かは、今、オビトだけを認識している。

見えないものを相手に、どう動く。

三忍の一人である自来也にとっても、それは初めての問いだった。

無堕は裂かれた影を揺らしながら、なお食欲を失っていない。

むしろ増している。

見える。
触れる。
殺しにくる。

その子供が、よりいっそう“ご馳走”に思えた。

血塗れの村で、血が舞う。

闇の中、見えない怪異へ向けて、七歳の少年が敵意を剥き出しにする。

そこから先は、もう“見つけたから祓う”では済まない戦いだった。


〆栞
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