「この……ッ、ど阿呆!!」

屋上から自由落下したわたしを何事も無かったかのように受け止めた直哉くんはわたしに向かって吠えた。直哉くん自身がわたしに落ちろ死ねと強要してきた癖に。なんならリズミカルに手拍子しながら早く早くと急かしてきていたはずだが。裏拍でリズム合わせてやれば良かった。
というか、この人わたしが落ちるとき背後にいたはずなんだけどな。術式使ったのかな。死んで欲しい程の女を助けるために貴重な呪力を使うなんて非効率にも程があるな。だって直哉くんが死ねとか言わなきゃわたしだってあんなとこから落ちたりはしなかった。……いや、いずれ落ちたのかもしれない。それくらいわたしは現世にあまり執着を持っていない。
自分が原因の癖にわたしを一喝するという謎を生み出した直哉くんは、わたしをお姫様抱っこしていることに気付いて「ギャア」と悲鳴を上げた。パッと手を離されてわたしは尻もちをつく。「ギャア」今度はわたしが言った。

「痛い……尾骶骨折れるやつ……」

「……な、なにさすねん俺に!!」

「勝手に助けといて被害者面」

「ただめそめそ泣きゃええのになんやねん自分!いっつもそうや能面女!」

「泣かせたかったのか……死ね死ねコールはなかなかエグかった」

まぁ直哉くんのイジメはどれもこれもなかなかエグいけども。スカートめくりどころかスカートを頭の上で結んでパンツ丸出しにして一時間放置されたし(もう一生私服でスカート穿かねぇ)、伸ばしていた髪は引っ張られるどころがジョキンジョキン切られたし(もう一生髪伸ばさねぇ)、お気に入りだったかわいいバレッタは無惨な姿で焼却炉から発見されたし(もう一生鉢巻きしかつけねぇ)。
小学校から中学に至るまでずっと直哉くんにイジメられてきたが、泣いたことは一度もないのが唯一の自慢だった。わたしが泣かないからこそ直哉くんも意地になるのかもしれなかったが、わたしこそかなり意地になっているし、平常心を意識するあまり心が凍てついてしまったのを自覚している。なのでこれから直哉くんに何をされても泣くことはないだろう。

ふ、ふぐぅ〜と歯を食いしばった直哉くんは、立ち上がりかけたわたしの肩を蹴り飛ばして再度転ばせた。パァン!と柔道の授業で習った受身を取って直哉くんを見上げると、彼は見慣れたクズ面で捲し立ててくる。

「腹立つわァ女の癖に『困難に屈しないお強いワタクシ〜』みたいなのダサいねん!サムいんや!女なんやったらはよ諦めボケ!」

「実はわたし、女じゃないんですよ」

「馬鹿にしとんの?」

「してないっす」

屈す気はないとはいえ痛い思いはしたくない。両の手のひらで直哉くんにストップをかける。表情をさらに歪めた直哉くんは吐き捨てるように「死ねばええのに」と零した。うん、だから飛び降りたんですけどね。死なせてくれなかったのはあなたですね。
しかしわたしに死んで欲しい気持ちはあるようだし、わたしもわたしで別に死んでもかまわないので再チャレンジすることにした。もしかしたら遺言的なものを怠ったから助けたくないのに助けざるを得なかったのかもしれない。それは気の利かないことをした。カツンカツンと階段を上がりながら、嫌そうについてくる直哉くんに語りかける。

「わたしのパソコンは破壊してね」

「は」

「うちの親にはまぁ、ありがとうございましたと。大丈夫、直哉くんを悪者にするつもりはないよ。どうせ金で揉み消すだろうし」

「急になんやのん」

「他は……特にないなぁ。うっすい人間だなぁわたし」

屋上に着いたので、二度目はそのままテクテク歩いて柵を越えた。直哉くんが何かを言おうとしてそうなのを横目に見ながら宙に足を踏み出す。
落下する感覚が、わたしの身体をしっかりと抱き留める感覚で中断された。目を開けるとそこには直哉くん。うーん。

「句かな?」

「何言うとるん」

「辞世の句が要るのかな?」

「やから、何に?」

「中学を、卒業してすぐ金髪に、初めて言うけど見た目がチャラい」

「喧嘩売っとんの」

三度目の正直だったがやはり阻止された。気を取り直して、仏の顔も三度までと言うしとわたしは俄然軽やかに階段を駆け上がりそのままのスピードで空にダイブする。

「タワーオブテラーちゃうぞ!!」

四回目ともなると直哉くんも怒りを隠せなくなってきたみたいだ、特に最初から隠していなかったが。やたら大切そうに横抱きにされるのにも慣れてしまって、わたしは直哉くんの怒鳴りも何のそのと腕の中で考えを巡らせる。
ぶっちゃけ楽しくなってきたのは事実だ。普段はその辺のダンゴムシよりも雑な扱いを受けている分、まるで死んで欲しくないと言わんばかりに受け止めてもらえるのは素直に嬉しくもある。顔には出ないけど。
タワーオブテラー、そうだタワーオブテラー。死ぬ前に乗ってみたい。というか普通に死ぬ前にあの遊園地に行きたい。そうか、直哉くんはわたしの秘めたる心残りを叶えようとしてくれていたのか。

「乗りたいな」

「あぁ!?」

「タワーオブテラー」

「…………」



そして今、わたしは直哉くんと並んで某遊園地の夜のパレードを見ている。初めて見るのでこんなクズと一緒でもやはりワクワクしてしまう。「わー見てあれ」と隣で宇宙猫みたいな呆けた顔してる直哉くんの肩をペチペチ叩くと、直哉くんは焦点の合わないぼーっとした目をわたしに向けてきた。まだ本家のタワーオブテラーの衝撃が抜けないのだろうか。平日で空いてるのをいいことに五回は乗った。

「なんで俺がこないなとこに」

声が若干震えている。パレードのイルミネーションが直哉くんのやたら整った顔を照らしている。怒りもごもっともであるが、わたしの心残りを解消しようとしてくれた心意気には感謝せねばなるまい。
わたしは機嫌が良かったので、直哉くんに笑いかけてみた。笑顔を見せるのは何年ぶりだろうか。もうそろそろわたしは死ぬことだし、大盤振る舞いである。

「直哉くん、楽しかった。まさか連れてきてくれるとは」

「……まぁ、盛大に感謝してくれてええよ。こんなイケメン高身長高収入に優しゅうしてもろて良かったなぁ」

「よっ金持ち!大統領!次期当主!」

「そや、俺は次期当主なんやで。君は俺の三歩後ろを歩いて、俺を立てて、俺の言うことに今みたいに何でもニコニコ返事してるだけでええ」

「こっわ願い下げだわ」

「おう女なら弁えやブス殺すか?刺したろか?おん?」

「夢の国で物騒な話はやめてください!」

ナチュラルに男尊女卑に取り込もうとされる。殺されるのは嫌なので(絶対なぶり殺しにされるから)、わたしは直哉くんに背を向けて距離を取った。人混みに紛れて走って離れようとするも、直哉くんの術式の超スピードであっさり掴まって痛いほどに手首を握られる。痣ができるやつだ。痛がるのは癪なので涼しい顔をする。
直哉くんの表情から感情が読み取れない。パレードに背を向けてしまったからそもそも暗くてよく見えない。見つめ合うこと数秒、直哉くんは解放するどころか更に手に力を入れた。堪らず声を上げる。

「痛い!離して!」

「躾や、飴ちゃんあげたんに調子に乗られるんは心外やわぁ。何度何回反抗すれば分かるん?分からんならこのまま手首折ったってもええんやで」

「やめて夢の国で暴力沙汰はやめて」

「夢の国がなんぼのもんやねん。ほっそい手首や、あとすこぉし力入れればポキッといくなぁ」

手首がミシミシと軋みはじめる。あーさよならわたしの手首。
目を閉じて激痛と衝撃に備えていたが、やがて直哉くんの手の力がするすると抜けていった。思わず見上げると直哉くんは苦々しげな顔をしてわたしを睨みつけている。折ろうとしたのは直哉くんの方のくせに、何故わたしがこんなキレ顔をされなければいけないのか。被害者なのでわたしがキレたいわ。
やっと離された手首を庇うように引いたら直哉くんがフンと鼻を鳴らした。

「やめややめ。夢の国で暴力なんざあかんわ」

「ほんとそれな」

「自分反省せえよ?俺の機嫌損ねて何様やねん。震えて泣けや能面女」

「震えも泣きもしないですね」

何故なら慣れてしまったから。能面なのは反論ができないが、わたしが表情綾波なのは直哉くんに対してだけなので特に問題に感じていない。
舌打ちした直哉くんが踵を返してどこかへ行こうとしている。よっしゃ離れられる!と喜んで直哉くんと逆方向を向いたら直哉くんから怒鳴り声が飛んだ。

「ついてこいや!!」

「なんで〜」

あからさまに肩を落としてしまったが直哉くんには見られていなかったみたいで命拾いをしてしまった。



モラハラ全開だったくせに、直哉くんはホテルまで取ってくれていた。付き合ってもない、仲良くすらない男女が一緒の部屋なんてと慌てるわたしに直哉くんがカードキーを投げつける。

「ぎゃっ!」

「よそ見すんなや。同じ部屋なわけないやん」

「直哉くんならやると思ったよ」

「乳のサイズ5は上げてから言うてくれます?」

「5も上げたら奇乳だわ」

でかけりゃでかいほど良いタイプのようだ。良かった、直哉くんの好みの乳ではなくて。まな板がとか洗濯板かいなとかセクハラしまくってくるけど総スルーしてわたしは自分に宛てがわれた部屋に向かった。謎に直哉くんが着いてくる。
ちょうどいい、別れの言葉を告げないと。

「直哉くん、なんかこれまでいろいろ……」

「おん、やっと俺の素晴らしさが分かったんか」

「いろいろ……」

話の途中で思い描いてみるが、これまで直哉くんからされたことはほぼ全てが嫌がらせであった。思い起こせば小学一年生、隣の席に座った禪院直哉くんが入学初日から「直哉くんやない、直哉様やろが!」とかでわたしをぶん殴ってきてからこの苦行は始まった。とんでもないガキだ。今後一生絶対直哉様とか呼んでやらねぇと心に刻んだ出来事だった。
ありがとうという気にはならなくて押し黙る。直哉くんはわたしの言葉を待っているようだ。適当に濁すことにした。

「いろいろ、あったけど元気でな……」

「なんや別れみたいに言うやん」

「別れるんだよ、バイバイ」

「なっ、」

スっと部屋に入って戸を閉めようとしたが馬鹿力で掴んでこじ開けられた。扉、蝶番がぶっ壊れた音したけど大丈夫か?ついつい蝶番を確認したくなり直哉くんそっちのけで斜めに背伸びをするが、ガチギレブチギレ声で「俺を見いや」と言われてしまって背筋がピンと伸びる。
見ろと言われたので見るが、直哉くんは怒ってるというよりはこう……怒りを通り越して泣きそうですらあった。何回か見たことがある顔だ。
いやっ、その、何にそんなに怒ってるのか全然分からない。もうわたしの心残りはないのだから。それにしても小学の頃と比べてだいぶ背が高くなったものだ。同じくらいだったはずが、だいぶ首を上げないと目線が合わなくなっている。長い年月が経ったものだ。そろそろお互いがお互いから離れるときなのだろう。

ヒョロヒョロ坊やと見せかけて案外太くなった腕が、ゆっくりとわたしの方へと伸びてくる。あー首絞められるやつかな。一瞬がいいので飛び降りが良かったが、直哉くん自ら引導を渡したいと言うなら従う他ない。
両目をギュッと閉じたら、首ではなく肩のあたりに直哉くんの両手が置かれた。おや、と薄目を開けるが直哉くんは俯いていて表情は分からない。絞り出すように直哉くんが言う。

「……ええ加減にせえよ」

「あ、はい」

「嘘やったん?」

「な、なにが」

「言うたやん」

「え、何を」

「好きって言うたやんか!」

「……す、」

す、すき?え?言ったっけ?何を?主語がない、しかし直哉くんとは好きな食べ物や好きな動物の話すらしたことがないと思うのだが。
困惑するわたしにぐいと直哉くんが顔を近付ける。目がかっぴらいていて怖すぎた。つり目の整ったガン開きの瞳から、つつーと一筋涙が落ちる。な、泣いてやんの!動揺してついその涙を拭ってしまった。やばい悪手だったと気付いたときには遅かった。

「俺の何がそないに嫌なん?なんで俺から逃げるん?」

「なにって……」

顔以外全てなんだよなぁ……。あれこれ言うのは良くないと思いぐっと口を引き結ぶが、なぁ、なぁ、と肩を前後に揺らされる。拭ってやった涙も次第にダラダラダラダラと堰を切ったように流れ流れて大洪水だ。なんだ、こいつ……あまりにもボロボロ泣くからもらい泣きしそうになってしまう始末。

「なんなん?何で俺から離れるねん!他に男おるんか?なぁ、あんなに悪い虫潰して回ったんに、足りひんかったんか?必要以上にかいらしくせんでって言うたやんか、分かってくれたやろが!もうツンツンしててもええわこの際、やからなまえちゃん、」

名前を呼ばれたのは初めてかもしれない。空気に乗せられてわたしの目からもたらりと涙が垂れた。月九のドラマをみているかのような心地だった。顔だけは良い男が泣きながらブツブツ呟いている。

「俺だけを選んでやぁ……」

「…………えっ」

あれ、こいつ実はわたしのことめっちゃ好きか?