さて、どうしたものか。


食糧を盗む為に忍び込んだ海賊船で、出来心で不思議な果実を盗み食いした所猫の姿になってしまった。
その上船員の男に見つかり、あれよあれよとこの船で飼われる事になってしまうなんて。
いつもなら、用が終われば即座においとまして今頃仕事に戻っているはずなのに、今名前は船内の一室でフカフカのベッドの上に座らされていた。


「遅くまで付き合わせて悪かったな、疲れたか?」


この部屋はどうやらエースの自室らしい。
ベッドと小さな机だけが置かれた簡素な部屋。
壁にはオレンジ色のテンガロンハットがかけられていて、それはエースにとてもよく似合いそうだなと名前は思った。


「狭い部屋で悪いな、夜はここで勘弁してくれ」


明日また船の中を案内するな、そう言って身につけているアクセサリーやズボンを脱ぎ去ってパンツ一枚の姿になったエースがベッドに腰掛ける。
名前はその姿に思わずギョッとするが、元より上裸であったのだからまあそこまで変わりもないし、何より猫の姿の名前にお構いなどないか、とすっかり自身が猫の姿である事への違和感を感じなくなってきていた。


「子供扱いされてるけどこんなんでも俺は一応この船の2番隊の隊長させてもらっててな。隊長は一応こうやって部屋がもらえんだ」

「まぁ狭いけどな、結構気に入ってんだ」


住めば都ってやつだな、とエースはペラペラと続けて笑う。
住めば都か、と名前は自分が暮らす娼館での生活を思い浮かべた。


雨風も凌げるし、旨くはないし量も少ないが毎日食事にありつける。
貧しいがなんとか生きていける。
でもそこでの暮らしを気に入ってるだなんてこの方一度も思った事があっただろうか。
腹を空かせながら毎日朝から晩まで働いて、腹の虫を収めるために盗みを働きいつか娼婦になる日を待つだけの日々。
生きているのに死んでいるかの様な、夢も希望もない毎日。


海賊は嫌いだった。
顔すら見た事のない自分の父が海賊だったと、生前の母から聞かされていたから。
その男のせいで母は壊れてしまったから。
それに、娼館に客としてくる海賊達もお世辞にも良い人間とは言えない様な輩ばかりで、客が帰った後に愚痴を溢す娼婦達の小言を毎日のように聞いていれば、あまりいい印象は抱けなかった。


でもどうしてか、この船の人間達からは嫌な感じが一切なかった。
それどころかむしろ優しくて温かくて、名前はこのままここで飼われるのもそう悪くはないのではないか、と思ってしまうほどだった。
人間として未来のない暮らしをするより、この船で猫として生きていく方がのびのびと暮らしていける気さえする。


でもそんな事、きっと叶わない。
名前は夢や希望を持つなんて事は無謀な事であるとよく知っていた。
きっと今だって、急に姿を消した名前を特に心配するではなく苛立つ娼館の主人の姿が脳裏に浮かぶ。
帰らなくてはならないけれど、帰りたくない。
気持ちと現実のギャップにゆらゆらと揺れながら、でもどうせこの姿のまま帰ったところで名前が姿を消しているという事実には変わりがないと今この場にいるための理由を探す。


「そーいえば、お前まだ名前がなかったな」
「こめ、ぱん、うどん、いや、うーん…」


憂鬱な名前の気持ちはよそに、楽しげに名前に授ける名前であろう候補をツラツラと並べてはこめかみに指を当て必死に考えるような仕草を見せるエース。
食べ物の名前ばかりなのが少し気になったが、エースの捻り出す言葉に耳を傾け名前が大きな瞳で見つめると、2人の目が合った。


「ミルクだ」
「(ミルク…)」
「さっきうまそうに飲んでたもんな」


お前ミルク好きだろ?と笑うエース。
なんだか悪い気はしなかった。


「名前も決まった事だしそろそろ寝るか」


そう言ってエースは部屋の明かりを消すとベッドに横になる。
名前もそれがまるで当然のようにエースの体にぴとりを身を寄せて、心地の良い体制を探しながら横になる。


「おやすみ、ミルク」


早速新しい名前で呼ばれて、なんだか少しこそばゆかった。


考えなくてはならない事は沢山ある。
どうやって船を脱するか。
姿を消してた事への言い訳。
そもそもどうやって人の姿に戻るのか。


でも、せめて今夜だけ。


そう自分に言い聞かせて、明かりの消えた室内で、エースの体温を感じながら名前は段々と重たくなる瞼を静かに閉じて眠りについた。



*前次#

back



×○×○