魔物が笑う夜


視線を外したけれど、じっと見られてる気配はある。ちらりと横を盗み見しても、満足そうにくつくつ笑っている。

「えっと…いや、色々厳しいですって。」
「大丈夫じゃよ。かわいい可愛い嬢ちゃんや、ケーキが来たら我輩の手から食すかの?」
「いやいやいやいや。大丈夫です」
「我輩がやりたいのじゃよ。我輩へのお礼であろうに?」

そう言われると強く拒否はできない。ぐっと言葉に詰まると朔間零は嬉しそうににんまりと目が笑っている。ほんとうにやりたかったのだろう、嬉々としているのがよくわかる。これが礼だというのならば甘んじて受けるしかない。自分の恥じらいと謝礼の板挟みの苦悶である。幸いなことに、ここが普通のカフェだったりしたら知り合いと出会う可能性だってあるが、ここはESビル。知り合いもすべて排除されたフロアの喫茶店。後で冷やかされることはないだろうと割り切るしかないだろう。ひそやかに腹をくくっていると、ケーキとクロックムッシュを持ってきた店員は私の前にケーキを、朔間零の前にクロックムッシュを置いたのだが、置くと同時に朔間零がケーキもクロックムッシュも流暢にかつエレガントに持っていった。畜生。

「嬢ちゃんや、『あ〜ん』じゃぞい」

あの朔間零から発せられた「あーん」は狂暴すぎる。絵面が強くて、こっちがどうしていいかわからないが、腹をくくるしかない。差し出されたフォークの正面で口を開けると朔間零が優しく中に入れた。唇に少し冷たい感じが振れるので、そっと唇を閉じればフォークが抜かれた。のは覚えてる。絶対においしいはずなのに、味がろくすっぽ覚えてないのは、目の前の朔間零が赤い瞳を愉快そうに半月を描いているせいなのか、私が今しがた食んだフォークでクロックムッシュを朔間零本人の口の中に消えた衝撃が大きいのかよくわからない。



結局朔間零にケーキを全部食べさせられて、朔間零にクロックムッシュを食べさせる行為に世間話をすれば時間はあっという間に夜が薄く寄ってきて、月ものんきに浮いている時間帯。休みだったけれども、仕事とおんなじぐらい精神的にダメージが来てるのは謎すぎる。何もせず飲食と軽い会話。それだけでかなりの消耗度。机に突っ伏したくなるほどだけれども、外聞によろしくないので耐えてたら朔間零が会計まで終わらせていた。本当に、お礼 #とは みたいな気分。なんだかすっきりしないままだ。もやもやを抱えたまま帰り道、朔間零を斜め前にいるのを見ていると楽しそうな声色が今日はいいデートだったという。

「どうして、デートだったんでしょう?」
「どうしてじゃろうなあ?」

首が横に動いた。かしげているのだろうか、大きな背中を見つめていると不意にくるりと回って朔間零の後ろにまんまるの月がいて、神秘性が増す赤い瞳は妖艶に弧を描いて沈黙が振る。周りの喧騒だけが耳に入る。

「……朔間零がやりたかったから?」
「一日デートしたのに、まだ我輩をそのように呼ぶのかや?つれない嬢ちゃんじゃのう。」

すっと赤い目が細めて、音もなく一歩二歩と歩みを進め私の前で止まって長い人差し指が私の額から鼻を通って、顎にひっかける。身長差を補うように上に持ち上げられて、間近の朔間零の口角が楽しそうに形を変えて言葉を放つ、先ほどよりも少し低いトーンだった。

「そういうことを言う奴には、またデートの約束を取り付けるぞ?あぁ?」
「ひいっ。えっと……朔間さん?」
「……零でよいじゃろうに」
「恐れ多い、です。はい。」
「ほら、零と言ってみるとよいぞ?」
「れ、い、さん!」
「強情じゃのう」

直接的に名前を呼べと言われても、困惑はあふれて止まらない。かろうじて紡ぎだせた名前とさんづけ。あきれるように興味をなくしたように私から距離をとって、帰ろうと言い出したので私はその後ろをついて歩いた。妙な距離感はどうしていいか処遇に困りながらも、駅で挨拶を交わして、また店で。と言われて、また胃が痛くなってきた気がする。
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