天使のような微笑み


見覚えのあるようなないようなやつに声をかけられたけれど、まぁあの癇癪玉の居場所が確定したので、知っている道を歩くだけだ。部屋に入ると、一番遠い席に一つ姿があるのが確認できた。ピンクが動いてるので、先ほどの情報からも鑑みて間違いないだろうと確信をして、おい。と声をかけれども、返事はない。わりかし大きい目の独り言が音と認識してここまで聞こえる。声をかけても、返事はない。二度目をかけても、どこか鈍い返事が来た。そんな雑な対応に、軽く腹が立った。がつがつ寄って、椅子の足を蹴り飛ばしてやると顔を上げた。藤の花のような紫と視線が重なった瞬間目を吊り上げて癇癪玉がはじけた。

「貴様は、もっとわかるように言いたまえ!何のために口があるんだ!」
「何度も呼んだのに、返事がない!脳に直結してない耳なら外したら?」
「肩を叩くだとか方法はあっただろうに!」
「うっさい!!耳元で騒ぐなっ!!」

思いっきり叫んでやると、相手が黙った。その隙に、相手の席の前に原稿を叩きつけた。置いた原稿用紙だと理解してから、癇癪玉の視線が二度ほど移動してから、なんだねとかいうように不機嫌そうに眦を吊り上げた。あんたが持って来いってんだろうが!殴るような言葉を出したら、思ったよりは早かったようだね。そう言われた。いや、言ったのそっち。

「筆の乗りは早い方だな。」
「何か言った?」
「ただの独り言だ。」

まるで必然的のように流れるような手つきで原稿をとって、一枚目から目を通していく。一通り納得するぐらいに推敲してプリントアウトしたものは癇癪玉の手の中。不機嫌そうだった眦はどこかに消え去って、興味の色が浮かび上がっている。癇癪玉が読んでいる以上なにもできることはなく、紙の上をすべる男の目線の行き先を見るだけであった。つんけんとした眦が優しそうに下がっている。あぁ、そんな優しい顔もできるんだと思っている私がいた。

「そうやって立って見られてると気が散る。座りたまえ」
「あっそ。それ、今日中に返してくれるんでしょうね」
「勿論、到底無理なことに対してきちんと誠意を見せたんだから、それ相応で返すのが礼儀だ。」

当たり前だろうといわんばかりに言って視線を戻した。
傲慢でもない、熱意に熱意を返す人。紙を繰る大きくて細い指がしなやかに動いて軽い音を鳴らしていく。部員じゃない面々から読まれるのを見るのは初めてだ。いつもは投稿するだけ、ポストが全部になってくれてるんだから。直接的な意見が聞くのが怖くて、視線を下げてぱらりと紙の音だけが聞こえる。そんな合間に聞こえるのは癇癪玉の小さく笑いを殺す息の音が一つ。音につられて顔を上げると、新しいものを見つけた少年のようにきらきらした目がそこにあった。
こんな顔をするんだ、と思うと同時に今この瞬間に自分がこの癇癪玉に抱いてしまった感情に名前が付いたことに理解した。
昨日のやりとりが、楽しかったという理由に紐づいて、自分の感情に照れが混ざる気がする。うわ、どうしよ、鈍かった思考が理解した瞬間に駆け足で廻りだす。心臓が血液を送る量だって一気に増えた気がする。
妙な緊張をもって、癇癪玉の前に腰を下ろす。妙にそわそわして居心地が悪くて視線を上げたり下げたりしていると、読み終わったのか視線が上がって、思慮深そうな紫とかち合って怪訝そうに動く。そんな些細なことに気が動転して視線をそらしてしまって、目線は手元。彼は、疑問に思ったのか、なにかあったかと問いかける。形のいい薄い唇は、一つ一つ音を紡いでいるのに、こちらの思考は全く動かない。

「なにかあったか?」
「嬉しそうに読むなぁ。って。思っただけ。」
「貴様と話をしていると創作意欲が湧くのだからうれしくならない理由はないね。」

こいつは本格的に芸術馬鹿だと改めて痛感した。今先ほどときめいた一瞬を返してほしい。ムスッとした表情を作って、ただただ沈黙の時を待つのであった。


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