家族会議
加茂家が動いた、という報せは、禪院家にも早かった。
どこから漏れたのか、誰が見ていたのか、裏葉オビト本人には知る由もない。だが、古い家の中では、情報は水よりも速く、風よりも厄介に流れる。表に出ない声、書面に残らない確認、誰がどこへ使いを出したかという小さな事実だけで、家同士の空気は変わる。
禪院直毘人は、酒器を手に報告を聞いていた。
仙台で、加茂家の使いが裏葉オビトに接触した。本人は車へ乗ることを拒み、家族と高専へ連絡した。高専側も動く気配がある。
「ほう」
直毘人は短く声を漏らした。怒りではない。焦りでもない。むしろ、面白いものを見つけた時のような響きだった。
「加茂が先に手を出しよったか」
その声に、側に控えていた者がわずかに頭を下げる。直毘人は盃を傾け、目だけで報告書の文字を追った。禪院の血を引く男児。母方に加茂。血を扱う可能性。高専が接触済み。本人は家の名に反応し、母親を現在の姓で呼ぶよう訂正したという。
「宗一郎の育て方か、それとも本人の性分か」
愉快そうな低い声だった。
力ずくで引けば反発する。放っておけば高専が囲う。加茂に持っていかれるのは面白くない。けれど、無理に急げばかえって手元から遠ざかる。そういう面倒な札ほど、どう切るかで場が変わる。
直毘人は盃を置いた。
「正式に話を通せ。まずは裏葉家へな」
命じる声は、軽いようでいて逆らえない重さを持っていた。
一方で、禪院扇の反応はもっと分かりやすかった。
「加茂に先を越された?」
報告を受けた瞬間、扇の顔に苛立ちが走った。
「外で育った子に、どれほどの価値があるかも分からんものを、加茂が焦って拾いに行くとはな」
吐き捨てるような言葉だったが、そこには明らかな不快感が混じっていた。価値がないと言いながら、その存在を無視できない。禪院の血を持つ男児が外で育ち、しかも禪院ではなく高専や加茂に目をつけられている。その事実が、扇には許しがたいものとして映っていた。
「禪院の血を引くなら、禪院の筋を通すべきだろう」
その言葉には、裏葉家の意思も、オビト本人の気持ちも含まれていない。
ただ、家という枠だけがあった。
同じ頃、加茂家の中でも声は割れていた。
先に接触した者の報告は、芳しくなかった。裏葉オビトは車へ乗らず、家族と高専へ連絡した。母を加茂の名で呼ぶことを嫌がり、現在の姓を強く意識している。高専の夜蛾正道との連絡手段も持っているらしい。
「軽率だったのではないか」
そう言う者がいた。
「だが、禪院に奪われるよりはいい」
別の者が返す。
「赤血の可能性がある以上、放置はできん」
「可能性、では済まないだろう。実際に血を用いた痕跡がある」
「だからこそ慎重に扱うべきだ。下手に騒げば余計な名まで掘り返される」
机を囲む声は、互いに噛み合っているようで噛み合っていなかった。欲しい。だが、表に出したくない。禪院に取られたくない。だが、関われば厄介になる。裏葉綾乃の名に沈黙する者もいたが、その沈黙は会議の流れを止めるほど強くはなかった。
裏葉家の外で、三つの方向から圧がかかり始めていた。
高専。
加茂家。
禪院家。
その中心にいる少年は、まだコンビニの雑誌棚の前で、両親を待っていた。
オビトは、店内の時計をちらりと見た。
宗一郎と綾乃に言われた通り、人通りのある道を通って、近くのコンビニに入った。買うつもりはなかったが、何も持たずに立っているのも落ち着かず、適当に飲み物を一本買った。レジの店員はいつも通りで、外の世界が急に面倒になっていることなど当然知らない。
雑誌棚には進学情報誌や漫画雑誌が並んでいる。窓の外には車が通り、夕方の光がアスファルトに伸びていた。
さっきの男の声が、まだ耳に残っている。
裏葉オビト様。
加茂家より参りました。
車内でお話を。
丁寧だった。乱暴ではない。だが、だからこそ気持ちが悪かった。人を一人の中学生として見ているというより、何かの確認対象として扱っているような距離感があった。母の名を、今の姓ではなく過去の家のものとして呼んだことも、引っかかっている。
父と母を通さず、自分へ先に話しかける。
それだけで、信用する理由はなかった。
自動ドアが開く音がして、オビトは顔を上げた。
宗一郎が入ってきた。
普段なら、店内でも「オビト!」と呼びかねない父親が、今日は声を抑えてまっすぐ近づいてくる。スーツの上着が少し乱れていて、かなり急いで来たのが分かった。後ろから綾乃も入ってくる。柔らかな顔をしているが、目がまったく笑っていない。
オビトは飲み物を持ったまま、少しだけ肩の力を抜いた。
「父さん、母さん」
宗一郎は近づくなり、オビトの肩に手を置いた。
「怪我は」
「ない」
「どこも?」
「ないって」
「本当に?」
「本当」
「よし」
宗一郎は大きく息を吐いた。次の瞬間、その手に力がこもる。抱きしめられるかと思ったが、場所がコンビニだと思い出したらしく、宗一郎はかろうじて踏みとどまった。
綾乃は、オビトの顔を見て、袖口を見て、鞄を見て、それから静かに頷いた。
「車は?」
「もういない。たぶん、俺が連絡したの見て引いたんだと思う」
「ナンバーは覚えてる?」
「一応」
「偉いわ」
綾乃の褒め方は穏やかだったが、その奥にある怒りが怖かった。
オビトは、背筋を少し伸ばした。
宗一郎の怒りは分かりやすい。声の低さ、目の鋭さ、握った拳。だが綾乃の怒りは、静かすぎて逆に読みづらい。笑顔の形を保っているのに、周囲の温度だけがすっと下がるような感じがする。
これは怒らせちゃいけないやつだ。
そう思ったが、怒らせたのは自分ではないはずだった。
「帰ろう。話は家で」
宗一郎が言った。
帰り道、三人は人通りの多い道を選んだ。宗一郎が道路側を歩き、綾乃がオビトの少し後ろにつく。まるで護衛のような位置だった。オビトはその配置に気づき、少し複雑な気持ちになる。
守られている。
自分は前世の記憶を持っている。戦い方も、危険の読み方も、相手の誘導の仕方も知っている。それでも、今の自分は両親にとって十五歳の息子で、迎えに来るべき子どもなのだ。
そのことが、少しむず痒く、同時に温かかった。
家へ着くと、綾乃は玄関の鍵を閉め、チェーンまでかけた。宗一郎はすぐに窓の施錠を確認する。普段ならやりすぎだと笑うところだが、今日は誰も笑わなかった。
居間に入ると、テーブルの上には夜蛾から渡された書類と、進路希望調査票が置かれたままだった。昨日から、家の空気は変わっている。けれど、ここが裏葉家であることは変わらない。
宗一郎はネクタイを緩めることも忘れ、座らずに立ったまま言った。
「家族会議だ」
「……だよな」
オビトも鞄を下ろし、椅子に座る。綾乃は茶を淹れる前に、まず携帯を手に取って夜蛾へ連絡を入れた。オビトがすでに伝えた内容を、保護者として改めて共有するためだった。
その声は丁寧だった。
ただ、怖かった。
「ええ。加茂家を名乗る方が、息子へ直接声をかけました。車内で話を、と。こちらへ事前の連絡はありません。……はい。今後、同様の接触があれば、こちらからもすぐにご連絡します」
静かに淡々と話しているのに、電話の向こうの夜蛾へ圧が届いているのではないかと思うほどだった。
宗一郎はその間、ずっと黙っていた。
電話が終わると、綾乃はようやく湯を沸かし始めた。宗一郎はテーブルの前に座り、両手を組む。
「触らぬ神に祟りなし、とは言うけども」
オビトは父の顔を見た。
「触ってこられたら、話は別だ」
低い声だった。
本気で怒っている宗一郎を、オビトは初めて見た気がした。
これまでにも宗一郎が怒ったことはある。オビトが小学生の頃、危ない場所へ入り込んだ時。怪我を隠していた時。夜遅くまで帰らなかった時。だが、それらは心配が前に出た怒りだった。大きな声を出しても、最後には抱きしめられ、涙目で説教されるようなものだった。
今の宗一郎は違う。
声を荒げていない。拳も振り上げていない。ただ静かに、深く、確実に怒っている。
「俺たちは家を出た。縁を切ったとは言えない。向こうがそう簡単に切らせてくれる家じゃないからな。でも、少なくとも俺たちは、裏葉家として生きることを選んだ。オビトを、禪院や加茂の子として育てたことは一度もない」
「うん」
「それを、親を通さず、本人へ直接声をかける? 車へ乗せようとする?」
宗一郎の手が、テーブルの上で強く握られた。
「ふざけるな」
その一言が、低く落ちた。
オビトは何も言えなかった。
怒られているのは自分ではない。分かっている。けれど、父がここまで強く怒っているのを見て、胸の奥が震えた。守られることに慣れていないわけではない。今世では、ずっと守られてきた。だが、父が自分のために本気で怒る姿は、想像していた以上に重かった。
綾乃が茶を置いた。
湯呑みがテーブルに触れる音は柔らかい。だが、母の声はさらに静かだった。
「加茂家も、禪院家も、こちらの家族の形を軽く見ているのね」
オビトは背筋を伸ばした。
綾乃は笑っていない。怒りを露わにすることもない。ただ、静かに目を伏せ、茶の湯気を見ている。その横顔は穏やかなのに、部屋の空気が重くなる。
「私がどこの出で、あなたがどこの出で、オビトが何を持っているか。あちらにとっては大事なのでしょう。でも、順番が違うわ」
「母さん」
「この子は、私たちの子です」
綾乃は顔を上げた。
「家の都合で呼びつけていい子ではありません」
声は柔らかい。けれど、ただただ怖かった。
宗一郎の怒りが火なら、綾乃の怒りは静かな水だった。表面は揺れないのに、底が見えない。触れれば冷たく、深く、逃げ場がない。
オビトは、内心で思った。
母さん、怒らせたら一番まずいな。
そんなことを考えてしまい、すぐに場違いだと反省した。
「オビト」
宗一郎が呼ぶ。
「お前が悪いわけじゃない。相手の車に乗らなかった。すぐ連絡した。よくやった」
「……うん」
「ただ、これからはもっと増えるかもしれない。加茂が動いたなら、禪院も動く」
「禪院も?」
「おそらくな」
宗一郎は苦い顔をした。
「父さんのいた家だ。向こうから見れば、お前は禪院の血を引く男の子で、しかも加茂の力らしきものを持っている。高専が先に接触したことも気に入らないだろう」
「めちゃくちゃ面倒だな」
「めちゃくちゃ面倒だ」
宗一郎は即答した。
「だから、俺たちだけで何とかしようとするのは危ない」
その言葉を口にするのが、悔しそうだった。
綾乃も、静かに頷く。
「夜蛾さんの提案を、真剣に考える必要があるわ」
「高専か」
オビトは、テーブルに置かれた書類を見る。
昨日までは、進路の候補だった。今日になって、それは保護の意味を持ち始めている。ただ力を学ぶ場所ではなく、御三家の接触を抑え、家族を守るための盾としての場所。
だが、行くとなれば東京だ。
中学三年の春。まだ卒業までは時間がある。友人もいる。担任もいる。後輩にもクッキーの礼を言ったばかりだ。普通の通学路も、コンビニも、家の夕飯も、明日の授業もある。
いきなり全部を手放すのは、嫌だった。
「俺、まだ学校行きたい」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
宗一郎と綾乃がこちらを見る。
オビトは視線を落としたまま続けた。
「いや、高専の話を聞かないって意味じゃない。力のことは知りたいし、御三家が家に来るなら対策もいる。分かってる。でも、今の学校も、途中で急に消えるみたいなのは……嫌だ」
普通の中学生活。
前世では当たり前ではなかったもの。今世で十五年かけて手に入れた日常。進路に悩む教室。鈍感だと呆れる友人。顔を赤くする同級生。手作りのクッキーをくれる後輩。担任の、どこで普通を活かすかという言葉。
それらを軽く置いていけるほど、オビトは今世を軽く見ていなかった。
綾乃の表情が少し和らいだ。
「そうね」
「母さん?」
「卒業までは、今の生活を守りたいわね」
宗一郎も深く息を吐いた。
「ああ。父さんも同じだ。いきなり東京に連れて行かれるなんて、そんなものは許さない」
「でも、御三家が」
「だから、条件を出す」
宗一郎は書類を引き寄せた。
「高専に協力してもらう。ただし、こちらの条件を飲ませる。裏葉家としてな」
裏葉家として。
その言葉が、この家の中心に据えられる。
夜蛾が再び裏葉家を訪ねたのは、その日の夜だった。
前よりも早い再訪だった。今回は事前に連絡があり、宗一郎と綾乃が了承してからの来訪である。玄関で迎えた宗一郎は、前回よりさらに硬い顔をしていた。夜蛾もそれを当然として受け止めた。
居間に通されると、夜蛾はまず頭を下げた。
「直接接触を許した形になり、申し訳ありません」
「夜蛾さんがやったわけではないでしょう」
綾乃は静かに言った。
「ですが、高専側が接触したことで、向こうが焦った可能性はあります」
「否定はしません」
夜蛾は椅子に座る前に、三人を見た。
「だからこそ、話を前倒しします」
宗一郎が目を細めた。
「高専へ連れて行く、と?」
「すぐに東京へ連れて行く案も考えました。だが、本人の生活を断ち切ることになる。ご家族の意向にも反するでしょう」
夜蛾はオビトを見る。
「君自身も、中学卒業までは今の生活を続けたいはずだ」
「……はい」
「なら、卒業までは仙台で生活を続ける。その間、高専側が御三家からの接触を抑える。必要ならこちらが介入する。卒業後、東京高専へ進む方向で調整する。それが現実的だと考えています」
オビトは少し息を止めた。
すぐ東京へ行けと言われると思っていた。だが、夜蛾の提案は違った。中学卒業までは仙台で生活を続ける。その代わり、高専が支援し、御三家の圧を抑える。
普通の生活を守るための保護。
それは、今のオビトにとって最も現実的な線に思えた。
宗一郎はまだ警戒を解いていない。
「具体的には?」
「まず、御三家側から裏葉家や本人へ直接接触があった場合、高専へ即時連絡してください。こちらから抗議と確認を入れます。必要に応じて、東京高専関係者として同席する形も取る」
「学校への影響は」
「極力出さない。本人の中学生活を守るのが前提です。担任や学校側へ必要な説明をする場合も、内容は絞ります」
綾乃が問う。
「御三家へ情報を流すことは?」
「こちらから不用意に流すことはありません。特に、彼の赤い眼については秘匿扱いにする」
夜蛾の視線が一瞬だけオビトへ向く。
宗一郎の表情が険しくなった。
「不用意に、では困ります。流さないでください」
「分かっています」
「分かっている、ではなく、条件です」
宗一郎ははっきり言った。
「卒業までは今の生活を守ること。本人の意思を無視しないこと。御三家へ情報を流さないこと。家族への接触を高専側が抑えること」
綾乃が続ける。
「そして、何かを決める時は、必ず本人と私たちへ説明してください。保護の名目で、別の家へ渡すようなことは絶対にしない」
夜蛾は黙って二人を見ていた。
オビトも、両親を見ていた。
宗一郎は本気だった。綾乃も本気だった。夜蛾を敵と見なしているわけではない。だが、だからといって任せきりにはしない。裏葉家として、条件を出している。
夜蛾はゆっくりと頷いた。
「受け入れます」
短い言葉だった。
宗一郎はすぐには頷かない。
「書面にしてください」
「用意します」
「あと、御三家から何か届いたら、全部確認してもらいます」
「構いません」
「オビトを一人で呼び出すような真似をしたら」
「高専側として抗議します」
「弱い」
宗一郎の声が低くなった。
「守ります、まで言ってください」
夜蛾は少し目を瞬かせた。
オビトは、思わず父を見た。宗一郎は真剣だった。冗談ではない。親として、ここだけは引けないという顔をしている。
夜蛾は、姿勢を正した。
「裏葉オビト本人と、ご家族の意思を守るために、高専側は可能な限り動きます」
「可能な限り」
「約束できる範囲を超えた言葉は言えません。ですが、御三家へ引き渡すために彼を預かるつもりはない」
その正直さに、宗一郎はようやく少しだけ息を吐いた。
「……分かりました」
綾乃も頷く。
「では、その条件で検討します」
夜蛾はオビトへ向き直った。
「裏葉。君自身はどうだ」
問われて、オビトはテーブルの上の進路希望調査票を見た。
第一希望欄には、まだ薄い鉛筆の文字がある。東京。その先に続く道は、普通の高校生活とは違う。危険もある。面倒な家も関わる。学ばなければならないことも、隠さなければならないことも増えるだろう。
それでも、知らないままでは守れない。
今の学校も、家族も、通学路も、あの澄んだ風も。
守りたいと思うなら、力の名前と使い方を知らなければならない。
「卒業までは、今の学校に通いたいです」
オビトは言った。
「友達もいるし、担任にもちゃんと話したい。急にいなくなるのは嫌だ。でも、卒業後に高専へ行くことは、ちゃんと考えます。たぶん、その方向になると思う」
宗一郎と綾乃が黙って聞いている。
「ただ、俺を禪院とか加茂とかに渡すためなら行かない。父さんと母さんを巻き込むなら、俺も黙ってない」
夜蛾の目が、少しだけ鋭くなった。
「それでいい」
意外な返答だった。
夜蛾は続ける。
「守るものがあるなら、なおさら学べ。知らない力は、守る相手を傷つけることもある」
オビトは静かに頷いた。
その言葉は、胸に重く落ちた。
知らない力は、守る相手を傷つけることもある。
前世のことを言われたわけではない。夜蛾は何も知らない。それでも、オビトには深く刺さった。力の使い方を間違えた記憶は、奥にある。沈み続けるつもりはない。だが、忘れたわけでもない。
だから今世では、ちゃんと知る。
ちゃんと選ぶ。
「分かりました」
オビトは進路希望調査票を手元へ引き寄せた。
鉛筆で薄く書かれた東京の文字の横に、まだ正式名称を書くには早い。書類も手続きも、夜蛾との条件も、学校への説明も残っている。だが、方向は決まった。
卒業までは仙台で暮らす。
卒業後、東京高専へ進む。
裏葉家として、そう決める。
宗一郎が深く息を吐いた。綾乃はそっとオビトの肩に手を置く。夜蛾は書類を整え、今後の連絡手順を確認し始めた。
外では、夜の風が庭の木を揺らしている。
その風は、今はまだ静かだった。
だが、家の外側では、すでに古い家々の思惑が動き出している。禪院家の使いが正式な書状を携え、加茂家が次の接触の形を探り、高専がその間へ割って入る準備を進める。
裏葉家の居間に灯る明かりは、いつものように温かい。
けれど、その温かさを守るために、オビトはもう、知らないふりだけではいられなかった。
どこから漏れたのか、誰が見ていたのか、裏葉オビト本人には知る由もない。だが、古い家の中では、情報は水よりも速く、風よりも厄介に流れる。表に出ない声、書面に残らない確認、誰がどこへ使いを出したかという小さな事実だけで、家同士の空気は変わる。
禪院直毘人は、酒器を手に報告を聞いていた。
仙台で、加茂家の使いが裏葉オビトに接触した。本人は車へ乗ることを拒み、家族と高専へ連絡した。高専側も動く気配がある。
「ほう」
直毘人は短く声を漏らした。怒りではない。焦りでもない。むしろ、面白いものを見つけた時のような響きだった。
「加茂が先に手を出しよったか」
その声に、側に控えていた者がわずかに頭を下げる。直毘人は盃を傾け、目だけで報告書の文字を追った。禪院の血を引く男児。母方に加茂。血を扱う可能性。高専が接触済み。本人は家の名に反応し、母親を現在の姓で呼ぶよう訂正したという。
「宗一郎の育て方か、それとも本人の性分か」
愉快そうな低い声だった。
力ずくで引けば反発する。放っておけば高専が囲う。加茂に持っていかれるのは面白くない。けれど、無理に急げばかえって手元から遠ざかる。そういう面倒な札ほど、どう切るかで場が変わる。
直毘人は盃を置いた。
「正式に話を通せ。まずは裏葉家へな」
命じる声は、軽いようでいて逆らえない重さを持っていた。
一方で、禪院扇の反応はもっと分かりやすかった。
「加茂に先を越された?」
報告を受けた瞬間、扇の顔に苛立ちが走った。
「外で育った子に、どれほどの価値があるかも分からんものを、加茂が焦って拾いに行くとはな」
吐き捨てるような言葉だったが、そこには明らかな不快感が混じっていた。価値がないと言いながら、その存在を無視できない。禪院の血を持つ男児が外で育ち、しかも禪院ではなく高専や加茂に目をつけられている。その事実が、扇には許しがたいものとして映っていた。
「禪院の血を引くなら、禪院の筋を通すべきだろう」
その言葉には、裏葉家の意思も、オビト本人の気持ちも含まれていない。
ただ、家という枠だけがあった。
同じ頃、加茂家の中でも声は割れていた。
先に接触した者の報告は、芳しくなかった。裏葉オビトは車へ乗らず、家族と高専へ連絡した。母を加茂の名で呼ぶことを嫌がり、現在の姓を強く意識している。高専の夜蛾正道との連絡手段も持っているらしい。
「軽率だったのではないか」
そう言う者がいた。
「だが、禪院に奪われるよりはいい」
別の者が返す。
「赤血の可能性がある以上、放置はできん」
「可能性、では済まないだろう。実際に血を用いた痕跡がある」
「だからこそ慎重に扱うべきだ。下手に騒げば余計な名まで掘り返される」
机を囲む声は、互いに噛み合っているようで噛み合っていなかった。欲しい。だが、表に出したくない。禪院に取られたくない。だが、関われば厄介になる。裏葉綾乃の名に沈黙する者もいたが、その沈黙は会議の流れを止めるほど強くはなかった。
裏葉家の外で、三つの方向から圧がかかり始めていた。
高専。
加茂家。
禪院家。
その中心にいる少年は、まだコンビニの雑誌棚の前で、両親を待っていた。
オビトは、店内の時計をちらりと見た。
宗一郎と綾乃に言われた通り、人通りのある道を通って、近くのコンビニに入った。買うつもりはなかったが、何も持たずに立っているのも落ち着かず、適当に飲み物を一本買った。レジの店員はいつも通りで、外の世界が急に面倒になっていることなど当然知らない。
雑誌棚には進学情報誌や漫画雑誌が並んでいる。窓の外には車が通り、夕方の光がアスファルトに伸びていた。
さっきの男の声が、まだ耳に残っている。
裏葉オビト様。
加茂家より参りました。
車内でお話を。
丁寧だった。乱暴ではない。だが、だからこそ気持ちが悪かった。人を一人の中学生として見ているというより、何かの確認対象として扱っているような距離感があった。母の名を、今の姓ではなく過去の家のものとして呼んだことも、引っかかっている。
父と母を通さず、自分へ先に話しかける。
それだけで、信用する理由はなかった。
自動ドアが開く音がして、オビトは顔を上げた。
宗一郎が入ってきた。
普段なら、店内でも「オビト!」と呼びかねない父親が、今日は声を抑えてまっすぐ近づいてくる。スーツの上着が少し乱れていて、かなり急いで来たのが分かった。後ろから綾乃も入ってくる。柔らかな顔をしているが、目がまったく笑っていない。
オビトは飲み物を持ったまま、少しだけ肩の力を抜いた。
「父さん、母さん」
宗一郎は近づくなり、オビトの肩に手を置いた。
「怪我は」
「ない」
「どこも?」
「ないって」
「本当に?」
「本当」
「よし」
宗一郎は大きく息を吐いた。次の瞬間、その手に力がこもる。抱きしめられるかと思ったが、場所がコンビニだと思い出したらしく、宗一郎はかろうじて踏みとどまった。
綾乃は、オビトの顔を見て、袖口を見て、鞄を見て、それから静かに頷いた。
「車は?」
「もういない。たぶん、俺が連絡したの見て引いたんだと思う」
「ナンバーは覚えてる?」
「一応」
「偉いわ」
綾乃の褒め方は穏やかだったが、その奥にある怒りが怖かった。
オビトは、背筋を少し伸ばした。
宗一郎の怒りは分かりやすい。声の低さ、目の鋭さ、握った拳。だが綾乃の怒りは、静かすぎて逆に読みづらい。笑顔の形を保っているのに、周囲の温度だけがすっと下がるような感じがする。
これは怒らせちゃいけないやつだ。
そう思ったが、怒らせたのは自分ではないはずだった。
「帰ろう。話は家で」
宗一郎が言った。
帰り道、三人は人通りの多い道を選んだ。宗一郎が道路側を歩き、綾乃がオビトの少し後ろにつく。まるで護衛のような位置だった。オビトはその配置に気づき、少し複雑な気持ちになる。
守られている。
自分は前世の記憶を持っている。戦い方も、危険の読み方も、相手の誘導の仕方も知っている。それでも、今の自分は両親にとって十五歳の息子で、迎えに来るべき子どもなのだ。
そのことが、少しむず痒く、同時に温かかった。
家へ着くと、綾乃は玄関の鍵を閉め、チェーンまでかけた。宗一郎はすぐに窓の施錠を確認する。普段ならやりすぎだと笑うところだが、今日は誰も笑わなかった。
居間に入ると、テーブルの上には夜蛾から渡された書類と、進路希望調査票が置かれたままだった。昨日から、家の空気は変わっている。けれど、ここが裏葉家であることは変わらない。
宗一郎はネクタイを緩めることも忘れ、座らずに立ったまま言った。
「家族会議だ」
「……だよな」
オビトも鞄を下ろし、椅子に座る。綾乃は茶を淹れる前に、まず携帯を手に取って夜蛾へ連絡を入れた。オビトがすでに伝えた内容を、保護者として改めて共有するためだった。
その声は丁寧だった。
ただ、怖かった。
「ええ。加茂家を名乗る方が、息子へ直接声をかけました。車内で話を、と。こちらへ事前の連絡はありません。……はい。今後、同様の接触があれば、こちらからもすぐにご連絡します」
静かに淡々と話しているのに、電話の向こうの夜蛾へ圧が届いているのではないかと思うほどだった。
宗一郎はその間、ずっと黙っていた。
電話が終わると、綾乃はようやく湯を沸かし始めた。宗一郎はテーブルの前に座り、両手を組む。
「触らぬ神に祟りなし、とは言うけども」
オビトは父の顔を見た。
「触ってこられたら、話は別だ」
低い声だった。
本気で怒っている宗一郎を、オビトは初めて見た気がした。
これまでにも宗一郎が怒ったことはある。オビトが小学生の頃、危ない場所へ入り込んだ時。怪我を隠していた時。夜遅くまで帰らなかった時。だが、それらは心配が前に出た怒りだった。大きな声を出しても、最後には抱きしめられ、涙目で説教されるようなものだった。
今の宗一郎は違う。
声を荒げていない。拳も振り上げていない。ただ静かに、深く、確実に怒っている。
「俺たちは家を出た。縁を切ったとは言えない。向こうがそう簡単に切らせてくれる家じゃないからな。でも、少なくとも俺たちは、裏葉家として生きることを選んだ。オビトを、禪院や加茂の子として育てたことは一度もない」
「うん」
「それを、親を通さず、本人へ直接声をかける? 車へ乗せようとする?」
宗一郎の手が、テーブルの上で強く握られた。
「ふざけるな」
その一言が、低く落ちた。
オビトは何も言えなかった。
怒られているのは自分ではない。分かっている。けれど、父がここまで強く怒っているのを見て、胸の奥が震えた。守られることに慣れていないわけではない。今世では、ずっと守られてきた。だが、父が自分のために本気で怒る姿は、想像していた以上に重かった。
綾乃が茶を置いた。
湯呑みがテーブルに触れる音は柔らかい。だが、母の声はさらに静かだった。
「加茂家も、禪院家も、こちらの家族の形を軽く見ているのね」
オビトは背筋を伸ばした。
綾乃は笑っていない。怒りを露わにすることもない。ただ、静かに目を伏せ、茶の湯気を見ている。その横顔は穏やかなのに、部屋の空気が重くなる。
「私がどこの出で、あなたがどこの出で、オビトが何を持っているか。あちらにとっては大事なのでしょう。でも、順番が違うわ」
「母さん」
「この子は、私たちの子です」
綾乃は顔を上げた。
「家の都合で呼びつけていい子ではありません」
声は柔らかい。けれど、ただただ怖かった。
宗一郎の怒りが火なら、綾乃の怒りは静かな水だった。表面は揺れないのに、底が見えない。触れれば冷たく、深く、逃げ場がない。
オビトは、内心で思った。
母さん、怒らせたら一番まずいな。
そんなことを考えてしまい、すぐに場違いだと反省した。
「オビト」
宗一郎が呼ぶ。
「お前が悪いわけじゃない。相手の車に乗らなかった。すぐ連絡した。よくやった」
「……うん」
「ただ、これからはもっと増えるかもしれない。加茂が動いたなら、禪院も動く」
「禪院も?」
「おそらくな」
宗一郎は苦い顔をした。
「父さんのいた家だ。向こうから見れば、お前は禪院の血を引く男の子で、しかも加茂の力らしきものを持っている。高専が先に接触したことも気に入らないだろう」
「めちゃくちゃ面倒だな」
「めちゃくちゃ面倒だ」
宗一郎は即答した。
「だから、俺たちだけで何とかしようとするのは危ない」
その言葉を口にするのが、悔しそうだった。
綾乃も、静かに頷く。
「夜蛾さんの提案を、真剣に考える必要があるわ」
「高専か」
オビトは、テーブルに置かれた書類を見る。
昨日までは、進路の候補だった。今日になって、それは保護の意味を持ち始めている。ただ力を学ぶ場所ではなく、御三家の接触を抑え、家族を守るための盾としての場所。
だが、行くとなれば東京だ。
中学三年の春。まだ卒業までは時間がある。友人もいる。担任もいる。後輩にもクッキーの礼を言ったばかりだ。普通の通学路も、コンビニも、家の夕飯も、明日の授業もある。
いきなり全部を手放すのは、嫌だった。
「俺、まだ学校行きたい」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
宗一郎と綾乃がこちらを見る。
オビトは視線を落としたまま続けた。
「いや、高専の話を聞かないって意味じゃない。力のことは知りたいし、御三家が家に来るなら対策もいる。分かってる。でも、今の学校も、途中で急に消えるみたいなのは……嫌だ」
普通の中学生活。
前世では当たり前ではなかったもの。今世で十五年かけて手に入れた日常。進路に悩む教室。鈍感だと呆れる友人。顔を赤くする同級生。手作りのクッキーをくれる後輩。担任の、どこで普通を活かすかという言葉。
それらを軽く置いていけるほど、オビトは今世を軽く見ていなかった。
綾乃の表情が少し和らいだ。
「そうね」
「母さん?」
「卒業までは、今の生活を守りたいわね」
宗一郎も深く息を吐いた。
「ああ。父さんも同じだ。いきなり東京に連れて行かれるなんて、そんなものは許さない」
「でも、御三家が」
「だから、条件を出す」
宗一郎は書類を引き寄せた。
「高専に協力してもらう。ただし、こちらの条件を飲ませる。裏葉家としてな」
裏葉家として。
その言葉が、この家の中心に据えられる。
夜蛾が再び裏葉家を訪ねたのは、その日の夜だった。
前よりも早い再訪だった。今回は事前に連絡があり、宗一郎と綾乃が了承してからの来訪である。玄関で迎えた宗一郎は、前回よりさらに硬い顔をしていた。夜蛾もそれを当然として受け止めた。
居間に通されると、夜蛾はまず頭を下げた。
「直接接触を許した形になり、申し訳ありません」
「夜蛾さんがやったわけではないでしょう」
綾乃は静かに言った。
「ですが、高専側が接触したことで、向こうが焦った可能性はあります」
「否定はしません」
夜蛾は椅子に座る前に、三人を見た。
「だからこそ、話を前倒しします」
宗一郎が目を細めた。
「高専へ連れて行く、と?」
「すぐに東京へ連れて行く案も考えました。だが、本人の生活を断ち切ることになる。ご家族の意向にも反するでしょう」
夜蛾はオビトを見る。
「君自身も、中学卒業までは今の生活を続けたいはずだ」
「……はい」
「なら、卒業までは仙台で生活を続ける。その間、高専側が御三家からの接触を抑える。必要ならこちらが介入する。卒業後、東京高専へ進む方向で調整する。それが現実的だと考えています」
オビトは少し息を止めた。
すぐ東京へ行けと言われると思っていた。だが、夜蛾の提案は違った。中学卒業までは仙台で生活を続ける。その代わり、高専が支援し、御三家の圧を抑える。
普通の生活を守るための保護。
それは、今のオビトにとって最も現実的な線に思えた。
宗一郎はまだ警戒を解いていない。
「具体的には?」
「まず、御三家側から裏葉家や本人へ直接接触があった場合、高専へ即時連絡してください。こちらから抗議と確認を入れます。必要に応じて、東京高専関係者として同席する形も取る」
「学校への影響は」
「極力出さない。本人の中学生活を守るのが前提です。担任や学校側へ必要な説明をする場合も、内容は絞ります」
綾乃が問う。
「御三家へ情報を流すことは?」
「こちらから不用意に流すことはありません。特に、彼の赤い眼については秘匿扱いにする」
夜蛾の視線が一瞬だけオビトへ向く。
宗一郎の表情が険しくなった。
「不用意に、では困ります。流さないでください」
「分かっています」
「分かっている、ではなく、条件です」
宗一郎ははっきり言った。
「卒業までは今の生活を守ること。本人の意思を無視しないこと。御三家へ情報を流さないこと。家族への接触を高専側が抑えること」
綾乃が続ける。
「そして、何かを決める時は、必ず本人と私たちへ説明してください。保護の名目で、別の家へ渡すようなことは絶対にしない」
夜蛾は黙って二人を見ていた。
オビトも、両親を見ていた。
宗一郎は本気だった。綾乃も本気だった。夜蛾を敵と見なしているわけではない。だが、だからといって任せきりにはしない。裏葉家として、条件を出している。
夜蛾はゆっくりと頷いた。
「受け入れます」
短い言葉だった。
宗一郎はすぐには頷かない。
「書面にしてください」
「用意します」
「あと、御三家から何か届いたら、全部確認してもらいます」
「構いません」
「オビトを一人で呼び出すような真似をしたら」
「高専側として抗議します」
「弱い」
宗一郎の声が低くなった。
「守ります、まで言ってください」
夜蛾は少し目を瞬かせた。
オビトは、思わず父を見た。宗一郎は真剣だった。冗談ではない。親として、ここだけは引けないという顔をしている。
夜蛾は、姿勢を正した。
「裏葉オビト本人と、ご家族の意思を守るために、高専側は可能な限り動きます」
「可能な限り」
「約束できる範囲を超えた言葉は言えません。ですが、御三家へ引き渡すために彼を預かるつもりはない」
その正直さに、宗一郎はようやく少しだけ息を吐いた。
「……分かりました」
綾乃も頷く。
「では、その条件で検討します」
夜蛾はオビトへ向き直った。
「裏葉。君自身はどうだ」
問われて、オビトはテーブルの上の進路希望調査票を見た。
第一希望欄には、まだ薄い鉛筆の文字がある。東京。その先に続く道は、普通の高校生活とは違う。危険もある。面倒な家も関わる。学ばなければならないことも、隠さなければならないことも増えるだろう。
それでも、知らないままでは守れない。
今の学校も、家族も、通学路も、あの澄んだ風も。
守りたいと思うなら、力の名前と使い方を知らなければならない。
「卒業までは、今の学校に通いたいです」
オビトは言った。
「友達もいるし、担任にもちゃんと話したい。急にいなくなるのは嫌だ。でも、卒業後に高専へ行くことは、ちゃんと考えます。たぶん、その方向になると思う」
宗一郎と綾乃が黙って聞いている。
「ただ、俺を禪院とか加茂とかに渡すためなら行かない。父さんと母さんを巻き込むなら、俺も黙ってない」
夜蛾の目が、少しだけ鋭くなった。
「それでいい」
意外な返答だった。
夜蛾は続ける。
「守るものがあるなら、なおさら学べ。知らない力は、守る相手を傷つけることもある」
オビトは静かに頷いた。
その言葉は、胸に重く落ちた。
知らない力は、守る相手を傷つけることもある。
前世のことを言われたわけではない。夜蛾は何も知らない。それでも、オビトには深く刺さった。力の使い方を間違えた記憶は、奥にある。沈み続けるつもりはない。だが、忘れたわけでもない。
だから今世では、ちゃんと知る。
ちゃんと選ぶ。
「分かりました」
オビトは進路希望調査票を手元へ引き寄せた。
鉛筆で薄く書かれた東京の文字の横に、まだ正式名称を書くには早い。書類も手続きも、夜蛾との条件も、学校への説明も残っている。だが、方向は決まった。
卒業までは仙台で暮らす。
卒業後、東京高専へ進む。
裏葉家として、そう決める。
宗一郎が深く息を吐いた。綾乃はそっとオビトの肩に手を置く。夜蛾は書類を整え、今後の連絡手順を確認し始めた。
外では、夜の風が庭の木を揺らしている。
その風は、今はまだ静かだった。
だが、家の外側では、すでに古い家々の思惑が動き出している。禪院家の使いが正式な書状を携え、加茂家が次の接触の形を探り、高専がその間へ割って入る準備を進める。
裏葉家の居間に灯る明かりは、いつものように温かい。
けれど、その温かさを守るために、オビトはもう、知らないふりだけではいられなかった。
【〆栞】