09.綺羅、流星の如く
丸い窓から差し込む光がオレンジ色になり始めた頃、ごはんだよ〜と聞きなれた声とノック音がドアの向こうから聞こえてきた。
「ベポ、入れ」
私が本を閉じたのとドアが開いたのは同時だった。
昼間より多少気温が下がったのか、ドアから入ってきた外の空気はひんやり冷たい。
船長さんが椅子から立ち上がったのが見えて、借りていた毛布を急いで畳む。
「あれ?レイラまだいたんだ」
「こいつをダイニングまで連れていけ」
てっきり部屋に戻るとばかり思っていたのに、ダイニングという新しいワードに思わず船長さんを見る。
その間にベポは私をひょいっと抱き上げた。
「すぐに行く。先に行ってろ」
まだ少し机の上を気にしながら船長さんは言った。
本と毛布ありがとうございました、と言えば少しだけこちらを見て別にと返ってきた。
私は本を一旦部屋に置きたいとベポにお願いし、部屋に寄ってもらった後、そのままダイニングへと向かう。
「船長さん、忙しそうだね」
「たぶんこれからのこと考えてるんだと思う。新世界は今まで以上に大変なところだから」
「そ、そうなんだ…」
「心配?レイラにはおれ達がついてるから大丈夫!」
当たり前のように言うベポ。
その言葉に私は半ば固まってしまった。
私はこの海賊団の一員じゃない。
たまたま助けてもらって、たまたま治療してもらってるだけ。
今は移動すら一人では儘ならないんだ。
そんな私は言ってみればお荷物でしかない。
「レイラが来てからイッカクとっても楽しそうなんだよ。今まで女はイッカク一人だったからかな。それにキャプテンだって気に入らなかったら船には乗せないし、部屋に入れるのも絶対しないよ」
「…」
私はまだ固まったままだった。
なんだか気恥ずかしい。
顔に熱が集まってきてる気がする。
確かにイッカクは暇さえあれば部屋に来てくれて他愛ない話をしてくれる。
それはベポやシャチもそうなのだけど。
船長さんは基本用事がある時。
さっきのように長い時間一緒に過ごすことは初めてだった。
特に会話らしい会話はなかったものの、居心地は悪くなくて、どちらかといえば好きな空気感だった。
「着いたよ」
ダイニングへのドアがゆっくり開かれる。
そこにはもうほとんどのクルーが集まっているようで、奥の席からイッカクが手を振っているのが見えた。
ベポは一直線へそこへ歩いていく。
その途中も傷はもういいのか、など体調を心配してくれる声が聞こえてくる。
イッカクの所まで行けば予め私の席は決まっていたみたいで、一つだけクッションが置いてる席があった。
「レイラはここに座って」
「足、気を付けろよ」
私の右側にはイッカク。
正面にはペンギンさんとシャチ。
もうそれぞれ夕食は受け取ってきていて、あとは食べるだけといった所。
私を椅子に座らせたベポが自分と私の分の夕食をコックさんの所から取って来てくれて、シャチの隣に座る。
目の前にはいつものように温かくて美味しそうなお粥が置かれた。
「私がキャプテンに頼んだの。食事は大勢の方が美味しいでしょ?」
されるがままになっていた私にイッカクが口を開く。
まさかそんな理由だったなんて。
嬉しさが込み上げてくる。
ふと左を見ると、夕食はあるのに席は空席だった。
「そこはキャプテンの席な」
「レイラをダイニングに呼ぶ条件だったんだよ。まぁ、キャプテンの隣なら何かあっても安心だしな。で?肝心のキャプテンは?」
「すぐ行くってさっき言ってたよ」
「うちはね、夕飯はみんな揃ってが基本なの。もちろん忙しかったり見張りがあったりして難しい日もあるんだけど。私がハートに入るもうずっと前からの習慣みたいなものらしいわ」
ね?とイッカクがペンギンさん達を見ると三人は何だか自慢気に頷く。
その時、ダイニングがざわついた。
ドアの方を見れば、話題の人物が入ってきたみたいだ。
船長さんは私たちのところまで来ると、私の隣にドカっと腰を下ろした。
それが合図かのように一斉に夕食にがっつき始める。
私も胸の前で小さく手を合わせてお粥に口をつけた。
◆
海賊の食事は初めてだったけど、それはそれは賑やかで。
シャチやベポはここぞとばかりに今までの冒険の話を聞かせてくれた。
時々、イッカクがそんな大したことしてないでしょ!?と反論したり。
私にとっての大勢での食事と言えば、広間に呼ばれて天竜人にお酒を注いだりする時だけで、こんな風に心から楽しいと思えたのは初めてだった。
私の夕食と違い、みんなの今日の夕食は焼き魚。
隣の船長さんは周りがどれだけ騒いでいようとマイペースに静かにそれを口に運んでいる。
話しかけられれば小さく答える程度。
よくよく見ると、一人一匹なのに対し船長さんのお皿には二匹乗っている。
ベポは三匹くらい乗ってた気がするけど、ベポは体が大きいしそもそも熊だし。
船長さんは魚が好きなのかな。
すると私の視線に船長さんは気付いたのか、私と魚を交互に見やる。
「なんだ?魚が食いたいのか?」
私の答えを待たずに、器用に白身を一口サイズ取ると私のお椀に乗せられる。
思わぬ形で現れたお粥以外の食べ物。
船長さんは依然として私を見ている。
そっとレンゲでお粥ごと魚を掬い口に放り込めば、いつもとは違う塩辛い味が口に広がる。
久しぶりに食べる魚の味。
「お、いしい…」
「そんなに美味かったか?」
左手で方杖をついて私の顔を覗き込む船長さんに笑われてしまう。
今までだってコックさんが工夫を凝らしてお粥を出してくれた。
それでもやはり飽きはくるもの。
私の声は少しだけ震えていたかもしれない。
「うそだろ…」
「何が起こったんだ…誰だよ安全なんて言ったの」
顔を上げると船長さんを除く4人は口をポカンと開けてこちらを見ていた。
ペンギンさんやシャチに至っては口をわなわなさせながら。
「レイラ!私の魚もあげる!」
イッカクが自分の魚を半分にし、私のお粥に入れてくる。
それにハッとしたのかペンギンさんとシャチまで少しずつ魚を入れてきて、私のお椀はあっという間に魚に覆われお粥は見えなくなってしまった。
ベポだけはおれ全部食べちゃった…ごめんな、エレノアなんて謝ってくるものだからブンブン頭を振った。
「お前らいい加減にしろ。そんなに食わせたら塩分の摂り過ぎだ」
横から箸が出てきて、お粥に盛られた白身が今度は船長さんの口に入っていく。
「あ!キャプテンにあげたんじゃないですよ!?」
イッカク達はブーブー文句を言ったけど、船長さんは無視して私のお椀から魚を食べ続けた。
そんなやり取りに私がいつかのようにクスっと笑ってしまうと、文句を言っていたイッカク達も一緒になって笑う。
船長さんもまんざらでもない様子だった。
◆
食事も終わりベポと一緒に部屋に戻ろうとしていた時、イッカクが今日は流星群が見れるという情報を街で聞いたと話をしてくれた。
そして船長さんに頼み込み、私も一緒に甲板に出てもいいことになった。
時計を見ればもうすぐ0時。
いつもなら既に寝ている時間。
でも今日はこの後予定がある。
ベポが迎えに来てくれることになっていたので、それまで途中までだった本の続きを読んでいた。
軽くノックが聞こえ、返事をすると待ち人が顔を出す。
「外、寒いよ。毛布ぐるぐる巻いて〜」
言う通り毛布でぐるぐる巻きにされ、ベポは私を抱えると廊下へ出る。
そして甲板への扉を開けると、一気に冷気が押し寄せてきた。
「春島って言ってもやっぱり夜は寒いね。大丈夫?」
「うん、我慢できない程じゃないから」
甲板には既にイッカク達の姿もあって、空を見上げている。
私もつられて空を見れば、そこには満天の星空が広がっていた。
この島の空気が澄んでいることと、人目に付かない場所に船を止めているおかげで民家の明かりもなく、星の光をはっきり見ることが出来る。
更にシャチは持ってきた望遠鏡を使って星を観察していた。
それを見てベポがうずうずしているのに気付く。
「ベポ、望遠鏡覗きたいんでしょ?私はここに置いていいから行って来ていいよ」
壁際に座らせてくれれば大丈夫。
そう思ったんだけど、ベポは少し考えると一旦船内に入ってしまう。
ダイニングから椅子を一脚、甲板まで持ち出すと壁際にそれを置き、私を座らせてくれた。
「ありがと」
「ううん、じゃあおれちょっと行ってくる」
嬉しそうにシャチのところに駆けて行き、半ば強引に望遠鏡を奪う。
もちろんシャチは怒ってる。
その様子に思わず頬が緩んだ。
「ったく、夜中だってのに騒がしいな」
突然降ってきた声に驚く。
船長さんはちゃっかりいつもの帽子まで被って寒さ対策ばっちりだ。
「で?どういう状況なんだそれは…」
「これは…ベポが寒いからと毛布を巻いてくれたんです」
毛布でぐるぐる巻きで腕さえ出せない私の恰好は確かにかなり変だと思う。
若干鼻で笑われた気がするけど、これはベポなりの優しさ。
当の本人はいまだシャチと望遠鏡を奪い合っている。
船長さんが空を見上げたので、私もまた空に視線を戻す。
その時、スッと一筋の光が流れた。
「あっ」
流れ星。
本当にあるんだ。
初めて見た光に思わず声が出た。
「ちゃんと願い事はしたか?」
流れ星が消えるまでに三回願い事を唱える。
そうすれば願いが叶う。
誰もが知っているおまじないのようなもの。
たけど今の一瞬で三回も願いを唱えるなんて到底不可能だと思った。
「願い事…」
そもそも私の願いとは何だろう。
マリージョアにいた頃なら自由を願うの一択だった。
だけど今それは手が届きそうなところまで来ている。
一人では何も出来ないのは変わっていない。
けれど少なからずあの場所にいた時からすれば、私は自由だ。
まだこの船に来て数日しか経っていないけど、船長さんはじめクルーのみんなは親切過ぎる程に優しい。
たまに彼らが海賊だということを忘れてしまう時さえある。
私が今願うとしたら、許されるなら出来ればこのままこの船において欲しいと願ってしまう気がする。
そう思えるくらいここは居心地の良い場所になろうとしている。
治療が終われば別れが待っているのに。
「船長さん」
空を見上げたまま呟いたのを船長さんは聞き逃さなかった。
視界の端に私を見下ろす整った顔が見える。
「私を助けてくれて、船に置いてくれて、本当にありがとうございます。あんなに楽しい食事もこんな満天の星空を見たのも今日が初めてです。全部船長さんはじめハートのみなさんのおかげです」
言葉にすれば何か胸から込み上げてくるものを感じた。
あの日、私にとっての牢獄から逃げ出した時には想像もしなかった生活を送っている。
地獄のような日々は今はどこにもない。
ツーッと何かが頬を伝うのが分かった。
慌てて下を向き、目から溢れる雫を拭おうとしたけど、生憎腕は毛布でがっちり固定されている。
ぐすぐす鼻をすするしか出来ない。
夕食の時といい何とも恥ずかしい。
イッカク達に気付かれたらきっとからかわれてしまう。
でも涙は止まらない。
ポンと頭に違和感があり、少しだけ顔を上げれば視界は白いもこもこに覆われている。
それがトレードマークの帽子だと気付くのにそう時間は掛からなかった。
「泣きたいときは泣け」
そう言われればますます私の涙は止まらなくなってしまって。
毛布に涙がしみ込んだ部分はしっとり冷たくなってきている。
私が落ち着くまで船長さんは何も言わず静かに隣に立っていてくれた。
その間も甲板の先からはイッカク達の騒がしい声が響いていた。