竈開の焔

あー、痛ぇ。

本気でそう思った。

左肩から先が無い。腹も抜かれた。血はまだ落ちてる。立ってるだけで偉い、と誰かに褒められてもいいくらいの有様だ。いや、褒められても困るけど。痛いものは痛い。普通に痛い。

つーか、自来也が追ってくるなんてな。

そこはちょっと予想外だった。いや、人としては正しい。正しいんだけど、俺の方がまだまだ甘いということでもある。こんな濃い気配へ一直線に飛び出したら、気づく奴は気づく。三忍が一人ならなおさらだ。

俺もまだまだだな、と、そんな場違いなことが頭の隅をよぎる。

七歳じゃねーけど器が七歳。

器が。

大事なので二回繰り返す。

魂の底にいくら前世の感覚が残っていても、今使ってるのは七歳の身体だ。骨も筋も、出力の通し方も、全部がまだ足りない。さっきの黒閃は効いた。効いたのは間違いない。触手も吹っ飛んだ。無堕の輪郭は明らかに削れた。

でも、まだ倒せてはいない。

瓦礫の奥で、黒い影が蠢いている。

触手は何本か吹き飛んだが、再生しようとしている。白い顔はひしゃげ、裂けた口の端が欠けている。それでもまだ、飢えた目だけは死んでいない。

けど、効いたな。

それは確かだ。

だからこそ、決め手に欠けるのが腹立たしい。

どうする?

答えを探した瞬間、脳裏に浮かんだのは竈開だった。

いや、あれは駄目だ。

即座に否定する。

あんなもんここでまともに使ったら、大災害だ。村どころか山そのものが死ぬ。俺一人が勝っても意味がない。いや、今の身体だとそもそも完全な出力は無理だろうけど、それでも引火の仕方によっては洒落にならない。

あー、こんなことなら早くちゃんと考えておけば良かった。

もっと安全な出し方。
もっと制御の細い使い方。
そういうの、頭では分かってたのに、任務と祓除と介護ヘルパー生活に追われて、後回しにしてたツケが来ている。

その一瞬の思考の隙へ、攻撃が来た。

無堕の動きが変わる。

さっきまでの真正面からの喰らい付きじゃない。影の粒を散らし、触手を死角へ回し、変則的にえぐってくる。こっちの間合い取りを読んだうえで、わざと外した軌道を最後にねじ曲げてきた。

「っ」

かわす。

かわしきれない。

顔を掠めた何かが、ゴーグルを弾き飛ばした。

クソッ!

視界の端で、愛用のゴーグルが血と土の上へ転がっていく。追う余裕なんてない。俺はそのまま身体を捻り、次の触手を避けた。だが片腕を失ってるせいで重心がずれる。身体を支えようとして、右手が地面についた。

ぬるり、とした感触が掌へ広がる。

血だ。

俺の血と。
村人達の血が、混ざっている。

その瞬間、脳裏に何かが映り込んだ。

恐怖に歪んだ男の子の顔。
その子を必死に庇おうとして、でも間に合わなかった母親の顔。

知らない顔だ。

知らないのに、そこへいた気配だけが鮮明に流れ込んでくる。

……ざけんなよ。

底の方で、何かが冷たく煮えた。

怒りだった。

叫ぶような熱じゃない。
もっと静かで、もっと深い、逃がしようのない怒り。

両眼に、三つ巴の写輪眼が顕現する。

世界の輪郭が、少しだけ変わった。

見える。

呪いの流れ。
影の偏り。
再生の歪み。
無堕の輪郭を支えている、中心の“核”みたいなもの。

回復はあとだ。

今、先にやるべきことは一つしかない。

俺は地を蹴った。

再び近接。

自来也が何か叫んだ気がしたが、聞いている余裕はない。いや、聞こえてはいる。けど今は、振り向けない。

無堕が裂けた口を開き、触手を一斉に走らせる。

見える。

速いけど、さっきより見える。

右へ半歩。
低く沈む。
舌槍を掠らせて、その内側へ入る。

「逕庭拳!」

右拳が、無堕の胴へめり込む。

打撃と、遅れて来る衝撃。

輪郭がぶれる。

その瞬間、見えた。

核だ。

中心。
呪いの塊が、最も濃く、最も歪み、すべてを支えている一点。

そこへ届く一手が必要だ。

右手に、呪力の炎が灯る。

竈開。

全部じゃない。
あのまま噴き出す形じゃない。
拳へ纏わせるだけ。
一点へ叩き込む分だけ。

世界が、一瞬だけ静止した。

心臓の音だけが、やけに大きく響く。

――ここだ。

俺は踏み込んだ。

竈開を纏う拳が放つ――黒閃!!

黒い閃光が、炎を抱いて弾けた。

衝撃が夜を裂く。

核へ届いた一撃は、さっきまでとは比べ物にならない手応えを返してきた。硬い。重い。けれど、その中心が確かに潰れる感触がある。炎と黒閃の衝撃が重なり、無堕の輪郭を内側から食い破った。

大きな衝撃に、無堕の体が弾ける。

黒い影が、白い顔が、触手が、全部まとめて霧散した。

夜気へほどける。

血の臭いだけを残して。

完全祓除。

息を吐いた瞬間、全身から一気に力が抜けた。

「はは」

笑いが漏れる。

「ロマン、使えるじゃん」

いや、ほんとに。

ちゃんと考えれば、こういう纏わせ方ならいける。拳限定。黒閃と合わせて一点集中。大規模な火災も起きない。今の身体でも、ぎりぎり通せる。

完了――

「あ、」

くらり、と視界が揺れた。

地面が近い。

そのまま、俺は膝から崩れ落ちるように伏した。

血が足りねー。

気持ち悪い。

さっきまで昂ってたぶん、余計に反動がひどい。左肩の欠損、腹の損傷、それに今の黒閃と竈開の合わせ技。出力そのものは絞っても、身体への負担はごまかせない。

足音が近づく。

自来也だ。

「オビト!」

焦った声だった。

駆け寄ってきて、俺の肩を――いや、残ってる方の肩を掴みかけて止める。そりゃそうだ。見た目が最悪すぎる。片腕は無いし、腹は血まみれだし、地面へ倒れてるし。

「おい、しっかりしろ!」

「あー、大丈夫」

口から出たのは、だいぶ弱い声だった。

でも本心だ。
死ぬほどじゃない。

すると自来也が、珍しく本気で怒鳴った。

「どこがだ!?」

ですよね。

いや、分かる。
見た目は全然大丈夫じゃない。

でも、まだ意識はある。術も使える。なら問題ない。俺は荒い呼吸のまま、残っている右手を腹へ当てた。

反転術式。

そこへ陽の感覚を重ねる。

壊れたものを戻す。
切れたものを繋ぐ。
足りないものを無理やり前借りして、今この場だけ整える。

熱が走る。

腹の傷が、内側から閉じる。
裂けた肉が寄り、血の流れが止まる。
そして、左肩の断面が疼いた。

骨。
筋。
肉。
皮膚。

失った腕が、ずるりと再生していく。

自来也が呆然と息を止めるのが分かった。

そりゃそうだろうな。

俺でも第三者視点で見たらだいぶ引く。

傷は塞がり、左腕はすっかり元通りになった。

まだ血そのものは足りない。気持ち悪さは残る。立ち上がればたぶんふらつく。でも、死にかけの見た目ではなくなった。これでようやく人心地つく。

自来也は、何も言えずに俺を見ていた。

見えない化物。
血が舞う術。
黒い閃光。
失った腕の再生。

理解の範囲をだいぶ超えてるだろうな、と思う。

俺はゆっくり息を吐いてから、言った。

「あのさ」

自来也の視線が、はっと戻る。

「増血丸持ってない?」

沈黙が落ちた。

一拍。
二拍。

それから、自来也が信じられないものを見る顔のまま、額を押さえた。

「……お前なあ」

いや、分かるよ。
分かるけど。
今それが一番欲しいんだよ。


〆栞
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