06.変わっていく瞬間
正式にハートの海賊団にお世話になることになって二日目の朝。
昨日、目が覚めたばかりだというのに、この部屋の雰囲気や匂いにも大分慣れてきた。
ただ外はどうなっているんだろう?
今日の天気は?
そういった当たり前に分かっていたことが、窓のないこの部屋からでは何も分からない。
コンコンとドアをノックする音が聞こえたので返事をすると、ドアの隙間からふわふわの白い手が見えた。
「レイラ〜!朝ごはん持ってきたよ」
「ありがとう、ベポ」
昨日、お粥を温め直してくれたイッカクが戻ってくるのと入れ替わりに、船長さんとペンギンさんは部屋から出て行ってしまって。
残ったのはシャチとベポとイッカクで、しばらく4人で話をした。
その時、三人はもっと気楽に話していいと言ってくれたんだ。
なんだかそれがとても嬉しくて、そういえば今まで友達と呼べる人や気軽に話が出来る人なんていなかったとしみじみ思った。
ベポは私を起こすと、机をセットする。
そしてそこに運んできたトレイを置いてくれた。
相変わらずお粥だが、コックさんが毎回味を変えくれてるから飽きない。
今朝はたまご粥。
「今回のもおいしい…!」
「あのね、お昼はどんな味がいいか聞いてきてくれって言われたんだ」
「うーん、そうだな…梅干しを入れたお粥とか…どうかな?」
「梅干し?レイラは梅干し好きなの?」
ちょっとびっくりしたようなベポに首を傾げる。
そっかぁ…レイラは梅干し食べれるのかぁ、と独り言ちてる。
特別に好きというわけではないし、ちょっと塩辛いものが食べたくなっただけなんだけど。
「梅干し食べるの…変?」
「そうじゃないけどこの船では珍しいかも!」
ベポは慌てて両手を顔の前で振ってみせる。
珍しいとはどういうことなのか。
ハートの海賊団は梅干しが嫌いだったり?
「ベポは梅干しが嫌いなの?」
「え?ぼくは嫌いじゃないよ!梅干しが嫌いなのはキャプテン!見るのも嫌いみたい」
意外な人物の名前が出てきて今度は私が驚く番だった。
そういえばイッカクが船長さんは偏食って言ってたっけ。
でも梅が嫌いなのは珍しいことでもないような…?
「キャプテンはね、他にパンも嫌いだし柑橘類も嫌いだし結構好き嫌いが激しい人かな」
次々出てくるワードに更に驚く。
パンも柑橘類も嫌いだなんて人生損してるに違いない。
寧ろ逆に好きなものは何なんだろう?
ベポに聞いてもよかったけど、あまり人のことを他人に聞くのはよくない気がして思い留まった。
◆
ベポと話している間にお粥はいつの間にかなくなっていた。
ごちそうさまでした、とレンゲを置くとベポは食器を片付け再び私を寝かせてくれる。
「そろそろ点滴終わりそうだからキャプテンに言ってくるね」
そう言い残すとトレイを持って部屋から出ていってしまって。
扉が閉まり静かになった室内。
左腕から延びる管は依然として点滴に繋がっている。
定期的に船長さんが液体の入ったパックを取り替えてくれるけど、何をするにも不便なのでそろそろいつまでこのままなのか聞いてみようと思っていたところだった。
ベポが出て行って数分もしないうちに再びドアが開く。
あまりに早い訪問に慌ててそちらに顔を向ける。
「体調はどうだ?朝飯は全部食べたらしいな」
「はい、昨日より良いと思います」
現れたのは予想通り船長さん。
点滴が終わっているのを確認しパックを外す。
そして私の左腕から針をゆっくり引き抜いた。
ガーゼで隠れて見えていなかったそこはきっと目が覚める前から針が刺さっていたみたいで、青黒く変色してしまっていた。
「痛むか?」
そこを丁寧に消毒してくれて新しいガーゼが貼られる。
自然と痛みは感じなかった。
気にはなっていたけど船長さんの手は指にまでタトゥーが彫られていて、DEATHだなんて物騒な文字が読み取れる。
きっとこういう所もベポ達が教えてくれた"死の外科医"と呼ばれる所以なのかな。
「いえ…あの、点滴は?」
「体調も良さそうだし、点滴はもう必要ねェだろう」
そう言うと体温を確認するためか、おでこに手を当てられた。
ヒヤッとした手のひらに小さく肩を竦めるけど、それが逆に心地良い。
「熱もねェな…よし、移動するぞ」
「え?」
言うや否や船長さんは私の布団を一気に捲った。
温かかったものがなくなって意外に室内の温度が低かったことに気付く。
昨日の夜、イッカクに体を拭いてもらった時にも見たけど、両足の膝から下はギプスで覆われている。
そこに刺激を与えないように注意を払いながら、船長さんは膝裏と背中に腕を回すとゆっくり私を抱き上げた。
「あ、あの…!」
訳が分からないのと、こんな抱えられ方は初めてなのもあって、私はどうしたらいいのか分からない。
「じたばたすんな。傷に障るぞ。それとこのままじゃ抱えにくいからゆっくりおれの首に腕を回せ」
首に腕を回せだなんて何を言ってるんだこの人は。
それともこの体勢を気にしているのは私だけ?
益々あたふたする私に早くしろと低い声が掛かり、恐る恐る船長さんの首に腕を回した。
すぐそこに船長さんの整った顔があって、思わずまじまじと見てしまう。
「おれの顔に何かついてるか?」
そう言われ慌てて視線を逸らし首を振った。
どこに連れて行かれるのか。
船長さんは私を抱えたままドアを開けると外へ出る。
そこは廊下になっていた。
ちらほら見えるのはクルーの人たちの姿。
丸い窓からは太陽の光が差し込んでいる。
何日振りかに見た光に私は目を細めた。
潜水中だったこの船はいつの間にか浮上していて、どうやら今日は快晴みたいだ。
「キャプテン!?あ、レイラ移動ですか?」
「あァ、頃合いだ」
声を掛けてきたのはシャチで船長さんが私を抱えているのに驚いたみたいだったけど、それもすぐ納得したようで。
頃合いとは何なんだろう。
それから少し歩くととある一室に船長さんは入っていく。
中に入ればベッドとすぐ横に机、そしてクローゼットが置いてある。
船長さんはゆっくり私をベッドに降ろしてくれた。
「今日からこの部屋に移動だ。あそこは治療室だからな。クルーが怪我をしたときに使うことになってる」
もう一度部屋を見渡す。
今回の部屋はベッド際の壁に窓が付いていてそこから景色が見渡せた。
雲一つない青空と同じくらい青い海がどこまでも広がっている。
「こんなにしてもらって…ありがとうございます」
「別に。あそこにずっとってわけにもいかなかったからな。だがこの部屋は物置だった場所だ。コールも何もねェ。もし何かあったらこれを使え」
船長さんが取り出したものは子電伝虫だった。
「使い方は分かるか?」
「はい」
「……お前いくつだ?」
「今年で22のはずです」
昨日も思ったけど、船長さんは唐突な質問が多い。
今だって何の脈絡もない。
私の歳なんて聞いて何になるのか。
私は首を傾げながら答えた。
「いつからマリージョアにいた?」
「物心付いた頃からずっとですけど…それが何か?」
「13年前、フィッシャー・タイガーがマリージョアで起こした事件があっただろう。あの時、奴隷は解放されたはずだ。何故逃げなかった?」
フィッシャー・タイガーが起こした事件。
彼がマリージョアで暴れたお陰でたくさんの奴隷達が解放され助けられた事件。
当時私は9歳だった。
もちろん覚えている。
「なんて言ったらいいか…奴隷にも置かれている場所がたくさんあります。私はご主人様のお屋敷にいました。それこそご主人様のお部屋のすぐ近くの場所に。あの事件はもっと奴隷がたくさん集められている地区で起きたものだったので…私の部屋までは…」
「そうか…悪いことを聞いたな」
「いえ」
あの日は大騒動だった。
部屋の外が騒がしくて。
窓から外を見ればいろんなところから煙が上がっていたし、たくさんの奴隷達が外に出て行っているのが分かった。
私も外に出たい。
連れて行ってほしい。
そう強く思ったのを今でも覚えてる。
「それで?何故これの使い方を知ってる?どっかに電話でも掛けてたのか?」
「私に電話を掛ける宛てなんてありません。ただ使い方くらい知っておくべきだ、と習っただけです。文字の読み書きと同じような感じで。それに使う目的はお屋敷内での連絡がほとんどでした」
私の言葉に船長さんはまだ何か考え込んでいるようだったけど、それ以上は何も聞いてこなかった。
何か変なことを言ってしまったかな…?
「まぁ、いい。使い方を知ってんなら教える手間が省けた。お前がこの船で連絡取るのは、まぁ…おれとペンギンとシャチ、ベポ、イッカクくらいか?呼ぶときは相手を考えろよ」
コト、と電伝虫をベッド脇の机に置くと踵を返してドアへ向かう。
「あァ…それとこの辺に島があって明日そこへ上陸する。もちろんお前は下船出来ねェが、イッカクにお前の着替えの調達を頼むつもりだ。何かリクエストはあるか?」
ドアノブに手を掛け船長さんは振り返った。
言われてみれば着替えは持っていない。
今着ている服は所謂病衣と言われるもの。
確かにこれをずっと着ておくわけにはいかないけれど…。
「お金は…?」
「そういう心配はナシだ」
ダメ元で聞いてみたものの、船長さんからの返事は予想の範囲内のもので。
見た目とは違い、なんだかんだで船長さんは優しい。
話してみた印象もあるけど、クルーの人達からもとても慕われているみたいだし。
きっとここで私がお金は後からと言っても船長さんは譲らないだろう。
大人しく甘えておこうかな。
「じゃあ…着替えやすいようにスカートがいいです。あともし大丈夫ならでいいんですが…本が…読みたいです」
「本?」
「はい、今まで部屋で過ごす時間がほとんどだったので読書が日常というか…」
「ジャンルは?」
「え?あ、何でも大丈夫ですけど…」
まさかそんなことまで気にしてくれるなんて思わなくて少し驚く。
着替えと言われたのに本も頼むなんて少し図々しかったかもしれない。
「わかった、伝えておく」
船長さんは開き掛けだったドアを再び動かすとドアの向こうへ消えていく。
と思ったら少しだけ顔をこちらへ向け口を開いた。
「それと天竜人のことを『ご主人様』とか言うのやめろ。もうお前は奴隷じゃねェだろ?レイラ」
口角をグッと上げて笑うと、そのままドアは閉まり船長さんの姿は今度こそ見えなくなった。
「え?」
今のはなんだったの?
もう奴隷じゃない?
そんなこと考えたこともなかった。
それにさっき私の名前…。
瞬間、何か胸の奥からぎゅっと込み上げてくるものがあって。
私は布団に顔を埋めて小さくありがとうと呟いた。