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「あ、ごめん。勝手に淹れちゃったけど紅茶で良かった?」
「何でもいい」
ローテーブルに湯気が立ち昇るティーカップが置かれる。中で透明度の高い赤黒い液体が緩く波打つそれからは甘酸っぱい匂いがした。紅茶の種類とか知らないけどまぁ飲めれば何でも良い。
対面に座った名前ちゃんも同じものを自分の側に置き、ふう、と溜息を吐いた。酒気は本当に吹っ飛んだらしく、ギャン泣きして赤い目元以外は顔色が戻っている。ああ、化粧も落としたのか。あんまり変わらないけど。
「…私、極力君達六つ子とは関わらないようにしようって思ってたの」
「そりゃそうなるよね。幼馴染がニートとか恥にしかならない」
こないだ実の弟にまで存在が恥ずかしいと吐かれたのを思い出す。血を分けた、というかほぼ同列の遺伝子を持ったあいつに言われては多少なりともムカついたけど、他人で真面目に働いている名前ちゃんは距離を置いて当然だ。
「あ、それは最近まで知らなかったし…君達がニートだからとかじゃなくて…いや、それも遠因にはなるのかなぁ」
ティーカップの淵をなぞりながら言葉を選んでぽつぽつと続く。
「んーと…やっぱり、女の子がちやほやされるのは男の人からがいいじゃない?私がどれだけトト子ちゃんを褒めても君達に騒がれた方がトト子ちゃんの反応が良いって言うか…満更でもないって顔するの」
「………そう?」
「うん……」
僕は名前ちゃんと話している時のトト子ちゃんを見たことが無いから分からないけど、彼女は僕達がトト子ちゃんといる所を見た事があるのか。確かに結構騒いだ覚えはある。その時のトト子ちゃんの反応が自分の時よりも良かったと。つまりは嫉妬してたのか。
「……結構頑張ってるつもりだったんだ。仕事して、見た目にも会話にも気を遣って、一生懸命あの子に相手して貰える様に。なのに、君達は男の人ってだけでトト子ちゃんを担ぎ上げれば満足させてあげられるじゃない。同じ幼馴染みなのに、……それこそニートなのに」
あ、言葉選ぶのやめた。
「…それが悔しくて…もう顔も見たくないって、苛々しちゃうから。…で、避けてたの。仕事で忙しいから普通にしてても会わなかったけど」
それで寄りによって僕に遭遇しちゃったとか災難だよね。思っただけのつもりだったそれは声に出ていたらしく、彼女ははにかみながら首を振った。
「素面だったら多分あの路地裏で気付いた時に逃げてたかも。酔うと眠くなっちゃうし頭回んなかった。でも結果的に良かったよ」
「何で」
「…一松くん、言動の割に案外優しいから。子供っぽい理由で避けてたのが馬鹿みたい」
「優しいとかよく言えるよね。さっき泣かされたのに」
「う。まぁ、それは盗撮してた私が悪いんだし…後ろめたい事してた自覚はあったから多少は責められた方が逆に安心するっていうか…」
泣いて失った水分を取り戻すみたいに紅茶を呷る。よくわかんないけどそんな一気に飲むようなもんじゃない気がする。ソーサーが微かに音を立てて空になったカップを受け止めた。名前ちゃんは一呼吸置いてから口を開く。
「…こうしてちゃんと話聞いてくれるじゃない。今まで誰にも話せなかったから、なんか凄く楽になった。一松くん、案外聞き上手かも」
「そんなの言われたこと無いし」
「私はそう思ったの!」
「…何それ、随分独り善が、り…?」
つん、と頬に指の感触。
「もう、卑屈すぎるのは良くないよ。心が不健康になっちゃう」
思わぬスキンシップに言葉を失う僕を見て名前ちゃんは悪戯が成功した子供みたいに笑った。何その顔。自分の顔が良いって自覚ないのかこいつ。いくつだよこいつ。可愛過ぎかよ。
「……人のこと言える立場かよ」
「お、言うねー」
口を突いたのはまた可愛げの欠片もない言葉だったけど、彼女は気にしてないみたいだった。気まずくて出された紅茶に口を付ける。思ってたより甘くて飲みやすいそれは気分を落ち着かせてくれた。
「それにしても…暫く会わなかったけど、こうしてみると意外と話せちゃうもんだね。やっぱり幼馴染だから?」
「…さぁね」
「もしかしたら他の松とも普通に話せるのかな」
「あー……十四松は会いたがると思うよ」
「五男くんかー。昔は一番遊んでたしなぁ」
「他は……やめといたら」
「え、何で?」
ほぼ無意識に出たその言葉に彼女は首を傾げたが、僕自身も驚いていた。
「…ニートだから」
「全員ニートなんじゃないの?」
「そうだけど…ああ、あいつら特に女に飢えたハイエナだから」
尤もらしい理由を並べられて安心した。十四松は無害だろうけど、他、特に長男と末弟はがめつい。クソ松は論外。
「え、飢えてるの?トト子ちゃんが居るのに?」
「なんか勘違いしてるみたいだけど。僕達だってそういう意味でトト子ちゃんに相手にされてる訳じゃないよ」
「……へぇ、そうなんだ」
トト子ちゃんにそういう影が無いと知ると露骨に嬉しそうな顔をする。忘れかけてたけど、こいつレズじゃん。さっきときめきかけて危うく大事故にしかならない所だった。何とも言えない気持ちと一緒に紅茶を流し込む。
「……そろそろ帰る」
これ以上話していたらどんどん引きずり込まれそうな気がして、立ち上がった。名前ちゃんは咄嗟に時計を見て納得した様に僕に続く。
「…結構遅くまで引き留めちゃったね」
「別に。お茶ごちそうさま」
玄関まで見送られる。突っかけを履いてお邪魔しましたと形式的に言い背を向ければ、一松くん、と戸惑いがちに呼び止められた。
「今日はその、本当に色々ありがとね。今度おばさんにもお礼しに行くから宜しく言っておいて」
「ん」
「それで、あの…良かったらまた相談乗って欲しいな、なんて」
―――いや察しろよ。逃がさない気か。レズ女の癖に期待させやがって。馬鹿にしてるのか。
「……暇だったらね」
ざわざわむかむかと湧き上がるそれらを抑え込んで出たのは当たり障りの無いものだった。これなら「忙しいから無理」とかで相手にしなくても文句は言えないだろう。
「じゃあ大体いつでもいいね」
ああそっか。暇なニートだって知られてたんだった。
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