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「なまえ!やり直そう!」

昼ドラのノリで事務所兼我が家に突撃してきた緑の髪の男に場は騒然となった。コイキングは跳ねポッポは飛び回り、ポニータは戸惑い庭駆け回りピカチュウはそこらの書類を電気ショックで燃やし尽くす。
わたしは怒りに震えた。ピカチュウにではない。この騒動の原因となっているこの、緑の髪の男ことNにだ。ドスドスと音を立てて玄関まで向かい、随分また背の高くなった彼と向かい合う。Nがあれこれ言い出す前に、わたしは心の底からぶちまけた。

「十年音信不通にしといて今更何だ!!」

「それについては本当に申し訳ない」

十も歳を重ねて、青年を通り越してもういい歳になっているであろうNがぺこりと頭を下げた。



わたしはかつてカメラマンを夢見てイッシュ地方のライモンでアルバイトをしていた。街には少し合わない素朴でアットホームな写真屋さんだった。住んでいたアパートは遊園地が近くて、メリーゴーランドが好きなわたしは良く一人でも遊園地へと赴いていた。そこで観覧車の相乗りを頼んできたのがNだった。

「きっとキミとこうして観覧車に乗るのは今日が最後だろうと思う」

ある日夕焼けを背に、Nは言った。わたしたちはタイミングがなんやかんやで良い感じに合うようで、10回は一緒に観覧車に乗っていた。それなりに会話も交わしたはずであるが、この変人のことはついぞよく分からなかったなとわたしは考えた。

「それなら写真を撮っていい?」

「どうして?」

「思い出に。わたしもいつかはここを離れるから」

「……そうかい」

キラキラと光る遊園地の装飾。空は紅くて、時間が経つごとにとぷとぷと暗くなってゆく。わたしと向かいあうNは綺麗だった。感情を見せないNのために、世界が手助けしているかのように感じられた。わたしはシャッターを切る。
観覧車はいつも通り人が少なくて、わたしたちは並んだりもせずのんびりとゴンドラに乗ることが出来る。言葉少なに乗り込んで、外を眺めるNを見た。観覧車の中は本当に静かだ。お互いの息遣いすら感じられるほど。ロケーションのせいか、わたしは少しドキドキしていた。無意識に指先をソワソワとしてしまう。こちらに気付いたNが、わたしと目を合わせて微かに微笑んだ。

「ボクの顔になにかついている?」

わたしは慌てて目線を逸らす。笑い声を上げたNが、わたしの手をそっと握った。えっ、と驚いて目線を握られた手に落とす。まさか触れてくるとは思っていなかった。わたしたちは単なる相乗り仲間であって、これまでそこに恋も愛も微塵も感じなかったのだ。けれどそんな思いでいたのもわたしだけなのかもしれない。ずっとNの心の内は推し量れなかったから、わたしが勝手に思っているのは全て的外れだったのかもしれない。
男性にしては不思議なくらいにきれいな、白い、骨張った手のひらだ。身長に比例して大きいのに、線が細くて一見すると女性の手のようだ。なんとなく、雰囲気にあてられて握り返すとNは逆に手を引いてしまった。やりすぎたかと顔を上げると、目の前に、Nの灰色の瞳。

「……ちょっ、」

キスされた。びっくりして後ずさろうとするがここは観覧車の中。あまり大きく動くとゴンドラが揺れて止まるかもしれない。暴れられないので両手を突っ張って拒絶を示すが、線が細い割にしっかりと男性の体つきをしたNはそんなの意に介さずわたしの腕を片手にまとめ上げてしまった。表情がない。いつにも増して虚無の顔をしている。微笑んですらいない。怖い。怖い。
初めてNに対して恐怖を抱いた。彼は足の間に割って入ってきて、空いた手でわたしの膝丈のプリーツスカートの中をまさぐる。Nにぶつけようとした罵倒は再度口付けされて飲み込まれていった。口内を貪られて呼吸が乱れて涙が溢れてくる。歯がカチカチ当たって痛い。それはNも同じのようだった。お互い息を絶え絶えにさせながら、わたしたち一体何をしているのだろうとぼんやりする頭が遠くから客観視する。
Nの身体が足を閉じるのを邪魔している。何の変哲もない綿の下着をずらして、恐らく指でわたしの秘部を確かめている。
もういいや、と思った。Nの唇が離れた隙に外を確かめるとそろそろ頂上のようだった。太陽は既に沈んでしまって、空の上の方はどんどん夜になっていっていた。もともとわたしたち以外にお客さんなんていないのだ。
息切れしながらNがわたしと目を合わせる。何が彼をこんな行動に走らせたのか意味不明であった。こんなにキスが下手くそな男が非童貞とは思いがたい。十中八九、童貞&処女だろう。膝裏を持ち上げられて、今にもまさにわたしのそこに突っ込もうとしている。あとから考えるとどうなんだという感じだが、わたしは写真を撮らせてもらったのだし仕方ないかという気持ちでいた。Nならいいやとも思っていた。思い出なのだから。そんな話は一言もしなかったけれど、わたしもNも、少なからずお互いを想っていたんだと思う。

「いたい……」

「……ごめん、もう少し、我慢して。ああ違う、唇を噛んではだめだ。力を抜いて、後でボクを殴っても蹴ってもいいから」

憎んでも殺してもいいから、と泣きそうな目をして彼は言った。グイグイと裂きながら入ってくる質量にわたしは遠慮なくNの腕を掴んで爪を立てる。痛い、痛い!ふわっとした覚悟では乗り越えられなかった、Nが与えてくる痛みからの救いを他の誰でもないNに求めてしまう。Nはわたしの頭をそっと撫でた。その直後、ぐっと引き裂かれてわたしは呻き声を上げる。歩きやすいバレエシューズの中で、わたしの指がぎゅうと縮こまる。痛みに痙攣するわたしの太ももを、Nが労わるように擦る。
無意識に閉じていた目を見開いた。ゆっくりとNのものはわたしの中から出ていく。そしてまたゆっくりと押し入ってきた。慣れてきたのか痛いけども叫ぶほどではない。ゴンドラをあまり揺らさないように、ゆっくりゆっくり出し入れするNはまるで目に焼き付けるかのようにわたしの顔をみている。わたしも写真を撮ったから、おあいこだ。像を焼き付けるのがフィルムか脳かの違い。

「忘れないで」

ろくに解さず突っ込まれたところで性的に感じるはずもない。それほど痛くはなくなったが、気持ちがいい訳でもない。それでもNはわたしとライモンの夜景を灰の瞳に映しながら懇願する。忘れないで。忘れないでくれ。そのためにわたしを犯しているのだろうか。一緒に観覧車に乗っただけの間柄のわたしに、一体何を求めているのだろう。
わたしは上気するNの頬に手のひらを添えた。Nほど綺麗ではない、ハンドクリームを怠ったから少しカサついた、よくある普通のわたしの手。

「わかった。一生忘れない」

涙がぽろりとNの両目から落ちた。それからどうしたんだったか、気づいたらわたしたちは観覧車を降りていて、これまた気づいたらNはどこにもいなくなっていた。夢だったかもなと思ってしまったほどだ。乱暴をされた股が痛み、あれは現実だったとわたしにしつこく伝えてくる。



しばらくしてNが指名手配されているのを発見した。あの後わたしに警察に突き出されると思って逃げたのだと合点がいった。婦女暴行で指名手配されているわけではないので、ああいうことをしたのは恐らくわたしだけなのだろう。
何年も経って、わたしもイッシュを離れて、故郷のジョウトに自分のスタジオを持った。忘れないでと泣いたNの顔がまんまと忘れられなくて、もう十年も経つしいい加減普通に他の男と恋愛しなければと気持ちを切り替えた矢先の出来事だった。ちょうどお得意さんにちょっと良いかもしれないと思える人がいたのに。
わたしが大きくため息を吐くと、ピカチュウの燃やした書類を片付けていたNが小さく「ごめん……」と呟いた。十年の時を経て、Nはロングだった髪をカットして見た目は普通の好青年となっている。表情も豊かになったように思える。ダークグレーの七分袖のジャケットがびっくりするほど似合っている。まぁそう、カッコイイのである。

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜」

「そうため息ばかりつかないで……」

「元凶に言われましても……」

「そうだろうとは思うけど……」

二人分紅茶を淹れて、ソファに小さく座るNの前のローテーブルにトンと置く。向かいに腰掛けてわたしは再度息を吐いた。何度ため息ついても足りないな。わたしを心配するポニータがスリスリと顔を寄せてきた。撫でてあげながら思案する。
N、やり直そうなどと言ってきた。わたしとNの関係でやり直すことなんてない。わたしはNに処女を持って行かれてNはクソ野郎よろしく雲隠れして完である。処女は一度きりのものなので、あの行為をやり直すなんてことは出来やしないのである。
紅茶を一口飲んだNは決意したようにわたしを見た。ピシッと背筋を伸ばして口を開く。

「なまえ、好きだ」

「……は?」

「今度はちゃんとしたい」

「…………は?」

「やり直そう」

「……あのね、昨日今日の話みたいに言ってるけど、十年前のことだからね」

「けれどキミは忘れないでいてくれただろう」

「忘れないイコール愛してるではないんですよね、どの辞書にもそんなこと書いてないんですよね」

「なまえ、ボクはずっと、」

「うるせー!!広辞苑読んどけ!!」

事務所の応接室にNを置いてわたしは二階の自分の部屋へと逃げた。がちゃんと戸を閉めて丁寧に鍵までして、バリケードもするかと一瞬思うが思いとどまる。
信じられない。わたしは自分の部屋の扉を背に座り込んだ。あの人、今なんて言った?十年前にちょっと観覧車乗っただけの女に好きだなんて良く言えたものだ。あんなのちょっと野良犬に噛まれたくらいのもので、どっちも言葉にしなかった微かな恋心はどっちも言葉にしなかったからこそ過去のものでしかないのだ。それをあいつ、十年も経ってから。
ずっと忘れられなかった、あの泣き顔とさっきのNの顔が重なる。何が当時のNの琴線に触れたのかは知らないが、彼は確かにわたしを好きでいてくれていたのだ。
いやでも、十年よ?わたしは頭を掻き回す。カッコイイとは思うが、めちゃめちゃイケメンでシュッとして大人の余裕が出てきてしかしどこかあどけなさもありスタイルも良く笑顔は優しくとにかくとんでもなくカッコイイとは思うが、好きかと問われると分からない。どうすればいいのかも分からない。

「なまえ」

「ひっ」

扉越しにNの声がする。帰ってろよ〜何でまだいるんだよ。帰ってくれてたら悪い夢だったと思って忘れられたのに。忘れようと努力できたのに。
わたしに伝えたいことがあるらしく、Nの気配は扉の前から動かない。まぁ、喋ってる途中で逃げてきてしまったからな……。耳を塞いで聞かなかったことにしようか迷っていると、意を決したらしいNが言葉を続けた。

「ボクを、好きになってほしい」

「好きに」

「キミが好きだ。十年前からずっと。だから応えてほしい。臆病者だったボクを許してください。好きです。今すぐにとは言わない、いつかボクに、哀れみではなく愛情を向けて欲しい」

「…………」

「欲を言えばキミと結婚したい!」

「すげー欲!!」

「誰かがキミの隣にいたならボクだって諦めたさ、けれどキミはそうではなかったから!」

「……こっ、心に想う人がいるかもしれないでしょ!」

「もしそうなのであれば、ボクが好きだと言った時点でキッパリ拒否するはずだろう。今その席に誰もいないのならば、ボクを選ぶ可能性はゼロではないはずだ」

押しの強さに怖気付く。確かにわたしに誰かがいたなら、わたしは紅茶なんぞ出さずに彼を門前払いしただろう。ああ言えばこう言う、とわなわなする。
いいえと言えない雰囲気が漂う。扉の向こうでNが寂しそうな顔をしているのかもしれないと思うと、なんだか居心地が悪いような気がしてきた。わたしの方だって単純に、忘れないでいてくれたのは嬉しかったりもするのだ。十年間も無かった過去に出来なかったのは、処女はもう戻らないからという以外にもきっと、心に何かが引っかかっているからなのだ。しかしそこの解明をする気にはなれない。十年も経ったのにわたしに対して好き好き言ってくるNがおかしいのであり、普通はこんな一過性の浮つきは小さな箱に閉まって寿命まで取っておくものである。青い思い出でしかないはずなのだ。

「キミの同意も得ずにあれこれしようとは思っていない。もうボクのことを過去の出来事として処理したのだというなら、最初からまた始めればいい」

「……好きにはならないかもよ」

「その場合はボクの力不足だからパワーアップした次回に期待してほしい」

「待って何回もやる気!?」

「ボクが諦めるまでは」

「ヒエ……」

謎の力強さに思わず悲鳴がこぼれた。逆に言えば諦めさせればいいということか。十年経って成長したNは、わたしなんぞが隣に並べる域を遥かに超えてしまった。月並みな言葉でしかないが、わたし以外に他に良い人というものが確実にいるはずだ。イケメンに求められて嬉しくないはずもない。が、人生には住み分けが必要なのである。
よし、婚活だ。わたしは決意した。逆に後押ししてくれる形になってくれてありがとう。

「とりあえず、開けてくれないか」

「イヤだ、どうせ好き好き言うじゃん」

「その通りにしたいから開けてほしいのだけど」

「帰ってくれぇ……」

震える声で返したら、若干不満げながらもNは「また来るよ」と言い残して去っていった。思い入れのある事務所なので引っ越したくないのだ。来ないでくれぇ……と半泣きで頭を抱えた。