呪い

自来也が本当に増血丸を持っていた時、俺は一瞬だけ黙った。

いや、偶々……偶々?

そんなことある?

あるんだな、これが。

「ほれ」

差し出された小さな包みを受け取りながら、俺はちょっとだけ遠い目になった。何でこの人、そんな都合よく持ってんだよ。ありがたいけど。めちゃくちゃありがたいけど。

「……助かる」

素直に礼を言って、増血丸を口へ放り込む。

苦い。

でも効く。こういうのは味じゃない。飲み込んだ瞬間、身体の底へじわっと熱が落ちる感じがある。足りないものが、ほんの少しだけ繋がる。気休めではあるが、今の俺には十分すぎる。

それと同時に、両眼の写輪眼を閉じた。

赤が消える。
世界の輪郭が少し遠のく。

すると、向かいの自来也がじっとこちらを見ていた。

さっきまでの焦りとも、戦闘中の緊張とも違う顔だ。困惑と警戒と、好奇心と、あと少しの怒りみたいなものが混ざっている。

そりゃそうだろうな。

見えない化物。
血が舞う妙な術。
黒い閃光。
腕の再生。

説明のしようがないものを一気に見せすぎた。

自来也は拾いかけた息を整えてから、低く聞いた。

「あの化物は、何だったんじゃ」

黒い瞳で見上げると、思わず少しだけ顔が顰んだ。

あー。

見えたのか。

まあ、あそこまで死が近ければ見えることもある。理屈としては分かる。分かるけど、実際にそうなるのを見ると、あんまり気分のいい話ではない。

「今際の際にいたんだな」

俺がそう言うと、自来也の眉が動く。

「何?」

「死ぬ寸前くらいまで追い詰められると、見えることがある」

自来也は黙って聞いていた。

「もし飛び込んでたら死んでた」

あれは本当だ。

さっきの間合いで、自来也が勢いのまま無堕へ突っ込んでいたら、たぶん今ここでこうして話していない。見えない相手に対して不用意に入るのは、それくらい危ない。

「よく踏みとどまったな」

素直にそう言うと、自来也の口元が少しだけ険しくなった。

褒められているのか、腹を立てるべきなのか、判断に困ってる顔だ。

「踏みとどまったというより、身体が止まっただけじゃ」

「それでも同じだよ」

止まるべき時に止まれたなら、それは正解だ。

自来也は小さく息を吐いた。

「で、あれは何なんじゃ」

誤魔化しはもう通らない。

ここまで見られた以上、何も言わない方が不自然だ。もちろん全部は話せない。前世のことも、この世界に無い体系の細かい話も、そのまま口にはできない。

だから、言える範囲で組み立てる。

「呪いだよ」

自来也の目が細くなる。

「呪い……?」

「人の恐れとか、恨みとか、不安とか、そういう淀んだものが積もって、形になることがある」

村の惨状へ、自来也の視線が少しだけ流れた。

説明しなくても、今は実感しやすいだろう。血と死が積み重なった場所で、見えない化物が育つ。それくらいの筋は、この人ならちゃんと掴める。

「さっきのあれは、その呪いが育ったやつ」
「呪霊って呼ぶ」

自来也は、初めて聞く言葉を口の中で転がすみたいに沈黙した。

「……それを、お前はずっと見ておったのか」

「うん」

「この里にもおるのか」

「いる」

短く答えると、自来也の表情がさらに引き締まる。

「ただ、大体は弱い。人に害を成す前に消えるのもいるし、放っとくと育つのもいる」
「今夜のあれは、かなり上の方」

上、と言いかけて、少し言葉を選ぶ。

ここで余計な分類を細かく話しても仕方ない。

「とにかく、普通の人じゃまず対処できない」

自来也は腕を組み、考え込むように顎へ手を当てた。

「普通の人、というと」

「見えない人」

俺は素直に答える。

「見えないし、触れないし、倒す術もない」

その言い方に、自来也がわずかに顔をしかめる。

忍として生きてきた人間にとって、“術がない”と言われるのは引っかかるだろう。だがこれは事実だ。忍術が強いとか弱いとか、そういう話じゃない。見えないものに対する前提が違う。

「それを祓うのが、呪術師」

その言葉を出したあと、自分で少しだけしまったと思う。だが他に一番近い呼び方がない。祓うための技と知識を持った側。それが一番伝わりやすい。

自来也が聞き返す。

「呪術師?」

「見える側で、戦えるやつら」

言い換える。

「見えない忍は、あっちからしたら普通の人と変わらない」
「戦える術がないからな」

自来也の目が鋭くなった。

そこに、少しだけ反発も混じる。

だが、感情で事実は変わらない。見えない以上、対応のしようがないんだ。ここは綺麗に取り繕わず、そのまま言うしかない。

「……自然から発生したものだと思ってくれれば、まあ近い」
「尾獣と少し似てる部分があるかも」

そこまで言った瞬間、自来也の顔が止まった。

あ。

やばい。

尾獣、って言っちゃった。

この歳の俺の口から、そんな単語がするっと出るのはだいぶ不自然だ。里の大人ですら軽々しく触れない話題だし、ましてや七歳の子どもが“知ってる前提”で口にするものじゃない。

自来也がじっとこっちを見る。

「尾獣を知っとる口振りだのう」

うわ、来た。

焦る。

いや、そりゃ引っかかるよな。分かる。分かるけど、そこは流してほしかった。無理か。無理だよな。

俺は一瞬だけ視線を逸らして、それから諦めたように肩を竦める。

「秘密♡」

言ってから、自分でちょっとだけ後悔した。

いや何でそこ可愛くしようとした。

案の定、自来也の顔が盛大に歪んだ。

「カァァ! 可愛くねぇのう!」

「うるせぇ、悪かったな可愛くなくて」

そう返して、思わず少し笑ってしまう。

自分でも変な流れだと思う。血塗れの村で、見えない化物の話をした直後に、このやり取りである。でも、こういうところで少しだけ息を抜かないと、重さに潰されそうだった。

自来也も、文句を言いながら完全には怒っていない。

むしろ、俺が笑ったことに少しだけ安心したみたいな気配すらある。たぶん、この惨状を前にして俺の精神の方を心配していたんだろう。そういう意味では、こうして軽口が返るだけでもまだましだ。

自来也は地面へ落ちていたゴーグルを拾い上げた。

土と血を払う。

無事だったらしい。

良かった。

かなり良かった。

あれ、結構大事なんだよな。前々世の記憶も色々詰まってるし、今世でも普通の子どもっぽさを出すための貴重な装備だ。

「写輪眼」

不意に、自来也がそう言った。

「あ、」

口から漏れる。

しまった。

さっき閉じたとはいえ、戦闘中に見られていたか。

自来也はゴーグルを持ったまま、こっちを見る。

「三つ巴の写輪眼じゃったな」

誤魔化せない。

「今しがたの戦いで開眼したわけではあるまい」

そこまで見てたか。

まあ、自来也だしな。あの状況でも拾うところは拾うか。

「いつからだ」

直球だな。

答えづらい。

答えられないわけじゃないが、答えると別の面倒が増える。七歳にして写輪眼三つ巴、というだけでも十分面倒だ。それをさらに深掘りされると、火影案件どころか一族案件でもある。

俺は数秒黙ってから、ゴーグルを指差した。

「…………幻、ということにしときませんか?」

自来也が無言になる。

「写輪眼だけに」

沈黙。

次の瞬間、自来也の顔が盛大に歪んだ。

うわ、怖っ。

一瞬、宿儺みたいだと思った。

いや、宿儺ほど理不尽な殺気じゃない。ないけど、だいぶ怖い。おっさんの顔でその圧はやめてほしい。ちょっと本気で反省した。

「お前なあ……!」

「いや、場を和ませようと」

「和むか!」

和まないか。

そうだよな。

でも完全に黙るよりはましだと思ったんだよ。たぶん間違ってたけど。

自来也は深々とため息をついてから、ゴーグルを俺へ投げて寄越した。俺はそれを受け取り、軽く土を払ってから額へ戻す。うん、無事で本当に良かった。

少しだけ、落ち着く。

自来也はその様子を見て、また眉を寄せた。

「お前、どこまで隠しとる」

「色々」

「全然答えになっとらん」

「全部答えるのは無理」

それは本音だった。

前々世のことも。
前世のことも。
この力の根っこも。
全部まとめて説明して理解してもらえるような代物じゃない。

自来也はしばらく黙ったあと、ようやく短く言った。

「……まあ、今はよい」

助かった。

そこを無理に掘られると、本気で困る。

でも、今夜だけで完全に見逃されるとも思っていない。見えない化物がいて、俺がそれを見て戦えて、しかも傷を戻した。自来也がそれを見た以上、何も変わらないわけがない。

それでも、今はまだ、この場で全部を決める話じゃない。

村の惨状。
生存者の有無。
木ノ葉への報告。

やるべきことは他にある。

俺は立ち上がろうとして、少しだけふらついた。

自来也が眉を吊り上げる。

「大丈夫か」

「増血丸が効くまで、ちょっと待って」

「だから、どこが大丈夫なんじゃ!」

その怒鳴り方に、ほんの少しだけ気が緩んだ。

やっぱりこの人、情が深いんだよな。

そう思いながら、俺は血の臭いに満ちた夜気をもう一度吸い込んだ。

まだ終わっていない。

呪いを祓っても、残るものは残る。

そのことを、今夜はきっと嫌でも知ることになる。


〆栞
PREV  |  NEXT
BACK