うちはの族長候補

四歳になった。

だからといって劇的に何かが変わるわけではないが、できることは確実に増えた。祖母の言いつけをある程度理解して動けるし、短い距離なら一人で外を歩いてもそうそう転ばない。言葉もだいぶはっきりしてきた。少なくとも、以前みたいに「伝えたいことは山ほどあるのに発声能力が追いつかない」という地味な地獄はかなり薄れている。

その代わり、今度は“子どもらしさの加減”が難しかった。

達者に喋りすぎれば変だし、妙に空気を読みすぎても変だ。年相応を目指して調整すると、たいていどこかでやり過ぎる。最近の俺は、その失敗を何度か繰り返した結果、「あんまり先回りしすぎない」「でも完全に子ども任せもしない」という、だいぶ綱渡りな塩梅を覚えつつあった。

そんなある日、祖母が言った。

「オビト、お使いに行けるかい」

行ける。

むしろ行きたい。

初のお使いデビューである。

表情には出しすぎないよう気をつけつつ、こくりと頷くと、祖母は少しだけ目を細めた。そうして、小さな袋を俺へ渡す。

「これを持って、煎餅屋まで行っておいで。帰りにうちは煎餅、好きなの買っていいよ」

うちは煎餅。

その単語だけで、ちょっと機嫌が良くなった。

いや、別に四歳児だから喜んでるわけじゃない。……いや、ちょっとは喜んでるな。普通に嬉しい。煎餅はうまい。前々世でも食ってた記憶があるし、こういう小さなご褒美は何歳になっても良いものだ。

祖母は俺の額へ、いつものゴーグルをきちんとつけてくれた。

「寄り道しないこと。人にぶつからないこと。転ばないこと」

「うん」

「知らん大人に呼び止められても、ついていかないこと」

「うん」

そこは大丈夫です、と心の中で返す。知らん大人についていくほど、俺はもう幼くない。見た目は四歳だが中身はだいぶ煮詰まっている。むしろ向こうが困る。

もっとも、それを顔に出さないようにするのが今の課題なので、俺は大人しく子どもらしく返事をした。

外へ出ると、うちは集落の空気が肌へ触れた。

朝の光。整った家々。開きかけた戸。遠くで聞こえる木剣の打ち合う音。漂う朝餉の匂い。人の生活の熱があるのに、どこかぴんと張りつめたものも混ざっている。この空気が、うちはだ。

俺の家は中心部から少し外れている。

だからこそ息がしやすい。だが、今日はそこから少しだけ内へ入る。煎餅屋は中心寄りにあるからだ。

道を歩きながら、俺は自然と周囲を見た。

見すぎないように、でも見落とさないように。

目立たず、普通に。

本当にこれが難しい。

途中、警備部隊の詰所の前を通る。

ああ、と少しだけ足を緩めた。

うちは警務部隊。

一族の目であり、手であり、誇りでもある場所。前々世ではもっとぼんやり見ていたはずのその景色が、今は妙に鮮明に見える。制服の質感、立ち方、周囲への視線の配り方。若い隊員もいれば、年を重ねた者もいる。張りつめているが、無駄に肩肘を張ってはいない。日常の警戒が身体へ染みている感じだ。

その前で、不意に人の流れが切れた。

誰かが来る気配。

視線を上げた先にいたのは、一人の男だった。

若い。

だが、若いだけではない。すぐに分かる。立ち姿に、既に他と違うものがある。余計な動きがなく、無駄な圧もないのに、そこにいるだけで自然と道が開く。

うちはフガクだった。

まだ“族長”ではなくとも、そう呼ばれることになる男の輪郭が、もうそこにある。

よく言えば威厳がある。

悪く言えば不器用。

そんな言葉が頭に浮かんだ。

表情は硬い。愛想がいいとは言い難い。けれど、ただ近寄りがたいだけの男でもない。目が死んでいない。周囲を見て、測り、必要なものだけを拾っている。話しかけづらさはあっても、狭量さは薄い。そういう感じだ。

で、ばったり目が合った。

あ、これ面倒なやつかな。

いや別に悪い意味ではなく。単に、うちはの中でも目を引く男と、外れの家の四歳児がお使い途中に真正面から鉢合わせる状況が、だいぶ“イベント発生”感あるだけで。

俺が一瞬だけ立ち止まると、フガクも足を止めた。

その視線は鋭いが、威圧のためではなく確認のためのものに近かった。俺の顔、ゴーグル、手に持った袋、足元、そのあたりを短く見て、最後にまた顔へ戻る。

「……マヒトの子か」

低い声だった。

問いというより確認。

そこで俺は、ほんの少しだけ目を瞬いた。

“外れの家の子”ではなく。

まず、“マヒトの子”。

それだけで、胸のどこかがかすかに動いた。

表には出さない。出さないが、ちゃんと分かった。この人は、父を知っている。名前だけではない、もう少し生身に近いところで知っている声だ。

「うん」

四歳らしい短い返事をすると、フガクはわずかに目を細めた。

それだけだった。

情を見せるでもない。かといって切り捨てるような冷たさもない。ただ、確かに認識した顔だった。

「どこへ行く」

「おつかい」

「一人でか」

「ばあちゃんに、たのまれた」

袋を少し持ち上げて見せると、フガクの視線がそこへ落ちる。中身は空だ。これから煎餅を買うのだから当然である。

数拍、沈黙。

うわ、こういう人と子どもの会話って間が難しいな、と思ったところで。

す、と。

フガクの横に並ぶ気配があった。

嫌な予感しかしない。

見なくても分かる。

六道仙人である。

おいやめろ。

何でその立ち位置なんだ。

族長候補の横に並ぶな。

反則だろ。

俺は死ぬほど平静を装ったまま、視線だけで前方を維持した。今ここでそちらを見たら終わる。四歳児が、うちはフガクと対面してる最中に、その隣に立った六道仙人へ反応したら完全に終わる。

だが向こうはそんなこちらの苦労など知ったことではないらしい。

堂々と立っている。

しかも、よりによって、微妙にフガクと同じ向きで。

何なんだこの絵面。

これは試されているのか。

それとも笑いを取りに来ているのか。

やめて。

ちょ、やめてくれ。

シュール過ぎんだよ!

心の中だけで全力の悲鳴を上げる。

片や、若きうちはフガク。将来、一族を背負う男。
片や、六道仙人。神話側の存在。
その二人が、なぜか四歳の俺を挟むみたいな位置関係になりかけている。

地獄か。

しかも六道仙人は、無駄に真顔だった。

そこで真面目な顔されると余計に面白いんだよ。やめろ。笑うわけにはいかない場面で笑いそうになるのが一番危険なんだ。

俺の口元が少しひきつったのだろう。フガクがわずかに眉を寄せた。

「……どうした」

危ない。

危ない危ない。

ここで「いや、あなたの横に六道仙人が立ってて」とは当然言えない。

俺は一瞬で表情を整え、袋を持ち直した。

「なんでも、ない」

少しだけ舌足らずに、四歳らしく。

するとフガクは、それ以上追及しなかった。観察はするが、無理に言葉を引き出そうとはしない。その距離の取り方は、父を知っている者らしい静けさがあった。

代わりに、彼は道の先を顎で示した。

「煎餅屋なら、今日は表が混む。裏手から回れ」

おっと。

有用情報だ。

「……うん」

「走るなよ」

「うん」

「転ぶな」

「うん」

それ、祖母にも言われたな、と思いつつ頷く。

フガクはそのまま一歩退いた。通れ、ということだろう。俺がぺこりと軽く頭を下げて横を抜けると、すれ違いざまに、ごく短く落ちた声があった。

「マヒトは、堅実な男だった」

足が止まりかけた。

止めない。

止めたら不自然だ。

でも、ちゃんと聞こえた。

振り返る代わりに、少しだけ首を傾けるようにして気配だけを返すと、フガクはもうこちらを見ていなかった。警務部隊の方へ視線を戻している。だが、言葉だけは確かに置いていった。

堅実な男。

それが、フガクの父への評価なのだろう。

飾らず、過剰でもなく、けれど軽くもない。

その一言だけで、二人の関係が何となく見える気がした。べったり親しいわけではない。だが、任務や一族内のやり取りを通して、静かに認めていたのだろう。そういう響きだった。

俺は小さく息を飲んでから、また歩き出した。

六道仙人はしれっとついてきた。

いや何でだよ。

心の中でそう突っ込みながらも、今度はもう見ない。見たら負けな気がした。あの老人は、こういう時だけ妙に楽しそうな空気を出す。観測者だか困惑者だか知らないが、たまに悪ふざけの才能があるのではないかと思う。

煎餅屋へ着くと、確かに表は少し混んでいた。フガクの言う通り、裏手へ回った方が早い。俺は小さな身体で人の流れを避けつつ裏手へ回り、無事にうちは煎餅を買えた。

ついでに、自分の分も一枚。

祖母がいいって言ったし。

買った煎餅を袋へ入れてもらい、帰り道を歩きながら、俺は考えていた。

“普通の子ども”として生きたい。

それは本心だ。

だが、普通であろうとすればするほど、たぶんどこかでこうして引っかかる。父を知る者に見つかる。静かに測られる。何でもない顔で、しかしちゃんと記憶される。

それでも、悪いことばかりじゃない。

今日のフガクの目には、露骨な警戒も、値踏みだけの冷たさもなかった。

一族の長になる男としての距離感はある。だがその奥に、父を知る者の認識が確かにあった。

それは少しだけ、救いだった。

家へ戻ると、祖母は俺の持ち帰った煎餅の袋を見て、ほっとしたように息をついた。

「ちゃんと行って来られたね」

「うん。かった」

「偉い偉い」

頭を撫でられる。

その手のぬくもりに、ふっと肩の力が抜けた。

今日は初のお使いで、煎餅を買って、若いフガクに会って、ついでに六道仙人が横へ並んで地獄みたいな絵面になった。

情報量が多い。

多いが、ちゃんと前へ進んだ日でもあった。

父の名が、まだ一族の中で生きている。

その事実を、俺は初めて外で知ったのだ。

ゴーグルの縁へ触れながら、俺は小さく息を吐いた。

普通の子どもになるのは、やっぱり難しい。

でも、まあ。

今日くらいは、お使い成功ってことで良いだろう。


〆栞
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