レクイエムを歌わない
あれだけ辞めてやると決意したバイトを辞められないでいるのは何故だろうか。
相変わらず人が居ないので出勤すれば一人で回さざるをえない。過重労働に慣れきった身体は淡々と業務をこなしていく。せめてあと一人でもヘルプに入ってくれたら、楽なんだけどな。
「ホットコーヒー、おおきいやつ」
「ホットコーヒーですね、かしこまりました……、!」
流れるように接客をしていれば、朔間零がやってきていた。動揺したのも一瞬で、すぐにレジを打ち込む。ホットコーヒーのLサイズを注文するのは朔間零のお決まりのパターンだ。特に会話も交わすことなく、商品を受け取るとそのまま隅の席へ行って寝てしまうところまでがセット。
だというのに、今日は向こうから話しかけてきた。
「相変わらず忙しそうじゃのう」
「……ご存知の通り、人がいないので」
「今日もラストまで入っておるのかえ?」
「そうですけど」
あくまで業務中だと、淡々とお釣りを渡して、ホットコーヒーをトレーに乗せる。
お待たせしました、とトレーを差し出すと、朔間零はうむ、と頷いてそれを手に取った。
「では閉店時間まで眠るとするかのう……♪」
「え」
不吉な呟きを残して、朔間零は定位置とも言える隅の席へ行ってしまった。閉店時間、つまりラストまで居座るつもりってこと?って言うか仕事はいいのか大人気アイドル、なんてツッコミが浮かんだけれど、声になって出ることはなかった。
結果として。朔間零は本当に閉店時間まで居座っていた。
コーヒー1杯で粘りすぎではと思わなくもないけれど、先日助けてもらったうえに何故かお礼と称したデートでも朔間零に払ってもらっている手前何も言えず。騒ぎにならないならまぁいいか、位の感覚で放置することにした。の、だけれど。
忙しさのピークを何度か乗り越えて夜になり、蛍の光の音楽と共にクローズ作業をしている間も朔間零が起きることはなく。とうとう店内に2人きりになってしまった。どんだけ熟睡してるんだ朔間零。
「お客様。まもなく閉店時間ですので」
意を決して声をかけても無反応のまま。え、何これ死んでるとかじゃないよね?
「お客様〜?」
何度か呼びかけるうちに、朔間零が起きていることに気がついた。起きてるのに、寝てるふりをしている。……もしかして、これは。
「……零さん?」
「ようやく名前を呼んでくれたのう」
先日のやり取りを思い出して名前で呼べば、嬉しそうな笑顔を向けられた。こどもじゃないんだから、と思いつつも、純度100パーセントの朔間零の笑顔は……なんというか、うん。破壊力がすごい。
というか本当に、朔間零ってこんなキャラでしたっけ?
「もう閉店作業は済んだのかえ?」
「零さんが居座っているので終わってませんけど」
「それは悪いことをしたのう」
絶対1ミリも悪いと思ってない顔だ。楽しそうな朔間零に小さくため息を吐くと、幸せが逃げるぞいと注意された。いやため息の原因は貴方なんですけどね?
仕事が終わったら話したいことがあるからと、朔間零は私がクローズ作業を終えるまで待っていた。
天下のアイドルを待たせている私は何様なんだろうと遠い目になりかけたけど、私が頼んだ訳では無いし許して欲しい。誰にだ。誰かにだ。
ばたばたと帰り支度をして店の外に出ると、朔間零が立っていた。夜なのにサングラスと帽子。芸能人って大変ですね。
「お待たせしました」
「うむ、おつかれさまじゃ」
「それで、話って」
「そう急くでない。とはいえこの時間では開いている店も少ないかのう……」
ううむ、と顎に手を当てる朔間零。流石にこの時間じゃ開いているのは居酒屋とかパブとか、もしくは24時間営業のチェーン店かコンビニくらいしかないと思うけど。
「長くなる感じなんですか?」
「嬢ちゃん、我輩といるのは嫌なのかえ?」
「そんなことはないですけど」
お店に入ったらまた朔間零が華麗に奢っていきそうな気がするし、今度こそ私が彼に奢られる理由はない。大体連絡先も知らない相手に、何でそんなことができるんだ朔間零。
「うむ。個室が予約できたから向かうぞい」
「え」
いつの間にやら朔間零はスマホでどこぞの店を予約したらしい。逃がさないためなのか手を取られてしまっては従うほかなく、上機嫌な朔間零の斜め後ろを歩くしかできなかった。
そうして連れてこられたのは人目につかないような地下にある、やたら雰囲気の良いバーだった。
朔間零、お酒飲めたっけ?なんて素で考えてしまったけれど、彼が頼んでいたのはトマトジュースだった。いやでも未成年がこんな時間まで出歩いている時点で問題な気もしてきた。
「嬢ちゃん、夕飯がまだじゃろ?好きなものを頼むと良いぞい」
「え。いや、結構です」
「ふむ……嬢ちゃんが選べぬというのなら我輩が勝手に頼んでしまうが良いかえ?」
言いながら朔間零が指さしたのは、店で一番高価な料理だった。いやいやいや、頭がおかしい。
「そんな高いの払えませんよ!?」
「心配せずとも会計は我輩もちじゃ」
「奢られる理由がありません!」
「我輩にはあるんじゃよ。ともあれ、オーダーをせねばのう」
放っておくと本当に高い料理を頼みそうだったので、自分でも払えそうなお手頃価格のパスタを選ぶ。朔間零がオーダーしていたのは生ハムサラダだった。……このひと、本当に読めない。