申し分ない

波風ミナトは、少し離れた場所から、はたけサクモの姿を見つけて足を止めた。

秋へ傾き始めた光の中で、白い牙の背は以前より少しだけ細く見えた。だが、折れてはいない。隣にはカカシがいる。言葉数は多くない。けれど、同じ家へ帰る父と子の歩幅は、前よりわずかに揃っているように見えた。

その光景に、ミナトはふと、あの日を思い出した。

里に辛辣な言葉が広がっていた日だった。

耳に入れたくなくても入ってくる。悪辣な声は、人の心が弱った場所へ吸い寄せられるように集まる。任務を捨てた。白い牙も終わりだ。そんな言葉が、どこへ行っても風に混じっていた。

何となく、嫌な予感がした。

理由はうまく言葉にならなかった。ただ、あの人は大丈夫だろうかと、胸の奥に引っかかるものがあった。だからミナトは、予定を少しだけ曲げて、はたけ家の方へ足を向けたのだ。

門の前まで来た時、中から声が聞こえた。

弱々しい声。

サクモさんの声だった。

それだけで、背筋に冷たいものが走る。

飛び込むべきか。

ミナトは一瞬でそう判断しかけた。だが、その直前に、もう一つの声が重なった。

少年の声。

聞き覚えがある。

この声は――オビト?

そこで、ミナトの足は止まった。

中の空気が、ただならぬことだけは分かる。だが同時に、扉一枚隔てた先で交わされているものが、軽々しく割り込んではいけない種類の対話であることも感じた。

そして、はっきりと聞こえた。

死ぬつもりだろ。

少年の声が、まっすぐに核心へ届く。

飛び込もうと思った。

本当に、その一瞬までは。

だが、続く言葉がミナトをその場へ縫い止めた。

損失は、取り戻せる。
命は、取り戻せない。

静かなのに、揺るがない声だった。

子どもの声だ。
それなのに、妙に重い。
重いのに、押しつけがましくない。

強いなら――

そこでミナトは、息を詰めた。

少年の言葉が、白い牙を、英雄を、拾い、救い上げていくのが、扉越しにも分かったからだ。

大勢に囲まれて死ね。
一人で死ぬな。

その一言が落ちた瞬間、家の中の空気ごと変わった気がした。

ミナトは静かに目を閉じた。

強い。

そう思った。

実力だとか、能力だとか、そういうことではない。

折れない心がある。

そしてその心は、ただ自分を支えるためだけのものではなく、ちゃんと他人へ伝搬していく。弱っている者へ届き、沈みかけた者を引き戻し、正しい方へ手をかける。

彼の生き様が――正しい方へ、人を動かしていく。

それを、ミナトは扉の外で確かに感じた。

だからこそ、もう介入しなかった。

大丈夫だ、と分かったからだ。

もう、自分が入って支える必要はない。

あの場では、少年の言葉こそが必要だった。

それから少し時が過ぎて、ミナトはあらためて、目の前の父と子を見る。

はたけサクモと、その息子のはたけカカシ。

以前のようにすべてが元通り、というわけではない。傷は残っている。里の空気だってまだ冷たい。けれど、それでも、家は残った。父がいて、息子がいて、二人の間にはまだ繋がるものがある。

それだけで十分な違いだった。

そして、その二人を少し離れた場所から見ている影があった。

うちはオビト。

あの時と同じように、少し距離を置いて立っている。踏み込みすぎず、でも目を逸らさず、確かめるみたいに見ている。助けたものの先まで、きちんと見届けようとする立ち方だった。

ミナトの目が、自然と細くなる。

自来也が言っていた。

面白い子がいる。
放っておけない子だ。
弟子にしたい。

最初は、先生らしい物好きだなと思った。だが今は、その意味が少し分かる気がする。

あの少年は、ただ優秀なだけではない。
強いだけでもない。

前へ出る理由を、自分の中へちゃんと持っている。

俺の弟弟子になるのか。

その可能性を思うと、不思議と納得が先に来た。

申し分ない。

そう思った時には、もう足が動いていた。

はたけ親子の方ではなく、その少し後ろにいるオビトの方へ向かう。近づく気配に、オビトがこちらを振り向いた。ほんの一瞬だけ、警戒と驚きが同時に走る目をする。その変化が妙に年齢らしくて、ミナトは少しだけ笑いそうになる。

「オビトくん」

声をかけると、オビトは軽く目を瞬いたあと、いつもの少し気を抜いたような、それでいて完全には油断していない顔になる。

「……ミナトさん」

敬語とそうでないものの境目みたいな呼び方だった。

そこもまた、彼らしいなとミナトは思う。

「少し、いいかな」

オビトは一瞬だけはたけ親子の方を見て、それから頷いた。

「うん」

その返事を聞きながら、ミナトは確信していた。

この子は、まだこの先、もっと色々なものを変えていく。

力でねじ伏せるのではなく。
生き方で、正しい方へ寄せていく。

それはきっと、派手ではない。
けれど、確かに人を救う強さなのだろう。

ミナトは、少年の隣に立った。


〆栞
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