楽園への道標



体調を崩して偶然彼女と再会してから数日。
すっかり元通りになった僕は次のライブの下見のため会場へ向かう途中、バス停で彼女の姿を見つけた。
声をかけずに立ち去ることもできたが、先日の邂逅から胸の内で燻る恋心に似た不確かな感情が彼女へ声をかけさせた。

「香織姉さん」
「おはよう。しゅーくん。今日は不機嫌さん?」
「作業が多くてね。」

淡々とやるべき事をやっているまでだ。自分の芸術である以上手は抜かないしとことんまで拘る。当たり前のことを問われていても、彼女からの質問であれば不快には感じなかった。

「ふふ。」
「なにを笑っているんだね。香織姉さん。」
「何でもないの。しゅーくんは頑張り屋さんだものね。」

まるで子供のような扱いをされて少しムッとする。
彼女のなかの僕はまだ幼い子供で、まるで成長していないようだった。僕だってもう高校生だし、いつまでも弟扱いというのはどうなんだ。
……長らく会っていなかったのだから仕方ないと言ってしまえばそれまでだろうが。

「……いつもはバスで?」
「ううん今日は、授業の一環で美術館まで行くだけなの。しゅーくんはいつもバスなら一緒に行く?」

分が悪い話題を変えるように問いかければ、思ってもみない誘いが返ってきた。
悪くない、いいだろうと快諾すれば花のような笑み。相変わらず、彼女はきれいだ。

「だが、僕は今日は近々開催するライブの下見でね。電車に乗っていくんだ」
「そうなの。どこでやるの?」
「香織姉さんの頼みならばチケットを用意するよ。今回のライブは一般にも開放されているからね」
「ありがとう。楽しみにしてるね。」

嬉しそうにされれば悪い気はしない。提案してよかったと内心小さく胸をなでおろしていれば、彼女はにこにこと言葉を続ける。

「しゅーくんが踊るんだから、絶対にきれいだよね。動作もきれいで素敵だもの。」
「当たり前だろう、僕の芸術は完璧だからね」
「でもきっとそれはしゅーくんの努力で、培われてるものなんだから当たり前なんかじゃない。そうでしょ?」

純粋に、何の含みもなく褒められて視線を泳がせてしまう。
からかわないでくれと言葉にするのが精いっぱいだった。
こういうところは、昔から変わらない。
だからみんな彼女のことが好きになるんだ、なんて毒づきたくなった。

それから彼女が乗るバスが来るまで、驚くくらいあっという間だった。
彼女の姿が見えなくなってから、駅の方へ向かって歩き出す。
いつもより少しだけ足取りが軽い気がするのは、たぶん気のせいだ。



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