止める時
里の噂は、連日続いていた。
最初は遠巻きのひそひそ話だったものが、日を追うごとに輪郭を持ち、やがて誰に聞かれても構わないみたいな顔で口にされるようになっていく。
任務を捨てた。
仲間を優先した。
木ノ葉の白い牙も堕ちたものだ。
英雄面していたくせに、結局はその程度だった。
そういう言葉が、風に混じって里のあちこちを流れていた。
嫌になるくらい、よく通る声だった。
人は自分の傷には敏いくせに、他人の傷にはやけに鈍い。いや、鈍いというより、見えていて踏みに行くのかもしれない。戦時下で、皆どこかが擦り減っている。余裕がない。失うことにも慣れきれないまま、次の喪失に脅かされ続けている。だからこそ、分かりやすく落ちていく誰かがいると、そこへ群がる。
最低だな、と思う。
だが、最低だと思ったところで噂は止まらない。
止まらないどころか、言葉は感情を呼び、感情は淀みを生み、淀みはちゃんと形になる。
俺はここ数日、任務と何でも屋仕事の合間に、それを何度も祓っていた。
井戸端のそば。
酒の匂いが残る細い路地。
夕方、人の気配が少し薄くなる通りの隅。
はたけ家へ続く道の途中。
低級ばかりだ。
でも、嫌な質だった。
嘲り。
蔑み。
失墜した英雄を面白がる悪意。
父へ向けられる無責任な正しさ。
その流れ弾みたいにカカシへ向かう視線。
そういうものが、ぬめりを持って貼りついていた。
解。
指先をわずかに動かして、見えない斬撃を細く飛ばす。澱んだ塊は裂けて霧みたいにほどける。もう一つ。もう一つ。消す。消しても、また湧く。
元が止まらない限り、追いつかない。
分かっているからこそ、余計に腹が立つ。
カカシの硬化も、目に見えて進んでいた。
元々あいつは、柔らかい子どもではない。口数は少ないし、無駄も嫌う。可愛げなんて言葉からはだいぶ遠い。だが、それでも前はまだ、年齢なりの揺れがあった。リンの前では少しだけ表情が緩み、サクモの話が出ればほんの少し誇らしげな気配が滲んだ。
今は、それが無い。
ない、というより、表へ出さないように固めている。
父へ向かう悪意を見て、何か言えば余計に燃えると分かっているのだろう。だから言わない。黙る。黙って、全部飲み込む。白い牙の息子であることを誇りに思っていたはずの子どもが、その名を守るために感情まで固め始めている。
見ていて息が詰まる。
カカシの硬化は、そのままはたけ家の硬化でもあった。
サクモさんは穏やかなままだ。
それがまた、危うい。
噂に対して怒鳴り返すでもない。
やけを起こすでもない。
ただ静かに受け止めて、普通にしている。
普通にしていられる人ほど、静かに限界まで行く。
それを知っているから、俺はずっと待っていた。
まだ早い。
下手に触るな。
自分の“知っている未来”をなぞって先回りしすぎるな。
そう言い聞かせてきた。
でも、今日だと分かった。
今日、カカシは任務で不在だった。
それを耳にした瞬間、胸の奥で何かが固まった。
今なら、カカシの目の前で全部をこじらせずに済む。
今なら、サクモさんと二人で話せる。
今なら、止める時だ。
最初の改変。
そう呼んでいいのかは分からない。
でも、ここが最初の分岐だということは分かる。サクモさんの死は、カカシの中へ深く刺さる。それだけじゃない。あの人がここで折れることは、里の中の空気をさらに歪ませる。
だから、止める。
それを決めて、俺は何でも屋仕事をいつもより早めに切り上げた。
その途中でも、やっぱりお年寄りには遭遇した。
本当に何なんだろうな、この遭遇率。
荷を落とした婆さん。
段差で止まる爺さん。
道を間違えた老人二人組。
影分身を出したい気持ちはあったが、今日は駄目だ。今日は余計なところで足を止めたくない。だから本体で最短の手助けだけをして、息を整え、また歩く。
「ありがとねえ、オビトちゃん」
「はいはい、気をつけて」
その返しすら少し上の空になる。
頭の中は、もう別のことでいっぱいだった。
本当に、止められるのか。
遅すぎたらどうする。
言葉が届かなかったらどうする。
俺が来たせいで、余計に追い詰める形になったらどうする。
不安はいくらでもある。
でも、行かない選択肢はもう無かった。
はたけ家へ続く道は、いつもより静かに感じた。
静かなくせに、空気は重い。家の前を通る人間が、無意識に足早になっているのが分かる。正面から見たくはないくせに、離れたところでは好き勝手に口にする。そんな卑怯さが、道そのものへ染みついたみたいだった。
俺は途中で、はたけ家の周辺に溜まっていた低級を二つ祓った。
どちらも質が悪い。
父への悪意と、息子への同情じみた見下しが混ざったやつだ。
裂いても裂いてもきりがない。
だから、元を止めるしかない。
そう思いながら、門前に立った。
胸の鼓動がやけに大きい。
七歳の身体は、こういう時、ちゃんと子どもらしく緊張する。魂の中身がどうだろうと関係ない。怖いものは怖いし、止めたいものを前にすると足の裏が少し冷たくなる。
でも、ここで引いたら駄目だ。
今日、この日――はたけ家へ。
俺は深く息を吸って、門へ手をかけた。
その瞬間、家の奥にある気配が、ひどく静かで、ひどく疲れていることが分かった。
間に合え。
胸の内でそう念じながら、俺は一歩、敷地へ踏み込んだ。
最初は遠巻きのひそひそ話だったものが、日を追うごとに輪郭を持ち、やがて誰に聞かれても構わないみたいな顔で口にされるようになっていく。
任務を捨てた。
仲間を優先した。
木ノ葉の白い牙も堕ちたものだ。
英雄面していたくせに、結局はその程度だった。
そういう言葉が、風に混じって里のあちこちを流れていた。
嫌になるくらい、よく通る声だった。
人は自分の傷には敏いくせに、他人の傷にはやけに鈍い。いや、鈍いというより、見えていて踏みに行くのかもしれない。戦時下で、皆どこかが擦り減っている。余裕がない。失うことにも慣れきれないまま、次の喪失に脅かされ続けている。だからこそ、分かりやすく落ちていく誰かがいると、そこへ群がる。
最低だな、と思う。
だが、最低だと思ったところで噂は止まらない。
止まらないどころか、言葉は感情を呼び、感情は淀みを生み、淀みはちゃんと形になる。
俺はここ数日、任務と何でも屋仕事の合間に、それを何度も祓っていた。
井戸端のそば。
酒の匂いが残る細い路地。
夕方、人の気配が少し薄くなる通りの隅。
はたけ家へ続く道の途中。
低級ばかりだ。
でも、嫌な質だった。
嘲り。
蔑み。
失墜した英雄を面白がる悪意。
父へ向けられる無責任な正しさ。
その流れ弾みたいにカカシへ向かう視線。
そういうものが、ぬめりを持って貼りついていた。
解。
指先をわずかに動かして、見えない斬撃を細く飛ばす。澱んだ塊は裂けて霧みたいにほどける。もう一つ。もう一つ。消す。消しても、また湧く。
元が止まらない限り、追いつかない。
分かっているからこそ、余計に腹が立つ。
カカシの硬化も、目に見えて進んでいた。
元々あいつは、柔らかい子どもではない。口数は少ないし、無駄も嫌う。可愛げなんて言葉からはだいぶ遠い。だが、それでも前はまだ、年齢なりの揺れがあった。リンの前では少しだけ表情が緩み、サクモの話が出ればほんの少し誇らしげな気配が滲んだ。
今は、それが無い。
ない、というより、表へ出さないように固めている。
父へ向かう悪意を見て、何か言えば余計に燃えると分かっているのだろう。だから言わない。黙る。黙って、全部飲み込む。白い牙の息子であることを誇りに思っていたはずの子どもが、その名を守るために感情まで固め始めている。
見ていて息が詰まる。
カカシの硬化は、そのままはたけ家の硬化でもあった。
サクモさんは穏やかなままだ。
それがまた、危うい。
噂に対して怒鳴り返すでもない。
やけを起こすでもない。
ただ静かに受け止めて、普通にしている。
普通にしていられる人ほど、静かに限界まで行く。
それを知っているから、俺はずっと待っていた。
まだ早い。
下手に触るな。
自分の“知っている未来”をなぞって先回りしすぎるな。
そう言い聞かせてきた。
でも、今日だと分かった。
今日、カカシは任務で不在だった。
それを耳にした瞬間、胸の奥で何かが固まった。
今なら、カカシの目の前で全部をこじらせずに済む。
今なら、サクモさんと二人で話せる。
今なら、止める時だ。
最初の改変。
そう呼んでいいのかは分からない。
でも、ここが最初の分岐だということは分かる。サクモさんの死は、カカシの中へ深く刺さる。それだけじゃない。あの人がここで折れることは、里の中の空気をさらに歪ませる。
だから、止める。
それを決めて、俺は何でも屋仕事をいつもより早めに切り上げた。
その途中でも、やっぱりお年寄りには遭遇した。
本当に何なんだろうな、この遭遇率。
荷を落とした婆さん。
段差で止まる爺さん。
道を間違えた老人二人組。
影分身を出したい気持ちはあったが、今日は駄目だ。今日は余計なところで足を止めたくない。だから本体で最短の手助けだけをして、息を整え、また歩く。
「ありがとねえ、オビトちゃん」
「はいはい、気をつけて」
その返しすら少し上の空になる。
頭の中は、もう別のことでいっぱいだった。
本当に、止められるのか。
遅すぎたらどうする。
言葉が届かなかったらどうする。
俺が来たせいで、余計に追い詰める形になったらどうする。
不安はいくらでもある。
でも、行かない選択肢はもう無かった。
はたけ家へ続く道は、いつもより静かに感じた。
静かなくせに、空気は重い。家の前を通る人間が、無意識に足早になっているのが分かる。正面から見たくはないくせに、離れたところでは好き勝手に口にする。そんな卑怯さが、道そのものへ染みついたみたいだった。
俺は途中で、はたけ家の周辺に溜まっていた低級を二つ祓った。
どちらも質が悪い。
父への悪意と、息子への同情じみた見下しが混ざったやつだ。
裂いても裂いてもきりがない。
だから、元を止めるしかない。
そう思いながら、門前に立った。
胸の鼓動がやけに大きい。
七歳の身体は、こういう時、ちゃんと子どもらしく緊張する。魂の中身がどうだろうと関係ない。怖いものは怖いし、止めたいものを前にすると足の裏が少し冷たくなる。
でも、ここで引いたら駄目だ。
今日、この日――はたけ家へ。
俺は深く息を吸って、門へ手をかけた。
その瞬間、家の奥にある気配が、ひどく静かで、ひどく疲れていることが分かった。
間に合え。
胸の内でそう念じながら、俺は一歩、敷地へ踏み込んだ。
【〆栞】