変化は容赦無く


「ねぇ、ちょっと見てもらいたいんだけど」

 そうすぐ後ろから聞こえた時真っ先に感じたのは、違和感だった。
 可愛らしいレンゲの声。けれどおかしい。先に反射で振り返ったヒカリが凍ったように動かなくなる。おかしい。
 だってアリマサやレンゲの声は、ヒカリの持っているポケモン語翻訳機から聞こえる筈なのに。

「……レンゲ?」
「うん、そうだよ」

 絞り出すようなヒカリの声。
 肯定するレンゲの声はやっぱり翻訳機を通さず、直接背後から耳に届いた。
 ヒカリと同じように振り返れば、そこに立っていたのはぴょこぴょこと跳ねる紺色のセミロングの髪にくりっとした金の瞳の少女。
 少女はにんまりと笑っている。……その表情を、私は知っている。

「どこかで、会ったことある……?」
「ふふ、うーんと昔に会ったこともあるかもね」

 込み上げる既視感に尋ねれば、どちらともつかない答え。可愛らしい見た目に可愛らしい声、けれど胡散臭い笑い方をする少女を私は見たことがある気がした。
 そう、その時も今みたいな笑みを浮かべていた筈。
 ヒカリが躊躇いがちに口を開く。

「ほんとに、ほんとにレンゲなの?」
「そう。声、一緒だろう?」
「そうだけど……」

 レンゲは、コリンクだ。青い体毛の、四つ足のポケモン。
 けれど目の前にいるのはどう見ても人間の少女にしか見えなかった。
 ついさっき思い出したばかりのポケモンの伝承が頭を過ぎる。

「森の中で人に戻って、って……そういうことか」
「そういうことだよ。ポケモンは、人の姿にもなれるんだ」

 足音もたてずにレンゲはヒカリに近付き、少し前この部屋に入ってきた時のようにヒカリの頬に擦り寄った。その仕草はコリンクの姿の時のレンゲを彷彿とさせる。
 姿は違っても同じなのだと認めざるを得ない。
 そして、ぶふぅと奇妙な音がしたのも、少し前と同じ。
 窓の傍にあるソファーの影に、オレンジ色の髪をてっぺんだけ縛った少年が隠れるように座っていた。
 きゅっと釣り上がった黒い目は、ポケモンの姿の時と同じ形だ。一目でこの少年がアリマサなのだと分かる。

「アリマサ?」

 困惑が滲み出る声でヒカリはアリマサを呼ぶ。アリマサの方へ一歩足を踏み出して、けれど躊躇うようにそれ以上進もうとしない。
 レンゲが楽しそうに笑い声を上げて、ヒカリの手を取った。

「え、あ、わ、きゃあ!」
「うわ!」
「ちょ、大丈夫!?」

 ぐい、と引っ張られたヒカリは半回転するようにアリマサの方に向かって投げられ、咄嗟に立ち上がったアリマサはヒカリを受け止めるも支え切れず、縺れ合いながらソファーに倒れ込む。
 抱き合うような形になったヒカリとアリマサは、ぼっと顔を赤らめて勢いよく離れた。

「なにしてるのレンゲ!」
「だぁってあんまりじれったいからさぁ。初々しいのは悪かないけど、ヒカリとアリマサはパートナーだろ? 見た目が変わったって中身は一緒なんだ、よそよそしくしなくていいじゃないか」

 ケラケラと笑うレンゲに悪びれる様子は微塵も無い。
 レンゲは、アリマサがヒカリを受け止めるのを見越してこんなことをしでかしたようだ。
 ヒカリとアリマサは頬を赤らめたままそわそわとしていて、レンゲを咎めるような素振りはない。
 ……なんだか気が抜けてしまう。

「ヒカリが危なくなるようなことは、しないでほしいんだけどね」
「絶対大丈夫な時しかしないさ。あたしだって、大事なマスターに怪我させたい訳じゃないんだから」

 本当に、大丈夫なんだろうか。ジト目でレンゲを見ても何処吹く風だ。
 不自然に目を逸らしていたアリマサが、我に返ったようにヒカリにどこか傷めていないかと聞いている。
 ヒカリもアリマサも不自然な動きはしていないから、怪我はしていないみたいだ。

「それで、なんでアリマサとレンゲは人の姿になったの? というか、なんで人の姿になれるの?」

 落ち着いてソファーに座り直したヒカリが、二匹に尋ねた。床に胡座をかいて座るアリマサはこめかみを指で掻き、ソファーの肘置きに軽く腰掛けたレンゲは待ってましたとばかりに顔を輝かせる。

「あたしは野生のポケモンだけど、普段はこの姿でその辺ウロウロしてるんだ。だからこっちの方が過ごしやすいから、さっさとバラして、人目のない所では人の姿でいさせてもらおうと思って」

 伝承を知ってる人も居たみたいだし。ちらりと私の方に視線を向けて、ばちんとウィンクをしながらレンゲはそう言う。
 ……知っていようが知らなかろうが関係無く、さっさとバラすつもりだったんじゃないかと思うのだけど。

「……俺は、レンゲがなんやかや言ってくるから、仕方無く」
「あたしを言い訳に使うんじゃないよ。あんたはヒカリがどう反応するかが怖かっただけで、いつでも人の姿になるつもりだっただろう」

 アリマサがぼそぼそと呟くのにレンゲがぴしゃりと言い返す。うっと言葉に詰まったアリマサは思案するように視線をうろつかせ、そしてがしがしと頭を掻きながら「あーそうだよ!」と投げやりに叫んだ。

「ヒカリになら人の姿を見せても良いって最初から思ってた! けどな、ヒカリはまだ旅に出たばっかりで、しかも引き篭ってたなら最初のうちは旅は驚くことばかりだろ? そんな時に、一緒に旅をするって奴が急に姿を変えたら驚き過ぎて負担になるだろ! この姿を見せるのは、もっと先で良かったんだ」

 咎めるように険しい眼をレンゲに向けるアリマサは、心底ヒカリを慮っているようだ。確かに、突然の事に驚いてキャパオーバー気味なのかヒカリはさっきからぼんやりしている。
 ……それでも、いきなり人の姿になったアリマサとレンゲを拒むような素振りはない。

「早過ぎたかもしれないとは、あたしも思った。けど、ヒカリが持ってる機械のおかげであたし達はポケモンの姿のままでも言葉が通じる。姿が変わっても声で分かる。だから大丈夫だと思ったんだもの」

 にこりと笑うレンゲは文句無しの美少女だった。
 そうでしょ、と掛けられた声にヒカリは強く頷く。

「確かにすごくびっくりしたけど、アリマサはアリマサだし、レンゲはレンゲだもん。一緒に旅をする仲間だってことは絶対に変わらないよ」

 アリマサは仏頂面のまま。けれど、仏頂面でも違う仏頂面だった。さっきまでは険しかった雰囲気が、ヒカリの言葉に拗ねたようなものに変わっている。照れ隠し、なのかもしれない。

「それで、なんで人の姿になれるか、だけど」

 急にレンゲの表情が困惑の強いものになる。歯切れ悪く語尾を濁し、アリマサに何かを尋ねるように視線を投げ掛ける。

「詳しいことは、俺は知らない。人の姿へのなり方と、人になれることは口の堅い信頼出来る人間にしか教えてはならないってことしか教えられてないからな」
「じゃあ、あたしの方が知ってるか……でも伝えられてることって群れごとに結構違うんだよねぇ」

 少し思案するように黙り込んでから、レンゲは歌うように話し始めた。
 曰く、はじまりとなる存在が違うもの同士を結びつけるために与えたのが人の姿なのだという。ポケモンとポケモン、人とポケモンはそれぞれの場所で暮らすが、互いに傍に居ることを望むならポケモンは人という共通の姿になることができ、共に生きていくことが出来るのだ、と。

「これはあたしがいたコリンクの群れで伝えられてたことね。詳しくは覚えてないけど他のビッパやムックルの群れではまた違うことが伝えられてた筈だよ」
「……アリマサが言ってた、口の堅い人間にしか教えてはならないっていうのは?」
「それはどこの群れでも耳にタコができるくらい言われることだね。悪い奴に知られないよう秘密にしてなきゃ危険なんだ」

 一度人の手持ちになれば、よっぽど強いポケモンでないとあるじに逆らえなくなるから。
 背筋に氷が落とされたような感覚。
 人とポケモンでは姿形が違うから、出来ることと出来ないことがある。だからこそ助け合うことが出来る。けれどポケモンがどちらの姿にもなれるなら出来ないことがあるというその前提は覆される。
 ポケモンは万能の生き物ということになってしまう。
 なのにポケモンが人に逆らえないなら、人はポケモンを一方的に利用して酷いことをさせるのも可能なんだ。

「悪い奴に知られちゃ駄目なんだ。このことを知っている人はたくさん居るけど、知らない人に広めてはならない。暗黙の了解ってやつだな」

 アリマサによって話はそう締め括られた。
 ポケモンは人になれる。けれどそれは秘密にしなければならない。人になれる理由は曖昧でも、それだけは明確にされている。ポケモン達が危険から身を守るために。

「ヒカリ大丈夫? ちゃんと理解出来た?」
「う、うん……。とにかく、秘密なんだよね!」

 力強く拳を握り、何度も頷くヒカリ。その頬は熱でも出したかのように紅く色付いている。
 うん、大丈夫じゃなさそうだ。

「やっぱ早すぎたんじゃねぇ?」
「習うより慣れろって言うんだから良いんだよ! 今は理解するのが難しくても、何度だって教えればいい話さ」

 心配そうなアリマサと楽観的なレンゲは対照的だ。性格は正反対なようだけど、この二匹は仲間として上手くやっていけるのだろうか。レンゲが仲間になってからアリマサはずっと不機嫌なままだ。
 ヒカリのおでこに手を当てて熱を測りながらそんなことを考える。
 火照っているだけで熱は無さそうだけど、ヒカリは今日は早めに休んだ方がいいかもしれない。

「ヒカリ、先にお風呂入っておいで。それで、あがったらちょっと早いけど寝ちゃいなさい」
「え、でも、荷物の整理……」
「それは私がやっとくから」

 渋るヒカリを風呂場に追い立てる。
 レンゲが一緒に入りたいと言うのでそこからはレンゲに任せて、私は荷物の中からヒカリの着替えとタオルを漁る。
 律儀なのか、ただ恥ずかしいのか、私がヒカリの着替えを用意するのにアリマサは後ろを向いて見ないようにしていた。

「アリマサもヒカリ達と一緒に入ってくる?」
「ばっ!? っかじゃねーの! んなこと出来るかよ! 俺は雄だぞ」
「じゃあヒカリ達があがったら入っておいでね。ほのおタイプだからお風呂は駄目だと思ってたけど、人の姿なら入れるでしょ」
「……人の姿だからって水が苦手なのは一緒だっての」

 入らない、とは言っていないから、後でちゃんとお風呂に入ってくれるだろう。
 ああ、良かった。旅をしていればどうしたって埃っぽくなるから、しっかり洗えないのは困ると思っていたのだ。濡らしたタオルで拭くぐらいしか出来ないだろうと思っていたけど、自分で入ってくれるならありがたい。
 苦手だと言っているから、烏の行水にならないよう目を光らせなければ。
 ヒカリの着替えとタオルを持っていき、私は荷物の整理に取り掛かる。
 明日はヒカリとジュンのバトルがあるし、クロガネシティを目指す道中、トレーナーや野生のポケモンとのバトルは避けられないだろう。コトブキシティに近い間はポケモンセンターに寄れるけど、離れればキズぐすりに頼ることになる。数を確認してすぐに鞄から出せる位置に入れれるよう、仕舞うのは後回しにする。
 アリマサが人の姿のままじっとこちらを見ていた。

「あんたはなんでヒカリに着いてきたんだ」
「ん?」

 急に尋ねられて、咄嗟に何を言われたか分からず首を傾げる。アリマサが私を警戒しているのにはなんとなく気付いていたから、アリマサから話し掛けられるとは思っていなかった。
 釣り上がった目に見られていると睨まれているような気がしてくる。

「あんたはヒカリと違ってトレーナーじゃないし、トレーナーになる気も無いんだろ」
「……トレーナーじゃないと、旅に着いてきちゃいけないっていうの?」
「そこまでは言わねぇけど……ヒカリは新米トレーナーで、俺とレンゲはまだ弱いポケモン。正直人を二人も守れる自信はない。物知りなあんたなら、なんで人がポケモンと一緒じゃないと草むらに入れないのか知ってる筈だろ」

 知っている。人間はどう足掻いてもポケモンに敵わないからだ。八年前、トレーナーズスクールで私がビッパを蹴飛ばすことが出来たのは混乱状態のビッパに不意打ちで攻撃したからで、普通の状態だったなら自分の手持ちではないポケモンに人が生身で攻撃なんて出来るわけがない。
 力の強さも体の丈夫さも人間はポケモンに劣る。だからこの世界ではいたるところにエリートトレーナーが居て、ポケモンが人を襲わないか、ポケモンを持っていない人間が安全ではない町の外に出ないか監視されているのだ。

「俺達はヒカリのポケモンだから、ヒカリを優先する。あんたが危ない目にあっていても見捨てるかもしれない。……俺達との旅じゃ、トレーナーにならないあんたは危険だって分かってるくせに、なんで俺達と一緒に行くことを選んだんだ」

 分かっている。ヒカリは私を守ると言ってくれたけど、自分の身を守れるかも怪しい子供が、同じ子供を守れるわけがないと。
 通常トレーナーではない人が町の外に出る時は、エリートトレーナーに護衛を頼むか定期的に各地を回っているムクホーク便という送迎システムを利用する。新米トレーナーと一緒に町を出るなんてことはまず有り得ない。
 それでも私は。

「ただの、こだわり」
「………………は?」
「私は、ヒカリに連れ出してもらうことにこだわってるの。だから着いてきた。それだけ」
「……んだよそれ」

 こちらを見る目が明らかに怒気を孕む。馬鹿にしたと思われているんだろう。それでいい。そう思われる為にわざとこんな言い方をしたんだから。

「何かあれば、私のことはすぐに見捨てて。けどその時は、私を見捨てるのは仕方ない事だったってヒカリが思うようにしてほしいな」

 そうじゃないと、ヒカリは気に病んでしまう。あの子は優しい良い子だから。
 ヒカリは私の唯一の味方だ。悲しい思いをさせるのは本意では無い。
 情が移れば見捨てにくくなる。逆に嫌われれば、容易く見捨てられるだろう。ヒカリは自分から私を切り捨てることは絶対に出来ないだろうし、レンゲは多分引き篭る前の私を知っていて私を気にしている。私を嫌ってくれそうなのは、アリマサしかいない。
 アリマサには、私を見捨てられる存在になってほしい。

「何があってもヒカリを優先して。ヒカリの姉だからって気にする必要は無いよ」

 きゅっと口角を持ち上げる。心底馬鹿にしているような表情を作る。
 アリマサを苛立たせるために。
 向けられる視線から温度が消えた。

「分かった。ヒカリに何か言われない限りはあんたの事は放っておいてやる」

 酷く冷ややかな声。ヒカリが聞いたら怯えてしまうかもしれない声音だ。ヒカリの前でこんな声を出すことは無いだろうけど。

「うん、ありがとう」

 話は終わりだ。視線を逸らして、荷物の整理に戻る。ヒカリ達はまだ戻ってこない。荷物の整理を終わらせてしまうと手持ち無沙汰になってしまうから、殊更丁寧にゆっくりと荷物の確認をしていく。
 アリマサはまだそこにいる。

「一つ言いたいことがある」
「ん?」

 まだ何かあるのか。
 顔を上げて、そこでアリマサがさっきまでの無表情とは違う、不遜な笑みを浮かべていることに気付く。

「あんた表情作るのめちゃくちゃ下手くそだぞ。練習した方がいい」

 アリマサが鼻で笑ってくる。
 へた。へたくそ。
 つまり私は、失敗した?
 両手でそっと頬を押さえる。無理やり笑みを作った表情筋は、また微かに痛みを訴えていた。

「……上手く、演技出来たと思ったんだけどなぁ」

 鼻で笑われて、本当ならここで怒ってみせるのが普通なんだろう。けれど感情は凪いだまま昂ることはない。
 下手くそだと言われてすぐに怒るフリをするのも滑稽で、ふぅと溜め息を吐いて脱力した。手に持っていた荷物を放り出してぱたりと後ろに倒れ込む。

「ヒカリが言ってた。あんたは一度心が死んだんだって。さっきのめちゃくちゃ腹が立ったけど、それを思い出したらあんたの顔がハリボテに見えたんだ」
「ハリボテ、ねぇ」

 心が死んだ、か。ヒカリには引き篭っていた私がそんな風に見えていたのか。
 確かに感情が昂ることも落ち込むこともなくなったなら、死んだと喩えてもおかしくはない。
 実感は、そんなに無いけども。

「感情が読み取れねーから、あんたが何考えてんのかさっぱり分かんねぇ。なんで自分を見捨てろなんて言えるんだ?」
「分からないなら、分からないままでいて」

 分かる訳が無い。私とアリマサは全く違う生き方をしてきたんだから、考え方も何もかも違う。
 道が違うのだから、辿り着く場所は同じにはなりえない。

「……そーかよ」

 不満そうにそう呟いて、アリマサは元のポケモンの姿に戻った。これで話は完全に終わりのようだ。翻訳機を持つヒカリが居ないから、人とポケモンは会話が出来ない。
 ……それが当然なのに、もう私もヒカリも、アリマサとレンゲと会話が出来るのが普通のことになりつつある。
 良いことなのか悪いことなのか。考えても答えは出ない。
 正しいのがどちらかなんて私には分かる筈もない。

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